S#5 「ミサコ」… 徳田 美佐子


目鼻立ちのハッキリとした美人で、正義感が強く、誰に対しても物怖じしない。


どちらかと言うとマイペースで、おっとりしたカコとは正反対に感じるが、当人達にとっては そこが心地いいのかもしれない。


俺達は たまに、二+二で四人組になった。学校終わり、待ち合わせるでもなく歩き出し 話しているうちに、一緒に帰るようになったのだ。


そんな時、決まってトラブルを運んで来るのが、このミサコである。



ある日の放課後、いつものように四人で帰っていると、学校一のいじめっ子 六年のドマソンが、道路脇の歩道で小さな女の子を通せんぼしている所に遭遇した。


俺とツヨっさんが無言で視線をかわす。できれば避けたい相手だ。



「ちょっと!そんな ちっさい子に何やっとるん!」



ミサコが叫んだ。



「フェッ」



カコがビックリして変な声をだした。ツヨっさんは苦笑いした。俺は……白目になった。



「あんた六年だろ? アホちゃうん! 通してあげんちぇーなぁー!」


「何やとコラ! ワエは踏切だぁ! 汽車が来るまで通れれへんわいや!」



さらに大きく手を広げながら、ドマソンは続けた。


 

「キンコンカンコン!キンコンカンコン! キンコンカンコン!!キンコンカンコン!!」


「こっちにおいで」



女の子の手を引いて、カコがこちらに連れてきた。


さて困った。こんな所に踏切が出来ては、俺達も帰れない。それに、先ほどからミサコがチラチラとこちらを見ているのがわかった。


何とかしろという事だろう。



「ハァ~」



特大の溜め息を出してから、俺はドマソンに言った。



「おいドマソン、その汽車はいつんなったら通るんだ?」


「気安くドマソン言うな! 島井に垣谷、お前らだいたい 生意気なんじゃ!」


「来たみたいやけど」


「あ~ん?」



俺とツヨっさんは、一斉にドマソンに体当りした。



「俺らが汽車じゃ! 二両編成やけどな!」



俺の言葉にツヨっさんが続けた。



「脱線してスマンな!」



ツヨっさんが上から両肩を押さえ、俺は腰のあたりを抱き込むようにしながら、一気に壁際まで押し込んだ。



「おめえら、逃げれ!」



「わかったー!」



ミサコが 待ってましたとばかりに返事をした。こいつだけはホントに……。



「離せやボケ! 絶対シバく! 絶対シバく!」



怒りが一気に沸点に達したドマソンが叫ぶ。


女の子を間に挟んで手をつないだカコとミサコが、隙間を走り抜ける。


このまま時間を稼ぐしかない。



暫らくたって三人の姿が見えなくなった頃、ツヨっさんが言った。



「シマダイちゃん、わりい……。もう無理かも」



「えぇでツヨっさん、俺もアカンわ」



パワフルなドマソンを押さえつけるだけで精いっぱいだった俺達は、無防備になった腹を殴られ続けていたのだ。



(ドスン!ドスン!)



