Chapter.4

 瞼が重い。眼が覚めたのはわかる、だが、瞼の異物感が目を開けるのを邪魔する。


 


 「私、生きてる?」最後にアザゼルの剣に貫かれたのは覚えている。上腹部は張っているような感覚があるが痛みはない。穴が開いたタートルネックの血液は固まり黒くなっている。


 



 全身が独特な痛みに襲われた。動かそうとすればその箇所の筋肉が軋んだ。これが筋肉痛か、イヴは目を擦る。起き上がり辺りを見回すと綺麗な短い金髪の女性がこちらを覗き込むように見ていた。ピンクのTシャツに偉くラフな格好をしている。丈が短くて、ヘソが出んばかりの勢いだ。


 

 「ふ~ん、あんたがアルビノ? 結構可愛い顔してる」女はイヴの頬を両腕で掴み文字通り覗きこむ。


 

 「ちょっ!? なにっ!?」驚きのあまりイヴは腕を払い除ける。


 

 「あんた名前は?」あくまで自分のペースを突き通す女にイヴは狼狽する。こういう他人のテリトリーを気にしないタイプは苦手だ。イヴはいつも他人との距離を気にしていた。近付けば火傷する、遠すぎれば孤独。それでもレイヴンさえ居てくれれば良かった。


 


 「……イヴ……」


 

 「私はミア。ヨロシク」ミアはイヴの手をとり、異様なほど愛想がある笑顔をつくる。この女の薄皮を剥いだ中身はアザゼルと同じか、イヴを憎悪の余韻が襲ってくる。


 

 「よろしく?」よろしくの意味がわからなかった。


 

 「今日からここがあなたの家になるんだ」


 

 「誰だかわからないけど、ここはどこよ?」イヴは辺りを見回す。すると、ベッドの隣の窓から王都が恐ろしく高い場所から見れることに気づいた。アカデメイアで見れる景色より高いことを考えると、ここは……。


 

 「そう、ここは特ア本部だ」ミアは唖然とするイヴの肩に手を置く。こんなとこに来るぐらいなら死にたかった。イヴはそんな憂鬱な感情に苛まれる。


 


 「私をどうする気?」イヴは懐疑の目を向ける。ここはアザゼルのような怪物で溢れかえっている。イヴの頭にあるのは特アに対する偏見と侮蔑のみである。


 

 「嫌だな、そんな疑わなくても良いだろ」


 

 「あんた達みたいな怪物、信用できるわけないでしょ!」イヴは食って掛かる。ミアは一切動じる様子がない。


 

 「怪物? 怪物があんたみたいな醜悪な生物助けるわけない」イヴは腸が煮えくり返りそうになる。イヴは一生分の怒りをこの数日で使い果たしたとさえ思った。


 

 「私を助ける? 腹に大穴開けといて?」イヴが憤慨するとミアの表情が変化し始める。何かが切れたように、眉間に皺を刻み、目には炎のように憎しみが燃え上がる。


 


 「てめぇが暴れるからだろうが化け物!」ミアは豹変し胸ぐらをつかんできた。


 あのときのレイヴンと重なる。


 親友と絶交した事実をイヴはまた自認することになった。


 

 事実から逃避したい。イヴは気づけばミアに手を出していた。頬の肉の感覚が手に伝わってくる。悪辣なことに気持ちよかった、快感だ。


 

 数日で自分はこんなに暴力的になってしまったのか、手を出した方も出された方も驚くという変な空間になった。


 

 気づけば殴り合いになっていた。殴られれば殴られるほど、怒りが増幅し更に強く殴打せよと、筋肉に命令する。当然それも自分に返ってくる。


 「おい、バカお前ら何してる!?」知らない男の声がする。切羽詰まっている、でもそんなことは関係ない。理性が消えたイヴは引き離されて、自分の暴力性に気づいた。


 

 「隊長、こいつは化け物だ。救う価値なんてねえ」


 

 「お前は医務室に行け。今すぐ!」叱責されるミアをみても無様とは思えなかった。


 

 イヴはそれより自分の心に棲む悪魔が怖くて仕方がなかった。ミアはイヴを睨み付けそのまま出ていく。顔についたあざが自分の暴力性を証明し、イヴに真実を告げる。


 

