第2話 御曹司の帰還/猫のお城へご案内

 芸術と水の都パーリーシティ。

 お洒落と芸術を巡ると言えばこの都会街が代表に上がる。街のあちこちに見られる芸術的外観は、清らかに流れる水の美しさと相まって非常に輝かしい。様々なカフェや料理店等の店が立ち並び、どれも趣向を凝らした内装をしている。

 観光客も毎年多く、美しさとスタイリッシュさを磨き学ぶために訪れる人々も後を絶たない。


 そんな大都会の街を騒がせた大事件が発生し、人々に衝撃と戦慄が走る。

 パーリーシティでも名高いカフェテロであり億万長者のワンダー・レッド・シュテルンとその息子であるバークス・シュテルンが、仲間共々旅行に出掛けた先で海難事故に遭遇して行方知れずとなったこと。

 一人も遺体は見つからずに生存は絶望的。ワンダーの経営するコーヒー農場会社は運営の危機に立たされ、街中でもシュテルンコーヒーが飲めなくなるかもしれないという不安が駆け巡る。


 そんな暗き状況から数年が経過。

 バークスが絶海の孤島で発見され保護されたというニュースがパーリーシティを騒がせる。

 直ぐに体の精密検査が行われた。世間的には絶海の孤島で数年にも及ぶサバイバル生活を行っていたことになっている。健康面が心配されるのは当然だ。


 診察を担当した医師は、息子を迎えに来た母ネスカ・シュテルンに身体の状態を説明する。


「熱傷の跡、痛々しい傷痕だらけ。骨折した箇所もある。身体を鍛えることで随分と補ったようです。正直良く生きていられたと感心しますよ」


「そうですか……」


 ネスカは数年前と様変わりした息子の肉体を見つめていたたまれなくなる。

 母の視線に気づいたバークスは優しく微笑みかける。


「やあ母さん……」


「ああバークス……」


 堪らず力強く抱きしめる。一度失った息子をもう一度。


「こんなに傷付いて……でも無事に生きていてくれて……」


「大丈夫ですよ。貴方の愛しき豆の子はこうして農場地へ帰還した」


「バ、バークス……!?」


 ネスカは直ぐに違和感に気付く。話し方がおかしい。以前はこのような言動ではなかった。どうかしたのかと平然としているバークスに対し、ネスカは戸惑いを隠せない。


「お気の毒に……」


 医師は俯きながら言葉を詰まらせる。ネスカはどういうことなのかと尋ねた。医師は慎重に言葉を選びながらネスカを落ち着かせて真実を聞かせる。


「息子さんは長年のサバイバル生活で精神をすり減らしてしまい、心を病んでしまったんです。喋り方がおかしいのもそのせいです。きっともう一度コーヒーを飲むことだけを支えに生きていたのでしょう……」


――――……――――……――――……――――……――――……――――……


「さあ着いたわよバークス」


 母さんに促され車から降りる。数年ぶりの我が家。外観は大して変わっていないようだ。後ろのトランクに詰めた荷物を運転手が運び出そうとしたが自分でやると触れさせなかった。中身を見られては面倒くさいことになる。


「俺の部屋は特に耕されていないようだね母さん」


「え、ええ……貴方の部屋もそのままにしてあるから安心して。片付けられなかったのよ」


 やはり母さんは俺の喋り方に戸惑いを隠せていないようだ。医師は精神的ショックによるものと診断してくれたが好都合だ。皆や母さんには申し訳ないが、これからはこの喋り方をし続けなければならない。

 俺がこれからやらねばならないことを隠し通す為には仕方のないことだ。言葉のやりとりでうっかり秘密を知られるわけにはいかない。


「ああバークス様」


「やあマキア」


 屋敷に入るなり最初に出迎えてくれたのは、昔から俺のことを世話してくれたメイドのマキア・トーア。彼女は母と同じくらい愛しい我が子のように抱きしめてくれた。その屈託のない笑顔が、これから付かねばならない自分の嘘に引っかかり、心が痛む。


