第12話 「新木くん、誤解してないといいんだけど」 「誤解じゃねぇだろ」
新木が帰った後、巽はぼんやりとアケミの言葉を考えていた。
好きになりたくてなったわけではないなら、どうして好きになったのだろうか。結局その辺りのことを、アケミは教えてくれなかったなと思う。
裏口の扉が、再び開いた。巽は跳ねるようにそちらを見る。
忘れ物を取りに来た新木でもなく、はたまた強盗でもなく、そこには巽の予想通り、高次が居た。
「……おはよう」
「お疲れ様」
それだけ言って、いつもどおりに事務室へ入ろうとする高次に、巽は思わず声を掛ける。
「高次くん。……えっと、その」
声を掛けたものの、何を言うべきか解らず、巽は俯いた。
口ごもる巽の様子を見てピンと来たようで、高次は「あぁ」と声を出す。
「カレーのこと?」
「え?」
「いや、一応昨日作って待ってたけど、来なかったから」
「……」
確かに一昨日、「明日カレーが食べたい」とは言ったものの、あんな状況で行けるわけがないだろうが。
巽が思いきり顔を顰めるにも関わらず、高次は「カレーは冷凍保存できるから気にするな」だとか、のたまった。そうではない。
「高次くん、他に何か言うことは」
眉間に皺を寄せながら、睨みつけるように高次を見る。問われた彼は言葉を探すように、その顔をじっと見つめ、徐に言った。
「可愛かったよ、とか?」
「……。仕事しようか」
何か間違ったことを言ったのかと、首をかしげ事務室の方へと引き上げる高次の背中を見送り、巽はため息を吐いた。
どうやら気にしているのは自分だけらしい。
キスも愛撫も手馴れているようだったし、彼のとってはそれこそ遊びの一端だったのかもしれない。
ふと自動ドアが開く気配にそちらを見る。
来客かと思ったがそれは違っていて、白いヘルメットにグレーの制服を着た郵便配達の人だった。店の入り口の方には配達用のバイクも止まっている。
「郵便です」
「どうも」
こんなところには一分一秒でも居たくないのか、あるいは配るべき手紙が山盛りなのか、巽と目を合わせることもなく、手紙だけをカウンターに置いてさっさと帰っていく。
特別呼び止める用事はないけれど、なんだか寂しい気がした。前はこれが当たり前だったはずなのに。
置いてゆかれたのは、支配人宛てになっている一通の封書だけだった。洋型の封筒は全くの無地で、パソコンで打ち出した住所と宛名以外は何も書かれていない。巽はペンスタンドに立てた細いハサミで封を切り、中身を引き抜いた。
三枚の写真と、一枚のメモだった。
写真も写っているのはどれも巽と高次の二人で、背景はこのホテルのようだ。
このホテルには間違いないが、それは二○二号室であり、更に細かく言うならばベッドの上であり、ついでに言うなら写真の中の二人は行為に及んでいる。あのテディベアに見せたもの同様、両脚を大きく開き羞恥に震えながらも、見るのにも耐えかねるようなはしたない表情を浮かべる巽が、そこには居た。
一気に頭に血が上ったかと思えば、今度は全身から血の気が引く。
あの時、部屋には二人の他に誰も居なかった。
それなら誰が、この写真を?
「高次くん!」
巽が事務室へ駆け込むと、デスクワークに早速眠たげな表情をしていた高次が顔を上げる。
「何」
「これっ」
机の上へ巽が写真を叩きつけると、高次も流石に目が覚めたようだった。巽の手のひらに押し付けられ、更にぺしゃんこになった写真を高次が手に取る。そこに映し出された自分たちの姿に「へぇ」と感嘆したような声を上げた。
「ゆ、幽霊が撮ったんだ」
「いやただの盗撮だろ」
彼の指の隙間からメモがこぼれ、ひらひらと床に落ちた。
そういえばそちらのメモには何が書いてあったのだろう。写真のことばかりに気を取られて、メモの内容は全く見ていなかった。
身を屈みメモを拾い上げる。そこには封筒同様、パソコンから打ち出した文字で、「今月中に店を畳め」と書かれてあった。
「畳まなかったら、どうなるんだろ」
「そりゃあこの写真をばら撒かれるんだろうな」
「誰がこんなこと」
頭の中が真白になる、とはこういうことを言うのかもしれない。
誰が、いつ、どうやって、なぜ。
次々に質問が浮かぶけれど、答えはひとつも見つけられずパンクしてしまう。
幽霊だ、幽霊の仕業に違いない。
高次と自分は付き合ってはいないけれど、きっと勘違いして呪いに来たのだろう。ああ高次くんとは仲がいいかもしれませんが、別に恋人じゃないんです許してください。と、巽の頭は大混乱だ。
冷静に考えれば高次の言うとおり、生身の人間による盗撮だろうが、ヒートアップしてしまった理性はまったく動かず、「どうしようどうしよう」と呟くばかりだった。
「あんたは、俺が犯人だとは思わないわけ」
徐に写真を電球へ透かすように掲げ、椅子を軋ませながらつらなさそうに高次が言った。
確かに従業員の高次ならば、客室の出入りは自由だし、事前にカメラを仕掛けることも、巽が眠った後にそれを回収することも容易だろう。写真に写る卑猥なポーズの数々を取らせたのは、ほかならぬ高次本人だ。
頭の中をぐるぐる回る他の質問の答えは見つからない。しかしこの答えだけは、すぐに見つかった。
「思わないよ」
「どうして」
「信じてるから」
それはもう、無条件に。
理由なんか何もない。
でも高次はこんなことをしない。
巽はそう、信じている。
真直ぐな瞳に、冗談でないことを悟ったのか、高次が子供みたいな笑みを浮かべた。
「バァカ」
そうして椅子から立ち上がった高次の顔が近づく。
彼のことが好きかどうかはわからないけれど、こういうことをするのは嫌いではないなと思い、巽はそっと目を伏せた。
唇が触れたか触れないかというとき、事務室の扉が開いた。
「一之瀬支配人、僕、家の鍵を忘れたみたいで、……」
「……」
「……」
「あっ、えっと、お邪魔しました!」
新木が机の上に置き去りにされた黒猫のキーホルダーをひったくるように掴む。そして引き止める間もなく、バタバタと店を出て行った。途中で何かが倒れるような音がしたが、足音はあっという間に遠ざかっていく。
中途半端に伸ばした手を引いて、巽はため息を吐いた。
「新木くん、誤解してないといいんだけど」
「誤解じゃねぇだろ」
「ばか」
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