 ーーお前は怪物だ、とーー


 仲裁に入った男はイヴの額に手をあて、イヴの傷をみる。透き通るような琥珀色の目と血色の良い顔に人間としての壮健さが表れている。


 男は深くため息をする。そして、イヴのベットに腰掛けた。


 

 「君も座れ」声には厳しさと優しさがせめぎ合っている感じがする。男が厳しくすべきかどうか迷っているのがイヴにも伝わってきた。


 根拠はないが何故か信用できる気がして、イヴは言われるがまま男の指示に従った。


 

 「会議をしていた……内容は君を生かすかどうかだ……賛成と反対が見事に割れていた。あとは俺次第だった。みんな卑怯だろ。おれにすべて委ねるなんてな」男は頭を掻く。声には疲労が混ざっている、他にも負の感情が複数混ざり合いイヴの脳を揺らす。


 

 「でもな、俺は君を殺したくなかった。だから賛成に手をあげた……分かるか自分のために君を生かすという判断を下したんだ」男は時折、笑みを浮かべる。やつれて、傷付いたみすぼらしい笑顔だった。だが、そのみすぼらしさがイヴの偏見という氷をほんの少し溶かした。


 「君がなにかをやらかしたら、殺すのは俺の役目になる」男はイヴの肩に手をおき、今にも泣き出しそうな情けない顔を見せる。……手に力がこもる。


 


 「俺に君を殺させないでくれ」男が口にしたのは格好つけの慣用句ではなく本気の懇願だ。だが、そんな懇願は今のイヴには届かない。



 「もう殺して。私が誰かを殺す前に」


 イヴは生きるのを諦めた。もう生きる理由などない。イヴの言葉に男は数秒黙りこんだ。イヴは断られたら暴れるのも視野に入れようとし、躊躇う。その躊躇いが、おねがい、分かってと男に心の中で懇願させる。



 「そうか、ついてきな」男はそう言って立ち上がり歩き始める。どうやら、話を分かってくれたらしい。イヴは胸を撫で下ろす、世界でこれほど死を望む人間が居るのだろうか。


 

 イヴは電気椅子か毒薬かどっちか考えていた。できれば電気椅子が良い。死への恐怖はこの虚無感がかき消してくれる。


 


 

 長い廊下に出ると、白い床が果てしなく広がり湾曲している。見ようによっては病院だ。所々に特アの隊員とおぼしき人間がいる。制服を着ていたり、普段着の人間まで服装はまちまちだ。


 


 皆、イヴを不思議な目でみてくる。そんなに珍しいか肌の白い人間が、そんな怒りに好奇心を混ぜたような疑問が湧いてくると死への気持ちが逸はやる。


 

 連なるドアは童話のような幻想を匂わせる。


 

 部屋の一つ一つには二つの標識が付けてあり、それぞれに名前が彫られている。


 

 「ここだ」男はそう言うと、標識のひとつが空欄になった部屋で止まった。


 


 片方の標識にはしっかり名前が彫られている。掘られていた名前は……ヴェロニカ……読みにくい名前。


 


 男はノックをするが返事はない。


 


 イヴが事態に気付いたときには扉はもう開かれてしまっていた。


 

 「アギト……その子?」赤い髪の女が出てきた。日光を欲するような白くきめ細かい肌と突き出た寝癖がとんでもなくミスマッチだ。


 もう昼間なのにパジャマ姿とかなり愚鈍な生活を送っているのが見て取れる。


 


 「はい、センパイ。この子を頼みます。男の俺よりセンパイの方が適任と判断しました」


 

 「ちょっと、私の話聞いてた?  私は死にたいって言ったのよ」イヴの今の行動の原動力は自ら望む死だけだった。

話の食い違いにイヴはイラつきを隠せない。


 


 「入れ……」ヴェロニカはイヴの手を引っ張り半ば強引に部屋の中に入れた。



 「頼みます」アギトは頭を下げる。


 戸は閉められると、外界と遮断され、ヴェロニカと二人きりになった。


 「離して!」イヴはヴェロニカの手を振り払う。


 