「よくぞお帰りくださりました……すっかり逞しくなられて……」


「未開の農場地で存分に耕された故、豆に含まれる渋みが増したのだよ」


「は、はあ……?」


 しばしの気まずい沈黙が流れた後、2階の扉が勢い良く開かれ、こちらに近付く足音。視線を向けると、そこにはこちらを呆然と見つめる少女がいた。

 若干子供っぽさが残る顔立ちにブラウンカラーのショートボブ。

 妹のジュエルだ。思わず笑みを零し、シュテルンコーヒー缶を掲げながら話しかける。


一炒ひといりでわかったよジュエル。我が農場地のエスプレッソも健在なようで何よりだ」


「……お兄ちゃん……!」


 俺の姿と声を目と耳でようやく認識した瞬間、両手で口を押えて両目に涙が溜まったジュエルは駆けだし懐へと飛び込んできた。俺の名を叫びながら思い切り泣きじゃくる。


「本当にお兄ちゃんだ……ああ帰ってきた、お兄ちゃん……!!」


「愛しき我が妹豆よ。兄豆は故郷の農場地へとドリップしたぞ」 


「お、お兄ちゃん? なんか、喋り方が変だよ?」


 戸惑うジュエルが問い質そうとするのを母さんが悲しげに制止する。そして相応の説明を彼女にしてくれた。そうだ、それでいい。


 ようやくたどり着いた故郷の地をしかと踏みしめた。

 自分の部屋に荷物を置く。いくら部屋はそのままだとしても、やはりあの時から随分と長い時が流れてしまったことを実感する。


「長い道のりだったけど、帰ることが出来たよ父さん……」


 あの時、父さんから託された形見の手帳を取り出し見つめる。この銀星印の手帳には、これから自分が成すべきことが記されている。


 そう、街の陰に潜んで私腹を肥やし暗躍し続ける悪徳企業や政治家、アウトロー達の名が。


師匠マスター。貴方から教わった技術と知恵。俺の正義を貫くために使わせてもらいます……!」


 漂流した島で過ごした日々を思い返し、自分を鍛えてくれた先生のことを思い浮かべる。とても表立って見せられるものではないが、服の下には極限まで鍛え上げた肉体と精神が、幾度の修羅場を潜り抜けた傷跡が残っている。自分で言うのもおかしいが、顔つきもすっかり精悍になっている。


 奇跡の生還という吉報はすぐさま街中に知れ渡っていた。おかげでしばらくの間はマスコミ関係に付きまとわれそうだ。


 だが、俺が失踪していた間に家族もすっかり様変わりしていたことを思い知らされた。

 母さんは父さんの代わりに社長業を受け継ぎ今じゃ立派な社長代理。夫と息子を失った喪失感を埋めようと必死だったらしく、その分残された娘のジュエルの教育にやっきになった。

 ジュエルはそんな母さんと折り合いが付かずに捻くれてしまい、度々騒動を起こすようになったらしい。要するに不良の域に片足を突っ込んだわけだ。


 だが問題はそれだけではない。


 俺の恋人だったモカの姉であるラテ・エトワールだ。


 妹と同じプラチナブロンドに面長の顔立ちで、きゅっと結んだ唇が特徴。スラッとしたスマートな体型をしている。才色兼備の美女だ。実に綺麗だ。


 普段はパーリーシティの貧窮地区であるプラニ地区の法律事務所を拠点に、慈善弁護士として恵まれない人々を助けている。

 当然、彼女との再会は穏やかなものでは済まされなかった。彼女は俺は助かったのに、妹のモカが助からなかったことに対する深い悲しみと怒りを覚え、俺にに辛らつな言葉を浴びせた。原因はそれだけではないけどな……。


「アンタ今更どの面さげて戻ってきたのよ!?」


「ああその、本当にすまない……」


「どうして貴方だけのこのこと帰ってきたのよ!? 妹は? モカを返してよ! 貴方と旅行にさえ行かなければモカは死なずに済んだんじゃない!」


「そんなに粗挽あらびかないでくれラテ。俺だって」


「それだけじゃないわ! 私と関係を持ちながらモカと寝たんですもの! 怒りたくてもあの子はもういない。喧嘩したくても出来ないことがこんなにも悲しいなんて思わなかったわ! どうしようもないわよホント!」


「ああ……」


 覚悟はしていた。もはや返す言葉も見つからない。責められても仕方のない事をしたのだ俺は。


「父さんも言ってたわ。あんな奴と一緒にいたからモカは死んだんだって……もう二度と私に近寄らないでよ!」


 俺は憂いを帯びた美しき彼女の後姿を追いかけることが出来なかった。

 そう、自分の隣にはもうモカはいない。ラテからも最愛の妹を奪う形になってしまった。本当にプレイボーイを気取っていた自分が嫌になる。ハーレムだなんて妄想の産物だよ本当に。


