第七話「藤黄家」

 二人が藤黄家に戻ったのは、十八時を少し過ぎた頃だった。和風な造りの家にはあまり似つかわしくないインターホンを見かけ、緑間はそれを押そうと手を伸ばす。

「いちいち鳴らさなくていいよ…ていうか、ああ、そうだ、このインターホン鳴らないから」

「は?」

 そんなバカな、と緑間は実際にインターホンを押した。

 うんともすんとも言わなかった。

「電池?切れちゃったらしくてさ。確か…五年くらい前?に。まあ、使う機会もないだろうからって、電池換えてないらしくて」

「ああ…そう」

 だったらもういっそ外せよ、と緑間は内心で毒づいた。

 仕方なく緑間は、お邪魔しますと声をかけてから家の中へと入った。

 



 中に入ると、途端にいい匂いが漂ってきて無意識に緑間の腹が鳴る。そういえば、結局昼飯も食べていないことに今更気がついた。

 玄関のすぐ左斜め手前は台所に繋がっていて(今時珍しい、居間と台所が別々の場所にある家なのだ)、いい匂いはどうやらそこから漂ってきているようだった。あまりうろうろすると迷惑だろうかと緑間は思ったのだが、結局気になって台所を覗く。

 赤崎の祖母と妹、女二人がエプロンを身に着けてせっせと料理を作っていた。否、厳密に言うとエプロンを着ているのは遥だけで、赤崎の祖母は割烹着を着用していたわけだが…まあ、そこはあまり問題視するところでもないだろう。

 遥の方は、はねる油と奮闘しながら揚げ物を作っており、祖母の方は―驚くことにピザを作っていた。それはもう、随分な手際の良さで。加えて、ピザの生地から手作りである。今はのし棒(ピザの生地を伸ばす道具)を使って、円の形に整えられた生地にケチャップや具材をトッピングしている最中のようだ。

 なんというか、少々…いや、かなり油っこい夕飯になりそうだと思われる料理が作られていたが、今の緑間にはそれすら最早どうでもよかった。

「すっげー…」

「うん?…おや、二人とも。帰ってたのかい。おかえり」

 遥の方は揚げ物と奮闘することで手一杯らしく、帰って来た緑間の方を見向きもしなかったが、赤崎の祖母は緑間の呟きを耳で拾い、にっこりと微笑んだ。緑間はぺこりと頭を下げる。

 赤崎の祖母はすぐにピザ生地に視線を戻し、トッピングの終わった生地を、取っ手のついている鉄板の上に乗せ、職人よろしくの本格的で大きいかまどの中に入れた。焼き始めである。

 そこで赤崎の祖母の仕事はひと段落ついたようで、再び緑間に話が振られた。

「祭くんは、料理はするんかい」

「え…あ、はい。料理するのは好きです」

「ほう、男の子なのに珍しいねえ。うちのじいさんとは大違いだ。静くんも、料理はからっきしだったからねえ…」

「そこ違うから。祭が料理出来るから、僕が料理出来なくてもよかっただけだから」

 聞き捨てならないと言わんばかりに、赤崎が割って入ってきた。まるで緑間が悪いみたいな言い分である。なんという奴だ。

「実際お前料理出来なかっただろうが」

「違う。僕は出来なかったんじゃなくて、やらなかっただけだ」

「そこに明白な違いはねえだろ。つか、尚悪いわ!」

 屁理屈ばかり言いやがる幼なじみに、緑間は溜息をつく。仲が良いねえ、と赤崎の祖母が嬉しそうに言った。このタイミングでそれを言われるのは大概癪であったが、緑間は否定はしなかった。

