AC1. Good Morning

5. The Future

 千歩ちゃんがケーキを持ってきた次の日の朝。最近晴れの日が続いていて、今日も晴れている。俺はいつも通り自転車で登校していると、諏訪高の制服に青と黒のネクタイをして交差点で信号待ちをする親友を見つけた。


煌士こうじ! おはよう!」

「おはよう! レン……なんか調子良さそうだね? いつもの捻くれアイズが生き生きしてて個性が死んでるよ」


 確かに体が軽い。BECに入ってから1番ぐっすり眠った気がする。


「うるさいな。朝から個性が死ぬとか言うなよ。別に目が生き生きしてる日があって良いだろ?」

「ふふふ、そうだね。何があったの?」

「……昨日の放課後、BECに解決した依頼人がお礼を言いに来たんだ」

「この1週間、レンと美月が何かやってると思っててさ。軽音部じゃない松木戸先輩が生徒会まで屋上の使用許可をもらいに来た時、僕は思ったんだ――『やっぱりな』って。最高のライブだったね!」


 この野ノ宮ののみや煌士こうじと中学時代は生徒会仲間で、今は初めてクラスメイトになった。当時も捻くれてる俺が生徒会に入ったり、勉強を教えて諏訪園高校に入るように仕向けた張本人だ。煌士は高校でも去年の10月から選挙を経て生徒会に入った。つまり、松木戸先輩と煌士は生徒会で約3ヶ月間一緒だった。


「BECの活動でライブしたんだよね? やっぱりレンは良い奴だね」

「俺は良い奴じゃない。常識があるだけだ」

「あっはは。そこはブレないか」


 信号が青に変わり、俺たちは自転車を漕ぎだした。道路の端を煌士が前、俺が後ろに1列に並んで進んだ。少し声を張りながら会話を続けた。


「松木戸先輩とはどう? 挨拶以外にやっと話をしたって聞いてから1週間になるけど?」

「まぁ、前よりは話せる。いじめの撲滅に対して本気だっていうのは分かるし、そこは信頼してる。ただ……」

「ただ?」

「なんか人を見透かしてるっていうか、見下してるのは嫌いだ。他人を試して、一般論に紐付けて過小評価してる気がする」

「あ~、レンに対してその対応はNGだね。生徒会でもよくあったなぁ」

「『テメ―はどーせその程度だろ?』みたいな態度されるからムカつく。今回はいじめ撲滅の為に大人しくしてやったけど、本当は全部反抗したかった」

「ふふふ、穏やかじゃないね。……生徒会にいた時も今の会長とケンカしてたなぁ。僕は結構理にかなってると思ったけど」

「理にかなってる?」

「初めは僕も決めつけられてる感じがして、レンみたいに捻くれてなくてもイライラしたけど、先輩は何の根拠もなく言ってる訳でもないんだ。基本は心理学をベースに考えてるね。加えて松木戸先輩自身の経験とか、ちゃんとした知識で言っているんじゃないかな?」

「へぇ……」


煌士は学年1位の学力でありながら、勉強以外の知識も豊富だ。ていうか、高校生で心理学を分かってる松木戸先輩と煌士って何者なんだよ。


「と言っても、僕がそう思うまで結構かかったけどね。松木戸先輩が信頼できると思った頃には、いなくなっちゃったなぁ」



―*―


 その後も、登校する間の話題はずっと松木戸先輩だった。学校の靴箱で上履きに履き換えながら煌士は続けた。


「一言で言えば大人って感じだね。僕らより1年早く生まれただけなのに、普通の高校生が考える事なんてとっくに考えてて、1歩先以上を見てる感じでさ」

「そうかもな。見た目はただのヤンキーだけど」

「あははっ。そうだね」

「俺たちより人を分かってるっていうのを自覚してるから、偉そうだったりするのかも――うわっ!」

「おっはよ~☆ ノンノンズ~!」


 廊下を歩く俺の首に、女子生徒の腕がプロレスの絞め技のように絡みついた。いきなりこんな事をする奴は1人しかいない! 美月だ!


