第20話 手だて 7

 翌日、早々にわたしはゾランいる姫さまの居室へ続く廊下を走った。

 途中、昨日と同じ中庭にいる孫姫さまと侍女を見かけた。人形を抱きしめた、あどけない孫姫さまの横顔に胸が痛くなる。わたしの考えのとおりならば、それは幼い姫さまにはあまりに酷なことだ。影のようによりそう年老いた侍女が姫を見つめる眼差しも、どこか悲しげな理由もわかる。

 確信が深まる。おそらくは、わたしの考えは当たっていると。

 朝食が終わったところだ。料理に使われた香料スパイスの残り香が廊下に漂う。まだ陽の差さないひんやりした廻廊をわたしは急いだ。

 姫さまの部屋の近くまでくると、いつもどおりに通路をふさぐ二人の兵士がいた。駆け寄るわたしに、兵士らは槍を交差させ行く手を遮った。

「ゾラン、ゾラン殿に会わせてほしい。今すぐ、今すぐに」

 早口でまくしたてるわたしに、兵士はふたりともうんざりしたように眉を寄せて口を曲げる。それに構わず、ゾランの名を連呼した。すると煩さが目に余ったたのだろう。げんなりした顔のゾランが姫さまの部屋から出てきた。

 兵士ともみ合うわたしを見て、瞬間ぎょっとしたように目を見開くと、ゾランは早足で駆け寄って来た。

「なにを騒いでいるんだ」

 ゾランは兵士たちを後ろに下がらせ、わたしの目をのぞき込んだ。

「わかった、わかったんだ! 手だて……」

 言い終わらないうちに、ゾランはわたしの腰に左手を回して体を引き寄せると口を右手で覆い、額をぶつけて来た。

 衛士が驚きの声をあげた。きっと、この姿勢では兵士たちからはわたしたちが口づけしているように見えている。ゾランは、もがくわたしを押さえつけたまま、体勢を崩さずに柱の陰に隠れた。はたからは強烈な抱擁に見えただろう。

「いらぬことを大声で」

 声をおさえているが、明らかに腹を立てているゾランを無視して、わたしは言った。

「水路、カナートだ。カナートにそって流れを遡れば、外へ行ける」

 両肩に置いたゾランの指に力が加わった。そのまま横を向くと、ゾランは舌打ちをした。

「気づいたんだ。孫姫さまだ。孫姫さまが今まで中庭で遊んでいるところなど、いちども見たことがなかった。それが昨日からその場を動きたがらない。まるで誰かを待っているみたいに。だから調べてみた。中庭の壁には、カナートへ下りていく階段があった」

 壁の扉を開くと、地下へと続く階段があったのだ。下まで行くと、細く水が流れていた。カナートから枝分かれさせ、宮殿へ水を引き入れるための水路があったのだ。雪を頂く山から水を引くためのカナートは、人の手で掘られたものだ。中背のわたしでも立てるほどの高さがある。

「おそらく、一の妃の姫はすでにここを出ておいでだろう。王子をお連れして。……孫姫さまを残されていった」

 出産で里帰りした一行がすべて消えたなら、あまりに不自然だ。苦渋の決断として、孫姫さまを残されていったのだ。推測でしかないが、おそらくは外れてはいないだろう。給仕係にそれとなく尋ねると、厨に戻される食事が増えたと答えた。身重の姫はつわりで、王子は風邪を召してそれぞれ食欲がないという話だったが。姫と王子が姿を消したことは、一の妃と姫のそば仕えたちが口裏を合わせていると思われた。ただ幼い孫姫さまだけは、演技などできない。おそらくは母親と兄が消えた場所を覚えていて、ふたりが戻るのをまっているのだ。

「で? カナートを歩いて出るのか」

 慎重に、逃げるという言葉をゾランは使わなかった。

「水量がいつも少ないとは限らないぞ。おまえたちは泳げるのか。それに、山からの水は冷たい。長くとどまれば、それだけで体力を削られる。だいいち、どこから地上に出られるか、あてはあるのか」

 カナートは横堀の井戸だ。山からオアシスまで緩やかな傾斜で掘られ、作業の時の入り口や小さな集落用の井戸として水が汲めるように地上には穴が開いている。井戸のところには、綱のついた桶がおろされてもいるだろう。

「だいいち、素人のおまえが考えそうなことは、敵方だって気づくだろうさ。いずれ、カナート沿いに監視がつくだろう」

 それはたしかにそうだろう。わたしは小さくうなずく。

「そう、いずれ。でも、今ならまだ間に合うはずだ。ゾラン、あなたは知っているのではないか。だからこそ、わたしに言ったのだろう? 手だてを見つけろと。身重の姫さまたちの脱出に関して一の妃に頼まれ、あなたの配下が手助けしたのでは」

