第16話 手だて 3

 翌朝、わたしは王宮の入り口にある塔へ登った。つい昨日、王が勝利を宣言した場所だ。

 塔には誰もいなかった。昨日の熱気が嘘のように静まり返っていた。赤と白のタイルが交互に組まれた床を過ぎ、透かし模様の彫られた扉を押して、バルコンに出る。

 とたんに、人々のざわめきが響いた。

 城壁の向こう、かなたの地平線が白くけぶる。空に雲はなく、研かれた瑠璃石の色だ。門のうえに立つ、見張りの兵が持つ槍の穂先が朝陽にきらめく。塔は東の門と向き合うように建てられているのだ。

 今日も人の出入りが多い。歩きの者もいれば、背中に荷を乗せた驢馬や大きな荷車を三人がかりで引いて門をくぐる者たちの姿もあった。

 鍛冶屋が刀を打つ音が、城壁にぶつかりこだまする。市場の屋台が肉や麺麭を焼く匂いが風に乗って鼻まで届く。王が勝ちを得たことで、近隣に住む者が兵士に志願し始めたようだ。急激に膨れ上がった需要や人々を養うために食料や物資が運び込まれているのだ。

 バルコンの壁から首を左右に振ると、南北にひとつずつある水場には水汲みのための列ができている。壺を抱えたり頭に乗せた女たちが見える。

 南の水場は地下から湧き出た水、北の水場は遠くの山の雪解け水を運ぶために地下に掘られた水路、カナートで引かれた水だ。

 オアシスは王宮と城下を囲む城壁の中にある。畑は外の城壁に沿って日当たりのいい南側を中心に耕されれている。農民たちは城壁のいちばん外側に住まいを持ち、日のあるうちは外で働き夜は家で休むのだ。

 門から向こうは、わずかな耕作地のほかに視界を遮るものは何もない。畑用に外まで引かれた水路が途切れると、緑はたちまちなくなり、砂礫と砂の大地が広がるばかり。視界のぎりぎりに、わずかに放牧されている家畜の姿が見えるぐらいだ。

 仮に、姫たちと外へ逃げられたとしても、あまりに目立つだろう。夜ならば闇に紛れることもできるだろうが、もとより夜は門が閉ざされている。扉を開けて欲しければ、門番たちにそれ相応の金をわたさなければならないだろう。

 わたしの懐は、何人もの見張りに金子きんすをばら撒けるほど、豊かではない。

 人目を盗み、どうやって姫を外に逃がせるだろう。

 ゾランは手だてを探せと言ったが、そんなものがあるのだろうか。しかし、身重の姫がオアシスから出ようとしているはずだ。不可能ではない。どこかにあるはずなのだ。

 荷車に紛れ込むとか、農民たちの混じって外に出るくらいか。いや、そもそも姫さまを部屋から連れ出さなければ。

 どうやって?

 どうどう巡りが続く。答えを見つけられず、無為に時間が過ぎるのが怖い。

 ゾランからのもう一つの助言、日にちを数えること。

 知らせを受けた東の軍が反撃に出るまで、あと何日残されているのだろうか。すでに闘いの火ぶたが切り落とされてから七日が過ぎた。王は夜明けと共に再び出陣した。東と懇意にしている場所は叩かなければいけないからだ。

 次に王が戻るのは、いつになるのか。王の出立に一の妃は、自ら王のいさおしをたたえる歌い皆を送り出した。見送りの王宮の者たちの中には、一の妃の姫は体調が優れぬことを理由にお見えにならなかった。

 もしや、すでにここから逃げて行ったのかも知れない。

 急がねばならないのに。

 わたしは、バルコンの扉を閉めて塔を下りた。

 ゾランは答えを知っている。だからこそ、わたしに話したのだ。

 どこかにあるはずなのだ。

 ここから逃げ出す手だてが。


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