「見たところ祭くんはしっかりしていそうだし…どうだい、うちの遥を嫁にもら」

「「いや、ありえないから」」

 ぴしゃりと声を揃えたのは、赤崎兄妹である。そんな全力で否定してこなくても良いだろうに、と緑間は思った。というか、そこだけ反応するな妹。

「ほっほっほ。冗談じゃよ、冗談」

「「おばあちゃんが言うと冗談に聞こえないよ…」」

 若干うんざりしたように、そしてまたしても一語一句、微妙な強弱までぴったりと揃えた赤崎兄妹。双子並みのシンクロ率である。

「それはそうと祭くん。立ってないで、居間で休んでいていいんよ。出来上がりには、まだ少し時間がかかるしねえ」

「あ、いや、えっと…あの、ここにいたら邪魔になりますか」

 出来ることなら手伝いをしたいものだが、他人が台所に立つことを極端に嫌う人ももちろんいる。緑間はまさしくそれだ。そして、こう言ってはなんだが、昔の人というのは、意外とそういう考えを捨てていない。

 それに、たとえそうでなくとも、この家は緑間にとっては知らぬ家同然である。どこに何があるか把握できていない以上、手伝うと切り出すことは、有りがた迷惑でしかないように思えた。

「その…出来れば見ていたいんですけど」

「見ていたい?」

 不思議そうに首を傾げられる。何を、と訊ねられる前に緑間は言った。

「図々しいことを言っているのはわかってます。でも俺、ピザを最初っから作ってる人に初めて会って、俺、家にかまどとかないから、本格的にピザ作ったこととか一度もなくて…」

 だから見ていたいと、緑間はもう一度繰り返す。言った本人もびっくりするくらいの図々しさだった。

「そうかい」

 呆れられただろうか。言うんじゃなかったな、と緑間は肩を落とす。

「なら、一緒に作るのが一番手っ取り早いねえ」

 だが、予想とは大きく反したことを言われ、緑間は思わず「はあ?」と言ってしまった。ぱちぱちと瞬きを繰り返し、その言葉をじわじわと理解していく内に、緑間は大袈裟に首を横に振る。ぶんぶんと、そんな音が聞こえてきそうな勢いだ。

「そんなつもりで言ったわけじゃ…本当にいいんです、全然、俺は」

「迷惑をかけたくないと、まだ言うかい」

 緑間は何も言えなくなった。

「それはとても傲慢なことよ」

 それは、一体どういう意味なのだろう。傲慢とは一体、どういう。

「祭くんが、それに対して迷惑をかけてしまうと思うのは勝手。けれど、それを相手に押し付けるのは、とてもお門違いで…とても、傲慢なことなんよ」

 ―自分の幸せは自分で決める。だって、他人が理想とする幸せが、僕の望む幸せだとは限らない。僕の幸せは僕だけのものだから、他人様の理想を押し付けられても困るんだ―

 いつだったか、赤崎がそんなことを言っていた。何故そんな話になったかを、緑間は思い出せない。

 おそらく、言葉は違えども行き着く先は、今彼の祖母が言ったそれと同じなのだろう。

(傲慢…か)

 そういえばあいつは、いつだって自分の死を俺のせいにしたことはなかった。俺が勝手に罪だの罰だの言って、拗ねて、俺が一方的に、それを静に押し付けていただけではなかっただろうか。だって確かにあの時、“罪も罰も初めから存在していない”と、あいつは言ったのだから。

(俺は結局、)

 自分の傲慢さを、否定してほしかっただけなのかもしれない。

「でもね、祭くん」

 彼女が緑間と緑間のすぐ横、つまりは赤崎を見比べてにっこりと微笑む。

「君のその傲慢さに救われた人も、ちゃんといるわ。だからその全てを、悪いとは思わんよ。だから私は、そういうのも全部含めた上で、祭くんの気持ちを知りたいの」

 ああ、この、内側からじわじわ侵食される感じ。

(静そっくりだ)

