S#3 「ジャカルタ」… 岩田 茂雄

俺達の担任だ。

ガチムチで浅黒い肌。ボサボサの前髪から覗く鋭い眼光、極端に小さな黒目。

愛車はパジェロ。


得意技はビンタ、富士山。(生徒の両耳を持って持ち上げる技。高さは天井近くまで達し、犠牲者は遠くまで見通せる所から この名前がついたらしい)



俺は、相当に目をつけられていた。宿題はしてこない、ケンカはする。

整理整頓が苦手なので、机の中はいつもグッチャグチャ……。


教室の隅に備え付けてある落し物箱(持ち主のわからない拾った鉛筆等を入れる箱)は、いつも俺の私物で溢れかえっていた。


ジャカルタに目の敵にされるのも、当たり前といえば 当たり前だった。



「コゥラアーーー! 島井! 何やっとんじゃあ!!」



タバコで枯れたガラガラ声で怒鳴られると、関係ない奴までおとなしくなった。



城西小学校の理科の準備室(顕微鏡等がしまってある)は施錠してある為、その日の日直が授業までに職員室に鍵を借りに行く。


そして鍵を開け授業終わりに施錠し、また鍵を返しに行く。


その日の日直は、俺と女子のカコだった。事件は、理科の授業終わりに起きた。



「シマダイ君。どうしょう……」



もう日直の二人だけになった理科室で、俺はカコに呼ばれた。

 


「どうしたん?」


「鍵が……壊れたかもしれん」



俺がビーカーの片付けをしている間に、準備室の施錠をしてくれようとしたらしい。


だが、棒状のドア側の鍵本体がきちんと収まっていなかった為、引き戸を閉めた時に テコの原理で本体が折れてしまったのだ。



「どうしょう……」



不可抗力のカコが、ここまで怯えるのには理由があった。


ジャカルタである。


奴は女子でも容赦しない。不可抗力でも関係ない。鍵が壊れたという事実を理由に ビンタの餌食になるのは明白だった。いや、下手をすると富士山か……。




「鍵は俺が壊した事にすればええっちゃ」


「え!?」



思ってもみない俺の提案に、カコは驚いて声を出した。



「俺はやられ慣れとるで、あいつなんて怖ないし」



強がりだった。ジャカルタのビンタと富士山の痛みは、人類史上最多犠牲者であろうこの俺が一番よく知っている。


だが、目の前で理不尽にカコが叩かれるのは、もっと嫌だった。俺は続けた。



「オトンのゲンコツの方が百万倍痛ぇしけぇ、大丈夫だっちゃ」



これは本当だった。大工の棟梁のオトンのゲンコツは、首が肩にめり込む程の威力だ。



「でも……」



悩んでいては、短い休み時間が終わってしまう。俺はカコの手のひらから鍵を奪い取り、ジャカルタの元へ走った。



「先生、準備室の鍵が壊れました」


「あー? 何でそんなもんが壊れるんじゃ」


「ドアの方の鍵本体が、古くなっとったんだと思います」



ジャカルタが睨む。完全に俺を疑っている。



「来い!」



ジャカルタに引っ張られ、俺は理科室に戻された。カコの姿はもうなかった。



(よかった……)



準備室の前に着くと、ジャカルタはガチャガチャと鍵やドアを動かし始めた。



「見てみい! こんなもんが壊れたのは初めてだわいや! おめぇがわざと壊したんだらぁが!」


「壊してへん、壊れたんです!」



俺はジャカルタを睨んだ。とたん……



〈バッチィーーーン!〉



吹っ飛ぶ俺。ゴツゴツしたジャカルタの手のひらから、思いっきりビンタが飛んで来た。



「問答無用じゃ、修理代はお前の親に請求したるからなぁ!」



怒りを噛み殺し睨む俺に ジャカルタは続けた。



「もうえぇ、次の授業が始まるわ、教室に戻れ!」



次の授業は本教室だったし、優先するのはカコを守ることだ。


かなり理不尽な対応を取られてはいるが、ボロが出る前に戻った方が賢明な気がした。



(くそ! ジャカルタ! 調子のっとんなよ……。いつかやり返しちゃるでなぁ……)



