第21話 執事さん、探偵になる

 看板モデルが消えた。


 その騒ぎは、思った以上に大きいようだった。


 おまけに、消えた原因は、交際していたと思われるお手伝いの女性との駆け落ち。その女性を雇ったみさきさんは、かなり責任を感じているようだった。


 慌しくお嬢さまを送り出した後、みさきさんに指定されたスタジオに向かったが、一歩足を踏み入れただけでも、看板モデルの失踪劇が現場を大混乱させていることが分かった。

 スタッフと思われる人間が何人か、それぞれスマホを片手に、苛々した様子で話している。きっとみなととかいうモデルの行方を捜そうと、ほうぼうに連絡をしているのだろう。


「チッ!」


 舌打ちしながら電話を切った、無精ひげがお洒落なのかただの無精なのか判断がつきかねる男と、目があった。


「あ!! あの、さ。もしかして。代理? 湊の、代理モデルかなぁ!?」

「えぇ……社長夫人の推薦で、参りましたが」


 男は近づいてくると、私の全身に視線を走らせた。

 ヤメロ、気持ち悪い。

 私を凝視していいのはお嬢さまだけだ。ムッとするが、勿論顔には出さなかった。


「いや! いいよ! 君、すっごく良いと思うよ! 社長もすっごく気に入ると思うなぁ! すぐ案内するよ!」


 なんなんだ。お前まで。その「すっごく」は伝染するのか?

 男の口調に嫌悪感を覚えた私は、口角をわずかに上げただけの微笑みで、男の動きを先に促した。


 三階のスタジオに着くと、異臭がした。

 おかげでどの方向に、お義兄さんがいるかが分かってしまう。臭ったのはセットが組まれ、カメラマンやアシスタントが待機している場所とは反対側からだった。

 臭いにつられてそちらを見ると、メイクルームだろうか。ほんの僅かに開いたドアの隙間から、手を取り顔を寄せ合って話をする、親しげな男女がいた。

 よくあんな異臭のする男と、あんなに顔を寄せ合っていられるものだ。

 私より先に到着したらしいみさきさんは、一緒に暮らして嗅覚が麻痺してしまったのだろうか? そう思った瞬間、女が顔を上げた。


 女は……みさきさんではなかった。


 どういうことだ? 思わず眉を顰めるほどに、その様子は親しげで……いや、それ以上に思える雰囲気を感じさせた。

 これは私の勘だが……間違ってはいないだろう。それだけ、ふたりの周りには濃密な空気が漂っていたのだ。


「あっいた。あ、すんません。ちょ~っと香水キツイすよね。しゃちょーいつもなんで、悪いんすけど、ちょっと我慢してくださいね!」


 私が眉を顰めたのを、勝手にいいように解釈した男は、ずかずかと部屋に近づく。


「しゃちょー! 代理のモデルさん来たんすけどぉ……」


 男が無遠慮にドアを開けた室内からは、既に先程の濃密な空気はなく、適度に距離を保ったふたりが現れた。


「あらぁ!! まあまあまあ! 代理って君なの? 僕、すっごくラッキーだなぁ! 今ね、湊以外なら、街でスカウトした子がすっごくイメージにピッタリだったのにって社長と話してたとこだったの!」


 ね? とお義兄さんが振り返った先で、先程までお義兄さんにしなだれかかるように寄り添っていた女は、それまでの濃密な女の香りを見事に消し去り、今は凛とした佇まいで私に冷静な目を向けていた。その姿を見れば、背格好はみさきさんに似ているが随分と雰囲気が違うのが分かった。


「ええ。そうですわね。この子なら思った以上に良い広告ができると思いますわ。時間が押しているから、早速メイクに取り掛かってもらえる? 前後逆になるけれど、契約書は後にしてもらえるかしら?」

