36話 ルミナの頼み事
今になって気づいた事だが、一番最初にルヴィーさんから離れる時に、急ぎすぎてトイレに入って移動するのを忘れていたが、疑われていないだろうか? そう思うといきなり心臓がバクバクし始めてきた。目の前にいるルヴィーさんに聞こえそうなくらいに。
「ん? どうしたんだヒロ。そんなにもじもじして」
「え!? あ、いや!」
動揺している事が体に現れてしまっていた。ぼくはとっさに言葉を発した。
「ホントに、こんなに奢ってもらっていいのかとちょっと謙虚な気持ちが体に出てしまったようです」
いやいやいや、何言ってんだぼく!?
さすがにこれは凌ぎ切れないだろ! しかもこの奢るとかそういう話はさっきで幕を下ろしただろ!
自分のあまりの失敗に体全体が硬直する。ふと、窓の外を見ると、隣の家の塀を呑気にトコトコと歩いてる猫と目が合った。すると、その猫はおもむろに口を開き、一度鳴いて塀の向こうへと飛び降りていった。
なんだか猫にバカにされた気分だ。窓越しで鳴き声が聞こえなかったから余計に腹が立ってくる。……いやいや、今はそんな事にイライラしている暇ではない。ルヴィーさんの反応は……?
「あれ、またその話か。だから気にしないでいいよって」
「あ、ホントにありがとうございます」
……ルヴィーさんって意外とこういう事に関しては鈍感なのかな? それはそれでこの場面では助かるけど……。
ぼくは気分を落ち着かせるためにコーヒーを一口飲んだ。焦って砂糖を入れず直で飲んでしまったが、少し甘く、しかし何処と無く苦味を感じた。それでもってコーヒーの風味は崩れていなく、とても美味しい。
あまりに癖になる味だったのでぼくはそれを一気に飲み干すと、カップを受け皿の上に置き、ルヴィーさんにこう告げた。
「ちょっと、またトイレしたくなったんで行ってきます」
「ええ……お前一日にどんどけ糞すんだよ……」
「ダメですよ。女の子がそんな汚い言葉を使っては……では」
最後の一言を言ったと同時にトイレへ駆け込むと、さっきと同じように周りに設置してあるトイレを無視して向こう側の扉から反対側へ抜けた。
「あれ、ヒロくん。なかなか早かったですね」
「はは……そうですか?」
思っていたよりルヴィーさんと話していた時間は長くなかったようだった。ずっとそわそわしていたから、時間が早く感じられたのだろう。
ぼくはルミナさんの正面のイスにかけた。彼女の様子をパッと見たところ、疑われてはいないみたいだ。少し安心した。
「話の途中に水を指すような事をしてしまってすみません……では、続きをお願いします」
「分かりました。……私の今所属している護衛兵は分かりますよね?」
「はい。ちょくちょく耳にはしてますけど……それがどうかしたんですか?」
「実は、護衛兵は今結構な人数不足でして、仕上げないといけない書類や、万が一この前のように敵が攻めてきても戦力が足りないんですよ……。本当は私は今この場にいるのはダメな状況なんです」
なるほど。こっちの方も言いたいことがなんとなく分かってきた。ぼくはルミナさんが続きの言葉を言う前に口を開いた。
「……つまりは、ぼくに護衛兵に所属してほしいという事ですか?」
「そうです! 断られる事を承知で言いますが、どうかお願いします!」
ルミナさんはぺこりと頭を下げた。ぼくはびっくりして顔を上げるように言った。
「そこまでしなくても、お役に立てるのなら喜んで入りますよ! ……それで、護衛兵に所属するためにはどうすれば?」
「まずは護衛兵に相応しいかどうか、ある試験を受けてもらいます。本当はこんな関門すっとばしてすぐ所属させたいのですが、これは国の決まりでそうすることは出来ないんですよ……そして、その試験を受けるためには文字を書き、読む力が必要になってきます」
「え……それじゃあ、ぼく無理じゃないですか……」
「大丈夫ですよ! 今晩、私がお教えに伺います! この国の文字を理解することはそう困難なものではないのですぐに読めるようになりますよ」
これは又と無いチャンスが到来した。国の為に活動できて、その上文字まで勉強できる……。一石二鳥じゃないか。前々から文字は勉強しなきゃとは思っていたが、これは中々嬉しい事だ。ありがたい。
「しかし、それだけでは割に合わないと思い、一つ提案を考えてきました。ヒロくんのお願いを、私のできる範囲で何でも聞きます」
「なんでもですか!?」
「でっ……でも、やましいことやエッチなことはダメですからね!」
「分かってますよ!!!!」
ぼくはルミナさんと会った時からずっと気になっている事がある。それは、敬語で話している事だ。もちろん会って間もなく仕方が無いが、ルミナさんは、なんとなく雰囲気が未来希にとても似ていて、おしゃべりをしている時も、未来希と話しているような感覚がある。
それなのに敬語で話しているというのはどこか違和感を感じるのだ。ダメ元で、こんな事を頼んでみよう。
「ではぼく達、敬語をやめにしませんか?」
「え?」
「なんと言いますかほら、もう結構親しくなってきましたし、タメ口の方が接しやすい気がして…………ダメですか?」
嫌と言われる事を覚悟したが、ルミナさんはいつもの可愛らしい笑顔を見せた。
「もちろんです! しかし、本当にこんな事でいいんですか?」
「いいんですよ。……じゃあ、今からタメ口でいくよ! だけど呼び捨てはしたくないから呼び方はいつも通りルミナさんで!」
「……うん! …………ふふふ、なんだか、こうやって男の人と敬語を使わずに喋ると、昔の友達を思い出しますよ」
どうやらルミナさんも、ぼくと同じような考えどったみたいだ。これなら、ぼくからこの頼み事を切り出して良かったのかもしれない。
「それなら良かった。その友達とは、今も会ってるの?」
少し気になり、聞いてみることにした。
「いえ、彼はもう亡くなってしまったの。しかも、あれは私のせいで……」
ルミナさんが少し暗い顔をした。しまった。つい調子にのってしまった。
「ごめん! なんだか暗い過去を思い出させたみたいで……」
「いや、別にいいわよ。……それと、ヒロくんには話してもいいかもね……」
「え?」
「少し、昔話をしましょうか」
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