18. Tasuku Matsukido

 俺達は朝ミックで一致団結した後も、登校時間ギリギリまで情報交換をした。そして登校後には、1時間目が終わってすぐに俺達3人で松木戸先輩の3年4組の教室に向かった。

 しかし、今日は学校にいない事が分かった。クラスにいる生徒に聞いたところ、無断欠席らしい。



―*―*―*―*―*―


 放課後。俺と美月は松木戸先輩の自宅を訪ねた。オキナ教頭に先輩の住所を聞いたのだが、なんでも諏訪園区で1〜2を争う高さの高層マンションの10階の様だ。俺達は1階の広いエントランスに入って、郵便受けで松木戸の文字を確認した。そして近くにあるインターホンで部屋番号を押したが、反応がなかった。誰も家にいないのだろうか?

 松木戸先輩が今家にいないなら、どこにいるんだろう。よく考えると、俺は普段の松木戸先輩の行動を知らない。何も知らないのに、最近信頼できる様になってきたとか考えてた自分が馬鹿馬鹿しくなってきた。

 一旦マンションの外に出ると、美月は言った。


「ぬぬぬ……こうなったら、手分けして捜した方が早いかもっ☆」

「それは良いけど、手がかりないだろ?」

「ないからそれぞれで考えるのっ! 見つけた方が連絡って事で!」


 でもそれだと、同じ場所訪ねたりして効率悪いんじゃないか?


「……まぁ、分かった」

「という訳で、よーいドンっ☆」


 美月は颯爽と自転車に乗って、行ってしまった。



―*―*―*―……


 松木戸先輩の家から近い公園、コンビニ、漫画喫茶、図書館。色んな所に自転車で行ったが、手がかりはなかった。そして俺は今、松木戸先輩と久方会長の母校である諏訪園西中に来た。と言っても中に入る事は出来ずに、校門の外から中を覗く事しかできないけど。


「なんや、またレンやないか。奇遇やな」


 朝マックを共にしたクラスメイトが、首に掛けたカメラを手に持ちながら話しかけてきた。


「くるみ! そっちはどう?」

「アカンわ。新しい情報はほとんどないな」


 まずい。こんなペースでBECの再建ができるのか? このままじゃ会長の思うツボだ。


「その様子やと、松木戸先輩を見つけられてへんみたいやな?」

「ああ、色々捜してはいるんだけど。……なんか俺、先輩の事何にも分かってないんだなって改めて思った」

「……なんや急に?」

「こういう時に松木戸先輩はどこにいるのか全く分からない。だいぶ分かった気になっていたのにさ。……過去の事も、今何考えているかも分からないくせに、人見知りを言い訳にして相手を知ろうとしてなかった自分が情けなくて」

「そんなん当たり前やろ!」


 くるみはまた熱弁モードになった。……本当に熱い女子だな。今回は特に熱い。


「どんなに人を知ったって、ただの一部に過ぎひん。『これがあの人の性格だ』とか、『あの人はこういう人だ』とかよく言う人ほど、相手を知る事を怠ってるんや! 人を語る人間が、相手を決めつけたらアカン。週刊誌に一面載せてある内容だけで、芸能人のすべてが分かる訳ないやろ? 人は関われば関わるほど新たな一面が見つかるはずや! 自分自身の事かて一緒や。人を決めつけたがる人間ほど、自分の事を決めつけて見えてへん。人の心は日々変化して成長してんのに、たった1回何かあっただけでそれ以降の評価をやめてまう。自分でも知らない一面が、今後も見つかっていくはずやのにな」

「……なんか、刺さるな」


 俺もその、人を分かっているつもりになっている1人だ。自分の事も他人の事も、分かったつもりになって決めつける時がある。


「んん? 別に一般論を言ったつもりで、レンに向けて言ったつもりやないんやで? レンは先入観持たずに人と接してるし、噂とかに流されにくいやろ?」

「いや、俺はまだまだだ。松木戸先輩と久方会長については決めつけてた」

「ふふっ……あはは!」


 くるみは笑いを堪え始めたが、噴き出した。


「あ〜ゴメンゴメン。レン、自分見えとるやないか! むしろ見え過ぎて勝手にナイーブになってるやん! 何でやろな? 捻くれて自分が嫌いだからか? ふふふ……捻くれ自爆テロやん」

