Chapter.3

授業がすべての終わり、イヴは席を立ち帰る準備をする。すると、レイブンの姿が見当たらないことに気づいた。オロバスも居ないことを考えると、二人は多分あそこにいるはずだ。イヴは教室を出て、右に曲がりエレベーターを通りすぎる。この先にガラス張りで王都が一望できる場所がある。そこはオロバスのお気に入りの場所だった。二人の話し声が聞こえる。その時、二人は自分が居ないときどんな話をするんだろう、と疑問がわいてきた。イヴの中で罪悪感と好奇心が戦っている。熟考の末にイヴの出した答えは、二人の会話を盗み聞くことだった。勝ったのは好奇心であった。


 


 「二十キロ先で、イデア体の発生を感知した」


 


 「ちょっとその話はここでしないって約束でしょ」


 

 「お前も感知が出来ればこんなことは言わなくて済むんだ」


 

 「ハイハイ、んでどんな状況?」


 

 「一人、比較的小さな気配が消えた。

 恐らくリャノーンだ。そして、アザゼルにストリゴイと特アの幹部クラスが二人」


 「リャノーン、可愛そう。まだ子どもだったのに」


 「敵に情を移すな。それにあれはもう腐っていた。それよりストリゴイの方が厄介だ」


 


 「どうするの、殺す?」


 

 レイブンがそう言うと、オロバスは眼鏡を外し王都を遠い目で見据える。


 

 「ああ、フィダーイを潰す……」




 イヴの唇は青ざめる。この間にわからない固有名詞が何回出てきただろう。確かにわかったのは死ぬとか殺すとか野蛮な言葉が入っていたことだ。イヴは思った、ひょっとして私は開けてはいけないパンドラの箱を開けてしまったのかもしれないと。


 


 イヴは気付けば急ぎ足で帰路についていた。いままであんなに走ったことはない、そのせいで肺は爆発しそうになっている上、脳付近の血管の波動が鼓膜まで響いてきて気持ち悪い。


 

 イヴは自分の家に帰ってきた安心感で、玄関で立ったまま固まってしまった。目頭が熱くなった、ああ泣いちゃう、私って本当に弱虫だ。イヴは自己嫌悪に陥ってしまう。



 「もう寝よう」


 

 イヴは現実から逃げるようにベッドに飛び込んだ。


 


 イヴは滴る涙をそのまま無視して寝ようとした。その時、扉がノックされた。十中八九レイブンだろう。


 

 イヴは心の整理がつかないので居留守を使うことにした。だが、不思議なことにノックは数分間続き、止まっては鳴るを数回繰り返す。レイブンじゃないとすれば、またストーカーかと勘ぐってしまい途端に恐怖に襲われる。


 


 騒音が収まって数分で緊張した感情がもとに戻りで一気に睡魔が襲ってきた。


 イヴの瞼が閉じかけた。


 

 「居留守は感心しないな」男の声が鼓膜を揺さぶる。


 目を開けると朝に目があった特アの男がいた。白い肌は変色し普通の肌色になっているが男の幼子のようなの目ではっきりと断言できる。


 


 イヴは思わずベッドから転げ落ちた。


 

 「あんた、だれよ?」睡魔が一気にさめてしまった。


 「特アのアザゼルと言うものだ。君に用がある。アルビノの君に」アザゼルは綺麗な人指し指を立てる。


 最悪だ、やっぱりバレていた。ああ、私はどうなるんだろう。イヴは寝室の窓が開いているのに気づいた。物音ひとつ聴こえなかった、目の前の男のすべてに畏怖を感じる。


 

 「私は……アルビノじゃない……」苦し紛れの嘘で誤魔化そうとしてもダメなのはイヴもわかっていた。


 


 「多感な時期のようだな。泣いてたのがバレバレだ」男は薄ら笑いを浮かべる。イヴは自分の化粧が涙で剥げていたのに気づいた。


 

 「私をどうしようっての?」怯えが口調を乱暴にする。アザゼルは眉ひとつ緩めずに、終止静かに笑っている。


 


 「変な噂を鵜呑みにしているな。別に身体実験に使う気はない。まあ、それよりひどいかもな。でも、いずれそうなる運命だ」アザゼルは淡々とそう言う。初めて会ったはずだがこの男の冷徹さは第六感にひしひしと伝わってくる。


 

 「あんたは何しにきたの?」


 

 「君を救いにきた」


 

 この男、人の目線で話す気あるのか、とイヴは不信感を抱く。


 


 「何から救うって?」イヴがそう言うと男はまたうっすら笑みを浮かべた。


 


 「君の友達に独り暮らしはいるか?」


 


 男はつかぬことを聞く。確かにいるには、いる。レイブンもオロバスも同じ集合住宅に独りで住んでいる。


 

 「いるけど……それが?」


 

 「そいつらは……アサシンだ」


 

 イヴの頭で脳細胞が繋がる音がした。言われてみれば、さっきのレイブンとオロバスの会話がアサシンの話だと言われれば納得できなくもない。


 


 「思い当たる節があるか」


 


