S#7 「ヒガヤン」…東山 純一

ヒガヤンはいつも一人だ。ドマソンに狙われている間は、親分子分のように二人でいる事も多かったが、最近では それもない。


吃りがちで気が小さく、誰かに反論することもないので、無駄な用事を押し付けられては、バタバタと走りまわっていた。


俺との接点はというと、最下位争いしている成績のせいで 居残り勉強させられる時に 一緒になるぐらいだろうか。



この日もそうだった。



「しぃーまーいー、ひがしやまー! アハァのお前ら二人は このプリントが終わるまで、家帰さへんからなぁー。終わったら、ワシんとこまで持って来い!」



ジャカルタは俺達にそう言い残し、何かを教えるでもなく 職員室に戻ってしまった。


アハァと言うのは この辺の方言で、アホとかバカに ほんの少しだけ愛情を込めた言い方である。



「わりー ツヨっさん! 今日は先に帰っとってーな!」


「しゃーないなぁー。ほんなら、今日は帰っとくわぁ」



教室は、俺達二人だけになった。手元には、補習用の算数のプリントが四枚。


俺にとっては命取りな枚数だ。最終バスでの帰宅を覚悟した。


算数は どうも苦手だ。国語のように物語を読んだり 詩の意味を考えるのと違い、数字が規則的に並んでいるのを見ているだけで、俺の頭は爆発しそうになる。


どうやら ヒガヤンも同じようだった。



「ヒック…ヒック…」


(!?)


「どうしたん ヒガヤン?」


「こ、こんなん…ぜったい‥お、終わらへんわぁー。家に 帰られへんわぁー」


「やめれぇや ヒガヤン、そんなんでイチイチ泣いとったら、ホンマに日が暮れてまうっちゃ!」


「だ、だってな‥だってなぁー」



そう言うとヒガヤンは、机に突っ伏してしまった。



「あーーもう! しゃーれへんなぁー。ヒガヤン ヒガヤン、こうしょーかぁ?」


「え? な、なに?」


「こないだの算数のテスト、ヒガヤン何点だったん?」


「こ、こないだのって、ぶ、分数の?」


「それそれ! 分数の子供をオカンで割るとか そんな奴だっちゃ!」


「うーん…。二十点くらいだったっけぇなぁ。シ、シマダイ君は?」


「え?俺かぁ? まぁ、似たようなもんやなぁ。ほんでも、流石に 二十点代とちゃうでぇー」



嘘ではない。ただ、俺が上だとも 言ってはいない。



「なぁ? 俺らアハァが テスト時間いっぱい なんぼ頑張っても そんなもんだで?」


「う、うん」


「よう考えみぃ ヒガヤン、十点や二十点なんて、当てずっぽうでも取れる点数ちゃうか?」


「シ、シマダイ君って十点やったん?」


「アホか! それっぽっちなワケあるかいや!十八点だわいや!……あ」


「ぷ!そ、そうなん? ハハ……オハハ!」


「うるせぇ! おめぇに笑われたねぇわ!」



自分よりも低い点数をドヤ顔で発表した俺に、泣いてたカラスが もう笑った。



「そんで、このプリントだわいや。どっちみち正解せえへんのだったら、考えたって時間の無駄やん?」


「あ、あぁ……うん」


「ほんだで ヒガヤン、俺と今から競争しょう!」


「え?」


「え?とちゃうがな。数字を埋める競争やん。埋めるだけだったら、二十分もあったら楽勝だで!チャッチャと済まして 家に帰ろうや!」


「す、すげぇ! さすが シ、シマダイ君! アハァの天才やん!」


「ちょっ、天才的なアハァって、もう意味わからへんやん。 まぁーええわ。ただのアハァよりマシか!」



西日の差し始めた教室で、二人でひとしきり笑った後、俺達は 体勢を整えた。



「あっ。始める前に 罰ゲーム決めとこかぁ」


「え!? ば、罰ゲーム?」


「おぅ、勝負事には何か賭けんな 面白くねぇっちゃ!」


「い、嫌だ。罰ゲーム……い、痛いのは、嫌だ……」



今までの境遇からか、ヒガヤンの思考は「罰=痛い」となってしまっていた。



「アホか。そんな事するかいや! そうやなぁ……。あっ! ロープウェイ、俺が勝ったら、ロープウェイ乗さしてくれぇや!」


「あ、あぁ。それだったら、おと、お父さんに頼めるで エエけど」



ヒガヤンの父親は この街の観光名所のひとつ、城咲温泉ロープウェイで運転士をしていた。


ちなみに、ヒガヤンの住まいも この会社の社員寮である。


頂上駅のある大師山からは 温泉街の全景と、その先の日本海まで見渡せる絶景が広がっていた。


保育園の遠足か何かで行った記憶はあったものの、もうあまり覚えていない。


ヒガヤンの父親の仕事を思い出した俺は、久しぶりに山頂に行ってみたくなったのだった。



「じゃ、じゃあ 僕が か、勝ったら?」


「う~ん……。ヒガヤンが勝ったらかぁ、何かあるかぁ?」


「と、とも……だち」


「え? 何て?」


「と、友達に……、なって……欲しい」


「え?」



(……)