「ギブギブギブギブ! 痛い痛い痛い!」

「は~いっ☆ 私の勝ち~!」


 何度かタップすると首に回った腕が解けた。暴力女の今日の髪型は黄色ゴムで括ったツインテールだった。……お前は何に勝ったんだよ。


「油断し過ぎだよっ☆ そんなんでBECにいて良いのかな~?」

「ゲホ、ゲホっ……BECは油断したらいけないのかよ! 少なくともいきなり首絞める奴なんて他にいないだろ!」

「そうかな~? いるよねノノミー?」

「うん。いるねその辺に」

「どの辺だよ! それに初耳だけど、ノンノンズって何だよ! ノノミ―も煌士の事か?」

「え~? そこってツッコむ所かなっ☆ 東雲と野ノ宮でノンノンズ。野ノ宮だからノノミ―だよ! ボケを説明させるなんて、レン殿はまだまだであるな」

「そうですね師匠。修行が足りませんな」


 誰だよお前らは!


「とにかくBECの活動お疲レン! これで卒業だねっ☆」

「卒業だねっ☆ って、しないだろ! 何で入ってから2週間で辞めるんだよ!」

「え~何だ~、つまんないな~」

「それに『お疲れ』と俺の名前をくっ付けるな! 人の名前をどんどんアレンジするな! 朝からボケを散りばめ過ぎんなよ! ツッコミが追い付かないだろ!」

「またまたそんな事言っちゃって~、本当は好きなくせにっ☆」

「……まぁ、嫌いじゃないけど」

「普通の会話したって意味ないじゃんっ☆ 会話に花咲かせようよ~?」

「確かに俺は普通の会話は嫌いだけども! 咲かせ過ぎなんだよ美月は! 花に埋もれて進めなくなるんだよ!」

「以上! お花に埋もれて幸せそうな現場の東雲さんでしたっ☆ いや~野ノ宮さん、今の返しは微妙でしたね~?」

「そうですね新倉さん。頭の中もお花畑ですね」


 この童貞手のひら返しが!


「でも――」


 突然、美月は真面目なトーンになった。


「良かったね? 無事に解決して」

「……あ、ああ……まぁな。ありがとう、美月」

「どういたしましてっ☆」


 小学校から馴染みのある笑顔を見て、安心する俺がいる。このギャップは反則だ。昔からの付き合いがある美月は、俺の事を良く分かっている。悪ぶっている俺も、真面目な俺も理解している。


「本当に2人は仲良いよね。付き合っちゃえば――」

『それはない!』


 煌士の言葉に、俺達は被せ気味で揃って答えた。勢い良く振り向いた美月の左ツインテールが俺の右頬をかすめた。


「2人共そう言うけどさ、諏訪高のどんなカップルよりもお似合いだと思うな。今もハモったし」

「仲の良さと恋愛は違うだろ? あ、ごめん。童貞には分からないよな」

「ごめんね。童貞さん」

「そっか、僕は純粋無垢な童貞でした――って、レンも童貞じゃん!」

「ア、ワスレテター」


 俺はロボットみたいな棒読みで返した。


「美月も『童貞さん』って、『妖精さん』みたいな言い方止めようよ! 妖精よりも多く生息してるし、必死に生きてるんだよ!」

「ふふっ、はーい。気を付けまーすっ☆」


 廊下にいる周りの生徒がクスクス笑っていたが、何十回もこのやり取りを楽しんでる俺たちにとって鉄板のお決まりパターンだった。


 ……高校生が童貞で何が悪い。童貞の男子生徒が少ない高校がもしあるなら、俺はその方が問題だと思う。何より若者が周りに流されながら、童貞は恥ずかしいみたいな事を平気で言う風潮が俺は大嫌いだ。むしろ童貞を笑う奴らの方が、将来を心配されるべきだ。


 そんなお決まりのやり取りをする間に、俺達3人の2年2組に着いた。


「じゃ、またねーんっ☆」

「またな」

「じゃあね」


 美月は廊下側1番前の自分の机横にスクールカバンをかけ、教室後方側に固まっている女子グループに混ざっていった。


「おはようさん! 悩める童貞さんたち!」


 この関西弁の女子はクラスメイトの多郷たごうくるみ。髪はバサバサ黒髪ショートで背は平均より低め、ブレザーを着ずに紺色のセーターに水色系のリボンを首に付け、左腕には白い文字で『新聞部』と記した緑色の腕章をいつも付けている。将来はジャーナリストを目指す新聞部の副部長だ。高性能そうな最近の一眼レフカメラをいつも首に下げている。……童貞で何が悪い。俺達はスルーして窓際の席に向かおうとした。