それぞれもう一発ずつボディーをくらった後、悶絶しながら地ベタに這いつくばった。



「ワエにこんなんすんの、お前らだけやぞボケ」



ドマソンはそう言いながら、締めとばかりに俺の顔面を殴った。


そして気が済んだのか、脇に置いてあったランドセルをしょって 立ち去っていった。


やけにあっさり帰ったのが気になったが、その時の俺達は 腹の痛みでそれどころではなかった。



フラフラと2人で歩いていると、近くの西山公園で3人が待っていた。



この子の名前はナナ。小二で、最近関東から母親と二人で引っ越して来たらしい。


旅館の働き口を求めてだろう。待っている間に話を聞いたミサコが教えてくれた。


方言の強いこんな田舎に関東から引っ越してくれば、一人で下校していた理由も何となく察しがついた。



「さて、帰りますか」


「おめぇなあ、誰のせいでこんなボロボロになったと思っとんだぁ?」



口元の傷を触りながらミサコに返すと、バツがわるそうにナナが言った。



「ウチに来たらバンソウ膏あるよ」



どうやらもう近くらしいので、送りがてら寄らしてもらう事にした。


泥棒道と昔から呼ばれる 細く暗い裏道を抜けた所に、ナナの家はあった。かなり古くて小さい賃貸物件だったが、一応一軒家だった。



「入って待ってて!」



初めての来客の嬉しさで、無邪気な笑顔を見せながら ナナは家に入っていった。



「お邪魔しま~す!……え」



片開きのドアを開け 先頭で入ったはずのミサコが、口に手を当て立ち尽くしている。


続けて入った俺達も 同じ反応だった。予想外の光景に言葉が出てこない。



乱雑に積み上げられた大量のゴミ袋。中にはスーパーの袋も混じっている。床に散らかった衣類。室内に干されたままの洗濯物。


ボロボロの襖に、強烈な異臭。玄関横のシンクの小さなキッチンには、使ったままの食器が溢れていた。


今でこそ、ゴミ屋敷や 片付けられない○○等のテレビ放送で、こういった類の部屋を目にする機会がある。


だが当時、平凡な田舎街で普通に暮らしていた俺達には、目の前の状況が衝撃的すぎた。


見てはいけない物を見てしまった、そんな感じだった。



「はい、バンソウ膏!」



この家に住むの自体は引っ越してからとはいえ、以前から同じような環境で育ったであろうナナは、慣れてしまっているのだろう。


俺達に家の中を見られることに、さして抵抗もない様子で バンソウ膏を渡してくれた。可愛いゴロピカドンのバンソウ膏。



「お、おうサンキューな。助かるわ」



恥ずかしくて顔に貼ることができず、ばれないように そっとポケットに入れた。



どういう顔をしていいのかわからず、視線が泳ぐ。



「どうしたの?お兄ちゃん達?何か変だよ」


「ううん、何でもないよ、ナナちゃん」



カコがすかさず言った。その時だった。ミサコがまた、とんでもない事を言い出したのは。



「よし、決めた!皆で大掃除しようや!」


「フェッ」



カコがビックリして変な声をだした。ツヨっさんは苦笑いした。俺はまた……白目になった。



「ナナちゃん、ええやんなぁ?」


「え?掃除?今からお姉ちゃん達と?」



掃除そのものよりも、皆とまだ一緒にいられる事の方が、ナナには嬉しいようだった。



「ちょ、ちょっと待てや?勝手に決めんなや!」


「ナナちゃん、こう見えてこのシマダイってお兄ちゃん、めっちゃ優しいんだでぇ~。なぁ~カコ!」


「え!何で私に!?」



少し間を置いて、だがハッキリとした口調で カコが言った。



「優しいよ……凄く。シマダイ君は」


「だって!シマダイ!」


「うるせぇ!呼び捨てすんな!」


「照れるな照れるな。そうと決まれば、さっそく取り掛かるよ!」



「カコはナナちゃんと洗濯物たたんで!ウチは台所の食器洗っちゃうから。男チームはゴミ袋を裏庭に運んじゃってな!このままじゃ掃除機もかけられへんで」



あまりにもテキパキと段取りを決めるミサコに、俺達は反論する気も失せてしまった。


それに、一番嫌な役割である ギトギトの食器洗いを、あえてミサコが自分に選んだ事も 俺達はわかっていた。


そしてもうひとつ、ナナの嬉しそうな笑顔に、俺達は皆 やられてしまっていたのだ。




さっそく俺とツヨっさんは、ゴミ袋運びに取り掛かった。かなり高く山になってはいたが、こんな時ツヨっさんのリーチの長さが役にたつ。


重さ自体はそうでもなかった為、手際よく勝手口から運び出した。


カコはケラケラと、上手にナナを楽しませながら 衣類の山と洗濯物を片付けていった。

いい奥さんになりそうだと、ちょっと思った。


さすがなのはミサコだった。自宅でも余程家事の手伝いをしているのだろう。


みるみる内に食器や鍋はピカピカになり、どこで見つけてきたのか、掃除機を手にコンセントを探している。



「どいてどいて~!仕上げするでぇ~!!」



いい奥さんにはなりそうだが、尻に敷かれそうだと ツヨっさんは思った。


おおかた掃除が片付いた所で、ミサコがナナに聞いた。



「そう言えばナナちゃん、お母さんは何時頃に帰ってきなるん?」


「旅館だから、夜遅いよ~。十時すぎたくらいかなぁ。」


「御飯は?御飯はどうしとるの?」



ミサコが、いつになく真剣な顔をしている。



「ママが帰って来てから、一緒に食べるよ。美味しい物、いっぱい持って帰って来てくれるから。それまでは、お菓子食べてる。」



この子は、この小さな女の子は、友達もおらず 母親が帰って来る夜中まで、このゴミに囲まれた部屋で、給食から何時間も食事もとらず、たった一人きりで 今まで過ごしてきたと言うのか。


