Chapter.2


 「アザゼルはどこへいった」緊張で今にも爆発しそうな重役会議室にヴァジュラの怒号が鳴り響く。


 「はぁ、気づいたらどこかに……」阿呆みたいな理由だが、本当だからしょうがない事実とは実にめんどくさいものだ。そんな憂鬱に日々耐えるのも仕事のうちとアギトは割り切っていた。


 「オフィサー・アギト、隊の管理はどうしているのですか?」幹部のディアーナの辛辣な目がアギトを捉える。満面の笑みだったが、目の瞳孔は完全に閉じている。


 

 「笑って許してくれませんかね?」

耐え難い沈黙が割り込むと、アギトも沈黙を被せる。


 「オフィサー・バアル、呼び出された理由?……」この沈黙に助け船を出したのは、隣に座っていた同じく幹部のヴェロニカだ。


 

 「ああ、最近の報告書に異様な共通項があるんだ」会議が発進して、ひとまずアギトは危機を脱した。


 「共通項?」アギトは会話を繋いでしめしめと会議を進める。


 

 「皆も気づいてるだろうが、最近のアサシンの行動には計画性がない、非常に突発的で衝動的だ」首脳のバアルは説明の合間に他の幹部の顔を見る。


 

 「これは私の仮説だが、アサシンには派閥が出来つつある。恐らく、第零階層レイヤーゼロを我らが捕縛しているからだ」第零階層レイヤーゼロとは特アが捕縛している、現在確認されているアサシンの中でも傑出した強さの化け物である。第一階層レイヤーワン以上のアサシンには特ア内で特別な名前がつけられる。嘲笑や畏怖などの意味を込めてつけられ例えば、第零階層レイヤーゼロは別名亡霊ファントムと呼ばれる、無論畏怖を込めて。


 「リーダー不在の暗殺集団か。でもなぜ、今になって分裂が起きるんだ。ファントムが投降したのは五年前だぞ」アギトは素直な疑問をバアルにぶつける。


 

 「わからん」バアルは正直に言った。その瞬間会議室という空間の温度が一気に下がったような気がする。


 

 「ひとまず、シーカー部隊を再編する必要はあるようだな」長机に肘をついて、ディアーナが言う。アギトが苦手とする人の序列ではこの女は二番目だ。


 

 「アザゼルを中心にシーカーを再編しよう」ヴァジュラは渋々ながら、アザゼルをたてる。本人の意思とは関係なくなくアザゼルは特アの主戦力である。


 


 「オフィサー・ヴァジュラ、キャラペイス刑務所の警備を強化すべきです」キャラペイスとは、第零階層レイヤーゼロを捕縛する為だけの施設で最高レベルの国家機密である。


 


 「バカ言え、これ以上警備の強化は無理だ」ヴァジュラの言い分もわかる、もうすでに特アの全戦力の三分の一をキャラペイスの警護に使っている。これ以上本部の戦力を痩せさせるわけにはいかない。


 

 「ですが、正統派のアサシンが今一番すべき事はリーダーの奪還です。恐らく、年内にも戦争をしかけてくるかもしれない」聞く耳持たぬ重鎮にバアルは怪訝な顔をする。バアルは規律を重んじすぎる一面がある。形式ばったものが好きで、それが一番組織を強くすると思い込んでいるのだ。


 

 「それより、新聞社に情報を漏らすな。今をもって、このタワーを関係者以外立ち入り禁止にする」ヴァジュラが警笛を鳴らす。アギトはもうデリバリーを頼めないことに絶望して液体のように長机に顔をうずめる。アギトは反感を覚える。だが、それを口には出さなかった。幹部の中で一番の重鎮に口答えしたら、面倒な上、所帯を持つ自分としてはこれからの人生は展望より安定と割りきり始めていたからだ。


 


 「じゃ、僕は巡回に行ってきますんで」


 「ああ、そうしろ。あとアザゼルに伝えろ。協調を乱すものに昇進はないとな」


 