 「そんな……」


 信用できる人が世界から完全消えてしまった。


 「なぜアサシンが近くにいるとわかったの?」


 

 「アルビノは優秀な兵器になる。俺も彼らも君が欲しいんだ」


 私が兵器、イヴにはアザゼルの言っている意味がわからなかった。


 

 「わからないか……手を出して」


 

 男はイヴの腕を掴んで袖をまくり、人指し指を手のひらに当てた。その時イヴは手のひらから、何かを入れられているような感覚に襲われた。手のひらは次第に青白い光を発し始め、それは手の血管に伝染していく。驚きのあまり、イヴは悲鳴をあげる。


 「ちょっと何これ?!!」


 

 「イデア体防止機構を解いた。君の中のイデア導体が反応している。初経と精通みたいなものだ」アザゼルはイヴの気も知らず飄々ひょうひょうと説明する。


 「ホント、最悪」


 青い光は右腕から血管を辿るように胸の心臓まで延びた。その瞬間全身の血管が青く光り浮き彫りになった。


 

 「う~、体がムズムズする」


 

 イヴは体に違和感を感じる。下腹部が何かにはい回られているような感覚だ。違和感が消えた、そう思った瞬間、全身から銀色の液体のようなものが放出され、イヴの回りを浮遊しだした。


 

 「これは、一体?」銀色の液体は形を保つことなく、うねり続ける。イヴはこの未知の物質に目を奪われた。




 次第に、イヴの体から青白い光は消え、銀色の液体は無数に分離し空気に還った。


 


 「今のがイデア体だ。これがイデアの本当の正体だ」


 

 「でも、それとこれとがなんの関係が……」イヴがそう言おうとしたときに一階の扉がノックされた。


 

 「イヴ~」


 レイブンだ、まずい、この男に感づかれたら、レイブンは殺される。気付けばアザゼルが殺気を帯び、空気が淀んでいた。


 

 「誰だ?」


 

 殺意を内包した眼まなこがイヴを捉える。


 


 「ただの友達……逃げないから、出ても良いでしょ?」


 


 「良いだろう……ただし逃げようなんて考えるな」


 

 思っていたより以外にあっさりいけた。イヴは早足で階段を降り玄関の戸を開ける。


 

 「イヴ、ちょっと大事な話があるの」かしこまるレイブンに話の内容が見えた気がする。


 「ゴメン……今日は疲れた。明日で良い?」イヴは具合悪いふりをして必死に帰そうとする。


 「ダメ、本当に大事な話」


 


 ーーレイブンお願い帰って、じゃないと、特アに殺されるーー


 

 イヴの悲痛な叫びは聞こえる訳もない。


 「だから、明日でも良い?」イヴはイラつくふりをする。


 「取り敢えず入る」レイブンの後ろからオロバスが割り込んできた。


 「ちょっと!」怒るイヴに目もくれずオロバスは人の家の居間に向かう。収拾がつかず思わず叫びたくなる。


 イヴは作戦を変更し、早いとこ話を聞いて帰ってもらうことにした。


 


 「相変わらず一人で住むにはでかい家だな」オロバスは気楽に冗談を吐いている。今日ほどオロバスに苛ついたことはない。


 居間の四角いテーブルにイヴは渋々、三人で座った。


 「で、何? 話って?」イヴは催促する。


 

 「イヴは覚えてる? クルスのこと?」


 突然、昔の話をレイブンがし始める。


 

 「忘れないよ。親代わりだったもん」


 

 クルスはイヴの育ての親だ。寡黙でいつも無表情だったのを覚えている。イヴは五歳の時に母を無くした。その時からクルスがイヴの親代わりになった。記憶が確かならあのときクルスは十七歳だったはずだ。だが、イヴが十二歳の時にクルスは失踪した。今となってはクルスと言う名前が本名だったかも怪しい。


 その後は、イヴの短い人生で一番辛い時期が始まった。泣きながら、眠りにつく毎日、孤独で前が見えなくなる。レイヴンとはクルスの失踪以前から仲が良かったがその頃から彼女の存在がクルスを潰し肥大していった。


 

 「あの人のこと。お願い、落ち着いて聞いて」イヴは神妙な面持ちで頷く。今思えば当事、十七歳のクルスがイヴの親代わりになるなど、その時点でおかしい。


 


 

 「いい? あの人はアサシンなの……そして……あなたの母親も」


 

 今までのすべてが虚構に見えた。ずっと誰かの作った物語を歩かされたみたいだ。クルスも母さんもレイヴンでさえ今だにだれかよくわからない。私は置いていかれている。


 

 「嘘……もう無理、そんなこといきなり言われても」度重なる真実にイヴの脳はついていけなくなりつつあった。イヴは頭を抱え込み、逃げ出したくなった。


 

 「わかるけど、本当に大事なのはここから……」


 

 レイブンがそう言いかけたとき、オロバスが急に立ち上がった。その目は何かを警戒し怯えているようだ。


 

 「どうしたの?」


 レイブンがオロバスに聞く。オロバスは眼鏡を外した。


 


 「微弱にイデア体の反応がする」


 


