魔王をギルドの受付嬢にする方法
文乃 優
第1話 プロローグ / 魔王の不運
「おい勇者、お前は我を
激戦の最中、魔王から意外な言葉を掛けられ、勇者は振り下ろす剣を止めた。
「どう……とは?」
勇者は魔王の苛烈な攻撃魔法で既に満身創痍。一方の魔王も勇者の剣撃で左腕がない。胴にも大きな切り傷がある。致命傷だ。数分もすれば出血多量で死に至る。おまけに頼みの綱の魔力は尽きかけている。治癒魔法を発動する時間もない。勇者を斃せるほどの攻撃魔法は、放つことができてもせいぜいあと一発が限界。
「我は魔界の統治者にしてすべての魔物の支配者。つまり魔界の最高権力者だ」
「それがどうした? 金髪の悪魔め!」
魔王は自らの出血で、その長い金髪を赤く染めている。人間から現魔王は”金髪の悪魔”として
「我がお前を斃せば、魔界はそのまま維持され平和が保たれる。じゃが……お前が我を斃したとして、お前には何が残る? 人間界の王となるのか? それとも英雄として讃えられ、一生贅沢三昧を送るのか?」
「馬鹿なことを聞くな! 勇者の役目は魔王を斃すこと。それだけだ!」
勇者が剣を横薙ぎに振るう。魔王はそれを盾状の魔具で受け流す。が、受けきれていない。魔具は吹き飛ばされ、カラカラと音を立てて床を滑っていく。魔王は苦悶の表情でローブを揺らしながら、さらに勇者に語りかけた。
「我は魔界の権力者。じゃがお前は人間界の一介の戦士に過ぎん。人間の王でもなければ貴族でもない。政治力も権力も経済力もない。神の祝福を受け、周囲におだてられてその力を発揮しているにすぎん」
「うるさいうるさい! 忌々しい魔王め、滅びよ!」
勇者は最後の力を振り絞って、自分の魔力を最大限に高める。必殺の一撃を放つつもりだ。
「はやまるな。我の話を聞け」
「俺は早くお前を斃して人間界に平和をもたらしたい」
「案ずるな。放っておいても我はあと数分で滅びる。だがな、滅びゆく前に勇者、お前に問い質したい」
「何だ?」
「お前が我を斃したとしよう。おそらく英雄として祭り上げられるだろう。過剰すぎる褒美を国王から貰うのだろう。だがその後だ。どんな英雄でも、貴族や官僚から見れば、お前は粗野で乱暴な傭兵と変わりない。権力者から見れば、ただの便利な駒じゃ」
「黙れ黙れ! 俺は悪魔の甘言になどに耳を貸さない」
「甘言ではない。冷静に現実を言っているだけだ」
「悪魔のお前がなぜ人間社会の現実を知っている? つじつまが合わないぞ。それこそ甘言の証拠だろう!」
「我も元は人間社会で暮らしていた。正確には人間ではなくエルフ族だが……」
さすがの勇者もこれには絶句した。まさか人間の仇敵である悪魔の親玉が、元エルフだったとは。確かに改めて魔王の容姿を観察すると、その姿形はエルフ族の女性そのものだ。しかもとびきりの美形だ。伝説によれば、その容貌に惹かれて、罠にはまった王や騎士も多いという。しかし現魔王の発祥は知られていない。歴代魔王の中でも最も謎が多いとされている。
「我の話はよい。それよりもお前の話じゃ。しばらくは良い生活を送れるじゃろう。人間社会は平和になるに違いない。問題はその後じゃ。勇者よ、お前は平和になったその時代に、剣の一振りで国を滅ぼすことのできる力を持った存在になる」
「そっ、それがどうした。勇者が強いのは当たり前だろう!?」
「人間の権力者からすれば、お前は目の上のたんこぶ。邪魔な存在になるじゃろうて……暗殺されるのがオチじゃ。人間とはそういうものじゃからの……」