 「ご冗談、奴はそんなことに興味はありませんよ」ヴァジュラが眉間にシワを寄せたのをしっかりと確認して、アギトは会議室を出た。


 「隊長、怒られた?」死角から子憎たらしい笑顔を浮かべたミアが現れた。女とは思えないほど短い金髪が戦う女の威厳を発する。


 「怒られたけど何か?」


 「まあまあ、イレーナさんに慰めてもらいな」最早、上司と部下というヒエラルキーは破綻していた。始まりは敬語の消滅だ。そしてとうとう家庭の事まで話のネタになった。だが、それを咎めなかった自分の身から出た錆だ。


 

 「アザゼルも真面目に生きてれば。今頃、安泰なんだけどな」アザゼルはアギトと同い年だ。その上、自分より強いアザゼルが部下というのはとんでもなくやりずらい。


 「はは、隊長も言えないだろ。ヴェロニカさんに聞いたよ。昔、相当尖ってたらしいじゃん」


 「若気のいたりだ」過去の悪行を一言で片付けようとしたら肩に誰かの手が触れた。


 「アギト……」肩に触れた手の主はヴェロニカだった。身長差のせいでアギトの上半身は下に引っ張られた。


 「センパイ、さっきは助かりました。でも、気配消して背後とるの辞めて下さいよ」


 「ごめん……」ヴェロニカは可憐な容姿に似合わず、影を帯びる。特ア特有の形式ばった制服の袖は長めに延長されていてヴェロニカの手の甲まで隠れていた。理由は日々のアサシンとの戦いによるストレスでリストカットした事があるからだ。ヴェロニカの特ア内の強さの序列は三番目ぐらいだ、少なくともアギトより強いのは確かだ。


 

 進行形でヴェロニカは落ち込んでいるように見えるが、長年の付き合いのアギトには、ヴェロニカの機嫌を読み取るのは楽勝だった。


 「どうしたんです 機嫌良さげじゃないですか?」アギトが訊くと、ヴェロニカは顔を赤らめて、髪を弄りだした。ミアは機嫌よかったんだと呆気に取られている。


 

 「アザゼルに……ごはん……誘われた」


 

 アザゼルが女に興味があった、というかそんな感性を持っているとは思っていなかったアギトは、恐ろしく驚いたが脳内でヴェロニカとアザゼルが並んでいるのを想像すると、以外にお似合いじゃないかと笑いだした。するとミアは急にしおらしくなった気がする。そういう話が好きなミアにしては珍しい。 


 

 「センパイ、それいつですか?」


 「今日……」


 「さすが、デート日に仕事をボイコットするとはな」


 「アギト……巡回行く?」


 「はい、センパイもですか?」


 「うん……最近……物騒」


 「久しぶりに一緒に行きますか?」

 ヴェロニカは小さく頷いた。


 「私も付いてっていい?」ミアがそう言うと、アギトは首を横にふる。


 「お前は報告書を書くんだな。ついでにアザゼルのも」ミアの罵詈雑言を無視して、嘗ての上司と部下は横並びに歩き出した。


 


 


 「最近……アサシン……変」

 ヴェロニカがそう吐露するのも無理もない。第零階層レイヤーゼロを特アが捕縛してから、アサシン内部の勢力に翳かげりが見られる。

アサシンは通常、皇民には殆ど手を出さないはずだが最近は、皇民の変死が急激に増えた。恐らくリーダー不在の状況が組織を分断したのかもしれない。


 

 「ファントムが投降してからおかしくなりましたね」圧倒的な存在の損失はアサシンにとっても皇民にとっても痛手となった。なら、俺たちはなんのためにいるのだ。アギトは己に問う。



 「アサシン……抑止力必要……」抑止力、アギトは嗤いそうになった。アサシンという嘗ての抑止力が、抑止力を欲するという矛盾にだ。


 要は組織とは微妙な天秤のようなものということだ。


 


 


 「俺たちがそうです」アギトが思ってもないことを言った。



 


 「……まだ足りない」アギトは心配になる。ヴェロニカが過度な責任を背負おうとしている気がした。どこを捉えることもない眼の中に哀愁が溢れている。




 二人はエレベーターに乗り、タワーの屋上に亜高速で上がる。


 


 屋上に上がると、待っていたかのように大気圧が体を撫でてくる。天気は曇り以上晴れ未満。


 