悔しいながらも自分に言い聞かせ、俺は1組の教室に向かい歩き始めた。



だが、ジャカルタの制裁は、これで終わってはいなかった……。



教室に戻り、ビンタされた頬を隠すように俺は自分の席についた。


すると、涙目のカコがすぐさま駆け寄ってきた。



「どうなったん? ゴメンよ、ほんまにゴメン……」



〈キーンコーンカーンコーン♪ キーンコーンカーンコーン♫〉


〈ガラッ〉



始業のチャイムが鳴り、俺が言葉を返す前に ドアからジャカルタが入ってきた。


ザワついていた教室は一気に静まり返り、慌てて全員が席についた。



「し~ま~い~。ちょっと前出え」



静かに、しかしどこか怒気を帯びた声で、ジャカルタが俺を呼んだ。


背中越しだが、心配そうにカコがこちらを見ているのがわかった……。


前に出ると、黒板に背を向けるように教室の正面に立たされた。



「あんなぁ、お前らぁ。さっき日直の島井が準備室の鍵を閉めたらなぁ、鍵が折れてもうたらしいわぁ」



指を二センチほど広げ前に出し、先ほどより強い口調でジャカルタは続けた。



「鍵ってこんなんやぞ、こんなん! 普通にドア閉めてぇ折れる訳ないやろう!

なぁ、島井く~ん。お前がわざと壊したんやんなぁ~」



流石に相手が俺だというだけで、ここまで決めつけられるとは思ってもみなかった。

悔しくて ギュッと拳を握り締めた。


だが、こうなったジャカルタに何を言っても無駄なのはわかっていた。

そしてこの後、自分がどんな目にあうのかも……。



「富士山じゃぁ」



これから執行する制裁の名前を、得意げに発表するジャカルタ。



(痛ててっ!)



両耳を掴まれて、俺の頭は真っ黒な拳で完全にロックされた。


そのままジワジワと持ち上げられていく。自分の体重がどんどん首に負荷をかけ、痛みが増していく。


耳がちぎれそうに痛い。たまらずジャカルタの上腕に手を掛け自重を逃がす。


「プッ」


勝ち誇ったように、ジャカルタが息をもらした。


とうとう天井近くにまで俺の頭が達した頃、ジャカルタは腕の動きを止めた。



富士山の本当に恐ろしい所は、物理的な痛みよりも、屈辱的なこの体制にあると俺は思っていた。クラス全員の視線が俺に突き刺さる。


ニヤニヤして見ている者、自分じゃなくてよかったと安堵の表情を浮かべている者。

早く授業を始めて欲しいと教科書と俺を交互にチラ見している者もいる。


窓際の席のツヨっさんは、怒りに満ちた表情で歯を食いしばっている。

そして……。


今にも本当の事を口から零しそうになっている 半泣きのカコと目があった。



(絶対言うな……、絶対に言うな……)



俺は視線に気持ちをのせて、小さく首を振りながら 強く強くカコを見た。


そして、自分に負けないように、こんなのへっちゃらだと伝わるように

最高のシマダイスマイルをつくってやった。



「何か今日の富士山長くねぇ?」 



誰かの声が聞こえた、……その時だった。



〈ガッシャーン!!〉



沈黙を壊すようにガラスの割れる音が響いた。皆の注目が音のした方に走る。



「キャーー!!」



女子の悲鳴が響く。俺は目を疑った。ツヨっさんの腕が、廊下に通じる窓を突き破っていたのだ。


破片で傷ついた腕から流れる赤い血が、古い床板に落ちていく。


俺はジャカルタの手を振り払い、ツヨっさんに走り寄った。



「大丈夫か! 何でなん?」



問いかける俺に、腕に残ったガラスを指で抜きながら ツヨッさんは言った。



「保健室……、ついて来てくれん?」


「お、おう……。ええで」



呆然とするジャカルタを残し、俺達は保健室に向かった。




結局その後もなぜあんな事をしたのか、ツヨッさんから口を開くことはなかった。

俺も、それを聞くのは何だか違う気がした。


ただ、もしもこの先ツヨっさんの身に何か困った事が起きたら、俺は全力で助けようと誓った……。



「島井と垣谷はどこ行ったんじゃあ!」



遠くの方でジャカルタの怒鳴り声が聞こえる。


俺達は目を合わせ、どちらからともなく笑った。

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