Chapter.5

そのあとは、ヴェロニカの怠惰な生活に付き合わされる羽目になった。


 

 「ヴェロニカさん、特アについてもっと詳しく教えて」イヴはまだ、特アという組織単位の全体像を掴めずにいた。


 「私……説明苦手……アギトに任せる。それより……その顔の傷……誰に?」ヴェロニカは本をめくる片手間に訊ねる。イヴはミアと殴り合いをしたことを包み隠さず話した。あれは自分じゃない、そんな逃避的な感情が溢れる。イヴは恐る恐るヴェロニカの表情を伺う。するとヴェロニカの周りだけ炭を擦り付けたかのように暗くなっている。


 「許して……ほしい……」ヴェロニカはそう言った。イヴの感情は恥ずかしさの中に恐怖を内包する。先に手を出したのは紛れもなく自分なのだ。


 「悪いのは私です……」イヴは純粋にそう思う。


 「ううん……私が謝ったのは……アザゼルのこと……」ヴェロニカは本を閉じた。

表情は虚ろで、何かに悩むような顔をしている。アザゼル、その名を聞くだけで

イヴの脳で殺意が孵化する。


 

 「アザゼルは……取り憑かれているの……」イヴはヴェロニカとアザゼルが親しいことを悟る。殺意は抑えきれた、イヴは自分の都合の良さに呆れる。


 結局、自分は一人が恐いだけだった。


 「何にですか?」こうなったらと、イヴはアザゼルと言う生物の輪郭を掴もうと思った。


 

 「人間……」背中に氷を入れられたかのように寒気がした、ヴェロニカの言っている意味が咀嚼できた訳ではない。今、一瞬何かに覗かれた気がする。深淵がこちらを見ている、彼処あそこは人間のいる場所ではない。


 

 部屋の扉がノックされる。それはイヴの闇に入るかのような思考を停止させる合図になった。


 

 ヴェロニカは飛び上がり、ドアに向かう。イヴは根拠のない悪い気配を感じる。


 

 「何の用?……そう、わかった……ありがと」ヴェロニカの応対が聞こえる。戻ってきたヴェロニカは顎に手をあて何かを考えている。


 「イヴ……あなたが……戦場に立つのは……思ったより早いかも」イヴの頭にレイヴンの姿が甦る。そうだ、ここにいたら、レイヴンと殺し合う事になる。いやもしかしたらまた話が出来る機会が巡ってくるかもしれない。イヴは儚い望みを脳に並べる。意識の根底でそんな事はあり得ないと分かっている。だが、そうでもしないと頭がおかしくなりそうだったのだ。


 


 「なぜです?」イヴが訊ねると、ヴェロニカはそのままベッドに寝転がる。


 

 「戦争が始まる……」ヴェロニカはそう言った。


 

 それから、一週間は毎日同じことの繰返し、新しい普遍を旅していた。イデア体とアサシンという集団の基本はつかめた。だが、知れば知るほど、自分には不相応な世界だと言うことが明白になる。


 

 ヴェロニカもアギトも異様に優しくて……暖かい。イヴの偏見の氷は溶け、透き通る水のような目で彼らを見つめるようになりはじめた。


 

 聞くところによるとアザゼルはその後謹慎処分になったらしい。イヴの殺意はオロバスの記憶と共に朽ちていく。



 人って悲しい、楽しかった記憶は残って辛い記憶は排除されていく。


 


 


 


 「ほらっ、ミア、頭を下げる!」渋るミアにイヴの胸は罪悪感で埋め尽くされる。


 

 「あの……本当にすいませんでした!」イヴは自分の非を認め素直に謝罪する。最初は渋っていたミアもイヴの手を自分から取る。イヴの手は緊張で汗ばんでいて、一瞬それにミアは一驚する。すると

怯えるようなイヴに徐々に口角を緩める。


 「いいよ」ミアは小さくそう言う。イヴは何かが前身したのを感じる。こんなので許されるはずはない。許されたのではなく、許される機会チャンスを貰ったのだとイヴは感謝する。


 

 「本当に?……」イヴは潤んだ目で確認する。歓喜は首筋まで来て早く早くと逸っている。


 

 「ああ、怪物は手汗を掻かないからな」ミアはそう言い、高らかに笑いだした。


 「そう言うことだ、よかったな」アギトは満足そうにイヴの肩を叩く。安堵のため息と共にイヴは胸を撫で下ろす。


 

 「と、仲直りしたところで本題だ」アギトは手を叩き、イヴとミアの視線を引き付ける。


 


 「イヴ、センパイは?」


 