「……悪かったな」

「な、何で謝んねん! 褒めとるんやで? なかなかそこまで自己分析できてるのはおらんやろ? ウチもそこまで自分を分かってるか、自信ないで!……ふふっ」

「……」


 笑わなくてもいいだろ。


「レンは人より自分見えてるし、普通の人より他人の評価は正しく出来てるで! ウチが保証する」

「そうか? こんなに間違ってるのに?」

「間違いくらい誰でもあるやろ。気にする必要ないで!」

「……」

「まぁ、ええわ。とにかくここに松木戸先輩はおらへん。かといって、どこにおるかは分からへんけど」

「うーん。どうするべきだ?」

「……あ、もしかしたら現場かもしれんな」

「現場?」

「自殺した生徒の自宅跡や。家族は引っ越して空き地になっているんやけど――」



―*―


 俺はくるみに教えてもらった住所を頼りに、現場に自転車で向かった。一軒家の住宅街に1ヶ所空き地があるらしい。


「あ、あれか?」


 それらしき空き地の前に1人、白い日傘を差して花束を持っている女子が立っている。黒髪ショートカットで下を向いてて横から顔は見えないが、えんじ色のブレザーに緑色のスカートを履いている。近くにある女子高の生徒だ。当時の同級生だろうか? しゃがんで花束を置くところだったので、俺は空気を読んで自転車から降りて押しながら現場に近付いた。空き地を見渡すと家があった面影はなく、多種多様な雑草が育ち始めている。日傘を差した人が花束を置いたところには多くの花束が積んであって、事件から3年経った今も多くの人が訪れてるみたいだ。


「君もけんかに来たの?」


 日傘女子高生が話しかけてきた。こちらに顔を向けてきたが、ピンクのマスクをしていて顔がよく分からない。分かったのはくりくりした目と色白の肌をしてるという事。けんか?……ああ、花を献上する献花か。殴り合いを求められたのかと一瞬思ってしまった。


「花はないですが、お祈りを――」

「あれ? もしかして諏訪園高校の人? たすくさんは元気ですか?」

「たすくさん?」


 俺の制服で高校が分かったらしい。この人の声……聞いた事があるような?……たすく?


「もしかして松――」

「あれ? 君どこかで会ったね? 確か……うーんと……」


 質問に答える間もなく次の疑問が飛んできた。俺も初対面ではない気がする。女の子はマスクを下にずらして直接俺の顔を見てきた。


「やっぱり! この前女装してた子だ!」


 女装……ユニ×ユニの時か! ええと、誰だっけ? 目は二重でパッチリ大きくて、紅葉のヘアピン――。


「もしかして! ユニ×ユニの西松楓さんですか!」

「しー! そうだけども!」


 なんという偶然。しかもあの時の女装がバレてた。


「あの! あの時は止むを得ない事情が――」

「知ってるよ。奨さんに協力してたんでしょ?」


 ええと、色々整理が付かない。疑問だらけだ。なんでユニ×ユニのセンターがここにいるんだ? どうして松木戸先輩を知ってるんだ? なぜ俺の女装がバレていて、当時の事情を知ってるんだ?


「女装が可愛かったから勿体ないと思ってたんだよね。あのまま通っちゃえば良かったのに」

「いや、勘弁してください」

「あ、照れてるのも可愛い」


 確か西松楓って俺とタメ年だったよな。アイドルとして頑張ってるのを知ってるから、無意識に俺は敬語を使っていた。


「西松さんは、松木戸先輩とどういう関係なの?」

「昔から家が近くでね、よく近所で遊んでもらってたの。私、小さい頃からアレルギー持ちとか病弱で、過保護な親から遠くに行かない様に言われてたんだけど、奨さんが面倒見てくれてたの」


 つまり、学年違いの幼馴染みたいな関係か。


「中学までは学校が一緒だったんだけど、高校は違う所になったんだ。それで私がアイドルになってたからこの前驚いててさ」

「松木戸先輩は最近知ったって事?」


 西松楓はクスっと思い出し笑いをした。


「君が女装してた日だよ。病室の扉がいきなり開いたと思ったら、相変わらず金髪の息切れした奨さんが立っててね。『会場にあるポスター見て気付いて、親に病院を確認した』って。本当、びっくりしたなー」


