足音
「……なんだか、上機嫌だな」
その日、帰りがけにお祖母様のところに寄った暁君に出くわした。
最近ここに来る時には、もはや姿を変える魔法は使っていない。
「分かる?……実は、これから剣道を学ぶことができるようになったの。それが、嬉しくて」
「剣道?……お前、勇者をやっていたんだろ?」
暁君は、何を今更……という感じだった。
「全然違うわよ?私が学んできたものとは。私が磨いたのは相手をどう殺すか……だったからね」
最後の呟きは、声として出たか出ないかぐらいの小さなそれだった。
今更どう思おうが、私のしてきたことは変わらないし、私が戦った結果あの世界に一時でも平和が訪れたことは、誇りに思っている。
けれども平和なこの国の人に向かって、声を大にしては言えない。言わない。
何故なら、理解できないから。
物が溢れている国にいる人に、その日の食べる物すらない国の人の物を奪ってでも食べ物を確保しようとする人の価値観が分かるのだろうか。
平和な国に住む人が、殺らなければ殺やられるという環境に身を置いていた人の価値観を理解できるのだろうか。
同情も共感も必要ないと思うからこそ、理解されたいとも思わないが。
「まあ、良いや。今日も、奥行くんだろ?」
「ええ」
「……変なこと聞くけど。お前、変わった?」
彼の疑問に、私は首を傾げる。
「変わったって、何が?」
「行くたびに、なんつーか……お前の雰囲気が変わるというか……お前の周りの空気が変わるというか。前よりも、清々しい感じがする。それに、奥の神域もお前が行くたびに空気が澄んでる気がするんだ」
その言葉に、瞠目した。
「貴方のお祖母様に対しても思ったかけれども……貴方も、なかなかね」
「どういう意味だよ?」
「この世界に戻ってきて、正直愕然としたわ。世界の気が、薄いことに」
それは私が気の補填ができないから、というだけの話ではない。
気とは、世界に流れる力。存在の証明。
生き物が死に、土に還り、それが新たな生命を育む循環と同じく、世界に気が循環することで世界は成り立つ。
その気が薄いということは……この世界の生命を育む力が薄れているということだ。
まるで、病に侵されているかのように。
この世界は徐々に生きる力を失っているのだ。
そしてその世界を当たり前と認識する人々の在りように、私は驚いた。
果たして、人が世界の秩序を破壊したからか、それとも世界が徐々に衰退する環境に順応するために人たちが知恵を振り絞って今の発展があるのか。
いずれにせよ……この世界の在りように、私は絶望した。
仙人は場の気の純度を極限に高めてから取り込む。けれども、その場の気の全てではない。
残った純度の高い気は散り、辺りの気の純度を高め増幅させる。
つまり仙人は、気の循環を促すのだ。
「……神域の地の気が澄んでいるのは、そういう理由ね」
「その前に、さ。お前の話が本当なら……この世界って滅びそうってことか?」
「それがいつかは、分からないわ。十年後かもしれないし、百年後かもしれない」
「何でそんなに落ち着いているんだよ」
「どうしてかしら?……どうしようもないと、分かっているからなのかしら。あちらの世界の気が百あるとしたら、あの神域の地が四十ぐらい。他の場所では十あるかないか……街は殆どゼロに近いわ。いくら私が気を取り込むときに純度を高め、増幅させるといっても……元がゼロに近ければ意味を成さない。この世界全ての気を正常にするのに何百年とかかるやら……私が死ぬのが先か、世界が無くなるのが先か」
「やってみなきゃ分からないだろう?」
「ならば、祈っておくことね。私が気をここで取り込み続けて、少しでもそれが拡散するように」
私の言葉に、暁君はホッと息を吐いた。
「そういや、取り込みきれなかった気は拡散するんだっけか……。なら情けないが、俺にはお前のその行動の結果を信じて待つことしかできない」
少しだけ緊張感が薄れた彼には言えなかった。
……ここの気は、拡散せずにただただ神域内に留まって純度を更に高め続けているということを。
あちらの世界でも稀にあった、気の滞る場所。
それは良い意味でも悪い意味でもなく、単純に気が溜まりやすいということなのだ。
それが正の気であれば、こうして神域地に。
それが負の気であれば、大地が枯れ人の住めぬような場所になるというだけのこと。
私がいくら気をここで取り込む際に場の気の純度を高め増幅させていても、この地に留まり続けて世界には何ら影響を及ぼしていない。
それにしても、本当に不思議。
何故……この事実に気づいておきながら、こんなにも落ち着いているのか。
暁君に指摘されるまで、真実、この件について何とも思っていなかった。
何とかしようとする気も、起きない。
それが正しいこととすら、私は私を肯定しているのだ。
何故私がそう思うのか……分からないが、私は私の直感に従うだけ。
「あら……何もできないなんてことないわ。貴方、立派な仙骨を持っているもの」
「……仙骨?」
「貴方のお祖母様もね。仙人になるための、素養があるといえば分かり易いかしら?……もしも、なりたいなら私が面倒を見るわよ」
「それは……」
私の言葉に、彼は戸惑いを見せる。混乱しているというよりも、困惑しているといった方が正しいかしら。
「ふふふ……それで良いのよ。仙人となれば、命の在りようが、変わる。そもそも仙骨を備えていても、仙人となれるかどうか分からない。分からないまま、何十年とそれだけを目指して修行をしなければならない。無事昇仙したとしても、自分の親しい人が老いて死ぬのをずっと見守り続けなければならない。何より、この世界は……仙人にとって、生きづらい場所。だから、貴方はそのままで良い。変なことを聞かせてしまったわね。忘れてちょうだい」
「あ、ああ……」
つい余計なことを言ってしまった……と後悔しつつ、私は困惑し続ける彼を置いて神域に向かった。
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