第22話 執事さんのミッション
眩しい照明に照らされても目を細めることもなければ、まだ充分暖かいというのに冬物の重ね着を強いられても汗ひとつかかずに堂々とカメラの前に立った私を見て、一瞬スタジオが静かになった。
「……始めてもよろしいですか?」
その言葉で、ようやく短く刈り込んだ髪と顎鬚に白いものが混ざり始めた壮年のカメラマンが、はっと気付いたように動き出した。
「ベテランが圧倒されるなんてな。とんでもない新人が出てきたもんだ。今日は何カットも必要なんだが……さっさと終わらせれんの?」
男のスタイルから、フランスの名優に影響を受けているのだろうという事は容易に推測できた。
彼の口調は嫌味っぽいが、丸メガネの向こうの目は好奇心に輝いている。はじめは具体的にポーズを要求していたカメラマンも、今では無言で次々シャッターをきる。
近付いたり遠ざかったり、しゃがんだり寝そべったり。次々ポーズを変える私の動きを全て捉えようでもするかのように、忙しく動き回るカメラマンは反対に汗だくだった。
タートルネックのセーターにロングトレンチコートを着て、ポーズをとっていた私が動きを止めると、男はカメラをアシスタントに渡し、近付いてきた。
「予定の時間を3時間も縮めたな。ボツ写真なんかほぼ無いだろう。君とはまた組みたいよ。シモン……だったな?」
「シモン・ラリューです。フランスから留学していて」
差し出された大きく分厚い手を軽く握ると、力強く握り返してきた。
「なぁ、全身が出せないなんて、勿体無いよ。何とかならんのか?」
「留学中の身ですし……先生の腕ならば、一部のみの写真でも充分作品になりますよ」
「言ってくれるなぁ、オイ。まかせとけ。すぐに日本中がお前さんが誰だと躍起になって探すだろうさ」
ニヤリと笑って、男は「ご苦労さん」と肩に軽く手を置いた。
そんな撮影の様子を遠目に見ていたお義兄さんは、踊りださんばかりに喜んだ。
「すっごいわ~! ほんとにモデルやったことないの? ポーズもすっごくサマになってるし、照明だってまぶしくないの? あのセンセ、すっごく厳しいことで有名なんだけどなぁ。もうすっごく惚れこんじゃった感じだよー! 勿論、ボクもだけど!」
ヤメロ。嬉しくない。
興奮したように、頭ひとつ低い位置から見上げてくるお義兄さんに、曖昧な笑顔を返事とすると、そうか……背が高いから余計香水が刺激臭となるのか? 匂いは上へくるというからな……そんなことを考えていた。お嬢さまの上目遣いなら大変可愛らしく、いくらでもどんとこいなのだが、いくらお義兄さんといえども、男からの上目遣いは嫌悪感しか生まれない。しかもこの激臭……! 大体、さっさと撮影を終えたくて、どんな角度でも完璧な私になるよう計算しているのだから、サマになるのは当たり前だ。
「でもさぁ、カラコンなんて必要かなぁ? ブランド名だって
その言葉で、目の前のお義兄さんに意識が戻る。
「Le Cielと言えば……今日は吉田社長はいらっしゃらないんですね」
すると、お義兄さんは何とも分かりやすく、私から少し身を引いた。
「あぁ~、あの方はお忙しい方だから……昨日の撮影を見て、シモンくんで間違いはないってあの後すっごく褒めてたわよ~!」
「あの後? ご一緒だったのですか?」
「えっ!? あぁぁぁぁ……まぁ、そう……えぇっと、打ち合わせを兼ねたディナーをね! お互い事務所がすっごく近いから、よくあるのよ~」
「あぁ……事務所が近いんですか。それは便利ですね」
「そ、そうなのよ~すっごく、便利なのよ。あっ、ホラ、次の衣装は? ほらほら、変えなきゃ! あのカメラマンさん、怒ったらすっごくコワイのよ~! ねね? 行ってらっしゃ~い!」
慌てたようにそう言うと、お義兄さんは既に帰り支度を始めているカメラマンの方向を指差し、「タケちゃんっ、ホラ、報告はっ?」とタケちゃんを引きずってスタジオを慌しく出て行った。
「今日の撮影はもう終わったんですけどねぇ。」
何とも分かりやすい人だ……予想以上にボロを出してくれる。もう一度スタジオのドアを見ると、私も帰り支度を始めスマホを取り出した。すると、メッセージが一件届いていた。発信者は本物のシモン。
『報告したいことがある。そろそろ本格的に動けるぞ。クリフォードルームで待つ』
