第21話 砂塵 1

 ゾランは出兵し、わたしは残された。

 見張りの兵士が変わった。わたしは以前のように姫さまの部屋へ足を向けることがなくなった。固く閉ざされた扉の向こうで、息をひそめて過ごす姫さまを思うと矢も楯もたまらなくなるが、今できることは何もないのだ。

 唯一できることといえば、日を数えることだけだった。

 オアシスから都までの早馬での往復の日数、十日間はすでに過ぎさった。しかし、これといって東の軍の動きが伝えられることもなく、ある意味不自然なほどの平穏さを保っていた。

 オアシスは連日かけつける新しい兵士志願者や渡りの鍛冶屋などを受け入れていった。オアシスを囲む城塞は昼夜をたがわず補強工事が続き、街の活気は更なる盛り上がりを見せた。

 大きな熱をはらんだうねりのようなものが、人も物も押し包んでいる。


「遅くなりました」

「おう、今日も頼むぞ」

 酒場の親父が仕入れた野菜や肉を確かめながら、わたしに声をかけた。

 自室にこもったままでいると、落ち着かず狭い室内をうろうろするだけだ。わたしは酒場の仕事を手伝わせてもらうことにした。親父はわたしの申し出をもろ手を挙げて受けてくれた。

「朝から助かるよ。なあ、ほんとうに表で歌わなくていいのか?」

 椅子や敷物を、お運びの少年と整えるわたしに、親父が厨房から顔を出して尋ねた。

「構わないですよ。今は歌うより体を動かしていたいから」

 そうか、と親父は少しばかり残念そうに眉をよせて引っ込んだ。もしもまた誰かに絡まれても、助けてくれるゾランはいないのだから。

 酒場は日の高いうちから夜遅くまで、客足が途絶えなかった。

 下げられた器や皿を洗う私の耳に、流れの楽師たちの賑やかな演奏が聞こえる。きっと薄手の布をわずかにまとっただけで踊る女たちに、客は目を奪われているだろう。手拍子や口笛が絶えないのがその証拠だ。それとともに注文が矢継ぎ早に厨房へと告げられる。戦地から帰還した兵士や遠方からやって来た兵士志願者は大いに楽しんでいるようだ。

 わたしは作業をしたまま、歌や曲に紛れる酒場に出入りする客たちの噂話に耳をすませた。

「東のやつらは、王の勢いを恐れているんじゃないか。いつまでも兵をよこさない」

「もうここらへんのオアシスはぜんぶ王の傘下に入ったろう」

 耳にするのは、王の勝利のことばかり。時には、聞くに堪えない略奪の武勇伝を声高に語る輩もいる。

 ……王はどうするつもりでいるのだろうか。いずれ、東の者たちが来た時に、自身の戦果をみせつけて話し合いの場へと引きずり出そうとでも考えているのかも知れない。

 ゾランが言っていたように。東からの独立を勝ち取る。東西の大国に挟まれた砂ばかりの土地にちらばるオアシスを束ね、交通の要衝として王国を作るという野望。

 その玉座に座る王、隣に並ぶのはユェジー姫なのか。

 もしそうなれば、姫は生きながらえるだろう。けれどもそれでは、死ぬまで人質ということに変わりはない。部屋に閉じ込められたまま、歌うことも叶わずに。

 逃げ出す手だてを見つけられたのに、姫さまはここに留まるという。あれは、侍女の勝手な判断ではないのだろう。戸惑いながらも、確かに姫さまからは逃亡の意思は示されなかったのだから。

 だからといって、ここにいて大丈夫なはずはない。いつ、大軍を引き連れて東の兵がオアシスを襲うか知れたものではない。

 わたしは酒場への仕事の行き帰りに、わずかずつ逃げ出す時のための物を買い集めた。

 縄や火打石、水を入れる革袋、干し肉や干果、乾酪チーズなど。衣服も普段は麻でできた軽くて風とおしのよいものを着ているが、日の差さないカナートを歩くと思えば、木綿製のものと羽織れるような毛織物を準備した。

 わたしと姫と、侍女の三人分を。侍女の頑なな表情を思い出すと、三人分を用意するのは無駄に思えたが、事態が切迫すれば侍女の考えも変わるかもしれない。

 生まれてこの方、歌う事しかしてこなかった。幸いにも、戦に巻き込まれることもなく過ごして来た。そんなわたしに、戦局を見通すことなどできるはずもない。

 ただ、兵士や街の者たちから漏れ聞く話を集めては、考えるしかない。

 既に王は、周囲のオアシスを全て配下に置き、東西を結ぶ街道も封鎖したという。そして封鎖した街道の関所、楼門には軍を配置し、東の襲来に備えていると聞こえてきた。

 毎朝、宮殿の中庭にいる孫姫さまを見る。人の口に戸は立てられない。孫姫の母親である、一の妃の娘王女が消えたことは、宮殿内の使用人たちのあいだでささやかれている。それでも、一の妃が岩のごとくオアシスから動かいなとが、使用人たちのざわめきを押さえることに繋がっているようだ。


 気づくと数える日にちは、四十を超えた。


 そして、知らせは突然もたらされた。

 東の門に、傷ついた従者が倒れ込んだのだ。青い目の西の姫の足元に。


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