「あかん! そりゃあ無理やわ ヒガヤン」


「え、えっと……そ、そうやんね。 シ、シマダイ君だもんね」


「すまんすまん!ちゃうちゃう! 俺らはずっと前から友達やん。それに、お前と友達なのは 罰なんかとちゃうがな。なぁヒガヤン 自分で自分を下げんな」


「えっ……う、うん。ほ、ほんなら どうしょっかなぁ……」



額をオレンジ色に染めながら、ほんの少しだけ考えて、ヒガヤンは答えを見つけた。



「俺と、ロ、ロープウェイ乗ってくれへん?」


「あ? ハハ、しゃあないなー。俺が負けたらやで!」


「うん。ま、負けたらやな!」


「よっしゃ、ほんなら始めよか。 よーーい……」


「ドン!!」



かくして、勝っても負けてもロープウェイという 俺得な勝負が幕を開けた。


プリントの解答欄に、いっせいに数字を埋めていく。さすがに何もかもデタラメではマズイので、まれに解答が浮かんだものは、それっぽく書き記す。


一枚、二枚……俺が三枚目のプリントを裏返し、四枚目に取り掛かろうとした時、ヒガヤンが声を上げた。



「で、できたーー!!」


「めっちゃ早いやん!何だいや、もしかして俺の負けかぁ?」



もしかしなくても負けである。負けず嫌いな俺は、残りのプリントを光の速さでやっつけた。



「終わったーー。くそーー! ほんなら ヒガヤン、勝負はお前の勝ちやんなぁ」


「へ、へへ……」


「約束通り、この後はロープウェイや。とっととジャカルタにプリント出して、帰らぁで!」


「う、うん。か、帰ろう!」



この後 俺達は、信じられない光景を目にする。職員室に、ジャカルタの姿がなかったのだ。



「あ、あのぅ~。岩田先生はぁ……」



職員室が苦手な俺は、ドアからヒョイと首を出して 聞いてみた。



「あれ?島井君。まだ残ってたの?岩田先生なら、もう帰ったわよ」



音楽のバンバが答えた。



「えぇーーーーーーーーーーーーーーー!!」



(あぁんの クソゴリラ! 俺達をほっといて、帰りやがったなぁ!!)



「シ、シマダイ君、ど、どうしたん?」



さらに職員室のオーラに恐怖しているヒガヤンが、後ろで心配そうに聞いてきた。



「あ、あのですねぇ ヒガヤン君。ジャカルタ大先生は、僕たちアハァを残して お家に帰られたそうです」


「えぇーーーー!! 俺らの貴重な放課後に 居残り勉強させておいて 自分は授業終わりに定時で帰ったのぉ?それが多感な小学五年生を預かる担任教師のする事かぁ!最低な奴やなぁ!」