それを見て、ふ。と笑みがこぼれる。
「あら、素敵な笑顔。恋人ですか?」
メイクアシスタントの女性に、声をかけられた。
「遠距離中の愛する人に、もうすぐ会えそうです」
そう、もうすぐだ。そのための準備は抜かりない。
* * *
「脱税?」
クリフォードルームの応接セットでシモンと向き合って座った私は、思わず聞き返した。
勿論、この応接セットも探偵クリフォードのセットを模している。が、こちらは本物のアンティーク家具だ。向かい合って6人が座れる応接セットだが、座っているのは私とシモンの2人だけ……。クリフォードルームを完璧に再現したこの部屋を他に見る人がいないなんて、なんとも寂しいことだ。もっとも、あのドラマは日本で放送されていないので、誰も気付かないと思うが。
「脱税……の、疑いがあるって段階だ」
正直驚いた。
あんなに分かりやすいお義兄さんが、まさか犯罪に手を染めようとしているとは……。
「疑惑はここ数ヶ月ほどのことだからな……。まだ税務署も動いていない。意図的なものなのかはまだ把握していないだろう。どうやらKIJIMAとLe Ciel間の契約が不自然だ。その他の会社とは問題ない。」
「なにが不自然だ?」
「モデルのギャラだ。Le Cielは湊を指名し、多額のモデル契約料を支払ったことになっているが……湊の他ブランドとの契約から見ても、それは破格の額なんだ。何%かがKIJIMAに入る計算にしても……破格すぎる。2社間では他もあるかもしれないが、証言が取れてるのはモデル契約料だ。それと、実在しない会社に金が流れている。数年前、Le Cielの吉田社長がカジュアル路線を狙って作ったブランドの失敗で、実際のところLe Cielは火の車だ。不自然な契約と金の流れには、これが関係あると睨んでいる」
「木嶋社長と吉田社長は不倫の関係……か。先程の証言は誰から?」
「あぁ。そこは読んだ通り。証言は、湊だ。連絡は取れた。証拠が欲しいし、できればふたりで姿を見せて欲しいとは伝えてある。それと……」
「それと?」
「吉田社長は、1年前に夫を病気で亡くしている。大学生の1人娘がいるが……父親は木嶋だ」
「ただの不倫ではない、ということか?」
シモンの話をまとめると、こうだった。
若い頃、木嶋と吉田は恋人同士だったが、無名の木嶋は吉田の父親に交際を反対され破局。その後吉田は見合い結婚するも、その時既に木嶋との子供を身ごもっていた。
木嶋はその後、モデル事務所社長として成功し、みさきさんと結婚するわけだが、吉田の面影をみさきさんに見ていたようだ。それほどにふたりは背格好が似ている。だが、性格は正反対なので、吉田の面影も見れなくなり自然と木嶋は家庭から離れ、仕事に没頭していった。
そんな時、仕事場で吉田と再会。彼女は未亡人となっており、また恋人関係に発展した。更に、ワンマン経営者として知られた彼女の父が負債という現実を受け入れられず、相変わらず強引な経営を続けていたため、吉田は苦境に立たされていた。そんな彼女を救った上、彼女の父に認められたいと、木嶋の気持ちが間違った方向に向いてしまったようだった。
更に……木嶋が最近になってDNA鑑定をしているのが分かった。相手は、吉田の娘と、それに悠馬くん。
「息子のDNA鑑定もか?」
「……離婚したいのさ。万一、悠馬くんが自分の息子じゃなかったら、それを突きつけて離婚するつもりだったんだろう。」
「最低な男だな……だが、みさきさんを犯罪者の妻にするつもりはない。すぐに動くには……証人に、証拠、か……」
その時、デスクに設置したアンティークの電話が鳴り響いた。相手は、このマンションのコンシェルジュ。
「設楽様と、高橋さまがお越しでございます。お通しいたしますか?」
「すぐに通してくれ!」
「シモン、任務が増えたぞ。みさきさんと悠馬くんも、連れて帰る」
あんな男の傍になんて、置いておけない。
部屋に入ってきたふたりは、少しやつれているように見えた。
まだ我々を警戒しているのか、なかなか座ろうとしないふたりに、簡単に自己紹介し、みさきさんの名前を出すと、安心したのかやっと座ってくれた。
「この1週間、どうしていたんですか? あの男は、部下を使ってあなたたちを探そうと躍起になっていましたよ」
