第18話 手だて 5

 町は人とすれ違うときに、ぶつからないよう歩くのに気を使うほど、込み合っていた。塔のうえから見ていたよりもはるかに人出がある。

 いくさからいったん戻った兵士が徒党を組んで通りをゆく。新しく兵に加わろうという若い男たち、それから物売りたちも大きな籠を担いで道をゆく。

 どの店にも人だかりがあるが、ことに食事のできるところは、屋台といわず宿といわず、たいへんな賑わいだった。

 馴染みの親父の店も、外へ人がはみ出すほどの賑わいだ。お運びの十歳くらいの少年が料理を盛られた皿や酒を運んでいた。皿を卓に置いたとたん、すぐに別の客が注文を言いつける。少年は返事もそこそこに、額の汗をぬぐいながら、厨房へと注文を伝える。肩で息をしながら、足を止めるまもなく、ひっきりなしに狭い店内とくりやを往き来している。

 料理に使われている香辛料と酒の匂いが道へ流れて、それに引き寄せられるのか、客がさらに並んでいく。席はとうに埋まっているのに。

 戦のようすを知りたくて来たものの、気安く話しかけられる雰囲気はない。腹を空かせて殺気だっている男ばかりだ。

 わたしは店の裏に回った。狭い路地から裏口を覗くと、親父が二人の料理人と血眼で包丁をふるっていた。かまどにかけた鍋は煮え、野菜と木の実が鉄鍋の中でゆすられ炒められる。笊に盛った野菜も肉も、調理されてまたたく間に無くなっていく。

 大車輪で料理しているけれど、客たちの腹が満たされるには程遠いようだ。店の喧騒は収まるようすがない。わたしは見るに見かねて、店主に声をかけた。

「何か手伝おうか」

「おお、いいところに来た」

 鼻の頭に汗をかいた親父が手を止めずに、振り返った。

「料理を運ぼうか? お運びが一人で大変そうだ」

「さっき、手伝ってくれる奴のところへ使いを出した。もうじき来る」

 ならば、その間だけでも手を貸そう。

 料理は出来ないが皿の上げ下げくらいならと、ウードを置く場所を探して厨の中を見回した。土壁にそって四角く切られた窓の下に、かまどが二つと水を入れた大きな甕。部屋の中央の大きめの卓には、いくつもの籠には新鮮な野菜やら肉やら。調味料の壺に、混ぜられた香辛料の鉢が竈のそばの窓際に並ぶ。

「飯はまだか、いつまで待たせるんだ!」

 店からは男たちの怒声が飛び交う。そのたびに、少年が頭を下げて詫びている。ウードを置くのをためらっているわたしに、親父は客たちの喧騒に負けないくらい焦った声を張り上げた。

「それより、悪いが景気づけに歌をうたってくれ。礼はあとで払う」

 今日はいきなり歌を頼まれる日なのだろうか。

「いつもの踊り子たちは?」

「ここで踊るより、客を取った方がよほど実入りがいいだろうさ」

 たしかに、そうだ。女が足りないせいで、昨日えらい目にあったのだ。

 わたしは厨から店の中へと足を踏み入れた。

 食べ終わった皿を片付けていた少年が顔をあげた。いっぺんにたくさんのことを言いつけられて大変だったのだろう。半分泣きそうな顔をしている。

 いきなり現れた場違いなわたしの姿に、ほんの束の間、客たちの怒鳴り声が止んだ。

 わたしはすぐにウードを鳴らした。

 勇ましい戦士の歌を歌えばいよいだろうが、高めのわたしの声には合わない。若者たちの恋のさや当ての歌を選んだ。明るく軽快な曲に合わせていつしか手拍子が鳴らされ、殺伐とした空気は和んでいった。

 わたしは卓と卓の間をゆっくりと回り、数曲続けて歌った。

 その間に、少年は食べ終わった皿を下げ、新しく受け取った料理を運ぶ。いつしか、少年よりも少し年上の給仕も加わり、客は順調に流れ始めた。

 厨のほうを見ると、人影は四人になっている。店は落ち着き始めたようだ。わたしは歌を止め、ゆったりとした曲へと切り替えた。さっきまで泣きそうだった少年が、わたしの袖を引いた。少年が指さす先に椅子があった。わたしはそこに腰を下ろすと、少年はぺこりとおじぎをした。再び仕事に戻る少年の背中を見送り、わたしはウードを弾き続けた。店の入り口に近い場所に座り、演奏し ながら客の顔ぶれをざっと眺めた。名前は知らないが、見覚えのある男が数人いる。この曲を弾き終えたなら、話しかけてみようか。