「お前、めちゃ喋れてるやん!」



怒りが頂点に達した時、吃音癖もどこへやら 高速のトーク力で相手を罵倒する、スーパーヒガヤンがここに誕生した。



あまりにバカらしくなった俺達は、ジャカルタの机の上にプリントを置いて さっさと帰宅する事にした。


この後は、待ちに待ったロープウェイである。無意識に、歩く速度も速くなっていた。



「なんやー? 珍しい組み合わせやなあ? 二人で急いで何処に行くんだぁ?」



先に帰宅していた同じクラスの スポーツ少女アッコが、俺達を見つけて 不思議そうに話しかけてきた。



「あぁ、今からヒガヤンのオトンに頼んで、ロープウェイに乗せてもらうんだっちゃ。お前も来るかぁ?」


「まさか!あんたと一緒にロープウェイなんか乗ったら、カコに嫌われるわ!」


「……」



あの雪合戦の一件以来、俺とカコは すっかりクラスの公認になっていた。


そして、このての事を言われても 自分の気持ちに気づき始めていた俺は、強く否定も出来なくなっていた。



「お、お父さん、い、居ますか?」



ロープウェイのスタート地点である 山麓駅に到着した俺たちは、平日だからか客も疎らな待合室で ヒガヤンのお父さんを待つ事にした。



「なんや純一、駅に来るなんて珍しいなぁー。お? 友達か?」



少し緊張しながら しばらく待っていると、ヒガヤンのお父さんが来てくれた。


小柄ながら パリッとした帽子と制服に身を包み、他人の命を預かる運転士という職業の人が持つ、特有のオーラを放ちながら。



「かっこえぇーー」



思わず俺がもらした言葉に、ヒガヤンは誇らしげだ。



「その顔は、島井君やなぁ?」


「はい!こんにちは!」



母親のいないヒガヤンの為に、学校行事にも よく顔を出していたお父さんは、俺の顔を覚えてくれていた。



「今日は どないしたんだ?」


「あんな……」



二人でロープウェイに乗りたい事をヒガヤンが説明すると、お父さんは快く了承してくれた。もちろん、居残り勉強してきた事は黙っておいた。



「そんなもんは お安いご用や!純一、あっちに山頂の案内パンフレットがあるから、島井君の分も取って来なさい。」


「う、うん! あり、ありがとう!」



ヒガヤンは、嬉しそうに駆け出していった。



「島井君。ちょっとえぇか?」


「え、あ……はい」


「君は、たいそうな悪ガキらしいな」



きたか……と思った。大人が俺にこういう風な話の切り出し方をした時、大抵は 耳を塞ぎたくなるような事にしかならないのだ。



「まぁ……。アハァな……しゃーたれです」


「純一が、家でいつも君の話をしてるんや」


「はぁ……」



俺がヒガヤンと学校で喋ったのは、今日を除けば数える程度、もちろん 一緒に帰ったのも今日が初めて、ピンと来ないのも仕方のない話だった。



「今日シマダイ君が誰々とケンカしてた、こんなイタズラをして 先生に怒られてた」


(やっぱりか……)


「僕も、僕もあんな風に強くなりたい」


(!?)


「あんな風に強くなって、もっともっと、いっぱい友達と喋りたい……てね」


「……」


「あいつは言葉を話すのが苦手や、俺のせいかもしれん…。そのせいでか、イジメみたいになっとった事も 先生から聞いて知っとる。島井君、純一の事、これからも……」


「ヒガヤンのオッチャン!」



ヒガヤンのお父さんが話しきる前に、俺の口から言葉がついて出た。今にも溢れそうな オッチャンの涙を止める為に。



「俺らのクラスの花壇の花が、よそのクラスの花より元気に咲いてるのは、アイツが 他の奴の分も黙って水をやってくれてるからです。


俺らのクラスに 落し物が少ないのは、アイツが拾って、そっとロッカーにしまってくれてるからです。そんなヒガヤンが、俺は大好きです」


「そ、そうかそうか……そうなんか」



残念ながら、俺はオッチャンの涙を止めるのを失敗した。でも、それがさっきと違う涙だという事は、小学生の俺にでもわかった。



「よっしゃあ! 今日のロープウェイは 超特急やでぇーー!!」


「ちょ、ちょっと! それはやめてぇなーー!」



俺達が大笑いしていると、ちょうどヒガヤンが戻ってきた。すっかり打ち解けている様子の俺達を見て、不思議そうな顔をしている。



「な、何なん!?」


「何でもないわいや 純一。なぁシマダイ君!」



背中をボンッと叩かれた。



「痛た!ちゅうか、オッチャンもシマダイ君言うてるし」


「おっと、そろそろ発車の時間だわ、乗った乗った! ちょうど二人の貸切や」



お父さんに促され、俺達はロープウェイに乗り込んだ。運転士と言ってもロープウェイには同乗しない。


正面の操作室から、ケーブル操作をする為だ。ガラス越しに見えるヒガヤンのお父さんは、益々かっこよかった。



「しゅっぱーーつ!」



真っ赤な車両のドアが締まり、片道7分間の空中散歩だ。遠くに、小谷川が見えている。



「なぁ、シ、シマダイ君」


「え?何だいや?」



外の景色に夢中になり、顔面を窓ガラスに押し付けながら 俺はヒガヤンに答えた。



「さ、さっき、お父さんと、な、何を話しとったん?」


「何でもないっちゃ」


「ふーん。あ、あんな……」


「おーん」



俺は顔を窓ガラスから外し、ヒガヤンの方を向いた。



「さ、最近、僕が ドマソンに、ちょ、ちょっかい出されへんのは、シマダイ君が た、助けてくれたんやろ?」


「え?そんなん知らんでぇ 俺」


「つ、剛志君が、教えてくれたんで。アイツは絶対に、自分からは言わへんから、そ、その事だけ知っといたってくれって」


「なるほどな、ツヨっさんかー。まぁーでも、ドマソン家もオモロかったしな、気にすんな!」


「うん、あ、ありがとう」


「そんな事より、お前のオッチャン、めっちゃかっこええやん」


「うん、ぼ、僕も大きくなったら、お父さんみたいな、う、運転士になるんが夢なんや」



これでもかという程 キラキラした瞳で、ヒガヤンは答えた。



「あ!いっしょやん! 俺もオトンみたいな大工になるのが夢だで。いや、絶対なったるけどな。」


「そしたら……」


「おぉ、また……競争やな?」


「う、うん。競争やな!」



今度の勝負に罰ゲームはない。俺達が、その夢を 本当に叶えられるかどうかも、まだわからない。


でも……。


目標を見失う事はきっとない。夢の目印の背中は、あんなにも大きいのだ。

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