魔王からの言葉に勇者も考えざるを得なかった。確かに自分には魔王を斃し、魔物を滅ぼすという大きな目標があった。そのために人生のすべてを捧げ、多くの修羅場をくぐって強くなった。幸運にも神からの祝福を得る事もできた。だが自分はただの冒険者。言ってみれば国から頼まれた傭兵のようなものだ。政治家でもなければ商人でもない。魔を滅ぼすためだけの存在だ。その目標がなくなる。それは自分の人生そのものがなくなるに等しい。
平和になった人間社会では、戦うことよりも働くことが何よりも必要になる。剣を振るうことに価値はなくなる。魔法は回復魔法や治癒魔法が最も重要になる。自分が死ぬ思いをして身に着けた攻撃魔法は、疎まれるだけでなく、危険な物として封印されるだろう。剣の代わりに鍬を持つ生活が始まるのだ。
価値ある物は”強さ”ではなく”金”であったり”人脈”であったり、”金を生み出すための狡猾さ”になっていくのだろう。勇者がこれまで薄々感じていた不安を、この土壇場で魔王の口から直に聞くことになった。自分の頭の中では、ぼんやりとしかしていなかった考えが、魔王の言葉によってはっきりとした形になったのだ。
だからこそ認められない。自分の一番の不安を、仇敵であり最大目標の魔王から告げられる事など。
「う、うるさい。魔王、お前は俺の目標だ。人間を脅かす魔物は滅びなければならない」
「なぁ勇者よ。我を斃し一時的に平和になったとしても、直ぐに戦乱の世が来るぞ。目標を失った大勢の冒険者は山賊や海賊になる。お前もどうなるかわからん。仮に勇者が国王一派に暗殺されたとしよう。お前の信奉者が、国王や官僚を皆殺しにするだろう。そうなれば人間同士で殺し合う大きな戦争になる。勇者、次はお前が人間界の脅威となるのじゃ」
「知った風な口を利くな! 人間は魔物とは違う。私利私欲では動かない理性的な生物なんだ!」
以前から勇者が懸念していた考えそのものを、
「ハハハ! 人間が理性的で私欲では動かない生物? 笑わせるな。とんだ世間知らずのお坊ちゃんじゃないか。ふむ、まぁよかろう、生きているうちにお前も気が付くじゃろ、世の中綺麗事だけでは回らないことをな。 ―――では魔物の支配権をお前に渡そう」
「魔物の支配権……何だそれは?」
魔王は豊満な胸の谷間から、拳大の透き通る玉を取り出した。一見すると普通の水晶玉だが、その中に映し出されているのは、禍々しくも黒い煙だ。それが渦を巻き、苦悶の表情を浮かべる人間の顔や魔物の顔に変化している。
「これは”
「で、最後に観念して切り札を渡す気になったというわけか?」
「違う。これはお前に譲ろう。この玉を所有し、魔物達を操るがいい」
「魔王、お前の言っている意味がわからんぞ」
勇者は魔王との話に夢中になり、いつの間にか防御魔法で体を覆うのを忘れていた。だが油断ではない。既に勝敗は決しているのだ。仮に魔王が最後の力を振り絞って反撃してきても、残された力で斬り伏せることができる。ここまで弱った魔王なら、後ろに控えている自分の仲間達でも十分対応できる。
万が一、魔王の一撃を受けて自分が力尽きたとしても、仲間の剣士と魔法使いがとどめを刺してくれる。勇者に力こそ及ばないものの、彼らは実力者だ。並のドラゴン程度なら余裕を持って斃すことができる。瀕死の魔王にひけをとることはない。
「魔物を人間のために使えば貴重な力となるだろう。お主が魔物を統治すればいい。そして人間社会のバランスを取るために、裏から上手くコントロールするのだ」
「……なん、だって?」
勇者は魔王の言葉の意味が理解できていなかった。予想を超えた発言にしばし呆然とした。