 あの時の謎が解けていく。


「あれ? でも松木戸先輩は西松さんの名前を聞いても、最初は気付いてなかった気がするけど――」

「だって、芸名だもの」

「あ、なるほど」


 だから潜入する前、俺が女装するのが最善策だった。その後に西松さんを連れて堂々と控室に入った訳だ。


「それより今、奨さん大丈夫? 疑われてるって聞いたんだけど……」


 西松さんは真面目なトーンになった。


「まさにその件で俺はここに来たんだ。あの人を捜しに」

「本当はゆっくり奨さんの話を聞きたいんだけど、この後新曲のレッスンだし、時間もあまりないんだよね」

「……」


 そういえば綾乃先輩も、新曲がどうとか言ってたな。


「分かった。こうして君に会えたのは何かの縁だし、私で良ければ協力する。君は人の為に女装ができる人で、奨さん側みたいだからね? 何か知りたい事ある?」


 奨さん側。やっぱり松木戸先輩は敵が多いのか。


「今、松木戸先輩がいそうな場所。あとは――」



―*―*―*―


 諏訪園区の唯一の山、茜表山せんひょうざん。山の中腹にある、諏訪園区の駅や町をほぼ一望できる展望台に向かって、俺は木でできた階段を上っている。ここまで来る間にすっかり日は落ちてしまった。辺りは暗くなって、木々の隙間から星が見え始めた。


「はぁ、はぁ……」


 とっくにピークを超えた息切れをしながら登っていると、曲がりくねっていた階段の終わりがやっと見えてきた。……というか今更だけど、松木戸先輩がよくこの山に来るとしても、こんな夜までいるだろうか? もう1度先輩の家に寄ってから来た方がすれ違う可能性も無かった。俺はそんな後悔をしながらも、階段の終わりまで登り切った。


「うわ……」


 階段を上がりきると、思わず声を発してしまう程の夜景が広がっていた。夜空の星も良く見えるし、町の光もたくさんある。展望台の造りはシンプルで、一面灰色コンクリートにベンチが幾つかあり、真ん中に1つだけ四角い屋根とテーブル付きのベンチがある。崖側のコンクリート切れ目には、落下防止の太い丸太で出来た柵がしっかりと立っている。俺は小学校低学年の時に遠足でここに来た記憶があるが、その時は天気の悪い昼で景色はそれほど良くなかった気がする。

 俺は夜景に圧倒されたまま、頑丈な柵に手をかけた。大げさな表現になるかもしれないけど、柵の前に立つと地上の星と夜空の星の中心に自分が立っている様な気分になった。まるで自分が宇宙に浮かんでいる様に。


「……よくここが分かったな」


 聞きなれた声とヤンキー口調。振り返ると景色に向かって右端にあるベンチに1人先客がいた。金髪ウルフ頭に悪い目付き。校則違反ギリギリの身だしなみをした制服の着こなし。松木戸先輩だ。


「制服……学校に来る予定だったんですか?」

「まーな、気分が乗らなかった。初めて不登校の心理を実感できたな。最初はちょっとした理由で休むんだが、重なってくと余計来づらくなってく」


 相変わらずいじめの心理追及に余念がない。俺は松木戸先輩の左側、ベンチの空いてるスペースに腰掛けた。お互い目線は景色に向けたまま会話を続けた。


「良い景色ですね」

「だろ?……誰に聞ぃーたんだ?」

「西松楓さんです」

「西松ぅー? 誰だソイツ?」


 おい。


「ユニ×ユニのセンターですよ」

「あー! かえちゃんか! まー確かに、親に内緒でよくここ来てたからな」


 『かえちゃん』って……。そういえば、結局本名は訊いてないな。


「西松さんは『親にバレたらオレが責任取る』って、『家の近所に留まってたらこんな景色も見れない』って、松木戸先輩が言ってくれたから今の自分があるって感謝してるみたいでしたよ?」

「かえちゃん、そこまで言うなよ。恥ずかしーだろ」

「それだけ心配してるんです。面倒見の良かった信頼できる幼馴染が、冤罪にも関わらず疑われてる訳ですから。俺だってこの1ヶ月先輩と接して、同じような気持ちです。……西松さんほどではないですけど」


 俺の捻くれが、言い切りを阻止した。


「ありがてーけどよ。疑われてる人間が偉そーな事やっても意味ねーよ。……政治家が良い例だ。どんなに良い能力を持ってる人だって、怪しーお金のやり取りとかで辞めざるを得ねー時がある。仮に何も悪い事をしてなくても民衆からの支持で立場が成り立ってるから、絶対やってねー証拠を掲示できない限り周りから見てクロなんだよ。例え誰かの陰謀にハメられてるとしてもな」

「西松さんから全部聞きました。自殺した生徒含めて、松木戸先輩達は4人でつるんでいました。ですが仲良くなるにつれて、逮捕された2人が自殺した生徒をいじめるようになって、松木戸先輩は止めようとして対立した」

