二頁目 おんぼろの映画館
苦しい。こんなことやめておけばよかった。
首にかけたロープに全体重が乗った時、あまりの苦しさに先程蹴り飛ばしたはずの椅子を探した。無情にも、椅子は自らの足で立ち上がり、僕を助けるなんてことはしなかった。
首に食い込んでいくロープを必死に掻きむしる。よだれを飲み込む暇も、よだれを拭き取る暇もない。ただただ次第に蝕んでいくロープから逃れたくて必死になる。
そんな最後の足掻きも意味をなさず、視界がどんどん黒くなっていく。頭が熱い。めんたまが飛び出そうだ。
そして、僕の視界は黒に染まった。
……
…
気がつくと、僕はおんぼろの映画館にいた。100人も入れないであろう、狭くて閑散とした映画館だ。あまりにも苦しかった自分が見せる幻覚か。自問自答をしながらただ自分の頭のなかに見える映画館の中で佇んでいた。
「そうか、これが走馬灯なのか」
僕はある一つのことに気づいた。人間が死ぬ間際、その人の人生を超スピードで振り返る、走馬灯という現象に。
先程まで長いロープを首にかけ、苦しんで苦しんで苦しみぬいた結果、僕はやっと死の淵に立つことが出来たのだ。よくよく考えてみれば、この映画館にも見覚えがある。近所の、アダルト映画を専門に取り扱っているおんぼろの映画館だ。
しかし、走馬灯というものはもっと超スピードで、いわば「人生ダイジェスト」な感じで記憶が流れ込んでくるものだと思ったのだが、思っていたよりもずっとゆっくりだ。
そうこう自問自答しているうちに映画が始まった。僕は、「僕の人生」という最後の映画を鑑賞することにした。
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『今日、誕生日だけど何が食べたい?』
「シチューと、クリームパスタが食べたい!」
覚えている。僕はこの光景をしっかりと覚えている。貧乏な家に生まれた僕の誕生日は、いつも決まって母の手料理を食べていた。恐らくこれは小学校6年生の頃の誕生日、この日のシチューとクリームパスタは僕の記憶に強く根付いていた。
しかしここでとあることに気づいた。先程まで映画館にいたはずの僕だったが、どういう訳か今は小学校6年生の頃に住んでいた家の中に場所を移している。これは一体どういうことなのか。てっきりあの映画館の中で、スクリーンを見ながら人生を振り返っていくものだと思っていた。
『じゃあ、夜に作るから待っていてね。今日はお友達も呼ぶの?』
「ううん、呼ばない。でも今から遊んでくるよ!」
『そう、わかった。18時の鐘が鳴ったら帰ってくるんだよ』
僕は今、過去の僕の頭のなかに生きている。恐らく過去の現実に干渉することは出来ないのだろう。自分の意志では体を動かすどころか、指一本動かすことさえできなかった。ただ、頭のなかに今の僕の意識が根付いているだけという感覚だった。
子供の頃の僕がそう言って家から出ていくと、また場面が切り替わった。なんだよ、久しぶりに友達と遊ばせてほしかったのに。
『悟、出来たわよ。今晩は悟のリクエストに答えてシチューとクリームパスタ。それにケーキも用意したのよ。』
どういうわけか、遊びに行くシーンが全てカットされ、時間は一気に夕飯時に進んだ。これには流石に僕も困惑する。走馬灯って、人生のすべてを見せてくれるものじゃなかったのかよ。
ハッピバースデートゥーユー
ハッピバースデートゥーユー
ディアさとる~
ハッピバースデートゥーユー
母親と妹と三人で祝った誕生日。いや、今は4人か。当時、僕はこの時の母親のシチューの味が美味しくて、シチューを作っている母親の後ろ姿が妙に悲しくて、僕のために一生懸命やってくれた母親が誇らしくて、色々な感情が渦巻いてた。
しかし、ただ走馬灯を見ているだけじゃつまらない。だって、まさかこんなにゆっくりと鑑賞できるとは思ってもいなかったから。
なので、僕はある1つの仮説をたてることにした。自分の走馬灯に軽く触れた感じだと、走馬灯というものは「自分の人生において強く印象に残っている出来事を中心に振り返っていく」というものだ。
決して人生のすべてを振り返ってくれるものじゃないと、自分にとって大切な出来事を振り返っていくものだと、そう考えることにした。
楽しい誕生日が終わると、また場面が切り替わった。
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