「言ったままの意味じゃよ。我を斃しても平和にはならない。人間が団結して一つにまとまって行くには、共通の敵が必要なのだ。だから適度に魔物を与えておけばよい。それを勇者、お前がやるのだよ」
「ふ、ふざけるな! 勇者は魔物を扱ったりしない! やはり貴様は滅ぼす、その魔玉も今すぐ破壊するっ!」
「まだまだ若い甘ちゃん勇者め……少しは期待しておったのだが」
勇者が再び剣に魔力を込め、魔王へ斬りかかろうとしたその時だった。勇者の胸から鋭い剣先が生えていた。振り向くと仲間だったはずの剣士が、自分の背中に力一杯剣を突きさしている姿が目に入った。
「ガハッ……。ど、どうして?!」
勇者の口から大量の血が吐き出す。心臓を一刺しされている。助からない。魔王との戦いで魔力も尽きている。心臓の穴をふさぐ治癒魔法も使えない。いかに神に祝福された身でも、魔力ゼロの状態で心臓を貫かれたら生きてはいられない。しかも心臓を貫いたその剣は、勇者が渡しておいた必殺の剣”ドラゴンペイン”だ。鋼鉄にも等しいドラゴンの分厚い鱗を突き破り、痛みを与える銘刀。それで刺されてはひとたまりもない。
「すまんな、勇者。そこの魔王の言う通りだ」
「な、なぜ……裏切った?」
「俺達も不安だったのさ。確かに魔王を斃して帰ればしばらくは安泰だろう。贅沢もできるし、英雄扱いされてちやほやしてもらえる。だけどそのうち疎ましく思われるに決まってる。そうなれば立場だけじゃない、命だって危ない。だったら魔王を斃して魔物を殲滅するより、適度に魔物を残しておいた方がいい。マッチポンプと蔑まれようがかまわない。魔玉が手に入るなら俺達はそっちを選ぶよ」
「く、くそっ……そんな事が許されるわけ、ないっ……」
「安心しろ、”勇者は魔王と相打ちになった”。そう後世には伝えておいてやる」
勇者を殺したのは魔王ではなかった。信頼しきっていた仲間の凶刃だった。
「クククッ、さすがは人間。いや、これこそが人間だな……。我欲では動かないだと? 笑わせるな」
血まみれで床に這いつくばる魔王は、魔玉を持ったまま思い切り口角を上げていた。
「さぁ、金髪の悪魔よ、魔玉を渡せ。それは俺達が有効活用してやる」
「……そうだな。勇者の代わりにせいぜい役立てるがよいわ!」
魔王は魔玉を部屋の端に向けて投げた。壁に当たれば砕け散ってしまう。剣士が魔玉を追って素早く走り出す。仲間の魔法使いが、脚力強化の呪文を発動させる。剣士の体が淡く光るものに包まれると、風のような速度で移動し、見事に魔玉をキャッチすることができた。
「こ、これで俺が魔物の支配者だ!」
これまで散々自分たちを苦しめてきた恐ろしい魔物達。軍隊や精鋭騎士団を蹴散らし、勇者や自分の剣を何度も跳ね返してきた強大な魔力を持つ群れ。それらすべてを自分の意のままに操れる。剣士は、想像するだけで興奮が収まらなかった。
「かかったな。欲に目が眩んだ愚かな人間どもが!」
致命傷を負ったはずの魔王の声が、冷たく響き渡った。
「き、貴様!?」
魔法使いが攻撃魔法を詠唱しようとした瞬間、魔王は転移魔法を既に唱え終っていた。
「せいぜい魔物を使いこなすがいい。さらばだ、勇者を殺したえげつない裏切者どもよ」
魔王は捨て台詞を残すと、転移して行った。
転移先は非常用に準備していた隠れ屋敷だ。魔法で堅く防御されている。山深い森の奥にあって、誰も近づけないように致死性の罠が
「はぁ、はぁ、はぁ……くっ、危なかった」
魔王は屋敷に蓄えておいた、虎の子の治癒ポーションを一気に飲み干す。勇者に付けられた傷がたちまち癒えて行く。だが、斬りおとされた左腕と致命傷の胴の傷は治らない。強い魔法が込められた傷だからだ。
「お、おのれ勇者め……」
