第二話 ある日森の中で出会う生き物が優しいわけがない
森の中をしばらく歩いたナガセの目には、様々なものが映っていた。
三十センチを超える大きさで、それでいて羽と同じくらいの大きさの角を持った奇妙な蛾、そもそも何と形容していいかわからない多足類の虫、複数の木を丸ごと包み込む巨大なキノコ。
すごい速さで走って行ったのでうまくは見えなかったが、猫ともネズミともつかない大きさの、黒色の哺乳類らしき生き物も見た。一瞬だったが、首に襟のようなものがついていたのが見えた。
時折鳥の鳴き声みたいな音や、低い草食動物が出すような音が何度か聞こえたりもした。
「本当にどこなんだ、ここは」
ナガセの疑問は益々深まっていく。訳のわからない状況で、訳のわからないことは積み重なっていく一方だった。
歩いて体感で三時間ほどなので、さすがに足が棒になり、体全体に疲労感がのしかかっている。
しかも、一定の方向に向かって進んでいるはずなのに一向に見えるものが変わらない。
初めのうちは冒険心をくすぐられるこの状況に少し楽しさを感じたが、ここまで来るとナガセも危機感を感じざるをえなかった。
‥‥‥‥マズい。
木々の間から見える空の色も若干暗くなり始めている。夕方に近づいているのだろうか。
先を急ごうと思ったが、遠くを見ようとしても森の闇が続くばかりで全く外に出れるイメージが湧かない。
となればこの森の中という状況において答えは一つ
「野宿、か」
今日中に森を抜けることを諦める決心をして、ナガセは本日の寝床を探し始めた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「ここで寝るのか‥‥‥‥」
寝床を探し始めて一時間、ナガセが見つけたのは二つの茂みに挟まれた平らな地面であった。
ここなら寝やすく、恐らくいるであろう肉食の生物から隠れられる確率が高いと踏んだのだ。
しかし、寝やすいと言っても多少草が生えた程度の硬い地面。公園で野宿した翌朝の辛さを思い出し、ナガセの気分は重くなる。
「まあ、慣れてると言えば慣れてるんだけど」
空はもう夜の気配を醸し出しており、これ以上寝床を探す時間はない。他にすることもないので、ナガセは大人しく寝ることにした。
草をかき集めて枕を作り、小石を拾って準備をする。
寝転がってみると、背中に拾いきれなかった小石が当たり、少し痛かった。
「あー、何なんだこれは」
ナガセは目を閉じると、今日一日の回想を始める。
気づけば全く知らない場所にいて、しかもそれは何時間歩いても出れない巨大な森の中。
末期に陥っていたはずのクスリの症状も抜けて、体は超元気。
無意識に考えないようにしていたんだろうが、この状況は異常だ。
そして困ったことに、ここがどこかという情報が全くない。
どうしてここにいるのかがわからないので、心当たりが一切ないのだ。木も生き物も見たことのない奇妙なものだらけで、手がかりも同様にない。
アマゾンの奥地にはまだ見ぬ生き物が沢山いるとも聞くが、外国にしたって生き物の姿が常識を離れすぎているのだ。
「これからどうなるんだろうな‥‥‥‥」
目を瞑りながらナガセは呟いた。
長い間の不摂生のおかげで空腹には強いが、水を飲まず、食べ物を食べないでいられるのも今日のうちだけだろう。明日からは水と食料を探さなければならない。
明日こそ森を抜けたいが、今日の様子を見るに抜けられるかなんて全くわからない。
仮に抜けたところで、その先に何が待っているのかも見当がつかない。
問題は数えたらキリがなかった。
いい加減これ以上考えても無駄だ、とナガセは自分に言い聞かせるが、どうしても頭が「これから」の話を止めようとしない。
しかし突然、頭がその煩わしい思考を止め、睡眠に入ろうと休まっていた体が覚醒した。
森が一気に騒がしくなり、甲高いギャアギャアというカラスのような鳴き声が耳を直撃したのだ。
ナガセは異常事態を察知し、跳ね起きた。
すぐに周りを見渡して、状況を確認しようと試みる。
辺りは既に日が落ちたのか、うっすら木々の並びが見える程度の明るさだ。まだ明かりのわずかに残った空を背景に、沢山の黒い影が鳴きながら飛んでいるのが見えた。
「鳥、か?」
そんなことは問題じゃない。
何故こんなにも森が騒がしいか、というのが重要なのだ。
この騒がしさが何を意味するか、ということをナガセは本能的に察していた。
森の中で鳥を始めとした小型の獣がうるさくなる時など、相場が決まっている。
--肉食獣だ。
「‥‥‥‥ヤバい」
選択肢は二つ。
ここから逃げるか、茂みに隠れるか。
もしかすると肉食獣の目的が自分ではないかもしれないし、下手に動くと見つかって危険かもしれない。
だが目的がナガセだった場合は、隠れて動かないことは致命的だ。
どうする?