すると、女の細い肩がぴくりと反応した。その肩を、大きな手で包み込み、男が引き寄せ話し出した。
「それをお聞きして、こちらに来たんです。社長……やばい事してるみたいで…俺、それ知っちゃって……」
「調べはついています。なるべくなら事件にはしたくない。すぐにでも修正申告させたいのですが、何か証拠となるようなものはお持ちですか? それと、知った経緯は?」
「俺、社長には内緒で、お手伝いだった彼女を付き合ってて……そしたら彼女、事務所で金額の違う契約書と、修正された書類を見つけたみたいで……俺のギャラも知ってたから、おかしいって相談してきたんです」
「私、実は以前税理士事務所で働いてたことがあるので、ちょっと引っかかって……」
「それからです。社長がデカイ仕事、俺に回すようになって、しかもLe Cielの娘が俺のファンだとか言って無理矢理紹介しようとするし。……でも、実際会ったら全然俺のファンじゃないし。これってもしかして……」
湊は身を乗り出すようにして話し、私とシモンを交互に見た。
それに応えたのはシモンだった。
「口止め、それかあわよくば共犯にでもなってもらうつもりだったんだろう」
「それで怖くなって逃げたんです。でもあの仕事好きだったし、戻りたい……。どうにかなんないですかね?」
「どうにかしますよ。君たちは数日、このマンションの客室を使ってもらえますか? すぐに自宅に戻れるし、仕事にも戻れますから。なにか資料はありますか?」
「彼女が見つけた契約書のコピーと、俺のギャラの明細書ですけど……」
「充分ですよ、ありがとう。さ、部屋に案内させますよ。シモン、ふたりをよろしく」
「あ! あの!!」
「はい?」
「俺……。ほんとに仕事に戻れますか?」
「勿論。モデル事務所の社長が変わるだけで、他は今までどおりですよ」
にっこり笑った私に、ふたりは深々と頭を下げた。
それからの展開は早かった。
あの後、先にみさきさんの元に向かったが、悠馬くんのDNA鑑定のことを知ると、離婚を決意。一緒に戻ることを約束してくれた。意外なことに、悠馬くんも父親の下から離れることをすぐに了承した。普段あまり家にいないにも関わらず、悠馬くんの行動を抑圧していたことで、彼はすっかり父親嫌いになっていたのだ。
一番ぐずったのはやはりこの男かもしれない。あれこれと理由をつけて逃げようとする。この期に及んで、まだ自分が危ない橋を渡っているとは気付いていないらしい。
反対に潔かったのは同席していた吉田社長だ。口止めに材料に愛娘を使われていたことに大激怒。その場で木嶋に別れを切り出したのだ。
吉田社長は放心状態の木嶋社長から視線を外し、私に向き直ると、清々しいまでの笑顔を見せた。
「私のプライドに賭けても、この人に修正申告させてキチンと整理するわ。まかせて頂戴」
「よろしいのですか?」
「勿論よ。でなきゃキッパリ別れられないでしょ? 娘と2人で生きて行くには、乗り越えなきゃいけないもの。会社も手放すわ。元はといえば、父の強引な経営を止められなかった私が悪いんだもの」
その言葉で、ようやく危機を感じたらしい木嶋社長は、吉田社長に縋るような目を向けた。
「ゆ、百合子?それはどういう……」
「あぁ、木嶋社長には手続き終了後、社長も辞任していただきます。」
「え!?」
「当然だわ。看板モデルを危険な目に合わせて。そんな社長に誰がついてきます?」
もはや吉田社長もこちらの味方だ。
「だ、だって。僕が大きくしたんだよ? 誰が出来るって言うの!」
「大丈夫です。ウチには優秀な人材がおりますから。」
笑みで返すと、今度は胸ポケットから慌ててスマホを取り出した。
「そ、そうだ! みさき! みさきなら僕の気持ちが分かって……」
「あぁ、そうだ。みさきさんから、こちらを預かっています。――離婚届。もうみさきさんはサインしていますよ。すぐに、サインして欲しいそうです。あなたの印鑑もお預かりしていますが?」
目の前にペラン、と1枚の紙を見せられた木嶋社長は、全身から力が抜けたように膝からくずおれた。
木嶋社長は、一晩で地位も、名誉も、妻も、恋人も、そして子供たちまでもを失ったのだった。
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