 五十メートル四方の屋上から二人は勢いよく飛び出して、重力と地面に挟まれた関節をゆっくりと休ませる。


 

 アギトは最近気付いたのだが落ちる速度に体重は関係ないのだ。


 

 地面が迫ると二人はイデアを使って、地面にぶつかる威力を半減させる。地面と言っても、高層化した上、密集した建物の屋根だ。


 


着地ランディングはイデアコントロール能力が試される。アギトは両足を同時につけると、コンマ一秒遅れてやってくる足裏の痛みに耐える。これは一部のイデアコントロールが下手な人間達に


 

 電気が走ったエレクトロニックセンセーションと呼ばれている。


 


 

 悶えるアギトを横目に見つつ、ヴェロニカは悠々と地に足をつける。


 

 「アギト……下手……」


 「センパイが上手すぎるんですよ」アギトは膝を撫でながらグダを吐く。ヴェロニカは商業区の方角を指差す。


 


 「あそこ……」ヴェロニカはそう言って、制服のチャックを開き腕を袖から出し、羽織る。制服の下は、ノースリーブで白地に肌に密着した戦闘服を着ている。初めて見たときの衝撃たるや男心無しには語れない。


 

 「脱ぐのはやいっすね」なにも言わないのは変な感じがするので冗談のつもりでアギトは言った。


 「悪い?……」アギトはヴェロニカのイラつきを感じ取る。アギトはいいえ、と目を合わせずに言う。


 


 「どうして、商業区なんですか?」


 

 「こないだ……変死体……見つけた」

 それを聞いたアギトは肩甲骨を動かし筋肉を解し、頬を叩く。


 「じゃ、行きますか」そう言いきるか言い切らないかのところで、ヴェロニカは、走り出した。アギトは千切られないように付いていくだけで精一杯だ。全く後ろを見ないヴェロニカに変わってないな、とアギトは微笑んでしまう。


 


 王都はゆっくりと着実に変化している。目に見える変化としては何より足場が増えた。イデアは光さえ生み出しこの町には夜はなく、眠らなくなった。建物の平均の高さは約十五メートル、半世紀前にはあり得ない数字だ。特ア本部とアカデメイアは王都を象徴する二大巨塔で圧倒的な存在感である。そして、特ア本部のすぐ後ろには皇区と呼ばれる。皇帝と富裕層が住まう場所がある。要はそこが正統派のアサシンが狙う獲物たちの温床である。


 

 皇区の腐り具合は周知の事実、だが、皇区が衰退すれば皇帝の力が弱まる、そうなれば他の皇帝属州が皇都奪還という大層な常套句を引っ提げてクーデターが起きる。財政悪化の貧困で死ぬ人間の何倍もの人間が


 


     ーー一瞬ーー


 

              で死ぬ。


この問題は簡単には割りきれない。イデー教の信徒であれば話は早い、人を殺めるのは全てにおいて悪だ。


 

 アギトは無神論者だ。でも宗教を否定はしない、人はすがりたいときもある。だが善悪の境界を神に渡すのはーー正しいーーことなのだろうか……。


 

 アギトはそうは思えない、善悪の呪縛に苦しむのは自分の課題であり終わらない命題なのだ。アサシンと特アの間に神の入る余地はない。


 


 「ちょっと……待って……」

 先頭で風を切っていったヴェロニカは突然立ち止まった。


 耳に手を当てて目をつぶる。ヴェロニカの聴覚は異常に発達していて、常人には聞こえない音が聴こえるのだ。




 

 「この周波数……泣き声?」

どうしました、と訊ねるアギトを無視してヴェロニカは建物の間の路地に降りていった。


 それを必死で追う、アギトを尻目に入り組んだ路地を駆け抜けていく。昼間だというのに光は差し込まず、夜のような暗がりだった。アギトは冥府の末端にいるかのような漆黒に進もうとする足を抑えたくなる。


 


 

 数分の疾走を経て赤いシルエットは動きを止めた。



 「センパイ、どうしたんですか?」


 

