33話 真冬のコーヒーショップ

「あれ?無かったかなぁ?」

確かこのクローゼットに締まった気がするんだが…。

最近は、戦いで間合いを使った奇襲を仕掛ける際に必要な脚の筋肉と、単純に相手に力負けしないよう腕の筋肉ばかり鍛えている。

しかし、その2つの筋肉が戦いにおいていくら重要な部分であるとはいえ、その2つだけを鍛えるにはメニューがすごく限られてくるのだ。そしてトレーニングは徐々に機械的になり、効果は薄れていく。オレはそのようになって初めて気づいたのだ。

オレは馬鹿で単純な奴さ。機械的になっちまったトレーニングを効果的にしていくには、他の場所も鍛えて、少しずつその2つの筋肉から意識を引き剥がすしかない。

そのためにオレは、この前買ってそのままやらずにクローゼットに締まったトレーニング器具を探しているのだ。

だが、結局その器具は見つからず、探すのを諦めた。

「ないんじゃあ話も始まらんな…。買いにでも行くか?」

あまり大きいのは買わなくていいよな?なら、少し軽めのを買って、気を紛らわしていくとするか。

オレは私服を着て、財布をポケットにしまうと玄関に向かった。家のドアを開けると、小さい粒の雪が、チラチラとゆっくり落ちてきて、地面に当たるとスッと溶けて消えた。

「雪が…」

いつの間に…?ずっと部屋から出てなかったから気づかなかった。

「そう言えば、明日はクリスマスイブじゃないか…」

まあクリスマスイブとはいえ、18のオレには特に特別な日でもないがね。

サンタさんには、エリーとの仲直りを手伝って貰いたいな。

「ハハッ…」

俯きながら、オレは自分で言ったジョークで笑った。

「はぁ…」

現実にサンタがいるわけでもあるまいし…。こうなってしまったのは、もともとキツい言い方をしたオレのせいじゃないか。

責任責任と言っては周囲に強くあたり、嫌な思いをさせてしまった。でも、しかたないよ。

オレやエリーの大切なジーマがハンターであったとしても、オレは奴を殺さなくてはならない。それがハンター討伐隊隊長である。愛した者から託された想いである。

叶えなくては。ウォーリーのために。いや、これ以上ハンターの犠牲者を出さないために。


街へ出ると、降る雪は一層強く降るようになった。寒さが酷いので、オレはトレーニング器具を手早く買って用を済ませると、店を出た。

「寒いな…。何か温かいものでも飲みたい気分だ」

…家からは真逆の方向だが、最近新しく出来たコーヒーショップにでも寄ろう。

オレはそう決めると、身を縮めながら目的地へ足を早めて向かった。


ここ最近はコーヒーという飲み物が急速に広まっており、コーヒーショップだって、少しずつではあるが徐々に増えていっている。

初めて飲んだとき、飲み慣れた紅茶と比べると味は劣っているように感じたが、渋みよりも苦味を楽しむ飲み物とは新鮮で、ついつい飲んでしまうのだ。

目的地のコーヒーショップに着くとドアを開けた。長居をするつもりもないので、そこから1番近い椅子に座った。すると、

「あれ?隊長?」

突然後ろの席から女に声をかけられたので、オレは頭だけを動かしてその声の主の方を見た。

「君か…。副隊長?」

オレが身体をあちらに向けて溜息混じりに呼びかけると、彼女はニッと笑った。

「大会に向けてトレーニングもいいですけど、たまには討伐隊の方にも顔を出してくださいね?私が隊長の分まで仕事してるんだから」

「そりゃあ助かっているが…」

そのことはもちろん感謝しきれないほど感謝している。だが、1ヶ月同じ仕事をしていてわかったことなのだが、彼女は少し軟派な印象を受ける。

どの作戦でもよくいえることらしいが、副隊長は女が多いらしい。しかし、少しでも不真面目な態度をとるようであれば、もう少し堅実な感じの頼れる男の方がよいと思うのだ。

でも、頼んだ仕事はキチンとしてくれるので、彼女に仕事を頼むことも少なくない。彼女に直接そういう文句を言えるほどオレも恩知らずなマネはできんが…。さてどうかな。思わず文句が口から飛び出てしまうかもしれないね。

「名前で呼んで下さいよ〜。仲間じゃないですか」

「な、名前?」

突然名前で自分を呼べと言われたのでオレは慌てた。それは女を名前で呼ぶことがオレにとってとても気恥ずかしいことだからではない。

単純に名前を覚えていないのだ。

先ほどにも言ったとおり、彼女は軟派な女性で無駄話が多い。だからそんな話をふられる度オレは、適当に流して仕事に集中してきたものだ。だが、たまに彼女は無駄話の間にとても重要なことも挟んでくる。

例えば2週間前の真夜中に起きた殺人事件の現場周辺に、似顔絵のハンターと似た人物が目撃されたこととか(実際には違った)、作戦の進展状況を兵士長に報告するその日時とか!名前もそのうちではないのか?