 偽ることは、もう出来そうにない。

「…やりたいです。教えてもらえませんか、作り方」

 これが彼の得意料理の一つとなるのは、もう少し先の話である。




***




 夕飯を食べ終えたのはそれから約二時間ほど後で、二十時のことだ。今日はあれですか、誰かの誕生日ですか。もしくは結婚記念日ですか。などと言いたくなるくらいたくさんの料理が食卓に並び、気分はすっかり正月であった。普段からこんな感じなのだろうかと、緑間は勝手に心配になった。一体、正月にはどんなことになっているのだろう。この家のエンゲル係数は正常だろうか。

 とりあえず夕飯時は赤崎のことは横に置き、赤崎の祖父母と妹の遥、緑間の四人で楽しい雑談が繰り広げられた。厳密に言うとその場には赤崎もいたので、正確には四人と幽霊一人という数え方になるのかもしれない。

 そしてというかなんというか、かしこまった自己紹介なんかは綺麗に後回しにされた。

 現在。

 夕飯前に既に入浴を済ませていた赤崎祖父(姿が見えないと思っていたら、どうやら風呂に入っていたようである。えらい長風呂で、二時間はあがってこないらしい)に続き、二番風呂に緑間はつかっていた。

 体と頭を洗い終えて、かれこれ十分。緑間は、温泉さながらの大理石の浴槽を堪能している。入浴剤には、数ある香りの中からゆずを選んだ。珍しくカモミールなんかもあったが、緑間はハーブが苦手だったので遠慮しておいた。

 結局、緑間はこの家で数日お世話になることとなった。夕飯の際、ごく当たり前のように泊まっていくだろうと問われ、いやそれは流石にと首を振ろうとしたのだが、赤崎祖父にそうしなさいと促され、赤崎妹にやった!と喜ばれた挙句、赤崎本人がもちろんそのつもりだと、さも当たり前のように緑間を無視して言ったものだから、結局流されるままそういうことになったのである。

 申し出はとても嬉しいし、有りがたいことではあるのだが―非常識な人間、だと思われていたらどうしようかと、緑間は未だに自分の良心に悩まされていた。

 そして風呂を借りることになったわけだが―勿論緑間としては、居候の身である自分が、この家の住民よりも先に風呂に入るというのはかなり抵抗があったのだが、まあ、いい具合に丸め込まれてしまったわけで。なんというか、赤崎の家系は緑間の扱い方を心得ていた。

 緑間は顔の三分の一を湯船に沈め、ぶくぶくと息を吐く。

「どうしたのさ、溜息なんて。随分らしくない」

「静…」

 そしてやはり、浴室までついてくる幼なじみであった。

 実際この家に限らず、お互い離れられない状態が続くようになってからは、緑間が入浴する際赤崎も一緒だったわけだが、まさかここでもそうなるとは思わなかった。この後景、視える人が見ればかなり奇怪だろうなあと緑間は思う。

 勿論男同士なので、裸体を見られたところでどうということはないのだが、どうにも赤崎だけが服を着ているというのは、あまりフェアではない気がして仕方がない。いいえて微妙だ。だが、かと言ってお前も服を脱げなどと言えるはずもなく(それではまるで変態だ)。そもそも、赤崎が服を脱げるのかさえわからないのである。

 そういえば描写が遅れていたかもしれないが、赤崎は今現在高校の制服を着用している。最後に着たのは白装束であったはずなのに、どういうわけか彼、事切れるその時まで着ていた制服を着て、あの日緑間の前に現れた。