「そーだ。何度もエスカレートしそうになって、オレは止めに入った。……無抵抗な奴の服をライターで燃やそうとしたり、橋の上から川に突き落とそーとする事もあったんだぞ? 周りの生徒で見てる奴らもいたが、巻き込まれない様にしてるだけだった。オレは教師にも相談したが、本人達に少し注意したり親に注意を促すくれーで、教師自身が真剣に考えたりはしなかった。交番にも行った事があったが、話を聞く素振りすら無かった。実際、オレしかまともに考えてる人間はいなかった」

「でも自殺した生徒は、いじめる側と関係を切ろうとしなかった。松木戸先輩が何度も忠告したのに」

「いじめられる側の問題もあった。危ねー目に遭っても嫌がらねーし、完全に対等な扱いを受けてねーのに作り笑いをしてる。オレが関係を切れっつっても、『みんなが笑顔になるなら』とか言って友達だと思ってやがる。相手はそんな風に思ってねーのに、お人好し過ぎんだよ」

「それで自殺する前の日も、転校か休学を勧めたんですね?」

「他に方法はなかった。さすがのお人好しも、精神的に限界だった。その時はもう、いじめる側が悪意しかねー事に気付いちまったんだ……」


 珍しく松木戸先輩は、声が震えて言葉が詰まった。こんな先輩を見るのは初めてだった。


「東雲……テメーは、自殺する人間の苦しみが分かるか? オレは何度も相談に乗った! 時にはこっちから話しかけてやんねーと、打ち明けられねー精神状態で! 周りの生徒どころか自分の親も一緒に考えてくれなくて! 『自分が死んでも悲しむ人なんていない』って、相談受けてるオレに言うんだぞ?……そんな台詞を中学生に言わせる環境が、なんでこの世界にあるんだよ!」


 松木戸先輩は震えた声を絞り出し、拳でベンチを叩いた。強い振動が俺に伝わった。いつも強気な先輩の目には涙が溢れていた。俺も自殺した生徒の気持ちを想像すると……何て言うか、……苦しくて、悲しくて、悔しくて……それだけじゃ足りないくらい、当てはまる言葉が多過ぎる。

 松木戸先輩がBECを創った理由は明白だ。去年の生徒会長選の演説が高圧的になる理由も、今なら分かる。実際に起きているいじめに対して、今の世界の対策では不十分だ。先輩の母校に限らずどこでも起こり得る事なのに、事の重大さが1番分かっているのは現場の生徒だけなんだ。


「変えましょう。そんな世界を。2度と同じ絶望を生み出さない様にBECが必要です」

「そうだな……」


 松木戸先輩はスクールカバンからいつもLL教室で使ってる白いノートパソコンを出して、俺に差し出すようにベンチの上に置いた。


「オレがBEC用に自腹で買ったパソコンだ。BEC宛の個人的なメッセージの受け取りや、LL教室の端末に繋げば諏訪園高校全てのカメラチェックに使える唯一のパソコンになる」

「……どういう意味ですか?」

「オレは復帰できねーから、テメーに任せるって事だよ」

「何寝ぼけた事言ってんだよ! 委員長はアンタだろ!」


 あまりに消極的な先輩に、俺は敬語を使う気が失せた。


「話聞いてたのか? オレはもう戻れない。完全に久方の陰謀だが、シロじゃねー証拠がない限り証明はできねーんだよ」

「証拠ならあるだろ! アンタは今までたくさんのいじめとSOBを解消してきたはずだ!」

「そんなのどうやって見せるんだよ? どーせオレ達受験生は早めに辞める事になる。ちっと早まっただけだ。それにオレがどんなにいじめを撲滅したって、死んだ人間は帰って来ねーんだよ」

「……」


 俺はついさっき、西松さんに言われた事を思い出した。一通りの情報を聞いた後だった。



―*―*―*―


「――それとね、君を見込んでお願いがあるんだけど……」

「何? 急に改まって?」

「奨さん、多分とんでもない罪悪感を1人で背負ってると思うの。昔から何人も問題を解決してきたのに、救えなかったのは初めてだったから。その時もね、『死なしてしまったのは自分にも責任がある』とか言ってたんだ。……今もまだ、そう思ってる気がするんだよね」


 BECでも松木戸先輩は、ほとんどを背負っている気がする。


「だから『1人で抱え込むな』って怒って欲しいの。奨さん、人にはそう言うくせに自分ができてないんだよね。君とか私は味方だから頼って欲しいのにさ。優しいから、周りの人を巻き込まない様にしてると思うんだ」