ミサコがナナを抱きしめた。小学生のガキが……と思われるかもしれないが、俺も自分が女子ならば同じ事をしていただろう。


後ろでツヨっさんが号泣していた事には、俺もカコも触れないでおいた。



「よし、お姉ちゃん達が何か作ったげるわ!」



ミサコが殆ど空っぽの冷蔵庫の有り合わせで、豚汁を作った。

負けず嫌いな俺も ジャーに残っていた冷ご飯で、キャンプで覚えたての焼き飯を作ろうとしたのだが、具材が見当たらずに ケチャップライスになってしまった。


いっそオムライスにしようとも思ったが、そんな腕も 卵もなかった。



「美味しそー!頂きまーす!」



豚汁と 具がハムだけのケチャップライスを、ナナは美味しい美味しいと食べてくれた。



〈ドリュドリュドリュドリュドリュドリュ……〉



四人で心地よい疲労感に浸っていた時、聞き覚えのあるエンジン音が外に響いた。

クロカン車独特のディーゼル音……パジェロだ。



「ジャカルタだ!」



隠れようとした時にはもう遅かった。ドアを開けるや否や 獣のような素早さで俺達四人を捕獲し、無言で一人ずつにビンタをお見舞いしていった。



「なに道草して、よそさんの家に上がっとんじゃお前ら!

だいたいお前らみたいなもんが、勝手に火ぃ使って 火事にでもなったらどないすんじゃボケ!! アホみたいな事しとらんと、早よ家帰らんか!」



大人の事情からすれば、今回ばかりはジャカルタが正論だと思う。


俺達は、まだ小五にもかかわらず下級生の家に上がり込み、あろう事か ガスコンロまで勝手に使ってしまった。


ナナの為とはいえ 自分達もどこか後ろめたさがあったのも事実だ。この時ばかりは素直にジャカルタに謝り、解散する事にした。


だが、なぜこんな時間にジャカルタが? それもこんな裏道へ?