 ゾランは答えず、ただわたしを睨んだ。

「どうか、お願いだ。姫に、せめて会わせて欲しい」

 わたしは部屋から持ち出した、ありったけの金貨と宝石、金の粒が入った革の袋をゾランに握らせた。ゾランは手にした袋の重さに、わずかに眉を動かした。

「……新月が近かったな。今夜、皆が寝静まったなら、ここへ来い」

 約束をとりつけ、わたしはようやくほっとした。今夜、姫とお会いできるのだ。



「あまり時間は取れない。姫が閉じ込められている部屋と中庭を共有する部屋はすべて閉鎖されているが、特別に扉をあけてやろう」

 夜更けに言われた場所へ来ると、ゾランは姫のいる部屋とは反対側の位置にある扉を開けた。四角い中庭は複数の部屋で共有されている。使われていない部屋は静まり返っている。明かりを持たずに、間取りを熟知しているゾランがわたしが転ばないよう手を引く。二つの部屋を通り、一番奥の壁にある扉をゾランが開くと、目の前に鉄の格子が現れた。

「庭には出られないように、柵がはめられている」

 わたしは喉の渇きを覚えながら、うなずいた。鉄柵が格子状に上から下まで嵌められた向こう、部屋の庇のしたに出された椅子に腰かける黒くわだかまるものが見える。ゾランが鳥の鳴き声を真似て小さく口笛を吹いた。すると、その塊が立ち上がった。姫と侍女だ。二つの影が前後して、わたしたちのほうへと近づいてきた。

「姫さま……!」

 思わず声をかけると、ゾランにわき腹を小突かれ、慌てて両手で口を押えた。

 暗闇になれた目に、黒いベールをかぶった姫が見えた。細かい表情など察しがたい。なんとかお体は健やかに保たれているように見えた。

「お会いしたかった、姫さま」

 わたしの声に姫は、つと顔をあげて小さく口を開けた。姫と視線が合った手ごたえを感じた。

「逃げましょう、ここにいるのは危険です。姫さま、逃げるための手だてをわたしは見つけました。こちらの兵士、ゾランが協力してくれます」

 ゾランが首をまげて、ぎっと睨む気配を感じたが無視した。ゾランとの約束など取れていないが、姫を安心させるためには、これくらい言わないといけない。

 姫の小さな肩がゆれた。戸惑うように曲げた指を唇にあてる。

「カナートを歩いていけば……」

 わたしの話を遮るように、侍女が姫の前にすっと立ちはだかった。

「……誰が、ここから連れ出して欲しいと言いましたか」

 侍女が言い放った言葉に、わたしは唖然とした。姫がうつむくのが見えた。

「とうぜん、逃げるでしょう? 東のとの戦にこちらが勝てるとは思えない。姫の命をだいいちに考えたなら」

 わたしの言葉に侍女は揺るがなかった。胸をそらし、昂然と言い放った。

「逃げなどしません。姫さまには、姫さまの役わりがおありです」

「人質でいることが、役わりだというのか。そんな馬鹿げたこと。姫さま、姫さまのお考えは!」

 前のめりになったわたしの肩をゾランが引き戻した。姫さまは口許をベールで隠してうつむき、侍女の後ろで、ただ頭を左右に揺らした。

「姫さまのお気持ちは決まっております。わたしも最後まで姫さまに付き従います。逃げるのでしたら、あなた様お一人でどうぞ」

 きっぱりと言い放つと、それきり侍女は姫さまの細い肩を抱いて部屋へと戻っていってしまった。あまりのことに言葉もなく立ち尽くすわたしにゾランが声をかけた。

「おれの言った通りだったな」

 せっかくみつけた手だても、わたしの焦りもすべて徒労に終わった。けれど、はっきりとした物言いの侍女にくらべ、姫は何か物言いだけだった。本気で逃げる気がないのならば、今夜ここまで来なかったはずだ。侍女に返答を持たせればよい。そうしなかったのには、なにか理由があるはずだ。

 まさか、言われたとおりにわたし一人がここから逃げたのでは、意味がない。必ずや姫さま連れ出すのだ。

「ぎりぎりまで、わたしは望みを捨てません」

 ですから、とわたしは振り返ってゾランに言った。

「どうか、あなたが無事にここへ戻れたら、力を貸してください。お礼にさしあげる宝石も金貨もありませんが」

 手持ちの金や宝石を袋に詰めていた時に考えていた。無一文になった自分にできることを。

「ここから出られたなら、わたしを好きにして構いません。奴隷として売り飛ばされても恨みません。姫の命の代償としてなら、喜んであなたにわたしを預けましょう。あなたがわたしの価値をご存知でしたら」

 もう売れるものなど、わたし自身しかないのだから。

「それでよいのなら、約束しよう」

 ゾランは、わたしの手首に口づけた。


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