崩壊編

剣道

……剣は良い。



異世界にいたときは、重くて重くて仕方がなかったが……手放してしまえば、寂しいというか。

あるべきものがなくなったかのような喪失感が、胸に僅かに燻っていた。

何より集中するものがあれば、雑念に囚われなくて済む。


随分と竹刀が手に馴染み、動きがイメージのそれに追いついてきた。

休みは大抵真神先生の道場で、時間を忘れて剣を振るっている。


「……水池。一つ、お願いがあるんだが……」


その日もいつものように剣を振るっていたら、珍しく浮かばない表情で先生が声をかけてきた。

先生が心情を顔に出すなんて、本当に珍しい。


「どうされましたか?」


「今日、孫が来るんだが……そいつを、完膚なきまでに叩きのめして欲しいんだ」


唐突な申し出に思わず間の抜けた声を出しそうになったが、それを堪えて詳細を聞いた。


曰く、先生のお孫さんは小さい頃から剣道を学び、同世代で負け知らずであったと。

曰く、それ故に己の力量を過信してしまっていると。

他を見下し自らの修練を怠るようになって、更にその言動にも目に余るとのこと。

彼の手によって再起不能に追いやられた選手は何人もいて、日常的に彼は息を吸うかのような自然な形で人を肉体的あるいは精神的に壊すようになってしまったのだとか。

彼の才を惜しむと同時に灸を据えたいらしい。


……それって、お願いする相手を間違えてないか?


と思ったのだけれども、どうやら同世代の女子に……それも剣道を始めて日も経っていないからこそ良いのだとか。


「……分かりました。先生にはお世話になっていますので、どこまでお役に立てるか分かりませんが、その方のお相手を務めさせていただきます」



受けた手前無様な試合は見せられないと、基礎訓練をせっせと行って待つことたする。


「……じいちゃん。態々俺を呼び出してどうしたんだよ?」


胡乱げな様子で先生を見つめつつ、戸籍上の私と同じぐらいの年齢の男の子が入って来た。


剣道を行なっているだけあって、制服を着崩してはいるものの姿勢も体格も中々良い。

顔立ちは整っている。

長めの前髪が風に揺れる度、彼から漂う気怠さが前面に出ていた。


「お前に、相手をしてもらいたい奴がいてな」


先生の言葉に、彼は笑った。


「マジで言ってんのか?誰も、俺の相手にはなりはしねえよ。そんなの、じいちゃんが一番分かってるだろう?」


防具を着て待機をする私のもとに、先生が近づいて来て肩を叩いた。


「こいつと、戦ってみろ」


「無駄無駄。そんなチビ、俺の相手になる訳ないじゃん」


小馬鹿にしたように半笑いをしつつ、私を見た。


「……逃げるのか?」


そんな彼を、先生は挑発する。

とはいえ、そんなあからさまなそれに彼が乗ってくるのかと側から見ていた私は心配になった。

私が心配するのもおかしな話だが。


「……上等。受けてたつよ」


けれども、私の予想とは裏腹に彼はあっさりと先生の思惑に乗った。

先生の言葉を聞いた瞬間から、ピリピリと肌を突き刺すぐらいの怒気が彼から漂っている。


「その代わり、俺が勝ったら二度と干渉してくんなよ」


「良かろう。だが、こやつが勝ったら今までの生活態度を改めろ」


「ああ、勝てたらな。ま、無駄だけど」


彼が防具を身につけて、私の前に立つ。

私は神経を張り詰めさせ、意識を集中させた。


……そして、先生の合図と共に動き出す。


彼の動きは、なるほどこの歳にしては確かに特出したものを感じさせる。

今まで見てきた中でも、一番筋が良い。

あるいは、既に先生の域に達しているとも。


けれども、私が遅れを取るわけにはいかない。

ずっと戦いに身を委ねていたという自負があるし、何より恩ある先生のたっての願いだからだ。


私は、少しばかり本気で男の剣を阻止する。そしてそのままがら空きだった胴に剣を打ち込んだ。


あっさりしすぎていたが……まあ、こんなものだろう。

彼は、呆然と動きを止めていた。


「一本!」


先生の声に、私はふうと息を吐いて防具を取った。


「なっ……!」


やっと時が動き始めたのか、男は驚いたように…….はたまた怒ったように声を発する。


「女……?」


「初めまして。私の名前は、水池優香。貴方の名前は?」


「……っ。ふざけるな……認めねえ!認めねえぞ!俺が女に……」


降り出した手を叩き落とされ、男は凄みをきかせて私を睨んでくる。


「何度やっても同じだと思うけど?」


私の口から出た言葉は、呆れの感情が含まれていた。


「なっ……!」


「聞こえなかったかしら?……そんな鈍った身体と中途半端な腕前の剣に、私は負けないと言ったのよ」


「うるせえ!もう一回だ!」


「良いわよ」


それから彼は何度も私に挑んで来たが、全て私の勝利だった。


「嘘だろう……?」


彼の心が折れるまで、何度も試合に付き合った。最早息を切らせ、動きに最初の頃のようなキレがなくなっている。


「………何度やっても、結果は同じだわ。まだ、続ける?」


酷く冷たく響いた声に、彼は驚愕と……若干の恐れが入り混じったような視線を私に向けた。

それは、随分見慣れたものだった。

内心、溜息を吐く。


「……続ける。やられっ放しで、終われるか!」


だから、こそ。

彼の口から出た言葉は、正直かなり意外だった。


「でも、今日じゃねえ。もっと腕を磨き直して、もう一度お前に挑み直す」


真っ直ぐと私を見ながら言った言葉。

最初に現れた時とは大違いだった。


そんな彼の様子を見て、少しだけ分かった気がする。

……彼は良くも悪くも子どもだったのだ。

純粋で、けれどもそれ故に酷く残酷で。

先生から伝え聞いた彼の話というのは、それ故のことだったのだろう。

でなければ、今、こんな反応はしてこない筈だ。


「俺の名前は、八神健斗だ」


「……そう。楽しみにしてるわ、八神君。これからも、貴方と競い合えることを」


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