それらの疑問は、玄関を出た所で解決した。


パジェロの少し後方から、顔に笑みを湛えたドマソンがこちらを見ていた。

俺達は つけられていたのだ。


四人でナナの家に入るのを見届けたドマソンが、ジャカルタに告げ口をしたのだろう。


何よりも許せないのは、まだ二年生のナナを巻き込んでしまったこと。その思いが 俺達を家に着くまでの間、無言にさせていた。



だが、日曜を挟んでの翌週の全校朝礼、思わぬ事が俺達を待っていた。



「校長先生のお話」



司会の教頭のアナウンスで、校長がステージに登壇した。去年赴任してきたこの校長が、俺達は大好きだった。島井校長、まず名前がいい。


そして、前任の校長よりも半分程の時間で、わかりやすく端的にスピーチする 生徒の味方のような人だった。



「今から呼ばれる者は、ステージに上がりなさい」


「島井 大地、垣谷 剛志、本山 夏純、徳田 美佐子」



俺達は顔を見合わせた。先週のナナの家の件に違いない。反省はしているが、こんな全校朝礼で しかも校長にまで叱られるのか。


何事かと 全校生徒がざわめきたった。重い足取りでステージに登り、四人揃った所で 校長が話し始めた。


とても優しい 穏やかな声で。



「今日はあるお母さんから、君達に手紙を預かっている。私が今から代読するから、そこで聞きなさい」


「ハ、ハイ!」



『島井君、垣谷君。本山さん、徳田さん。先日はうちのナナの為に、我が家に来て下さって ありがとうございました。


あのような部屋を目にされて、さぞ驚かれた事と思います。


恥ずかしながら 仕事から帰宅した私も、大変驚きました。あの汚かった我が家が、見違えるように綺麗になっていたからです。


ナナが嬉しそうに、全てを話してくれました。


皆さんが、怖い6年生から自分を守ってくれた事。大きな垣谷君が、ゴミ袋をいっぱい運んでくれた事。


優しい本山さんが、洗濯物のたたみ方を教えてくれた事。美人の徳田さんが 洗い物をしてくれた事、抱きしめてくれた事。


そして、とっても面白い島井君が、美味しいご飯を作ってくれた事。


あんなに楽しそうなナナを見たのは初めてでした。そして、いかに自分が母親として 失格だったかを悟りました。


もう一度、ナナの為に頑張ってみようと思います。本当に、本当にありがとうございました』



手紙を読み終えた校長が、いっそう大きな声で続けた。



「君達は、この小学校の誇りです。生徒の皆さん、この四人に大きな拍手を送りましょう!」



割れんばかりの拍手だった。生まれてこの方 悪ガキ道をまっすぐに精進してきたような俺が、こんなに晴れがましい気持ちになったのは、生まれて初めての経験だった。



「朝礼が終わったら、校長室に来なさい」



ステージを降りる直前、校長が小声で俺達に言った。



「失礼します!」


「どうぞ、入りなさい」



朝礼が終わり、まだ何かあるのかと ワクワクしながら校長室に入った俺達。


だが、目の前に立っていたのは、意外にもジャカルタだった。



「岩田先生」


「はい!」



あのジャカルタが緊張している。



「君は、この子達を見つけたあの日、真っ先に殴ったそうだね」


「え!あ、はい。しかしそれは。」


「ナナさんのお母さんに聞きました。ナナさんが大変怖がっていたと」



ジャカルタの言い訳を諭すように話した後、校長は俺達4人の前に立った。そして。



「痛かったろう。校長である私の責任です。許してください」



そう言って、深々と頭を下げた。今までいろんな先生を見てきたが、こんな先生は、いや こんな大人は初めてだった。



「岩田先生。君も謝りなさい」


「い、いや校長。しかしですねぇ。」


「私が謝れと言ったら謝れ! それが今までの君の理屈だろう!」



「す、すまなかった……」



俺達四人は、視線でハイタッチした。



「じつは、もうひとつ君達に話さないといけない事があるんです。」


「ナナさんの事なんですが、お母さんのご実家で……。つまり、お爺ちゃんお婆ちゃんと四人で 暮らされる事になりました。」


「転校ってことですか? こないだ引っ越してきたばっかりなのに」



ミサコが聞いた。



「はい。皆さんは寂しいでしょうが、ナナさんとお母さんが 今より長く一緒にいられるには、それが一番の方法だそうです。」


そう言われては、納得するしかなかった。



「いつですか?校長先生!」


「それが、少しでも早くやり直したいと言うお母さんのご希望で、来週の日曜日と聞いています」


「えぇ!」



あまりの急な話に驚く俺達に向かって、校長は続けた。



「だから皆さんは、ナナさんを見送って来てあげてくださいね。駅までの車は、岩田先生が出してくれるそうですから」



いたずらっぽい顔をつくって俺達を見てから、校長がジャカルタに目線をやった。



「それでは、私からは以上です。皆さんご苦労様でした、教室に戻ってください」


「はい!」



教室に戻った俺達は ヒーローのように皆から質問攻めにあったが、ナナの引越しの話を聞いた後では 寂しさが増す話題でしかなかった。



そして引越し当日。仏頂面で運転するジャカルタの車に揺られ、俺達は駅に到着した。


カコとミサコ、それにツヨっさんまでが、ナナにプレゼントを用意して来ていた。俺だけが 手ぶらだった。



「うわぁ!やったね。ありがとう!」



ナナは嬉しそうに はしゃいでみせた。


お母さんにもお礼を言われ、そろそろ汽車の出発時刻も近づいた頃、ナナがゴソゴソとポケットから何かを出した。



「はい、お兄ちゃん!」



箱に入った、ゴロピカドンのバンソウ膏だった。



「お、俺に!?」


「うん! だってお兄ちゃん、いっつも 怪我してるでしょ」


「そっかぁ、ありがとな。こんだけあれば、毎日ケンカしても平気やな」


「ダメだよ、ケンカばっかりしちゃあ。」


「ええなぁ シマダイ! 手ぶらで来たのに。カコが妬いてるで!」


「ミサコうるさい!!」



カコとハモった。寂しさを消すように、ナナが元気に出発できるように、俺達は大笑いした。



〈ピルルルルルルルルル……〉



発車のベルが鳴る。ナナ達はすで汽車に乗り込み、窓からこちらに手を振っている。


カコとミサコの目は 涙でもう真っ赤だ。ツヨっさんの顔は、さらにグシャグシャだった。


そして俺は、あの日貼れなかった ゴロピカドンのバンソウ膏を、一番目立つ 鼻の頭に貼った。



汽車が動き出す。



「ナナーー! 見えるかーーー! これありがとなーーー!!


ケチャップライス食いたくなったら、いつでも戻って来いよーーー!! 


今度は卵でくるんで、オムライスにしちゃるでなぁーーーーーーー!!」



家に帰ったら オカンに頼んで、オムライスの特訓をしよう。


ナナが この街に、いつ帰って来ても いいように……。

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