動かない、という選択肢を取れるほど、ナガセは度胸のある少年ではなかったし、その選択は取れる中では最高の選択だったと言えよう。
しかし、結論から言えばその判断は迷った事すら既に無意味だった。
ナガセ茂みの陰から飛び出したのと同時に、肉食獣達がナガセに襲いかかった。
まず最初に感じたのは、胸が地面に叩きつけられる衝撃だった。
呼吸が止まり、肺の中の空気が強制的に外に吐き出される。
「‥‥‥‥‥ッッッッッ!!!!」
声をあげようとするが、それだけの空気がナガセの体には残っていない。
次に感じたのは背中の熱だ。
右肩のあたりが熱い、と感じた瞬間に、左の脇腹にかけてが一気に熱を帯びる。一瞬を置いて、熱の後に痛みが襲ってきた。
「あ゛あ゛あ゛あああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
今度は声が出た。
ナガセは喉を潰すように、痛みのままに叫ぶ。
もがいてその場を抜け出そうとするが、頭が上がらない。顔が地面に押し付けるように組み伏せられ、手足にも体重がかかっていた。
そして最後に、肉食獣が止めをさす箇所はどこでも変わらないのだろう、首筋に鋭い牙が突き立てられた。
「が、あ゛、ああああああああああああああああああああああ!!!!!」
ナガセはあまりの痛みに限界を超えて叫んだ。
精一杯夢中で手足をじたばたさせるが、状況が変わることがない。
だんだんと意識が遠のいていく。
不意に、痛みが消える。
痛みだけでなく、全身の感覚も一瞬で消えた。
視界が段々白く染まっていく。変に冷静になれてしまったのか、首筋を噛むために若干横に向けられたお陰で、肉食獣の姿をうっすらと確認できることに気づいた。
猿?
見えたのは、やや中くらいの大きさの、大きな牙の生えた猿だった。
俺、猿に殺されるのか‥‥‥‥‥
そんなことを思いながら、ナガセは自分の人生を思い出していた。所謂走馬灯というやつだ。
笑ってしまうことに、思い出しても何も惜しくならない。幸せだった記憶など欠片もないし、そう考えてみればちょっとこの森で生き延びようと試みた自分が馬鹿らしかった。
ま、いっか。
極めて簡潔で淡白な結論と共に、フユツキ・ナガセは自身の意識を手放した。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
頭を襲った痛みで、ナガセは目を覚まして飛び起きた。
うつ伏せに寝ていたらしく、背筋をするように頭を起こした瞬間、何かが肩にぶつかる感触がする。
一見して何も見えないほど辺りは暗くなっており、目を開けているのかいないのか一瞬判断に困った。
しかし、鼻に入ってきた鉄の匂いと、周囲を取り囲むぎゃあ、ぎゃあという声が気を失う前の記憶を呼び起こす。
「猿!」
ナガセはその場を大きく一歩離れ、目を凝らして周りを見渡した。
そして暗闇の中で見えたのは、気を失う前と同じ、牙の生えた猿だった。
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