S#8 「アッコ」…細間 亜希子



「痛って!」


「ゴメンゴメン!」



俺に肩をぶつけながら、ひとりの女子が 全速力で廊下を走り去っていった。目的地は五年一組の教室のようだ。



「アッコアッコ!聞いてぇなぁー!」


「ちょー、そんなに慌てて どないしたんでぇなー?」


「ウチ、また男子にスカート捲られたんでぇ~!」



どうやらこの半泣きの女子は、最近男子の間でニワカにブームになっている スカート捲りの犠牲になったようである。



「またけぇな! あいつらぁー、ウチをとうとう本気で怒らしたみたいやなぁー!」



ここで威勢良くキレているのは、細間 亜希子。皆からは、アッコと呼ばれていた。


五年生ながらミニバスケット部のエースで、背も高く運動神経抜群。まさに、男勝りを絵に書いたような奴だった。


美貌とまっすぐな言動で慕われているミサコとは双璧の、もうひとりの女子のカリスマである。



「よっしゃわかった。ウチに、任せときんちぇー」



そして昼休み……まず狙われたのは、ヒガヤンだった。


その頃、小学生のズボンと言えば デニム生地の半ズボンが主流である。


足の付け根部分に両手を掛けて下向きに引っ張れば、女子の力でも簡単に脱がす事ができた。



「隙ありーー!!」


「え、えーー!?」



そしてパンツは超定番の白のブリーフ一択。トランクスはおっさんの履く物……ボクサーパンツ等見たこともなかった。


ヒガヤンは何が起きたのか全く理解できずに、下半身パンツ一丁で立ち尽くしている。



「ヒガヤン!あんたに恨みは無いけど、男子には連帯責任を取ってもらう事にしたでな。恨むなら、やりすぎた他の男子を恨みんちぇー!」



アッコはそう言い放つと、第四クォーター 十点ビハインドの試合のような動きと気合で、瞬く間にひとり、またひとりと他の男子のズボンを下ろしていった。



「ハイつぎー!ハイつぎーー!!」



どうやら今日、半ズボンを履いてきた男子全員をパンツ姿にする気らしい。


厄介な奴を怒らせてしまった……。調子に乗って女子のスカートを捲りまくっていた奴等は後悔しはじめていたが、時すでに遅しだった。


ちなみに意外かもしれないが、俺はこのスカート捲りブームには参加していない。どちらかと言うと、オッパ……いや、やめておこう。



だが、全く関係ないとも言い切れなかった。俺もツヨっさんも、運が悪いことに今日は半ズボンを履いてきていたのだ。



「シマダイちゃん、この流れ…ちょっとヤバない?」


「ホンマやなぁー ツヨっさん、俺らが狙われるのも時間の問題ちゃうか?」


「そん時は俺らで、ゾーンディフェンスでも組もか・・・」


「いやいや、今日は一対一の方がええで」


「何でなん?」


「パンツーマンディフェンスって言うやろ?」


「!?……寒いわ。全然うまくないで、それ」


「ホンマに寒いのは俺とちゃうで……。アイツや」



俺が指をさした方向で、ヒガヤンがパンツ姿で立ち尽くしている……。



「ヒガヤン! まだ脱いどったんかえ!!」


「う、ううん……。に、二回目」


「……」



俺達がくだらない話をしている間に、アッコは次のターゲットを定めていた。



「お!この勝負は見ものだでぇー」


「ナオチ対アッコか……」


「ナオチーー! 頑張れーー!!」


「う、うるせぇーーお前らぁー! 今、話しかけんな!」



ナオチは野球部のエースで、身体能力ではアッコに全く引けを取らない。


いや、取らないはずだった……。



(ガラッ)


「何……これ……」



意外にも、勝負は一瞬でカタがついた。ドアから入ってきた人物に、ナオチが目を奪われた為だ。


教室に入ってきたのは、カコとミサコだった。ナオチは大きな隙をつくってしまった……。隙……スキ?


俺はナオチの視線を見逃さなかった……心がチクッとした。



「さぁーて、後はアンタら二人だけだで?」



アッコは不敵な笑みをたたえながら、俺達を睨みつけた。ヤラなければ……ヤラれる。


この場合のヤルとは?


そう、アッコのスカートを捲るしかないのだ。そして戦意を喪失させる。



「ツヨっさーん!俺、全くモチベーションが上がらへんのやけど。」


「俺もだでぇ。アッコのパンツなんて全然見たくないわなぁ」


「ほんでも、このまま易々とズボン脱がされるわけにもいかへんやろ?」


「なるほどなぁ、これが究極の選択っちゅうやつかぁー」


「ちょ、ちょっとアンタら!ウチを前にして、何堂々と失礼な会話を弾ませてんの? 今すぐ黄色いブリーフ出させたるからなぁー。」


「誰のパンツが染みとんじゃい!!」



どうやら火に油を注いでしまったようである。


昼休みもあと僅か。とっとと終わらせてしまいたいが、先ほどのナオチの事もある。簡単には動けなかった。


額から汗が落ちる……その時だった。



「あぁ!ジャカルタだ!!」



アッコが叫んだ。廊下の窓の方向に、俺とツヨっさんが視線を走らせる。瞬間!! 下半身がスースーする事に気がついた……やられた!