―*―*―*―


「……今更逃げんなよ。先輩」

「あん? 逃げるとかじゃねーだろ? 今更じたばたしても仕方ねーだろーが!」

「そういう言葉はじたばたした人間が言うんだよ! アンタはじたばたせずにいる。そんなに過去と戦いたくないのか? いつも人には『目を逸らさずちゃんと向き合え』とか言ってるのに自分はやらないのか? 『やれる事をやらないの嫌いだ』って、前に言ってたのは嘘だったのか!」

「向き合うからBECを辞めんだろ! このままオレがいたら存続が危うい上に、警察の事情聴取に対応しなきゃならねーじゃねーか!」

「それが逃げてるって言ってんだよ! 疚しい事がないなら堂々としろ! 辞めさせる存在がいるのなら、BECを続けて何が悪いのか訊いて戦えよ!」

「……」


 沈黙。俺が再度口を開く。


「もしかして、先輩は自殺に追い込んだ自分がいじめを無くすとか言う資格はないとか、そんな事を思ってるんじゃないですか?」


 松木戸先輩は立ち上がって、ベンチに座る俺の胸ぐらを掴んだ。


「図に乗んなよ……テメーに何が分かる? 目の前で苦しむ人間が、悪意を持つ奴らの為に作り笑いをする姿を見るのがどんなに辛いか! 救おうとしても救えなかったこの空虚感がどれだけ虚しいか! 最近いじめに関わり始めたテメーに、理解できんのかよ!」

「……」


 ――もし解るなら。俺がもっと昔から、いじめに対する理解を深めていたなら。この人と対等に渡り合えて力になれたなら。胸を張って『理解できる』と言いたかった。

 だが俺の選択肢は、『解らない』と答えるしかない。悲しい感情と一緒に漏れ出た松木戸先輩の本音に、俺の本音をぶつけるしかない。それが先輩に対する最大限のマナーで、ちゃんと向き合うって事なんだろう。


「……解りません。松木戸先輩が最善を尽くしてダメだった事に、俺は偉そうな事は言えません。俺が想像した辛さや苦しみじゃ足りないくらいの経験をしてると思います。――でも、1つだけ言わせてください。それだけ辛くて虚しい感情があるのに、どうして堂々と立ち向かないんですか?」

「…………テメーには、関係無ぇーよ」


 松木戸先輩は俺の胸ぐらを掴んだ手を離し、パソコンを出す為に開けたカバンのチャックを閉じて帰ろうとしだした。


「関係ない訳ないじゃないですか? 俺だってBECの一員です! BECに入って1週間経った俺に、『本当に辛い時は相談しろ』って言ってましたよね? 自分が辛い時は相談しないんですか? 西松さんも『優しいから周りの人を巻き込まないようにしてると思う』って、心配してましたよ?」

「……」


 先輩は沈黙したまま荷物をまとめている。


「先輩はもっと、人への頼り方を知るべきです。1人で抱え込まないでください。俺は捻くれて人見知りですけど、孤独の最弱さはこの身を以って分かっています。普段出来る事が多い松木戸先輩には頼る必要がないのかもしれないですけど、こういう時くらい弱音吐いたって良いじゃないですか!」


 荷物をまとめきった松木戸先輩は、表情を変える訳にはいかないかの様に無表情のまま言葉を返し始めた。


「……黙れ。相手にただ正論を突き付ける事は正義じゃねー。勘違いすんな。世の中には正論だけじゃ通用しねー事が必ずあって、足掻かねー方が得策だったりするんだ。……もう、オレに関わんな」

「俺がそう言われても、逆効果なのは知ってますよね?」

「……」


 答えずに先輩が帰って行くと、ベンチの上には先輩自前の白いパソコンだけが残った。



 俺なりの本音はぶつけた。あれだけいじめ撲滅に真っ直ぐな人が、簡単にBECを諦める訳がない。ポジティブに考えて、松木戸先輩が突き放す様にこの場を去った理由は2つ。天の邪鬼な俺に、この逆境への奮起に期待している。西松さんが言ってた通り俺を巻き込みたくない。……だけど、そもそも俺はとっくに巻き込まれてる。BECが無くなった事でこれだけの労力を強いられた。他人のせいで自分の運命を変えられるなんて馬鹿げた話はよくあるが、理不尽過ぎて怒りがこみ上げてくる。もし本当に生徒会長が主謀者なら、一泡吹かせてやらないと気が済まない。

 だが、大事なのはこの後俺がどうするかだ。自分の理想に、自分なりのやり方で、どうやれば実現出来るか考えろ。冷静に考えれば、出来る事はいくらでもあるはずだ。


 今後どうするべきか決めるまで俺は、自分達が住む街の夜景を見ながら考え続けた。

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