 「子供……落ちてた」目が慣れてきて、ヴェロニカの隣にいる子供を認識できた。金髪に少し古風な出で立ちで、良いとこのお嬢様と言った気品がある。


 「センパイ、子供は落ちてたとは言いません」


 「おい……子供……名前は?……」暗がりに照らされた上にヴェロニカの独特な音韻の取り方に彼女は明らかに怯えていた。


 「リャノーン……」彼女はそう名乗った。異常なほど蒼白な顔色にアギトはぎょっとした。


 「君、親はどうした?」


 「はぐれた」


 「来た道覚えてるか?」リャノーンは頷いた。


 「案内……して……」アギトはヴェロニカに怯えるリャノーンをみて見ぬふりをしていた。


 

 リャノーンに先導させ、人気のない路地を歩いていく。大通りに人が溢れかえっているかわりにこういう路地の過疎化が進むのだ。リャノーンの進む道は入り組んでいて明らかに覚えられるものではない。恐怖のせいで記憶の齟齬そごが起きているのか、それとも……。入り組んだ路地が集まって、少し広くなった広場に出た。雨など降っていないのに全体的に湿っている。



 「何……この音……グシャグシャ……柔らかいものと固いもの……擦れている?」ヴェロニカがそう言ったと同時に人間の痰たんを切るような音が聞こえた。



 「リャノーンてめぇ。筋肉質は嫌いだっつってるだろ」黒いローブに身を包み手袋をした人間がいる。鼻は尖っていて、目は人間とは思えない程見開かれ、血のついた唇に逆立った髪の毛が悪魔のようなフォルムをつくっている。だらしなく座って、何かを食べているようだったが、この死臭と散乱した衣服を見る限り人間の肉に違いなかった。


 


 

 「ごめんね、でも、二人つれてきたよ」媚びへつらうように謝るリャノーンに強烈な違和感を感じる。


 


 

 「あほぅ、そいつらの制服を見ろ。どう見ても特ア部隊だろ。めんどくせぇ仕事ばっか増やしやがって」アギトは男が状況を認識して、まるで恐怖がない様子に大仕事が舞い込んだことを悟った。


 


 次の瞬間、リャノーンの腕から霧のようなものが発生、それらが集束し、幼女の体躯に合っていない程巨大な鎌が現れた。そしてリャノーンは躊躇なくアギトに向かって凶器を振りかざした。幼女の目には狂気が溢れ帰っている、子供のアサシンとの接触コンタクトは非常に珍しい。少なくともアギトには初めての経験だ。


 

 「じゃあ殺して食べやすくするね」


 


 リャノーンがそう言った瞬間、ヴェロニカの掌底が炸裂し、幼女の体は数十メートル吹っ飛んだ。


 

 「次は……お前……」ヴェロニカは黒装束の男を指差す。男はそれを聞いて高らかに笑いだした、恐らく人間を食べた事でクール-病を罹患している。別名笑い病、通常この病気を発症すれば、歩行は愚か呂律も回らなくなるはずだ。この男には不確定要素が多すぎる、アギトの脳裏に嫌なイメージが錯綜する。




 「センパイ、イデア体を出しましょう。こいつは普通じゃない」アギトはイデア体無しで戦おうとするヴェロニカを止めた。イデア体とは特アとアサシンが使う武器であり、イデアの真の姿である。


 


 「必要ない……」


 

 ヴェロニカは、アギトの忠告を無視し、近接戦闘を仕掛ける。ヴェロニカの殴打は共に、綺麗にいなされる。男には関節という概念が存在しないかのような動きで、体をくねらせる。ヴェロニカの戦闘力は特筆ものだが、それをいなすだけでなく攻撃の隙さえ作り、紙一重で防御、攻撃をする勘の良さ、明らかに戦い慣れている。この一瞬の接触コンタクトでアギトはこの男が第一階層レイヤーワンクラスであることを確信した。


 

 「ああ、あああ、喉がいたい。しかも奥歯に皮が挟まってやがる」


 

 息も乱れない、命のやり取りをしている最中とは思えない言動に加え、このふてぶてしさ。


 

 ヴェロニカはこの戦いは拮抗しているのではなく、拮抗させられているのに気づき始めた。


 

 「センパイ、もういいでしょ。プライドは捨ててください」


 

 この男はアサシンのリストにはない無名の食人鬼だ。そいつに本気を出したくない、そんな自尊心で死にたいのか、アギトは憤りを覚える。


 