 勿論血塗られてなどは、いない。

「一つ聞くけど、もしかして僕はいない方がいい?」

 それは。

 それはおそらく、浴室に、という意味であっただろう。お互い離れられないからといって、ミリ単位でぴったりとくっついていなくてはならないというわけでもない。  

 赤崎が脱衣所へ行ったところで、緑間(浴室)と脱衣所(赤崎)を隔てるものは、ガラス戸一枚だけである。さして問題はないだろう。

 だからこのタイミングで、赤崎のその質問の意図は、後にも先にもそれだけだった。それだけだったはずだ。

「バーカ。俺がそんなもん気にすると思ってんのかよ、お前は」

 だがそれでも、そうとわかっていても―やはり緑間は、首を縦には振れなかった。

 今頷いてしまったら、このまま赤崎が「そっか」と言って消えてしまうような気がしたからだ。

 やはり、消えないでほしいと願っている自分もいるようだと、緑間は自嘲気味に笑った。

「そう。ま、それもそっか。祭はむしろ、裸を見せびらかせたいタイプだもんね」

「おい、そりゃあどういう意味だ」

 赤崎が軽口を叩いて、浴槽の外枠に座った。かなり奇抜な後景である。

 そういえば、緑間は以前にも似たようなことを言われたことがあった。注目されるの好きでしょ、と。確かあの時は青子だったような気がする。

 緑間は別段注目されるのが好きなわけでも、裸を見せびらかせたいタイプなわけでもないのだが、どうやら周りからはそういう風に思われているらしい。存外ショックである。

「そういえばさ、もうすぐ誕生日だね」

「あ?誕生日?誰の」

 誰か誕生日が近い奴でもいただろうか、と緑間が考えていると、赤崎が「うわあ」となんともいえない微妙な顔で若干身を引いた。お前バカ?というオーラが滲み出ていて、お前に言われたかねえよと思いつつ(言われてはいないが)、そこまで赤崎に言わしめるほど、自分は変なことを言っただろうかと緑間は首を傾げた。

「本気で言っているの、それは」

「んなところで嘘つくかよ」

「はあ…誕生日でしょ、」

 赤崎が深い溜息をついて、やれやれという風に首を振る。随分前に溜息をつくと幸せが逃げるうんぬんと言ったのは、どこのどいつだと緑間は言いたくなった。

 だが、この幼なじみがここまで感情を表立って表現することは、そうあることではないので、自分の発言にも問題があったのだろうことは緑間にもわかっている。

 だがしかし、わからないものはわからない。

「だから誰の」

「祭のだよ!ま・つ・り・の!」

「…………………は…っ!」

 言われて「んん?」と腕を組み、今日の日付を思い出して緑間は目を丸くした。

(ああ、そうだ、確かに)

 今日は八月二日。そして緑間の誕生日は、赤崎と一ヶ月違いの八月七日である。

「すっかり忘れてたわ…」

 ここ数週間、色々なことがありすぎたせいだ。赤崎が死んで、それだけでもう十二分手一杯だったというのに。なんの因果か某神様よろしく、三日後に生き返りはしなかったものの、その二日後に幽霊となって緑間の前に現れたりと、とにかく日常に浸る暇が全くと言っていいほどなさすぎた。自分の誕生日などもってのほかである。

「まさかお前に誕生日を諭される日が来るとはな…」

「その調子だと、八月七日までには帰ってきてって言われたことも、忘れているんだろうね…」

「…あ、そういえば」

 今朝電話で青子にそんなことを言われたと緑間は思い出す。あの時は対して気に留めていなかったが、なるほど、そういうわけか。

 だが、一体八月七日がなんだというのだろう。緑間にとって…というか、青子にとっても、誕生日など今更なんの意味もないというのに。

 赤崎の誕生日を、祝わないと決めたあの日からずっと。

「はあ。祭の記憶力を僕は時々疑うよ」

「否定しがたいがお前にだけは言われたくねえ」

 そもそも記憶することさえしないような奴に!

「…まあいいや。話を戻そう」

 赤崎がごく自然な動作で、ゆずの香りが漂う湯船に手を入れた。もちろん波紋ができることはなく、水面は少しも揺らがない。

 果たしてこの幼なじみは、その行為にどのような意味を見出そうとしたのだろう。考えたが、緑間には到底わかりそうもなかった。

 緑間はそっと赤崎の手に触れる。

(俺はちゃんと触れられるのに)

