郷愁

絵理と美由紀と話していると、キャアアと女の子たちの一際大きな声が聞こえてきた。


何だろう……とそちらを見てみると、彼女たちは皆授業をそっちのけで校庭を見ていた。


その視線の先では、男の子たちがサッカーを行なっている。

彼女たちがその瞳に映しているのは、私が誤って座ってしまった席の男の子だった。


「……あの人……」


「優香も奏君のファンなの?」


私の呟きに、美由紀が反応する。


「……も?」


「この学校の女子は殆ど奏君のファンだよ。なにせ、文武両道、才色兼備なんだから」


急に饒舌良くなったところから考えるに、彼女もそのファンの一人なのだろう。

彼女の口からは様々なエピソードが語られるが、私は右から左へ聞き流していた。


「へえ……。知らなかったわ」


「知らなかったって……」


「だって私、あんまり人と喋ってこなかったから。誰が人気かなんて、知る機会がなかったのよ」


「ええ、人と話さなくたって彼のことは気になると思うけどなあ。なんていうか、オーラ?みたいなのがあるし」


「あんまり、興味がないの」


いかんせん、家族のスペックが高いからなあ。むしろ、そういう人の近くにいると窒息するような息苦しさすら感じてしまって、あまり近寄らないようにしていた。


ふと、暁君が視界に入る。奏君とやらとどうやら仲が良いらしい。そういえば、教室でも楽しそうに話していたっけ。


「暁君と奏君は仲が良いのね」


「そりゃ、幼馴染らしいからね。でも、暁も可哀想。幼馴染じゃなきゃ、暁も結構良いセンいくと思うんだけどなあ」


そんな美由紀の発言に、私は苦笑いする。


どうやら、彼も高スペックな人物が側にいる苦しみを味わっているようだ。


「……こらー!!皆、男子の体育ばかり見てないでちゃんと授業を受けなさーい!!」


先生の一喝により、鑑賞会のようなものは終わった。




全ての授業が終わり、下校する。

何だか、一日が随分長かったような短かったような不思議な感覚を味わいつつ、道を歩く。

真っ直ぐ帰る気にはなれなくて、久しぶりの地球を味わおうと、ぷらぷらと散歩する。


夕日が街を温かく照らしていた。

その景色が、どうしようもなく美しく感じる。


もっと、見たい。


そう思って、私は階段を登って小高い丘の上に行った。

そこから、街が一望できる。

都会の中の、閑静な住宅街。

それが、この街にピッタリの表現。


紅に染まる街並みは、温かく柔らかい。

その街並みをすり抜け、家に帰る人たちが点々と見える。


その光景に、どうしようもなく胸が詰まった。


……ずっと、帰りたかった。


どんなに長い時を別のセカイで過ごそうとも、ここが……こここそが、私の故郷。


決して、楽しい思い出ばかりではなかった。

むしろ、こんなセカイから早く消え去ってしまいたいとすら。


なのに実際違うセカイに行けば、帰りたいと泣き喚いて。

帰れないと知った時には、絶望すらした。


永い時を過ごすうちに、その絶望も薄れていったけれども。決して失くなった訳ではなかったのだ。


ホロリと、感極まって涙が両の目から溢れる。

喜び、哀しみ。

憧憬、羨望。

懐古。

様々な感情が絡まり合って、叫び出したいような衝動に駆られた。


郷愁の念とはこのことかと、感じたことのないこの感情に自ら名をあてる。


……どれぐらい、そこに佇んでいたのか。


太陽がより沈んだところで、私は自分の周りを見る。

……そういえば、階段を上りきったここには神社があったな、と私は奥に進む。


お腹が空いた。感情の昂まりが収まったところで一番に感じたのがそれだ。

けれども、帰っても食べるものはない。

神社の境内ならば清い気があるのではないかと、私は期待を込めて進んだ。


鳥居をくぐり、社に近づく。

やっぱり、ここは外よりも気が濃厚だ。


少しここで気を補填してから帰ろうと、そう目を瞑った時だった。


「……水池?」


社の近くに、暁君がいた。


遭遇率の高さに驚くも、思わず笑みがこぼれる。


「あら、暁君。どうして、ここに……?」