「って、無視かい! 関東人ノリ悪くて恐いわぁ。ウチはただ、なんやええ雰囲気やったから乗ってみただけなんやで?」

「くるみ。人を童貞呼ばわりするのはあまり関心しないと僕は思うな。おはよう」

「おはよう、くるみ」


 くるみは高校から親の都合で大阪府から神奈川県に引っ越してきた。煌士とくるみは1年生の時から同じクラスだ。東西の文化の違いだと思うが、気さくで馴れ馴れしい性格。人見知りの俺は、くるみの馴れ馴れしさにやっと馴れてきたところだ。


「レン。ところでなんやけど、一昨日のゲリラライブにBECが1枚絡んでるっちゅう情報があるんやけど、ホンマ?」


 俺の席は1番前1番窓側、煌士がその隣の席に座った時にくるみは切りだした。


「悪い。そうだとしても、そうじゃなくても、個人のプライバシーに関わるBECの活動は言えない」

「……そっか。まぁ、せやろなぁ。ウチもそれを聞いて記事にしようとは思わんしなぁ」

「じゃあ、何で聞いたんだ?」

「レンがちゃんとBECの活動をしてるか探りたかってん。今の答えで順調そうやと安心したわぁ。毎度お騒がせな委員長がおるからなぁ」


 確かに毎度お騒がせだ。


「僕は最近の話を聞いてないんだけど、どんな噂があるの?」

「えっとなぁ、なんか教室に閉じ込められて扉にタックルしたとか、生徒会に殴り込みに行ったとか聞いたけど、嘘っぽいなぁ」


 なんかどっちも事実に近いけど、惜しい。くるみは新聞部なので情報通だ。諏訪高の噂をほぼ全て把握している。


「噂なんてのはな、自分の目で確かめて初めて事実になるんや。ウチは松木戸先輩が理由もなく強引な事はしないと思うんよ。今まで問題になりかけた行動を何人かに取材してるんやけど、見かけによらず結構芯の通った人やとウチは睨んどるで!」


 くるみが純粋に真実を自分の目で見ようとする姿勢には、俺はとても好感を持っている。


「僕もそういう印象かな。間違いではないよね? レン」

「分からない部分もあるけど、くるみの読みは間違ってないと思う」

「ホンマ? やっぱそうやろ? みんなあの見た目に惑わされ過ぎやねん」


 別に松木戸先輩は惑わそうとしてないけどな。


「みんな~、席に着いて~! ホームルーム始めるわよ~!」


 2組担任の皆村みなむら八恵子やえこ先生がおっとり口調で教室に入ってきたところで、ちょうどチャイムが鳴った。


「ほなな、レンに煌士。また先輩の話聞かせてな?」

「おう、また」

「じゃあね」


 立っている生徒がバタバタと自分の席に着いた。


「起立!」


 今日は美月の日直か。


「礼!」

『おはようございます!』

「着席!」

「は〜い。では出欠確認しま~す。青田さ~ん!」

「はい」


 八恵子先生は今年が教師1年目の22歳。長い髪を左後ろに寄せてシュシュで括っている。性格はおっとりぽわぽわな彼女だが、教師の身で何を考えているのかボディラインが分かりやすい服をいつも着ていて、学校一の巨乳なのが分かってしまう。今日は上が灰色のニットに下が黒のスカートだ。


 大卒1年目の教師が担任をするなら1年生のクラスを受け持つのが一般的かもしれないが、去年1年生を担任していた教師が産休に入ったので代わりに2年生を受け持つことになったらしい。ソフトボール部の顧問でもある。