 ―世界はこんなにも、この幼なじみを拒絶したがる。

 そして本当は、俺も拒絶しなくてはならないんだろうけれど。

 俺が一番、この幼なじみを拒絶しなくてはならないんだろうけれど。

「何かほしいものはある?」

「ほしいもの?」

 うん、と赤崎が頷いた。そして、付け加えるように「ああでも」と困ったように笑う。

「今の僕が出来る範囲のことでよろしく頼むよ。物はやめてほしいな。僕の家にあるものなら、別に何を持って行ってくれても構わないけど」

 僕に出来ることがあるなら言ってほしいと、そんな風に赤崎は言った。とても胸に突き刺さる言葉だった。

(ほしいもの、か)

 帰って来いよ、とそう言ったらどんな顔をするだろう。お前が生きて帰って来てくれるなら―それ以外は何も望まない。これからの生涯、どんなことがあってもそれ以上のことは望まないと、居もしない神に誓って、俺はそう言い切れる。

 それでもそれが、どうにもならない、どうしようもない願いだとわかっているけれど。

 言葉にすれば終わってしまうと、わかっているから。

「ねえよ、そんなもん…ああ、でも、強いて言うなら」

「うん?」

 敢えて、言うならば。

「さっさと成仏して楽になれよっつうことくらいだな」

 ―縛っているのは、きっと俺の方だけれど。


 赤崎の返事は待たずに緑間は湯船からあがった。

 二十一時である。




 テーブルを挟んで、向かい合わせに四人は座った。赤崎祖父母はソファに、そして緑間は遥と並んで絨毯の上に座っている。勿論赤崎もいて、緑間の右隣りに腰をおろしていた。

 これからとりあえず、先延ばしにされていた自己紹介や、その他諸々を始めるのだろう。もう二十二時近いのでそこまで込み入った話にはならないだろうが、現状確認くらいはしておきたかったので、緑間としてはありがたかった。

 トップバッターを切ったのは、浴衣を着ている赤崎祖母だ。

「初めまして…と言っても、昔一度だけ、祭くんはうちに来たことがあったけれど。藤黄とうおうたまきです。私としては、名前で呼んでくれると嬉しいわ」

 どうかしら、とその提案に対して意見を求められ、緑間はもちろん戸惑った。戸惑いはした。

 だが、少なからず彼女がそれを望んでくれているのなら。

 それはつまり、迷惑などではないということなのだろう。実際緑間自身、遥以外の呼び方には困っていたのだ。

「環、さん」

 にっこりと赤崎祖母―環が笑った。

 そして次に赤崎祖父が咳払いをして、口を開いた。

藤黄とうおうまもるだ。わしのことは…まあ、お義父さんと呼ぶといい」

「「なんで!?」」

 緑間と赤崎兄妹の声が見事にハモった。混声三部合唱。

 というか、今の発言には大分問題があるのではないだろうか。第一あんた父親じゃなくて祖父だろうが!と緑間は本気でつっこみたくなった。

「なんでって…将来わしの義理の息子になるんだから、当たり前じゃろう」

「なりませんよ!どうしてそんな結論に至ったんだ!?」

「お前さんになら、娘同然の遥を安心して任せられると思うんだがなあ…なあ、ばあさん」

「そうですねえ」

「…じゃ、ないでしょう!」

 この二人、どうしてか遥と自分をくっつけたがっているように見えるのだが、一体何故だ。

 ひと悶着(?)の末、ようやくその話題から脱することが出来て、緑間はほっと息をつく。そして切実に思った。こんな短時間で、娘同然の孫を任せるに足りる人間だ、などと過大評価されたくはないと。自分は、そこまで出来た人間ではないとも。そして、青子を連れてこなくて本当によかった。