――――……――――……――――……――――……――――……――――……


「なにしょぼくれてるんだよバークス」


「これが霜害しもがれれずにいられるか! 俺は飲んではならない禁断のコーヒーを飲んでしまった! そう、浮気と言う名の! その結果がこの苦くてたまらないブラックコーヒー的展開なのだ!」


 無力感に苛まれつつソファの上で腕を振り回す俺に向かい、親友のダスティミラー・シルバーダストは明るく話しかけて励まそろうとしてくれる。

 ストレートヘアーの黒髪に銀色のメッシュが掛かっており、細い黒縁眼鏡がトレードマークで少し神経質そうだが割と明るめな顔つきをしているお坊ちゃん。昔からの付き合いでよく2人でやんちゃしていたもんだ。


「彼女には僕からもよく言っておくよ。君だってジョージアおじさんを亡くしたんだぜ、同じだろう? なのに一方的に責められるのはおかしいって! 誰も旅行先で海難事故に遭うなんて予想できないだろう? なあ?」


 彼は必死に励まそうとあれこれ言葉を選んでいる。数年振りに再会した友が悲観に暮れていては自分も気が滅入るだろうな。


「だが彼女の粗挽あらび酸味さんみ通りなんだ。紅茶を飲んだ気分だ! 飲んではならないものを飲んでしまった罪は消えないんだよエスプレッソ……!!」


「ああうんそのバークス……普通にダスティって言えよ?」


「ダスティ。俺は自分が選ぶべき麻袋あさぶくろり違えたんだ」


「うん。その喋り方はイカすけど、もうちょっとどうにかならないかな?」


 ダスティが眼鏡の縁を指で上げて多少おどけたしかめ面を近付ける。

 残念だが彼の期待に答えることは出来ない。ここに帰って来る前に決めた戒めでもあるのだから。


「俺はこれから産地と改めてり合わねばならない。関係を再焙煎しつつ、我が父の豆から託された生豆なままめらさなければいけないんだ……」


「オーケイわかった! お前の主張は変わらないのだけはよくわかった!」


 あくまでコーヒー関連の単語を交えた喋り方を貫くの姿勢に、ダスティは両腕を上げてお手上げのポーズを取り快く受け入れてくれた。

 きっと彼にとって今の俺は、父親と恋人を目の前で失った末、心に深い傷を負った故にこの様な話し方になってしまった男に映るだろう。そう思い込んでくれて。

 

「なあダスティ。ところで今は君がラテと混合こんごう焙煎ばいせんしているんだろう?」


「え? ああ混合焙煎……ああ付き合ってるって意味だな? そうだよ。色々あったけど、今は晴れて恋人同士さ」


「大切にり続けてくれ。僕がモカにしてやれなかった分まで」


「ああ……ええと、愛してやれかな? うん、そりゃもちろんさ。でも、お前もいつまでも塞ぎこむなよ? ようやく帰って来れたんだから」


 微妙にぎこちなく珍妙な言葉のやりとりだが、なんとなく長年の勘で俺の言いたい意図を翻訳理解していくダスティ。これでも会話が成立するのがなんだか面白くなり思わず笑みを浮かべると、ダスティもつられて笑みを零す。


「とにかく、戻ってきてくれて嬉しいよ、バークス。色んな問題はこれから解決して行けばいいさ。大丈夫だ僕も付いてる!」


「ありがとう我が愛しきエスプレッソ!」

「うん、だから普通に言えって」


 改めて再会を祝して軽く抱擁し合った後に拳と拳を軽く小突き合う。


「ていうか、いま改めて見てわかったけどさ……」


「なんだコーヒーブレイクでもしたいのか?」


「違えよ! 随分とガタイが良くなったね? なんかこう逞しくなったというか……この数年間なにしてたんだよ?」


 ダスティの疑問と指摘の言葉。まあ疑問に感じるのは至極当然だよな。話すべきか話さないべきか迷うが、俺だって完全に立ち直っているわけではない。妙な誤解をされない為にも慎重に言葉を選ばねばならない。