 「わかった……」


 

 ヴェロニカは、舌打ちをして、掌を開いた。拳の回りに赤い粒子が発生しそれらが収束すると、異様に細く赤い槍がヴェロニカの手に収まった。これがヴェロニカのイデア体である。


 

 「近接型、槍、歩行7、空中3」


 

 ぶつぶつ何かをいいながら不敵な笑みを浮かべる。男がイデア体を出さないところを見ると、ヴェロニカを嘗めている。これで終わったな、アギトはそう思った。


 


 ヴェロニカはつま先に全神経を集中させ、風切り音をならしながら男に突っ込んだ。槍は途中で、ヴェロニカの手を離れ、穂先は男の心臓を貫き、突き抜けていった。男の誤算は、ヴェロニカの槍は投擲用だったことだ。男の臓器を旅したヴェロニカの槍は分解され空気と同化していった。


 

 「死にたいんですか?」


 

 憤慨する、アギトの姿をみて、ヴェロニカは初めて自分の醜態を自覚した。


 

 「違う……私は……」


 「もういいです。今日のところは帰りましょう」


 「ゴメン……許して……」


 身体的強さと心の強さは比例しない。この人を見るとアギトはいつもそう思う。


 「いいですよ。でも報告書はセンパイに書いて貰います」


 

 アギトは口角を緩め、冗談で、空気を変える。ヴェロニカは珍しく笑顔を見せる、影が濃い人ほど笑顔は眩いものだ。


 


 「いてぇ-な。殺す気かよ」


 

 男はまだ死んでなかった。アギトが視線を男に移すと、手には旧世代の産物が握られていた。


 「銃だとっっ!」


 

 イデア体が戦いに投入されてから、銃というものは影を潜めた。理由は単純で、戦闘の速度が銃弾より速いからだ。だがこの距離なら、まだ反応が遅れても避けられる。


 「センパイ、後ろです!」


 

 ヴェロニカも男の銃を視認した。これで大丈夫なはずだ、アギトの心に余裕が生まれる。


 

 爆音をあげ、硝煙を撒き散らし、一目散に鉛の固まりはこちらに向かってくる。音の時点で、もう普通の銃でないことはわかった。だが、遅かった、気づいたときには銃弾はヴェロニカを突き抜けてアギトの目の前を通過していった。


 

 「センパイ!」


 

 ヴェロニカのヘソのした辺りに綺麗に銃創ができている。幸い、銃弾はしっかり胴体を突き抜けたようだ。最悪な場合骨に当たり銃弾が砕けるとこの上なく厄介になるのだ。


 

 出血の量からして、早めに決着をつけなければいけない。ヴェロニカがイデア体を出したことでアギトの回りのイデー値は軒並み低く、イデア体を充分に集められそうにはなかった。


 

 「これが限界か」


 

 アギトの腕には、ダークと呼ばれる小型の剣が構築された。


 

 「近づかせしねぇーよ」


 

 アギトに銃口が向けられた、さっき通過した速度からすると、見切って避けられるモノじゃない。だとすれば発射される前によければいい。単純な理屈だがこうする他ない。



 ここだ、そう思った瞬間、硝煙が舞った。アギトは銃弾が発射される前に横っ飛びする。予想通り通過していった銃弾は全く見えない。撃ったかどうか錯覚する程の速度だ。


 

 狙いは懐には入り下腹部にこの短剣を突き刺すそれだけだ。

 懐まで後少し、銃口はこちらを向き始めている。恐怖だ、死が近づいている。


 

 「動かないで!」


 

 後ろから声がした。振りかえると、倒れたヴェロニカの首筋にリャノーンが鎌を構えていた。


 

 「動いたら、この女をバラすぞ!」


 

 リャノーンの口調は殺人鬼らしく豹変した。


 しかも銃口にもう補足されているはずだ。終わりか、後ろから撃たれてチェックメイト。



「イレーナ、悪い帰れそうにない」


 

 アギトは自暴自棄になり、帰りを待つ妻に謝罪する。


 それでも俺は兵士だ、このままなら二人とも犬死にだが、目の前の腐った幼児位ならまだ俺にも殺せる余地がある。


 