 「まだ、寝てます」ちなみに今は昼の十一時だ。ヴェロニカは朝に弱い、なんてレベルではなく、朝がないといった方が正解だ。アギトはだらしない先輩に米神を押さえる。


 

 「まあしょうがない。え~っと、シーカー部隊のメンツが決まった。俺とミア、センパイ、バアル、ウルフガー、とイヴだ」シーカー部隊はアサシン教団の偵察を担う部隊である。それゆえ一番死亡率が高く、選りすぐりの精鋭しか選ばれないのだ。実践経験のないイヴが選ばれるのは異例中の異例だ。


 

 「えっ! 私も!?」


 

 「ああ、でも心配するな。お前には最高の相方を選んだ」イヴは不安でどうにかなりそうになる。ヴェロニカが相方でないことにも微弱な不安を感じる。


 


 「隊長、ウルフガーって誰だ?」


 

 「ああ、そうか。お前もしらなかっけな。あれだ、あれ、え~っと、あのダサい名前のヤツ……」


 

 「紅蓮の牙レッドファング……」ヴェロニカが会議室に入ってきた。今日の寝癖は量といい質といい、芸術的な領域である。日替わりで造形を変える寝癖はもはや名物だ。


 

 「それです! それっ!」 


 「はあああ!? 特ア最強と名高いあの、紅蓮の牙レッドファング!? 隊長知り合いなのか!?」ミアは驚嘆の雄叫びをあげる。そんなにすごい人なのか、紅蓮の牙レッドファング……なんか怖そう。イヴは頭で二メートル越えの大男を想像する。


 「ああ、同期だ」 


 「信じらんねぇ」


 その時、会議室にバアルが入ってきた。思いがけず目が合う、バアルの冷血な眼に捕まると体温が下がるような感じがする。


 

 「揃ったな、ウルフガー以外は」バアルはクリップボード片手に会議室の皆の目に入る場所にわざわざ着席する。


 


 「じゃあ、始めようか」アギトが口火を切って着席すると、皆もそれに続く。


 


 「では、まず新しいシーカーのリーダーを発表する。……アギトだ。皆、異論はないか?」バアルの第一声。


 「いやいやいやいや、センパイがいるだろーがよ」アギトは絵に描いたように焦る。自分にはならないと思っていたのか、どう考えてもこの中で一番リーダー気質なのはアギトだ。


 「ダメだ。上からの命令だ」バアルは即否定する。


 

 「よろしく……隊長殿」ヴェロニカはアギトを煽る。


 

 「センパイ、ヘルプ」


 

 「無理……頑張れ」ヴェロニカは助け船を出すことはなかった。逃げられぬ状況にアギトは顔が青くなる。


 


 「よし……満場一致だな」バアルは笑みを浮かべ会議を進行する。


 「皆、これを見てくれ」バアルはクリップボードの資料をホワイトボードに貼り出した。人相書きが並んでいる、顔つきからアサシンである事はイヴにもわかったが、気になるのは金髪の少女が混ざっていることだ。


 

 「バアル、ちょっと待て。その金髪は死んだはずだ」イヴは心室が激しく振動するのを感じた。アサシンには子供も混じっているのか、やはりここは自分の常識と大きく乖離している。


 

 「いや、死体が安置所から消えていた」


 「何だって!? あり得ない、頭を貫いたのに……」アギトの話にイヴは唖然とする。アギトと目が合った。するとアギトはイヴがまだほとんど民間人だということを思いだしたようで、申し訳なさそうに視線をそらした。


 「アサシンに派閥があるのはもはや疑いようがない。新世代のアサシンは自らをフィダーイと名乗っている。それがこいつらだ。左から……」バアルの話の途中、会議室のドアから激しい騒音が鳴った。


 全員の視線は会議室のドアに釘付けになる。どうやらドアは引くタイプなのだが、一心不乱に押しているらしい。


 「ウル……そのドア……引くだよ」ヴェロニカは手を弄りながら無機質に言う。


 「オオ、わからなかった。皆さん、お久しぶりでデス」片言で腰の低い男が入ってきた。特アの制服は継ぎ接ぎだらけで原型を留めていない。黒髪にやや赤毛が混じっていて、背負っているリュックサックはボロボロで探検家のようだ。


 

 「久しぶり……ウル……」


 「ヴェロさん、逢いたかったデスヨー」ウルフガーはヴェロニカを抱擁する。イヴとミアは呆気にとられ、ヴェロニカは迷惑そうな顔をする。この人が紅蓮の牙レッドファング、イヴはイメージとの違いに目を丸くする。