 「……お前は……もう私たちの物」イヴは至近距離でヴェロニカの眼と対峙する。眉ひとつ動かさない。それが実に冷静で言っていることを伺わせる。


 「物って……あんたたちそれでも人間?!」イヴは怒りを抑えようと必死だった、自分の事だが本気で怒った自分は制御が効かない。


 「さぁね……付いておいで」ヴェロニカはそう言い残し、スリッパを床に擦りながら部屋の奥に消えていった。


 

 どうやら自分には死の権利すらないようだ。イヴは俯いた。思いがけず淡いピンクのスリッパが目に入る。靴を脱ぎ、イヴはスリッパを履こうとする。だが、急に迷いが生じた。履いた時点で何かに負けるような気がしたのだ。


 

 ………………徐にイヴの頭の中でアザゼルへの憎悪が肥大していく。


 

 殺意は胸の中で膨らみはち切れそうになる。


 

 「無理だな」


 「化け物……だな」


 「お前は俺のものだ」


 


 

 イヴはスリッパに足を通した。



 ーーアザゼルを殺すーー


 

 イヴはその一点のみで生きることを決心した。


 


 

 部屋は普通のホテルのように快適そうで、税金をふんだん使っているようだ。洗面台もあり、シャワー室まであるようだ。イヴは洗面所に付随した棚を見て、一驚を喫する。


 

 頭痛薬、抗うつ剤、精神安定剤、睡眠薬が雑に羅列されている。イヴはここがどういう場所か認識しはじめた。


 

 寝室には二つのベッドが隣り合わせで並んでいる。


 

 「……これを着て……」ヴェロニカは普段着をイヴに手渡す。


 血まみれのタートルネックをイヴはすぐに脱ぎ、渡された普段着を着る。


 キツい、胸の辺りが特に、イヴはヴェロニカの胸元を確認し納得する。キツいと言いたかったが、胸の大きさを誇張するような人間とは思われたくなかった。


 

 「私は……ヴェロニカ……よろしく」差し出された手にイヴは渋々応じる。ヴェロニカの手のひらは異常に硬く、ざらざらしている。


 

 「で、私は何をすればいいの?」イヴは今後の動きをヴェロニカに問う。


 「まず、その顔の傷……これを……」ヴェロニカに塗り薬のようなものを渡された。意外な気遣いにイヴは拍子抜けした。フタを開くと何度も使っているようで人差し指の線が何本も連なり一つの地形を作っている。


 

 乳白色で明らかに塗ったら痛いのが分かる、躊躇いながら人差し指に適量とり、患部に近づける。


 

 塗った瞬間、鈍い痛みが患部に響く。


 

 次の瞬間、ヴェロニカはイヴの体に手を伸ばし、手のひらを四肢に擦り付ける。


 「ひゃっ! ちょっと!?」思わず変な声が出た。


 

 「……筋肉無さすぎ……まずは基礎体力……つけるべき」ヴェロニカは部屋のベッドの脇を指差す。イヴは面食らった、明らかに部屋の雰囲気に合っていないベンチプレスがある。ボンレスハムのような厚さのホイールが何枚も重なっていて、そのホイールの一つ一つに10kgと書いてある。数えると150kg近くある。ヴェロニカの体は確かに少し筋張っているが、この重さを持ち上げることなど到底無理だろう。


 

 イヴは興味本意で、ベンチプレスの棒の下に身を構える。


 

 「……ゆっくり持ち上げて……」意味が分からない、こんなの持ち上がるはずない。イヴが持ち上げられるのは精々、25kgも良いところだ。恐らく少しずつ軽くしていくのだろう。イヴは渋々、ベンチプレスに手を掛けた。


 

 「ゆっくり……ゆっくり」


 

 「ゆっくりってこんなの持ち上がるわけ……えっ!?」重さを感じなかった。まるで空気を持ち上げているようだ。ヴェロニカも驚いているが、それ以上に衝撃を受けていたのは他でもないイヴ本人だ。


 「……これが……アルビノの才能……」


 「これ、どういうこと?」


 

 「あなたは……特別……」イヴはアザゼルに言われたことを思い出す。自分が兵器だと言う意味が分かったような気がした。


 「もうそれは……やらなくて良い」そう言ってヴェロニカは手招きする。部屋を出て真っ直ぐ伸びた廊下を再び歩く。さっきと違いこの建物の上方に向かっているようだ。


 急に廊下が暗くなり、道幅が狭くなってきた。視界の先には白い塗装が剥げた、両開き扉がある。ヴェロニカは取っ手に手を掛け、イヴを一瞥する。


 扉が開かれると、その先は一面の雪景色のような白いフローリングが広がっている。五十メートル四方に高さは三十メートルはある。


 