 そう思っていると、奥の卓から男がひとりわたしのもとへと来た。

「あの、サーデグ殿ですよね」

 低く、よく通る声だった。わたしは徐々に音を小さくて演奏を止め、うなずいた。

 男は三十ほどだろうか。背が高く、腕の逞しさは身に着けているシャツのうえからも分かるほどだ。男はとび色の目を細めて、ほっと息を吐いた。

「よかった。まさか街の酒場で、あなた様の歌声を聞けるとは。夢かと思いました」

「わたくしをご存知ですか」

 ええ、と男は胸の御守りに右手をあて、うなずいた。

「王宮の宴の末席で、あなた様を何度かお見かけました」

「そうでしたか」

 わたしは立ち上がり、頭を下げた。

戦場いくさばからの、お戻りでしょうか。ご無事でなによりでございます」

「ありがとうございます。二日ばかり休みましたら、また戻ります。なにせ、まもなく十日目を迎えますし」

「十日目に、なにか?」

 男は微笑みをいったん止め、引き締まった表情をした。

「ええ、東の軍を迎え撃つ準備です」

 まさか、もう来るというのか。ここから一千里の道のりを片道五日で来られると? 俄かには信じがたいことだが、東の国力をもってすれば可能なことかもしれない。

「なに、その間に周囲のオアシスすべの兵を合わせれば……」

 男は不意にはっと目を見開き、自分の手で口をふさいだ。不自然に言葉が途切れた。おそらくは、話しすぎたと感じたのだろう。

 東の都まで、五日から六日。折り返し、来るのであれば十日。けれど、それ相応の兵士を率いて来るとしたら、もう少し時間がかかるのではないだろうか。

 わたしも難しい顔で押し黙ったことに不安に感じたのか、男は話の方向を変えた。

「わたしはナシ―ルと申します」

「はい」

 わたしが首を傾けナシ―ルと目を合わせると、ナシ―ルはなぜか頬を赤らめた。

「……宴で、あなた様のお姿を拝見するたびに、胸が高鳴りました」

「え?」

「明後日に戦へ出たならば、無事に戻れるとは限りません。ですから、サーデグ殿……」

 ナシールの真剣な眼差しに、思わず体が引ける。しかし、引いた分だけナシ―ルはわたしへと一歩踏み出す。

「どうか、わたくしと一夜を……」

 いつの間にか、酒場の客たちはわたしたちのやり取りを半笑いで見ている。わたしの頬が一気に熱くなる。

「わ、わたしは!」

 言い放ったとたん、入り口の段差に足をとられた。空を漂うような感覚に襲われ、建物に切り取られた縦長の青空が見えた。

 悲鳴をあげる間もなく、誰かがわたしの体を背後から受け止めた。長い黒髪がわたしの頬をかすめた。

「気をつけろよ」

 首をひねると、ゾランがいた。ナシ―ルが中途半端に腕をのばしたまま、口を開けている。

「怪我などさせてくれるな、ナシ―ル殿。サーデグ殿は王宮の宝だ」

 それだけ言うと、わたしの肩をすっと抱いた。

「ゾラン、きさま傭兵の身分で」

「まったくだね。正規の兵士もいるというのに、俺たちなんぞに高給を支払って」

 上背で勝るゾランがナシ―ルをわずかに見下ろす。ついでにわたしの体を引き寄せる。ナシ―ルはその様子を唇をかみしめ、睨みつけている。握りこぶしがふるえるが見えた。

「サーデグ殿をこちらに」

 上ずりひきつった声でナシ―ルが手を差し出したが、ゾランは鼻で笑った。

「恋人をみすみす引き渡すわけがないだろうが」

「サーデグ殿は、奴隷出のおまえになど釣り合うものか」

「生まれなど何の関係が?」

 ゾランは一歩も引く気配がない。もとよりわたしは身を売ることは絶対にしない。不本意ながら、ゾランに身を寄せるようにしてナシ―ルを見返した。

 わずかの睨みあいの末に、ナシ―ルは踵をかえして店から出て行った。

「造作もない」

 ゾランはわたしの体から手を離した。

「少しは気をつけろよ。こんな時に外をうろつくな」

「昨日言われたことを調べるためだ」

 反論するわたしに、ゾランは頭をかいた。

「王宮からのこのこ出歩いて。おまえに懸想している奴は意外と多いぞ」

「何の話だ」

 昨日の話となんの関わりがある。意味が分からず、ぽかんとするわたしにゾランが眉をしかめた。

「王宮まで送る」

 こい、とゾランはわたしの腕を掴んだ。

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