「レン。今日も際どいね、先生の服」


 隣の煌士が話しかけてきた。


「ああ。童貞の目には毒だな――」

「東雲く~ん?」

「はい?」

「あんまり廊下で童貞トークしないでね~。先生は知ってるんだぞ~?」


 クラスのみんながクスクス笑っていた。ああ見えて八恵子先生は視野が広い。



―*―


「は~い。今日も休みなしっと~」


 出席確認が済み、八恵子先生は出席簿を閉じた。


「今日の朝言っておきたい事は1つで~す! 進路希望調査の用紙を出してない人は今月中に出して下さいね~。今出てるのは10人くらいかな~」


 そういえば俺も出していなかった。


「煌士出した?」

「一応ね。レンは普通じゃない仕事を目指すの?」

「そうだな。やっぱ大学行かないといけないか……」

「それが賢明だろうね。何をするにしても知識が必要だし、選択肢がないと選ぶこともできない。大学以外でも道はあるけど、特殊な仕事は努力以外のものも必要になるからね」


 本当、理不尽な世界だよな。生まれ持った才能だけで生きていける人がいるのに、どんなに努力しても浮かばれない人もいるなんて。


「周りに流されて大学に行くのだけは避けたいからな。学部とか学科とか、勉強ばっかで大人が何やっているか分からない高校生に、今やりたい事を決めろなんて酷だよな?」

「あははっ、レンらしいね。でも、確かにそうかもね」

「何が酷なのかな~? ノンノンズ君達〜」


 八恵子先生、そこまで聞いてたのか。


「『こんな事をやりたい』って言えるほど、俺は『やれるもの』を知りません。高校生に進路を今決めろっていうのは、結構酷だと思います」

「屁理屈じみてるけど、一理あるわね~。う~ん……」


 俺の捻くれ意見に同調する様に、教室内がざわつき始めた。突然美月がビシッと右手を挙げながら言った。


「ハイハイっ☆ 八恵ちゃん先生はどうして教師になろうと思ったんですか?」

「私? 私は尊敬する先生がいたのよね~。こんな先生になりたいっていうキッカケがあったんだけど〜」


 いつも空気の読めない学校のチャイムがまた鳴り始めた。


「時間になっちゃたわね~。もし進路で悩んでいる人がいたら早めに相談してね~。ホームルーム終わりま~す」


 休み時間になって、教室はまたいつものように騒がしくなった。


「くるみは進路希望出した?」


 俺はくるみに声をかけてみた。


「ウチ? とっくに出したよ。大学行ってジャーナリズム学ぶわ」

「くるみって、なんでジャーナリストを目指してるんだっけ?」

「なんや積極的やなぁ。そんなにウチの事が気になるん?」

「そりゃ、まぁ」

「えっ?」

「くるみって、『ジャーナリストになりたい』って感じが前面に出てるじゃん? 俺もそんな風に思ってやれる事がないからな」

「……へ、へぇそうなん? レンもやる時はやる男な気がするけどなぁ」


 やりたい事が見つかれば、俺もくるみや松木戸先輩みたいに真っ直ぐになれるだろうか?


「にしても、急に強引になるから告られるのかと思ってもうたわぁ。ウチ、そういうの好きやねん」

「……」


 なんでやねん。


「でもゴメンな。次違う教室なんでまた今度な」


 くるみは教科書と筆箱を抱え、選択授業の教室に向かっていった。すると美月が話しかけてきた。


「急に強引になるから告られるのかと思ってもうたわぁ」

「はぁ? なんでだ――」


 危なっ。美月の回し蹴りが俺の顔を狙ってきたが、しゃがんでかわした。スカートの中の黒スパッツが見えた。


「もう1度言う! なんで蹴るんだよ! それにスパッツって、校則大丈夫なのか?」

「こうしないと、あたしの動きにスカートがついてこれないでしょ? パンツ丸見えよりも健全だと思いまーすっ☆」


 スカートつまんでパタパタすんな。……本当にこいつは。普段から激しく動く事前提かよ。


「回し蹴りをするために、レディとして当然の嗜みよ」

「言い方だけ無駄に上品だけど、やろうとしている事はどこかの格ゲーと同じだからな」

「お、いいねぇ☆ 今度あの髪型にしようかなっ」


 連続キックする仕草を教室でしながら言うな。女性らしからぬ嗜みだ。


「それよりもレン。今度の放課後千歩ちゃんのお店行こうよ」

「そうだな。近況も気になるし」


 1時間目のチャイムが鳴り始めた。


「はい決定っ☆ じゃあね童貞さん!」

「童貞さん言うな。みんな必死なんだぞ? またな」


 自分の席に戻ると煌士が言った。


「相変わらず夫婦めおと漫才は凄いねぇ。もう少し相手の気持ちを考えられたら百点なんだけどなぁ」

「……お前さ、身近な男女をくっ付けたがる親戚の叔父ちゃんか?」


 煌士は中学の時からこうやって茶化してくる。マジで面倒くさい。



―*―*―*―*―*―


 結局進路を決める糸口が見つからないまま放課後になり、俺はLL教室に入った。


「お疲れ様です」

「おう! 東雲。ちっといーか?」


 先輩は俺を待ち構えている様だった。


「なんですか?」

「日曜にBECの野外活動があるんだが、テメーも来るか?」


 外で起きたいじめって事か? 次の日曜は特に予定もない。


「行きます。俺に出来る事があれば」

「東雲だからこそできる事がある。ちなみに集合場所だが――」

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