だとしたらなんの問題もない。

「君が無駄話をするからいけないのだ」それでいいのだ。

「ああ…済まない。名前、忘れちまったよ。でも、君が無駄話を…」

「マジですか?女の子の名前を忘れるなんて。だから彼女も出来ないんですよ」

「おおぅ!?」

彼女の切り返しにズガーンときた。まるで心臓にぶっとい釘を打ち付けられたかのようなショックである。

「……随分と、痛いところを突いてくるじゃないか」

視線を逸らしながら、オレは困ったように頭をさすった。

「しっかりしてくださいよ。隊長は結構女性の兵士にモテてるんすよ?」

苦笑を浮かべながら彼女は、励ますように優しくそう言った。

「そうかい?嬉しいことだがね」

「私もその1人っすけどね」

「ほうら」

うんざりしたように、オレはイーっとした口で言った。彼女の頭にははてなが浮かんでいるが、そこも彼女の悪いとこだろう。

彼女は仲間がいることを提示して保険をかけることで話を切りだした。そこがオレには評価出来ない軟派ポイントなのである。

「…そういうことはどさくさに紛れて口に出すことじゃない。もっと真剣なムードで、尚且つ無駄に話を…」

「隊長って恋愛経験はなさそうだけど、結構恋愛に対しての意識が高いロマンチストなんですね」

「はぁ…」

論点はブレブレだが、彼女の会話での返答は十分評価に値するな。中々返す言葉が見つからない。

「…小説には恋愛にロマンを感じるのは最初だけと書いてあった。だから強ち間違ってはないよ。だけど1度だけ、実は1度だけあるんだ」

その言葉を、オレは口から発してから後悔した。こう言う女性は、恋愛話に敏感だとも小説に書いてあったな。それは飽くまでその作品の著者の意見で、全員が全員そうではなかろうが、彼女の場合はそうらしい。

「ええ!?あるんですか?!」

「済まない、忘れてくれ。頼むから」

「じゃ、じゃあ隊長って…」

聞いてないし!

「隊長って、○、○○○○したんですか!?」

彼女は興奮して、つい下品な言葉を叫んでしまった。すると周囲の席に座って仲間と談笑していた客が、物凄い目つきでオレ達2人を睨みつけた。慌てるのが遅かったか!?

「してないよ!?あと一応ここお店だからね!?そんな下品な言葉を大声で叫んじゃあ…」

あ、そうだった。

オレってここにコーヒーを飲みに来たんじゃないか!ならパパッと飲んで帰ろう!うん。

オレは席から立ち上がると、スタスタと歩き出してカウンターへ向かった。そしてその店の従業員にコーヒーを注文すると、カウンター席に座った。

「それじゃあ隊長…」

いやついてきてんじゃねぇか!?

彼女はオレと隣の席に座ると、仰ぐようにオレをジーっと眺めた。

「ふ、副隊長。何に対しても言えることだが、深追いするというのはあまり褒められたものではない」

「え〜〜。だって隊長私と恋バナしてたとき、ちょっと楽しそうでしたよ?」

「!?」

──え?オレが?そんな話に娯楽性を求めていたのか?

「…違うさ。どう否定していいのかもわからないけど。こういう男女での話題は、オレ達兵士には向いてないんだよ」

「そうですかねー。私は楽しいと思いますけど。じゃあ最後に1度だけ。1度だけ質問いいですか?」

彼女はピンと立たせた人差し指をオレに示した。だが、彼女はオレがそれを見てポカーンとしているのを確認すると、パンッと勢いよく両手を合わせてオレにお願いした。

「ン?」

オレは目の前に出されたコーヒーを飲みながら軽く返事をした。

「その人とのキス。どんな味がしましたか?」

「!?」

「私ってまだ、キスとかしたことなくて〜。どんな感じなのかなって」

そこからの言葉はオレの耳には届かない。

オレは彼女の質問に対して、何故か激しい憤りのようなものを感じた。別に彼女が悪いわけではないが…!

その瞬間思い出してしまったのだ。あのときのこと…。

「………」

オレのカップを持つ手が震える。彼女はそれに気づいて声をかけてくれた。

「隊長?」

彼女が顔を横から覗かせると、オレは1度天を仰いで、ゆっくりと前に向き直すと深呼吸して心を落ち着かせた。

「…ファーストキスは、血の味がした」

「…!?それってどういう」

彼女はハッとしたような顔をして、目を大きく開いた。

「許した質問は、1つだけだろ?」

「その…怒らせたならごめんなさい。思い出したくなかったですよね」

「気にするなよ。今日のこと、忘れてくれるってなら許してやる」

オレは安心させるために彼女の頭をポンポンと撫で、無理やり笑顔を作ろうとした。しかし今日ばかりはそれが出来ず、微笑むのがやっとであった。彼女の目には、そんなオレが疲弊しきっているように見えたのかもしれない。心配そうな目でオレの瞳を覗いている。

オレはコーヒーを飲み切らずに席を立つと代金を支払って、そのまま店から出ようとした。

「あの、隊長!」

背後から彼女の声がする。しかし、振り返らない。

「私の名前、マリアっていいます。えと…覚えておいてくださいね?」

そんな彼女には少し図々しさを感じたが、気にしていられない。今は、1秒でも早くここから出たい。

「努めるよ。じゃ」

最後の方は声が小さくてよく聞き取れなかったが、オレはとりあえずそっけない返事をして店を出た。


「困ったな…」

さっきよりも寒さが強くなってるじゃないか。

「…何が今日のことは忘れろだ。一か月前のことも忘れられない男が」

どうやらオレにとってキスは、相当なNGワードらしい。それは、オレの脳裏にウォーリーを救うことができなかったというトラウマがすっかり張り付いてしまったせいである。

今日は本当に寒い。でも、それでも暖かく感じる箇所が一箇所だけある。それは、

「…涙が」

オレは手のひらに落ちた涙の粒で、自分が今泣いていることに気づいた。

「グッ…!」

オレは手のひらを思いきり握りしめると、自宅へ向かって全力で駆けだした。

悔しさで歪んだ顔を、他の誰にも見せないように。

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