 「距離は?」オロバスは上を向く。そして、疑念の目でイヴを見つめる。


 


 


 「…………真上だ!」


 


 

 オロバスがそういった瞬間、天井が突き破られた。爆風に体を持っていかれそうになった。粉塵の舞う中にかすかに青い粒子が混ざっている。


 

 「オロバス!」レイブンの声がした。イヴの視界は埃に遮られた。イヴは仰向けに倒れた体を起こそうとする。その時に何かを重くて柔らかいものが自分のお腹にのっているのに気づいた。


 「……うぇえ!!」


 

 イヴのお腹にのっていたのは人間の前腕だった。


 

 すると、誰かに肩を掴まれた。


 


 「イヴ、あんた騙したわね!」レイブンは恐ろしい喧騒でイヴの胸ぐらを掴んだ。


 


 「レイ、待って! 私はどうにかしたくて……」イヴは服の襟を物凄い握力でつかむレイブンの手を包んだ。爆発のようなレイヴンの怒りにイヴの瞳は潤うるんだ。


 

 「逃がしはしない」青い光が近付いてきた、怪しく光っていたのはアザゼルの手のひらだった。


 

 アザゼルは右手にエストックを構築し躊躇わずレイブンに向かって斬り込もうとした。その瞬間、レイブンの目の前に緑の膜が現れアザゼルの斬撃は金属音を立てて弾かれた。


 

 「レイ、お前は逃げろ。二人で戦ってもこいつは殺せない」オロバスがそう言った。前腕は吹き飛び、体も裂傷だらけで死にかけている。


 

 レイブンは躊躇わなかった。固く握ったイヴの服の襟を雑に離し、居間のガラスの扉を叩き割って視界から消えた。


 

 「生きてたか。首筋を狙ったんだけどな」


 アザゼルは軽くそう言った。


 

 「五秒ぐらいなら稼げるかもな」オロバスは諦めたようにそう言うと、言葉にしようがない笑顔をつくった。


 

 「無理だな」


 そこから一秒もたたずに、オロバスの首が宙に舞った。イヴの目はオロバスをとらえ続ける。


 

 オロバスの今まで言った、くだらないことが恐ろしく遠く感じた。ああ、人ってこんな風に死ぬんだ。胸が苦しくなってきた、何かが体の中で暴れている。初めてだこんなに感情が昂るのは、そうか、これが怒りか。頬の熱が頭に響き、膝の皿が上下する。


 

 オロバスの頭部は鈍い音を立てイヴの前を転がった。神経中枢を失った胴は三方向に血を吹き出している。まるで蛇が三匹、体から飛び出しているようだ。


 


 

 レイヴンを失ったイヴは今、独りになった。


 


 


 

 嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ。


 


 その時、イヴの中で何かが壊れた。


 

 全身の細胞から銀色のイデア体が発生しだした。前回と比じゃない量がイヴの回りを生き物のように、旋回する。銀色の粒子はイヴの指の動きに呼応し空気中を踊り子のように舞う。


 

「ふざけるんじゃねぇ。私が何をしたってんだ」イヴは今まで使ったことのないぐらい激しく声帯を揺らす。


 

 激しい憎悪がイヴの脳でのたうち回る。その情動の変化に反応するようにイヴの顔に無数の銀色の線が入り、戦化粧のようになった。


 


 獣のように殺意に任せて、イヴはアザゼル向かって、突進する。


 

「この気配……」


 


 アザゼルから笑みは消え、影を帯びる。このときアザゼルは一瞬、狼狽えたような顔をした。


 


 イヴはなんの型もない、原始的な攻撃を仕掛ける。だが、それを補助するようにイデア体がアザゼルに追撃を加える。一撃でアザゼルは二階の天井まで突き破り、一面に広がった、屋根の上に出た。それを追うためイヴもイデア体に乗り、屋上に出る。屋上はまるで巨大な闘技場のようで、イヴの殺意に油を注ぐ。


 

 「しねぇーー!」イヴは手を振りかざす、それに呼応し銀色の液体は一瞬鋭く形を変えて、アザゼルに向かっていく。


 


 「化け物……だな」アザゼルはイデア体を構築する。腕に収まったのは、普通のブロードソード。アザゼルはイヴのイデア体を一振りで吹き飛ばす。イヴも負けじとしつこく攻撃を仕掛ける。完全に防戦一方のアザゼルにイヴの激しすぎる殺意が焦らせ、仕留めきれない。


 


 アザゼルが宙を舞う。イヴはここだと思った。


 手のひらをアザゼルに向ける、するとアザゼルを囲むようにイデア体は突っ込む。


 時間が遅く感じ、殺意は最高潮に達した。その時、アザゼルはイヴに向けて同じように手のひらをさらす。


 


 「お前は俺のものだ」アザゼルの手のひらは青く光り、次の瞬間イヴの目の前に一瞬で移動してきた。


 

 アザゼルのブロードソードはイヴの体を貫いた。痛くは感じなかった、もうこれでも良いという諦めのような感情に支配されていたのだ。


 


 

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