「ここ、ばあちゃんの家だから。お前こそ、なんでここに?」


「少し散歩をしていたの。そう……ここ、貴方のお祖母様の家なの」


言葉を返したと同時に、ぐうぅぅ……と静かなこの場に、私のお腹の音が鳴り響く。


いたたまれなさに、顔に熱が集まった心地がした。


「……あー、まあ、この時間ってお腹空くよな」


しっかりと聞こえたらしい暁君は、苦笑いを浮かべている。

その反応に、ますますいたたまれない。


「ばあちゃんの家、寄ってくか?なんか摘んで行けよ」


「え、そんな悪いわよ」


「俺も今からばあちゃんの家に行くところなんだ。一人分も二人分も、そんな変わらないだろ。ばあちゃんいつも多めに作ってるし」


そう言いつつ、暁君はどんどん進んで行く。

帰るとは言いづらくなって、私は暁君の後を追った。

社の方に近づき、右に曲がったところで社務所に到着する。


「ばあちゃん、ただいま」


「おかえり、暁」


彼が玄関を開けてそう言うと、奥からひょっこり彼のお祖母様が顔を出す。

慌てて私は彼女に頭を下げた。


「……あらあら、お友だち………あんた、一体……なんていう方をお連れしているんだい」


彼のお祖母様は朗らかに……けれども途中から驚愕したように言葉を発する。


「暁!すぐに神棚からお酒を取ってきな」


「え?ばあちゃん、何を言って……」


「良いからさっさと動きな」


困惑する暁君を急かす。暁君は首を傾げつつ、けれどもお祖母様の様子に促されて靴を脱いで玄関に上がると、そのまま奥に歩いて行った。


お祖母様は着ていた割烹着を脱ぐと、私の方へと歩いてくる。


……私、何かやらかしたかしら?

もしかして、清めの塩みたいな形でお酒を撒くみたいな儀式があるのかしら?


なんて内心オロオロしていると、お祖母様は玄関で正座をすると、頭を下げてきた。


……私、何か妙なものに憑かれているとかなの?


パニックになり過ぎて泣きそうになりつつ、けれどもどうすることもできずにただお祖母様の動向を見つめていた。



「ようこそ、お越しくださいました」


美しい所作。

凛とした表情とゆったりとしたその所作に、私は目を奪われる。


思わぬ歓迎の言葉に、私はますますどのような反応をすれば良いのか分からない。


そのタイミングで、暁君が戻ってきた。


「ばあちゃん、これで良い……って、何してるの?」


「良いから早く持ってきな」


暁君から白磁のお神酒壺を恭しく受け取ると、蓋を取り盃に注ぎ参拝するように柏手を打っていた。


そして、その盃を私に渡すように差し出す。


「ばあちゃん、一体……」


お祖母様の横にいる暁君は困惑したように、お祖母様を見つめる。

それもそうだろう。

私も正直困惑している。


一体どこのセカイに孫の友人にお神酒を差し出す人がいるというのか。

……まあ、とっくに私は成人しているが。


それはともかく、困惑以上に私の関心は、差し出された時点で盃の方に向いている。

……なんて甘く、芳しい匂いがするのかと。


私はその盃を取ると、口につける。


こくりこくりと嚥下する度に、その甘やかな香りが身体中に染み渡った。

それは、気を体内に取り込む時のような充足感。


「……お、美味しい……!」


このセカイで初めて美味と感じるものに、私は感動してつい感嘆と共に言葉にした。



「……お、おい。お前……」


先ほどまで困惑していた表情をお祖母様に向けていた暁君だったけれども、今は同じ表情を私に向けていた。


まあ、未成年(に見える)私が、いきなりお酒を飲みだして嬉しそうにしているのだ。……仕方のないことだろうと、思った。


……けれども。


「お前、誰だ……?」


彼の驚愕は、別のところにあったらしい。

一体誰だ?って私は……と、言いかけたところで言葉を止める。


視界に、長髪の私の銀白色の髪が入った。

そして、眼に映る私の服を見る。


……魔法が、解けたのだ。

それは、まさに慣れ親しんだ私の本来の姿だった。

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