 「しっかり生きて帰ってきやがって、このやろう」アギトとウルフガーは荒々しく抱き合う。これが、男の友情と言うヤツか、イヴは興味津々で見入っていた。


 

 「おお、アギト~、久しぶりデス~」


 

 アギトは級友の帰還に歓喜する。二人ともホントに嬉しそう、イヴは思わず羨ましくなる。


 「丁度良いところに来たな。ウルフガー、フィダーイについて説明を頼む」




 「バアルも変わっていないようで何よりですよ~。フィダーイですか? オーケーオーケー、任せてください」


 

 ウルフガーはリュックサックを長机に置き、ホワイトボードの前に立つ。


 

 「どーも、初めましてお二方、僕はウルフガー、好きなものは生きとし生けるものデース」


 ウルフガーはイヴとミアを見て、宝石のように不純物がない、笑顔を見せる。


 「は、はあ」イヴとミアは同じ反応をする。あまりにもスケールが大きすぎて逆に人物像が全く見えない。


 

 「では、僭越ながら……。僕は二年間の遠征の中でアサシンの行動が変化していくのを感じマシタ。なぜか彼らは罪のない人間を平気で殺めるようにナッタ。その頃からデス、フィダーイと名乗る集団が現れ始めた。リーダーはこの男……」ウルフガーは並んだ四枚の人相書きの中で、一番厳つい、悪魔のような顔の男を指差した。イヴは目が点になる。全く、ついていけない、アサシンに派閥があるなんて知らなかった。


 

 「そいつなら会った事がある。一度センパイと戦った男だ」


 「思い出したくもない……」ヴェロニカは殺気を帯びる。机の上で組まれた両拳が今にも爆発しそうだ。イヴはヴェロニカの表情に怯える。何か、因縁でもあるのだろうか。


 

 「それなら話が速いデス。この男の名はストリゴイ、銃をつかうという古典的な戦闘スタイルデスが、銃弾はイデア体です。特アの中でもあれを見切れるのは…………そういえばアザゼルはどこでしょう?」


 

 その瞬間、この場の空気が圧縮され、冷気を帯びた。ウルフガーはまさか、という顔をする。


 

 「アイツは謹慎中だ」アギトはどこを見ることもなく言った。イヴはアザゼルがここで信用を得ていることに納得できずにいた。迷い、アザゼルが善人だとしたら、イヴの世界は足下から崩れる。


 「はあ、まさかと思いましたヨ。心臓に悪い。では、続けます。この男は不死身デス。ですが重要なのはそこではない。狡猾でそれでいて残虐非道、この男は間違いなく、現時点で特アの最強の敵でしょう」


 

 「ウル、二年の間に第一階層レイヤーワンを見なかったのか?」


 


 「……はい、見なかった。骨ボーンも白雪姫スノウホワイトもめっきり現れていません。死神リーパーに至ってはここ五年は見ていない」これぐらいはイヴにもわかった。今、確認されている第一階層レイヤーワンのアサシンだ。ネーミングが独特でそれぞれのアサシンに特徴がある。だから手配書バウンティを見ているだけなら普通に興味深くて面白い。彼らと対峙することなんて考えなければの話だが。


 

 「やはり、おかしいな……何が起きているんだ」バアルは顎に手を当て、考え込む。


 「死んだのか。それともフィダーイに押されて影に潜んだか」


 

 「恐らく後者でしょう」


 ここで、会議は飽和状態になった。そして自ずと会議は終了の方向に流れだす。ヴェロニカは既に爆睡していた。


 

 「ああ、そうだ。イヴ、君の相方バディはウルだ」イヴは喜ぶべきところか分からなかった。


 「おお、あなたがイヴさんですか。よろしくお願いシマス」差し出された手にイヴは応じると、ウルフガーの蒼い眼に吸い込まれそうになる。よく見ると綺麗に整った顔をしていて、緩んだ口角に人間性が滲む。身長は平均ぐらいで肩幅が広く強健だ、全体的に筋肉質でそれでいてメリハリがある。


 

 「あ、あの、宜しくお願いします」イヴは若干緊張気味。だが、それは今回に限ったことではない。


 

 「アギト……見ておきたい場所があります」ウルフガーは真剣な顔をする。


 

 「ああ、彼処だろ。丁度良い、イヴも連れていってくれないか?」


 

 「オーケー、わかりました」きょとんとするイヴを無視して二人は話を進めるばっかりだった。

 

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anti asasinn squad∋白髪少女\純粋な心に発生した憎悪という癌 マツタケ @Kiyot

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