でも誰が? 振り返った先には、意外な面子。 カコとミサコがいた。してやったりと喜ぶ女子三人。




「アンタらが手強いのは、最初からわかっとったでなー。二人には先に協力要請しとったんだ。」


「ジャ、ジャカルタ!」


「もうえぇって……」


「ホンマにジャカルタが来たーーーーーー!!」



(ガラッ)



「アホたれ! お前ら何しとんじゃい!!」



今日に限って、いつもより少し早めにジャカルタが教室に来てしまった。慌ててズボンを履いたが、奴の目をごまかせるはずもなかった。


アッコ、ミサコ、カコ。そして俺とツヨっさん。ジャカルタは目撃した当事者五人を正座させて、順番にビンタを喰らわせていった。


心なしか以前より手加減しているようにも感じたが、女子を泣かせるには十分な威力だった。



「お前ら、男子のズボンを脱がすとは何考えとんじゃ!お前らもお前らだわいや、男のくせに情けない!」



放課後もこってりと絞られてから、俺達五人は解放された。外は雨降り……。並んで歩く五つの傘は、どこか寂しそうだった。



「何か今日は、このまま家に帰るの嫌だなぁー。」



ミサコがポツリと言った。



「じゃあ、ウチん家に寄ってけば?」


「さんせーーー!!」



一緒に叱られた事で妙な一体感が生まれ、今日はアッコの家で遊んで帰る事になった。


アッコのの家は、町内のど真ん中を流れる小谷川の道沿いにあった。


『美容室アル』 どうやら お母さんが美容師らしい。


三階建ての一軒家、一階が店舗で、二階と三階が住居となっていた。



「おじゃましまーーす!!」



初めて行く場所は、俺達の大好物だ。学校での出来事も忘れ、すっかり楽しい気持ちに切り替わっていた。



「じゃあ 何しよっかぁー?」


「鬼ごっご!!」


「上でドタドタしとったら、お母さんが怒るからアカンわ。」


「じゃあじゃあ……隠れんぼだったら?」


「よっしゃ、それでいこう!!」



ほとんどミサコ達のペースに巻き込まれ、隠れんぼで遊ぶことになった。



「ジャーイーケーンで、ホーイ!」



鬼はツヨっさんがやる事になった。一階の階段まで降りてから、二十まで数える。



「イーーチ、ニーーイ」



残った四人がいっせいに隠れ場所を探しに散った。ただでさえ負けず嫌いな俺は、学校でパンツを見られた屈辱もあって、アッコにだけは負けたくなかった。


相手は文字通りホームなのだ。俺が先に簡単な場所に隠れるわけにはいかない。ギリギリまで粘って、絶対に見つからない所に隠れなければ。



「ナーーナー、ハーーチー」



ツヨっさんのカウントが進む。二階には特にピンと来る場所はなかった。残りの秒数を気にしつつも、俺は三階へと急いだ。



「ジューーサン、ジューーシーー、ジューーゴー……」



ヤバい、もうあまり時間がない。俺以外の皆は、もう隠れ終えているようだった。仕方なく俺は、視界に入った何の変哲もない押し入れに飛び込んだ。


襖を閉めると、そこには視界ゼロの真っ暗闇の世界が広がっていた。さすがにこのままではマズイと思い、奥にある布団に潜る事にした。


そっと手を伸ばす……。



「フェッ」


(!?)



何か暖かい物に触れた。いやいや、そもそもこの声は……。



「カ、カコか?」


「シマダイ君?」


「お、おう……」



押入の中には先客がいた。それも……カコが。



「そんなとこにいたら、襖開けただけで見つかっちゃうよ」



カコは自分を包んでいた布団を、そっと俺にも掛けた。


真っ暗闇の中で二人きり。ピッタリとくっついた左半分から伝わる温もりが、俺の心臓を握り潰しそうだった。


暫く沈黙が続いたあと、カコが口を開いた。



「シ、シマダイ君?」


「あんま声出したら見つかるぞ」


「あんな……」


「うん?」



「好きだよ」


「……うん」




「俺もな……」


「うん……、でも」



「え?」



「ちゃんと言って……」


「好きだ」



「うん」



人は嬉しい事があった時、時間よ止まれって言うけれど……。


何も見えない、外の音も聞こえない世界に二人でいると、時間なんて概念 本当に頭から消えてなくなるんだと知った。


目が慣れてきたのか、ぼんやりとカコの顔がわかる。


こちらを向いている。俺を見ている。


俺もカコを見ている。


いったいどのくらい近いんだろう?


鼻と鼻が触れる。近いな……。


次は?




そっと……唇が触れた。



「アッコ見っけー!!」



外からツヨっさんの声が聞こえる。


こっからどんな顔をして外に出ればいいんだろう。そんな事を考えていたら、隣でカコが笑った。



「戻るか」


「うん」



俺達は、二人で襖に手を掛けた。



「せーーの!!」

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