 「今から……イデア体について……教える」ヴェロニカは赤い粒子を撒き散らし、手に槍を構築する。イヴは自分と違う赤いイデア体に目を奪われる。人によってイデア体の性質は異なるらしい。


 


 「まずはイデア体を……だして」

 ヴェロニカは赤い槍を弄りながら言う。イヴは言われた通り精神を集中させる。


 「………………どうやるんだっけ?」そういえばそうだ、イヴはイデア体を自分の意思で出したことはない。


 「意外に……アホだ」ヴェロニカはイヴの天然に呆れる。すると人指し指を手のひらにつける。


 

 「慣れないうちは……こうすれば良い」イヴは言われた通り、人指し指を手のひらに当てる。その瞬間、体を何かにはい回られているかのような、あの感じが戻ってきた。発生した銀色のイデア体はなついた生き物のようにイヴの体に纏わりつく。


 


 「前に出した時と少し違う」イヴは違和感を感じた。僅かだが、イデア体に生気がないと言うか、前見たときより動きにキレがないのだ。


 

 「イデア体は使用者の……感情に……左右される」興味深い、と言うことはアザゼルの時のイデア体は憎悪の塊と言うことだ。


 

 「なるほどね、じゃあ、ヴェロニカさんのようにするにはどうすれば良いの?」イヴは気になっていることがあった。それはアザゼルもヴェロニカも共通してイデア体でしっかりとした武器を作っていることだ。


 「ヴェロニカ、ここにいたのか」扉が開き、知らない男が割り込んできた。堅いスーツ姿に眼鏡、見た目だけでどんな人間か大体予想がつく。


 「バアル……何の用?………」


 「新戦力の確認にきた」バアルはイヴを愛想の欠片もない目で睨む。ローファーが四角い空間に控え目に響く音を立てこちらに向かってくる。


 「君、名前は?」


 「イヴ……」イヴはそよ風にも掻き消されそうな声量で答える。


 

 「私はバアル、一応ここの頭脳だ。よろしく」出された手の指はペンダコが異常に膨らみ、特アのどのポストにいるのかを物語っている。


 「どーも」とイヴは当たり障りのない受け答えをする。


 

 「ヴェロニカとアギトは信用に値する。だが敵は意外に近くにいるものだ。気を付けるんだな」


 バアルは意味深長なことを吐露し、ポケットに手を突っ込んで、そのまま帰っていった。



 イヴは特ア内は意外に統率が上手くいってないのかと勘ぐってしまう。


 

 ヴェロニカは考え事で上の空のイヴに向かって手を叩く。


 

 「どこまで話した?……そうだ……変質的武器構築まで……大切なのはイメージ……イデア体はそれに従ってくれる」イヴとヴェロニカはいつの間にか生徒と教師のような関係になっていた。イヴは頭で剣をイメージする。


 


 なるべくオーソドックスで平均的なヤツ………鋭利で穂先は尖っている………………アザゼルの胴体なんて簡単に貫通するぐらい。


 


 

 なぜか集中出来ずに血圧があがって頬が熱で赤くなる。


  

 「……目をつぶって」イヴはヴェロニカの指示に従い、目をつぶった。するとさっきのイメージがより鮮明に頭の中で形作られていく。


 右手に何かが収まる感覚がした。目を写すと、白銀の剣が光沢を放ちイヴの手に席巻している。


 

 「イヴ……どっち利き」


 「え~っと、両利きなんだけど」


 「やっぱり……筋肉量は少ないけど……左右均等……イヴ、もうひとつ出して」


 イヴはすぐさま従う。イヴはヴェロニカに師としての素養を感じていた。左手にも剣を出すと、バランスが取れてしっくりくる感じがする。


 

 両手に白銀の剣を携え、髪の毛と回りを浮遊するイデア体が荘厳さを作り出す。


 

 「上出来……」ヴェロニカは笑顔を初めて見せる。普通の人間の笑顔の何倍も価値があるように感じた。 


 「今日は……ここまで」


 


 


 


 


 


 

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