 「死にたくねぇ~な」アギトは震える心臓を落ち着かせようと必死だ。


 吹っ切れた、アギトは全霊をもって短剣をリャノーン目掛けて投げた。


 


 さぁ、後ろからドカンだろう……


 



 「君ならそうすると思っていた」


 

 聞き覚えのある声がした。アギトの投げた、短剣はリャノーンの脳天に突き刺さったと同時に銃声がなった。だが、恐怖はない。何故なら死なないという確信があったからだ。


 

 振り替えるとアギトの目の前に、見覚えのある白髪の男がいた。



 男が嬉しそうに手でつまんでいるのは、アギトを貫くはずだった、銃弾だ。


 

 「後は俺に任せな」男にしては小さく落ち着きがある声だ。今、アギトの感じている安心感は言葉に起こすことはできない。


 「ああ、頼んだぞ。アザゼル」安堵のため息をひとつ交ぜ、アギトが言った。黒装束の相手をアザゼルに一任し、アギトはヴェロニカの元へ駆け寄る。


 「……いたい……」ヴェロニカの意識は戻っていた。額には汗が溢れ、顔が青い。アギトは医療経験等なく、どうすればいいかわからない。


 

 「センパイ、銃で撃たれたらどうすりゃいいんですか?」苦し紛れにアギトは聞いた。


 


 「アホ……私に聞くな……」


 


 


 「次から次へと……痛風が悪化する」

黒装束の男は指の関節をあり得ない方向に曲げ、しわがれた笑い声をあげる。


 

 「お前、クール-病だな」


 

 「そうだよぉ。俺は病人だ労ってくれよ」


 「無理だな」アザゼルは手に青白い光を纏い、玄人のような歪な構えをとった。


 

 「俺は俺より弱いやつとしか戦わないんでな」男はそう言って、左半身から霧状に分散し消えていった。


 


 「危険を察知する能力が高い」アザゼルはため息をもらし、手が縦に振った。それによって手が纏っていた青い光が雪のように空気を舞う。


 


 「アギト、かわる」


 アザゼルは、ヴェロニカのノースリーブを胸の下まであげ患部を確認する。


 「弾は……しっかり貫通したようだ」


 「アザゼル……ゴメン……」頬を見事に染め上げるヴェロニカにアギトは笑いをこらえようと必死だった。


 


 「邪魔しちゃいけないな」冗談を吐き、アギトは周囲を警戒した。思いがけず目に入ってきたのは、リャノーンの死体だ。アギトの投げたイデア体はリャノーンの額から消え、脳の奥まで赤い洞穴をぱっくりと見せてくれる。目を開けたままのリャノーンの死体に耐えかねてアギトは額に手をかざし、目を閉じてあげた。


 

 「眠れ……」自然にそんな情に溢れた言葉が出てきた。慣れている、悲しいともさほど思わない。アギトはそんな自分が怖くなった。


 

 「感じなくなる方が楽だ」アザゼルが背を向けて呟くように言った。


 

 「そうだな」アギトはそうとしか言えなかった。実際、情に負けた同胞はみんな死んだ。それでも人間味を忘れることはない、わずかに残っている同情の機能が人間をやめることを許してくれない。


 

 「はい、応急処置完了。後は任せる」アザゼルはさっさとその場を後にしようとする。


 


 「おい、アザゼルどこ行く気だ」


 


 「アルビノをやっと見つけた」


 「何だって!?」アギトは驚嘆する。特アが何年も成し得なかったことをこの数日でやってのけたと言うのか。


 

 「こいつが役立ったのさ」アザゼルはそう言い、顔面の偽の白い皮膚を剥がした。これがアザゼルの独自の捜索方法らしい、これのせいでアギトはヴァジュラに特アの体裁が悪くなる、と言われ叱られていた。


 

 「待て、センパイを本部に運ぶのが先だ」アギトの言葉にアザゼルは応じる気配はない。


 


 「ヴェロニカさん、今日のお食事はキャンセルします」そう言って、アザゼルは去っていった。本当に人の話を聞かないやつだ。アギトは心に溢れた感謝の念が薄れたのを感じた。


 


 

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