 当然お義父さん呼びは緑間と遥(と赤崎)が反対し、本人は渋々といった様子だったが、「衛さん」と呼ぶことになった。

 そして次は、流れ的に彼女の番である。

 幼なじみと瓜二つ―どころか双子と言われても納得してしまいそうなくらいそっくりな、それでいて少し幼い顔立ちをしている、静の妹。

「受験真っ只中の中学三年生で、正真正銘血の繋がった、静お兄ちゃんの妹の藤黄遥です。名前は…好きなように呼んでくれて構わないから、そこは任せるね」

「中学三年生…?」

 意外だった。まさかそこまで赤崎と歳が離れているとは、思っていなかったからだ。確かに顔立ちは幼いが、高校生だろうと思っていたのに。

「うん?」

「いや、なんでもない」

「そう?じゃあラスト、祭兄どうぞ!」

「お…おう」

 祭兄という呼び方について緑間は問いただしたいところだったが、とりあえずは横に置いておく。

 緑間は回ってきた自分の順番に、柄になく緊張しながらすうっと息を吸い込んだ。

「静と同級生で幼なじみの、緑間祭です。物心ついた頃から幽霊の類が視えて、尚且つ霊媒体質だったことから、俺と静は今、互いに離れることが出来ない状態です」

「ああ、なるほど。だから祭くんもうちに来たのねえ」

 そうなのだ。そうでなければおそらく、赤崎は一人でここに来ていただろう。むしろ、出来ることなら一人で来たかったはずだ。思い出したくもない過去について、不本意にも緑間に知られてしまうことになるのだから。

 ちなみに聞いた話によると、赤崎の姿を視覚できるのは祖母である環だけらしかった。ただ、遥は姿こそ視えないものの、ぼやあっとそこにいるというのが感覚でわかるらしく、更に赤崎の声はきちんと聞こえているらしい。

 以前聞いたことはあったものの、赤崎の家系はどうにも霊感が強い者が多いと緑間は思う。この調子でいけば、今は声しか聞こえない遥も、やがて霊そのものが視えるようになるかもしれない。

「静は…事故に遭った日からずっと、成仏できずに彷徨い続けている。俺はなんとかして、あいつを成仏させてやりたい。だから」

「そう、か」

 赤崎祖父―衛が、初めからわかりきっていたことだったと、そんな表情で呟いた。

「…平気な顔をしっとったが、根に持っていたんだなあ。静は」

 おそらくそれは、八年前の七月七日のことを言っているのだろう。

「…明日、静の母さんに会わせてくれると本人から聞きました」

「ええ」

 心なしか、そう頷いた環の表情が、一瞬強張っていたように緑間は感じた。というか、あまり気は進まないけれど、とそういうオーラが滲み出ている。

 そりゃあ気は進まないだろう。息子を捨てた自分の娘と、その息子を、わざわざ引き合わせようだなんて、後ろめたいに決まっている。

「俺には、どうにも話が出来すぎているとしか思えない。十年近くもほったらかしにしておいた息子のことなんて…覚えているかも危ういはずだ。明日、なんてそんなのはおかしい。そう思うのは俺だけですか」

 赤崎は何も言わない。

「…それでも明日、静くんと祭くんは、確かに「かなで」…私の娘に会うことになる。そしてその時、本当の真実を知ることになるんよ」

 真実。

 真実?

 あの、弁解しようのない事実―“あんたなんか生まれてこなければ”―その言葉の裏側に、一体どんな真実があるというのか。それを知ることで、赤崎の“何か”は変わるのだろうか。

「…真実は過去を塗りつぶす。祭くんには、それを受け止めるだけの覚悟が、ちゃんとあるかい」

 だが、たとえ赤崎の“何か”が変わったとしても。緑間の中で、絶対に変わらない事実がある。

(俺は絶対に許さない)

 静のことを捨てた、静の母親のことを。

 この時彼は知らなかった。その場にいた四人と一人の幽霊の中で、彼だけが唯一、事実の片鱗すら知る由もなかった。

 だから彼は頷いた。

「そうかい」

 緑間のそれに対して環は、そんな風に短く相槌を打っただけだった。

「それならもう、語ることは何もないんよ。全ては明日―静くんの全てに、決着をつけよう」

 こうして話し合いは、込み入るどころか予想以上にあっさりと終わり、明日に備えて早めに就寝することとなった。

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