第14話 手だて 1
手首を強く握られ、引きずられるようにして市場を抜けた。
「さっきの、さっきの話は一の妃……」
男は無言でわたしを睨みつけた。
ああ、ばかだ。ほんとは何も聞かなかったと言った方が身のためだ。けれど尋ねずにはいられなかった。もしも、もしも姫さまが助かるなら、その手だてがあるのなら、聞かずにはいられない。わたしのもの問いたげな顔に気づいたのか、腕を掴む指に力が加わり、わたしはいよいよ口をつぐんだ。
土壁の迷路のような路地を抜ける。勝利に浮かれる人びとの喧騒や供されるご馳走の匂いが遠ざかる。いつしか宮殿の近く、傭兵たちの宿舎の前まで来ていた。
急ごしらえとはいえ、宿舎には堅牢な扉が付けられている。背筋がひやりとした。
このまま、ここに押し込められたら……!
今さらわたしの抵抗など何になるだろう。開けられた扉の向こうへ手荒に放り込まれた。
中は薄暗く、汗のすえた臭いがした。夜具だろうか。サンダルをはいた足が薄い絨毯を踏んだ。
窓は木戸が閉められ、光が差さないため目がなれない。うかつに逃げようと動いたら何にぶつかるか知れない。
小さく咳をする音がした。それから唸るような声も。体調が思わしくない兵士が残っていたようだ。あたりを落ち着きなく見回すわたしに、男がじれたように命じた。
「脱げ」
「え?」
思わずウードを抱きしめる。
「脱げよ、商売女がたりやしない。宿屋はどこも満杯だ。女は戦地で戦ったやつにゆずるものだ。楽士、もちろん副業もしているんだろう?」
言うなり、わたしのシャツに手をかけた。
男の手を払いのけて逃れようとした拍子に体がよろけた。
たたらを踏む足が柔らかいものにつまずき、転びそうになる。思わずウードを守る。
シャツが破ける音と、忍び笑いとが交じる。暗闇に慣れたわたしの目が床に寝転がる男たちを見つける。
「暴れるなよ」
こんなところで! ぐるりと見渡すと片手ではたりないほどの者たちがいた。にやにやと笑う顔を目の当たりにすると、頭から血が引けてきた。
「男でもいける奴だったのか」
「みさかいがないな」
「むこうでやれ」
あちらこちらから、声がする。中には指笛まで吹く輩までいる。
その間にも、男はわたしの体をまさぐり、服を脱がそうとする。
「あんたの顔なんども見たが、嫌いじゃない。金色がかった髪も青い目も。こどもみたいな声は、取っているってことだろう? さぞや王宮の男どもに愛されただろうな。どんな声で啼くか、聞かせろ」
にやけた顔が目の前にある。
わたしの中で何かが切れた。
唾を男の顔めがけて思いきり吐きかけた。
「なっ! おまえ!」
一瞬の隙に男の腕から逃れたわたしはウードをかき鳴らした。
「わたしは、歌以外は売らない、なにも!」
回りのものたちがいっせいに、口笛や指笛を吹きならす。
「かっこわりぃな、ゾラン」
囃し立てられ、兵士ゾランの鼻息が荒くなる。
わたしは声も体も細かくふるえている。
「なら、歌え、歌ってみろ!」
膝から力が抜けて不様に倒れそうになる。必死でゆっくりと床に座ってウードを構えた。
わなわなと未だふるえる指は弦をおさえ損ねて、濁った音をたてた。
「なんだ、そのていどか」
ゾランは腕組みをし、わたしを見おろしている。わたしは深く息を吸い、ゆっくりと吐き出すことを数度くりかえした。徐々に落ち着きを取り戻す。
突然、わたしの指は旋律を紡ぎ出す。流行りの歌だ。酒場でよく頼まれた恋歌。
出だしは高く、明るく、軽やかに。
わたしの歌が宿舎に響いた。指はもう震えていない。なめらかに弦をかき鳴らしていく。
姫の笑顔を思い浮かべた。わたしがこの歌を歌うと、目を輝かせたこと、ゆったりと腕を体を歌にて揺らしたこと。
いつの間にか、揶揄するような声は消えていた。ゾランは目を丸くしていた。
わたしは恋歌の終奏から続けて、姫さまから教わった曲の前奏へとつなげていった。曲調がゆるやかに、しっとりとしたものへと変化していく。
水の流れのように、木々の葉がそよぐように、わたしは歌った。ゆったりと哀愁を帯びた歌が進むにつれて、暗闇のそこかしこから鼻をすする音がかすかにしてきた。
わたしは目をつぶった。まるですぐ隣に姫さまがいるように感じる。歌を歌っているときにだけ、わたしは姫さまと一つになれることに、今さら気づいた。
お元気だろうか、生まれ育った国と嫁ぎ先の国との争いに胸を痛めてはいないだろうか。
祈るような気持ちで歌い上げてわたしは演奏を終えた。どこからともなく拍手がしてきた。と、思う間もなく、拍手の渦に包まれた。ゾランを見ると、頬を強ばらせながらも、目もとがわずかに光っていた。
「おまえ、その歌は誰から教わった」
「……ユェジー姫さまからです」
ウードを抱いてわたしは答えた。ゾランが息を飲むのが分かった。
「先ほどのお話を、くわしく伺いたいのですが」
わたしは立ちあがり、ゾランの瞳を真正面から見つめた。
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