忘却
……私は、一体何を忘れているのだろうか。
瞑想が終わった後、そのまま目を瞑って考える。
何故、こんなにも私の中の気が枯渇しているのか。
……この世界に帰って来る時に、界を渡るために失ったのか。
それにしても、不思議だ。
何故、仙人になった後の記憶が曖昧なのか。人であった……勇者として活動していた時の記憶はこんなに残っているというのに。
そもそも、忘れるのであれば……勇者の記憶の方こそ忘れたかった。
時が経って薄れたとはいえ、今尚生々しく私の記憶に張り付く当時の思い出。
決して、美しいものばかりではなかった。
むしろ血に塗れた、悍ましいものといっても良いそれ。
仙人になった後の記憶を失っているせいか、その頃の記憶が掘り起こされて、まるで昨日のように克明に思い出せてしまう。
忘れてはいけない……助けることができなかった人々の顔を。
忘れてはいけない……この手で屠った命を。
そう心に誓っていたけれども、時と共にその傷みが薄れつつあった。
時が人の感情を落ち着かせる……とはよく言ったもので、まさに時が私の傷みを和らげていたのだ。
これは、戒めなのかもしれない。
決して忘れるな、と自分で自分を縛る鎖。
それはそうと、問題は仙人になった後の記憶。
曖昧なその間、私は一体どこで何をしていたのか。
どんなに記憶を攫っても、お師匠様の下で修行した時と、修行を終え祠で独りのんびりと暮らしていた頃のことしか思い出せない。
果たして、どこで何をしていたというのか……甚だ疑問だった。
目を開けると、以前と同じように輝く雫がポタポタと落ちている。
「綺麗……」
その光景を、暫くその場で眺めていた。
そういえば、以前このような光景をどこかで……と、唐突に記憶が浮かび上がる。
虫食い状態の、それ。
……誰かが隣にいて、共にこんな光景を……。
けれども、どんなに思い出そうとしても、残念ながらそれ以上は全く思い出すことができなかった。
時々困ったことがありつつも、平穏に毎日は過ぎていく。
……この世界の常識を忘れて困った時に、助けてくれる暁君には本当に頭があがらない。
最近は、ご飯を食べないことを誤魔化す術も身につけた。とりあえず、異空間に保管。
異空間の中は時間が経たないので、そのままで保存ができる。
お祖母様のところで気を補充し続けているおかげで、やっとこさ異空間魔法を使えるようになったのだ。
異空間魔法は便利なので、異世界では大変お世話になったっけ。
ちなみに、不自然のないように、噛む振りをしつつ異空間に放り込むという技まで繰り返すうちに身につけた。
それはさておき、今日は部活の見学のために学校内を回っていた。
数週間学校に通って、大分こちらの世界にも慣れてきた今なら……ということで。
さて、事前情報として絵里と美由紀から色んなことを聞いてある。
……どんな部活があるだとか、どこで活動しているかだとか、どんな雰囲気かだとか。
彼女たちに聞いて分かったことは、どうやらこの学校は割と部活にも力を入れているらしい。
だから、バスケ部とかの入部者は殆ど経験者とのこと。
それを聞いた時点で、経験したことのないものは殆ど除外することにした。
何せ、今は既に二学期。皆それぞれの部に慣れてきたところであろうし、何より私は身体を動かせれば良いかなという軽い気持ちなのだ。
中途半端な時期に、未経験者が、軽い気持ちで……というのは、他の部員の人たちに失礼だ。
ということで、今までの経験を踏まえつつ、剣道部と陸上部に見学することにした。
まずは、剣道部。
「……あら、貴女は?」
練習場に姿を見せれば、早速部員らしき人に声をかけられた。
「一年の水池優香と申します。入部希望で、本日は見学させていただきに参りました」
「あら、そうなの。この時期に珍しいわね。経験者?」
「え、ええ。似たようなものを」
「?そうなの」
私の言葉に一瞬首を傾げていたものの、その人は「ゆっくり見ていってね」という言葉を残して自らも練習しに行った。
じっくりと、練習する様を見る。
……戦う術を学んできたから、少しは通用するかなと思っていたけれども、甘かった。
騎士団の人たちに基礎は教わったけれども、目の前のものとは全く違う。
途中放り出されてからは、ほぼほぼ我流だったし。
……そう考えると、戦う術は学んできたけれども剣道とは全く異なるそれだ。
けれどもだからこそ、学ぶことは多い。
じっと、彼らの動く様子を観察する。
剣道を教えに来てくれているおじいさんが手本を見せる時には、特に。
軸の置き方、重心の移動の仕方、手首の動き。
得たものを試したくなって、道場内にあった竹刀を一本拝借して、やってみる。
……何か、違う。頭のイメージと重ならない。
……楽しい。面白い。
夢中になり過ぎて、周りの様子を見ることを忘れていた。
「……見ない顔だな。名前は?」
人の気配を感じると思えば、おじいさんが近づいて来ていた。
「水池優香と申します。本日はこちらに見学に参ったつもりが……すいません、つい」
「良い。もう少し、ゆっくりと振ってみろ」
「はい」
おじいさんが、私の動きに注意してくれる。
それに応えるうちに、少しずつ頭のイメージと重なり合ってきた。
「中々筋が良い。……経験者か?」
「いえ……武術は学びましたが」
「武術、か。……その気があるなら、入部すると良い」
「ありがとうございます」
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