「未知の農場地へと流された。そこで豆としての質を上げていたんだ。苦みと酸味の果てにね」


「要するに島での過酷なサバイバル生活を生き抜くために鍛えたんだね?」


「ナ~イスドリップ」


「まあそりゃ鍛えられるよな。生きるか死ぬの瀬戸際だ。僕だったら狂っちまう」


 まさか、獣人の住む島に流れ着いてそこで修業を付けてもらったとは素直に話せない。話したとしても信じてもらえず精神科にかかることを勧められてしまう。

 それに島のことは誰にも口外してはならないと言及されている。あの神秘の領域は誰も犯してはならないのだ。


「よし、バークス! いっちょ外に出ようか。この街も色々と変わってるところがあるから紹介するよ」


「ああ、いいね。そうしよう」


 ダスティの提案を快く引き受ける。


「お前がいない間にエピソード7が公開されたんだぜ? おまけにバッツと鋼の男が遂に対決したんだよ」


「そうなのか!?」


「そうそう、スパイディがヒーローチームに合流するんだぜ?」


「まるで夢のドリップだ……」


 適当な服に着替えると、ダスティに促されて久方ぶりの街巡りへと繰り出した。


――――……――――……――――……――――……――――……――――……


 バークスとダスティが積もる話に花を咲かせる中、彼らを尾行する影が忍び寄っていた。


――――……――――……――――……――――……――――……――――……

【過去/獣人国ビースト・オブ・キングダムにて】


「ここに人間が流れ着くのは珍しいことではない。奇跡に近い確率だがな。この島の周辺は人除けの結界が張り巡らされているからな」


「け、結界……?」


「だが、島の認知しない者に対しては、意識が無いものに関しては例外だ。だから君はここに流れ着いたわけだ」


「そうか……神は俺を見放さなかったんだな」


「そう、君は悪運が強いというわけだ」


 今だ自分が猫と普通に会話を交わしているのが信じられないし受け入れ難い。気でも狂って夢でも見ているんじゃないだろうか。そうだったらどんなに楽なことか。


「ああそうそう。私のことは気軽に王様と呼んでくれても構わんよ」


 初対面で様呼びを要求された。ああもう何なんだろうなこの状況……。


 すこぶる可愛い見た目で、二足歩行で歩くド低音ボイスの猫の王様に案内されたのは、豪華絢爛な彼の自宅。つまりお城だお城。石作りの堅牢な城。絵本に出て来るファンタジーな外観のお城そのもの。

 周りも猫や犬、鳥や牛など動物だらけ。しかも人間と同じように二足歩行で歩き、立派な服に身を包み、普通に人間と同じ言葉で喋っている。口の構造的に頬がなければ喋れない奴もいるのだがどうなっているんだ?


「言葉が交わせることに関してだが、英語は世界共通語。そしてフランス語は第二言語ともいわれているからな。だから我々獣人も習得している。こんなご時世だ。獣人語だけでは他種族と交流できんよ」


「え? ああアンタフランス語で話してくれてたのか!? だから普通に喋れたのか……」


「ああ。君の容姿から大体フランス人だと予測してな。英語もできるか?」


「ああ大学で習ったよ。道楽だけど」


「そうかそうか。私も道楽で人間達の言語や生態を学んでいてね。役に立って良かった」


 その愛くるしい猫顔がこれでもかと笑顔になる。両頬に生えた髭が微かに揺れる。ド低音ボイスと相まってギャップが激しい。正直相手はオスだが今すぐ抱きしめて撫で繰り回したくなる衝動に駆られる。あと肉球に触りたい。

 それと、王様と言う割には随分と気さくに話しかけてくれる。言葉の件といい、こちらを気遣ってくれているようだ。


「そう言えば、さっき人除けの結界がどうとか言ってたけどなんなのさ? 電磁波かなにか?」


「そのままの意味だ。人の意識をこの島から逸らす魔法だよ」


「魔法?」


「実際に目にした方が速いな」


 王様はそういうと、肉球のある掌をこちらに差し出す。何かと思い顔を近づける。


「聖なる光よ!」


 何かの言葉を発した瞬間、肉球から白く輝く光の玉が放出された。光球は王様の肉球の上で浮遊し続け、なにやら白い靄が纏わりついている。思わず驚きの声を上げて光球を凝視してしまう。手品の類ではないよな?


「聖魔法の一種だ。世界は君が思っているよりも広く、神秘がそこらかしこに隠れているんだバークスくん。君は大いなる世界の一部なのだよ」

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