自分を傷つけた勇者に文句を言いながらも、信頼していた仲間に背後から刺されて逝った、彼の憐れで悔しそうな表情が忘れられなかった。
「人間か。やはり信用ならぬな」
魔王は遥か遠くを見た。その眼差しはどこか寂し気だった。
「あの者達が魔玉を使いこなせるとは思えぬ。魔物と人間のバランスを取るには力不足。欲に塗れたあの心根ではな……。早く我が手に取り戻さねば。だがこの傷、治癒までには相当かかりそうじゃ……しばらく眠るか」
治癒効果のある魔具の一つ、”癒しのベッド”に倒れ込む。このベッドは特別製だ。魔力を生み出す魔石と魔法陣が仕込んであり、定期的に治癒魔法が発動するようになっている。深い催眠魔法も同時に掛けられるので、激痛の最中でも直ぐに眠りにつくことができる。つまり、寝て起きた時にはすべてが治癒しているという素晴らしいベッドなのだ。眠りの長さは、ベッド横の魔法陣に配置する魔石の数と大きさで調整ができるようになっている。
「さてと、ではしばしの休息じゃ。魔石を置いてと……まぁ半年もあれば十分かの」
魔王は、ベッド横に描かれた魔法陣に小さな魔石を1つだけ置いた。魔石の大きさは米粒程度。これで半年は眠りにつきながら治療ができる。勇者によって刻まれた、強力な魔力も散逸していくだろう。
傷をかばいながら寝間着に着替えて横になると、魔王は直ぐに眠りの深淵にいざなわれていった。
しかし魔王は一つ大きなミスを犯していた。すべての魔石を魔法陣の近くの棚の上に置きっ放しだったのだ。石は大きなもので人間の頭くらいある。それが数十個、扉のない棚に鎮座している。
魔王が睡眠を設定した半年間。不幸にも屋敷近辺を震源とする大きな地震があった。棚の上のすべての魔石はベッド横の魔法陣の上に落ちていた。催眠魔法の効果は軽く見積もっても1000年以上。永い永い眠りについてしまったのだった。
そして――― 魔王こと金髪の悪魔が次に目を覚ますと、そこは自然溢れる森だった。屋敷もベッドも無くなっていた。すべてが朽ち果てていた。土人形(ゴーレム)も土に還り、その姿はとうにない。
「わ、我はどうなったのじゃ? あれから何年が経ったのじゃ?」
無理やり体を起こそうとすると、凄まじい頭痛に襲われた。頭の中からガンガンと殴られるような強烈な痛み。さすがに寝すぎている。
「と、とにかく森の中から出……」
と考えた時だった。
「はて? 我は何者じゃ? 酷い怪我を負って眠りについたことは覚えておるのだが……その前は」
魔王は長い歳月、睡眠魔法の中にいた。その間1400年。副作用でほとんどの記憶を失っていた。自分が何者かわからないまま、腹の虫だけは盛大に鳴った。記憶のあるなしにかかわらず、とにもかくにも腹は減る。どんなに強大な魔法使いでも、腹が減っては死んでしまう。
「うむ、記憶を取り戻すのは後じゃ。まずは腹ごしらえじゃ!」
能天気な魔王だった。が、今は魔王ですらない。魔玉を失い支配できる魔物もいない。魔法だけは大体覚えている。体に染みついているからだ。人間の軍隊を全滅させた古代の殲滅魔法から肉体を再生できる治癒魔法まで。しかし水を作り出したり、体を綺麗に洗ったりする便利な生活魔法はからっきしだった。魔王であれば、そんなものはお付きのゴーレムや下級魔族がやってくれるからだ。
勇者が魔王を滅ぼしたといわれる伝説から1400年余が過ぎたある日。こうして、記憶喪失のお気楽な元魔王は、死にそうなほど腹を空かせ、山を降りて街を目指すのだった。
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