呵責

「……何で、お前がここにいる?」


出会い頭、開口一番に言われた。


「何でだと思う?」


問いに問い返す私の反応に、暁君は若干の苛立ちを見せる。


病院の一室。個室であるここには、私と暁君とここに眠る少女以外の姿はない。

少女の傍にある機械の作動音だけが鳴り響く、酷く静かな環境だった。


「お祖母様に、聞いたのよ」


その答えに、暁君の顔色は益々曇った。余程、知られたくなかった話なのだろう。


「……余計なことを」


舌打ちをせんばかりのその言葉に、私は静かに笑う。


「何、寝ぼけたことを言っているのかしら。貴方よりずっと勇気があると思ったわ。何を投げ打ってでも、彼女を助けたいと私に願うあの姿を見て」


冷笑と共に告げれば、彼はそうと分かるほど顔を歪めていた。

今にも泣きそうなその顔に、けれども私はそれ以上何も言わない。ただただ、彼を観察するようにじっと見つめる。


「……そう、だな」


絞り出すように言った肯定の言葉に、私は口を開く。


「どれぐらい眠っているの?彼女は」


彼から視線を外し、私は彼女を見つめる。

安らかな、まるで眠っているかのようなその姿を。


「もう、五年になる」


「そう……」


彼女の名前は、氷咲桜(ヒサキサクラ)。氷咲奏の妹。そして、碓氷暁の血縁者である。


「……貴方は、私の力の一端を知っている。その身で、体感したのだから」


初めて神域地に行った時、私は軽い気持ちで彼の怪我を治した。それは、お祖母様に会うキッカケを作ってくれた彼への礼のつもりであった。

それはともかく、彼はその経験故に知っている。

私が、人を癒す力をも持っていることを。


「毎日ここに通い詰めるほど後悔に苛まれている貴方が、何故、私の力を知っていながら私に願わなかったの?」


短くも長い沈黙が私たちの間に落ちる。


「……言えなかった。俺は……自分の罪を、後悔を、曝け出すことが出来なかったんだ」


絞り出したように言う声は、重くその場に響いた。



……彼女がこうなった経緯を、私はお祖母様から聞いている。

お祖母様は、彼からその懺悔を聞いた……と。


彼の家……碓氷家は、古くから続く由緒正しい家柄らしい。

いわゆる、地元の名士という奴だ。

更に、彼の祖父の代で地価が上がり価値の上がった所有不動産を幾つか売却して得た資金を元手に事業を興し、今ではそれなりに大きな会社の創始者一族として名を馳せている。


奏君と桜ちゃんの家……氷咲家は、碓氷家の分家筋に当たるらしい。

近所に住み、かつ親戚筋である彼らは幼い頃から共にいて、仲睦まじい間柄だったそうだ。


……けれどもそんな彼らの関係性は、邪な大人たちや心ない大人たちの囀りによって一度壊れた。


何をやらせても、早くに習得し才色兼備の名を幼い頃から欲しいままにしてきた分家筋の氷咲奏。

何をしても、並より上ぐらいの習得で特出したものがない本家筋の碓氷暁。


『碓氷家の時期当主が、奏であれば……』『いっそのこと、奏を養子に迎えて時期当主とすれば……』と奏を望む周りの声に暁君は囲まれ。


精進しようとすればするほど、暁君は奏君と比べられて。


『何故奏君に出来て、暁にはできないの……』『奏君はこんなところすぐにできるようになったわよ……』『出来損ない』そんな、暁を蔑む声が大きくなった。


周りの重圧に耐え兼ね、特に暁の母親……お祖母様の娘が、彼を庇うどころか率先して彼を蔑んだ。


まるで、底なし沼のようだと話を聞いていた時に私は思った。

足掻けば足掻くほど絡め取られる様が、まさにそうだと。


そうして、静かに暁君の心は壊れた。


奏君を嫌悪し距離を置き、それどころか桜ちゃんを含め周りの人という人全てから距離を置き。まるで殻に籠るかのように、部屋に身を置いていた。


お祖母様が娘の状態を……暁君のそれを悟ったのは、その頃だった。


周囲の反対や批難を他所に、自分の手元に彼を置き、物理的に家と距離を取らせた。


「……桜は、その時唯一俺を心配してくれて毎日俺のところに来ては、他愛ない話をしてくれてたんだ。彼女なりに、俺と俺の周りを繋ぎとめようとしていてくれていたんだと思う」


それは彼女のエゴなのか、それとも真実彼を想ってのことなのか、話を聞いているだけの私には分からない。


けれども彼を見守っていたお祖母様は、その時のことを振り返って、彼女なりに彼を想っての行動だったと言っていた。


「だけど、その当時……俺はその優しさを素直に受け取れなかった」


……でなければ、子どもの足でそう近くないお祖母様の家と氷咲家の距離を、自身を邪険にする相手のために毎日歩いて訪れることなどしないだろうと。


そう、お祖母様は締めくくっていた。


「彼女の存在が、疎ましかった。奏のことを思い出すし、何より彼女自身俺のことを内心嘲笑っているんだという思いが俺の心に染み付いていたんだ」


そうして、起こった悲劇。


「だから、俺は彼女に酷い言葉を投げつけた。俺の内にあった憤りだとか、嫉妬だとか……そういうのを全部ぶつけるように詰って、泣かせて。そのまま、放り出した。……まさか、その帰りに事故に遭って……こんなことになるとは思ってもみなかったんだ」


泣きながら帰った彼女は、その帰りに事故に遭った。

いわゆる、轢き逃げ。


打ち所が悪かった彼女は、そのままこうして目を覚まさず、ずっと眠り続けたまま。


「……後になって、後悔をして。けれども謝ろうにも、もう謝ることができないなんて……な。あんなこと言って泣かさなければ、あの時あのタイミングで帰らず事故に遭うことなんてなかったかもしれないし、そもそも送って行けば事故に遭うこともなかったかもしれない。『もしも』を想像すれば想像するほど、後悔が積もって。それで罪悪感に押し潰されそうになる」


話を聞いているだけなら、不幸な事故だ。

彼が責任を感じる必要はないと、すら。

だって、彼は直接的に彼女を害した訳ではないのだから。


彼の家の人たちも、彼女の家の人たちも、彼女が彼の家に毎日通っていたことを知らなかったらしい。

皆、奏君に夢中だったから。


『どこに出かけたかは知らないが、その道中で遭った不幸な事故』……それが、彼女に起こった出来事に対する、家の人たちの認識なのだとか。


彼の後悔を、そして懺悔を知るのは、唯一お祖母様のみ。

お祖母様が知るのも、事故に遭ったという報せを聞いて気が動転した当時だからこそ聞けたのだとか。


「……それなのに、どうして?」


「言えなかった。こんなにも後悔して、罪の意識がこびりついているっていうのに……いや、だからこそ、言葉にすることができなかった。お前と会うたびに、言おうとして……けれども、いつも口を閉ざすというのを繰り返した。俺の中にあった黒い思いに向き合うことが、できなかったからだ。……こいつのことを思えば、縋り付いて何を差し出してでもお前に助けを求めるべきだと思うのに、それができなかったんだ」


彼は拳を握りしめて、絞り出すように言う。

ギリリ……と、まるで効果音が聞こえてきそうなほど、その拳に力を込めていた。

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