「私は合格というでしょうか?」

「勿論よぅ~! 君が来てくれたんだもの。湊なんてもう必要ないから!」


 看板モデルを「なんか」呼ばわりか。その変わり身の早さには呆れる。


「ちょっとちょっと! 新しいモデルよ! さ、お仕事再開よ!」


 部屋の外に呼びかけると、俄然スタジオが活気付いた。


「タケちゃん、メイク呼んで!」


 どうやら私を案内してきた男は「タケちゃん」と言うらしい。メイクを呼んでくるようにと言われたタケちゃんは、はっとしたようにドアに向かった。

 そのタケちゃんに近づき、お義兄さんが耳打ちした言葉を、私が聞き逃すはずがなかった。


「湊を徹底的に探せ」


 もう必要ない。先程そのように言われたモデルを、そんなに執拗に追うのはなぜだ?

 どうやら、モデルの代役だけでは済みそうにないようだ。



 * * *



「だからって……なんでこうなるんだ?」

「うん? まずは形から入らないとね」


 ここは都心の一等地に建つ、高級マンションの一室。

 一室とはいえ、それは高層マンションの最上階に一戸だけという、所謂ペントハウスだ。

 運び込まれたばかりの、重厚なマホガニーのデスクの端に腰掛けて、呆れたように聞く男がいる。光の加減によっては白っぽくも見える明るい金色の髪に、アメジスト色の瞳を持つその姿は否応なしに人目を引く。そして、彼は一族の誰よりも私セルジュによく似ていた。


「形から?」

「そう! このマホガニーのデスクセットに、壁紙は落ち着いたアイボリーの幅広のストライプ…窓には、ダークブラウンのブラインド!」

「まさか……大学の時、一緒にハマってた探偵クリフォード!?」


 さすが、一緒に留学していた仲だけあって、彼はすぐに気付いたようだ。


「あれはマニアックだったからか、第1シーズンで終了してしまったのが実に惜しかったな」

「そうなんだよ……って!! 違うだろ! 何だそれ、探偵って。仕事はモデルの代役だけじゃないのか!? ……もしかして、それで俺を?」

「安心しろ。某国情報局からスカウトが絶えないお前には、簡単な仕事だ。オフィスもそれらしくしたから、俄然やる気も出ただろう?」

「……ハイハイ。どっちにしろ、俺の仕事はお前の護衛だからな。いずれ呼ばれるだろうとは思っていたが……で? 何を調べるんだ?」


 彼の目の色が変わった。その眼前に、2枚の名刺を出す。


「モデル事務所社長の木嶋辰彦きじまたつひこ38歳。お嬢さまの義兄あにだ。そして、今回広告契約を結んでいるアパレルメーカーLe cielの女社長、吉田百合子、同じく38歳だ。この2人の関係。それと……」


 今度は、みさきさんから預かった書類が入った茶封筒を渡す。


「こっちは? 別件か?」

「いや。私が代役をすることになった原因……失踪したモデルの湊こと、設楽湊したらみなと、26歳。そして、一緒に消えた高橋真樹たかはしまき、29歳だ。湊はKIJIMAの看板モデルで、女の方は木嶋社長の自宅兼事務所のお手伝いだった。

木嶋社長は、代役が決まった後でも湊を探してる。きっと、何かあると思う」

「了解。4人の内2人は写真もあるし、そんなに難しくはないだろう。そのパソコン、使っていいんだろ? ドラマのセットみたいに飾りモンじゃないよなぁ?」


 湊のプロフィールシートと、高橋の履歴書はもう覚えたと言わんばかりに乱暴に茶封筒に戻す。そしてそのままデスクに滑らせると、胸ポケットから細身のシルバーフレームのメガネを取り出した。どうやら仕事モードになったらしい。


「勿論。すぐに使えるさ。私はまた撮影があるんだ。すぐに出るが、この部屋の物は好きに使ってくれ」


 すると、パソコンの電源に向かった指が止まった。そしてジャケットを羽織っていた私に、心配そうなアメジスト色の瞳が向けられた。


「なぁ、ほんとにモデルやるのか? お前が顔を出すのはマズイだろう」

「大丈夫だ。ビザの問題があると言ったら、シルエットだけとか、使用するカットは素性が変わらないようにしてくれるとさ。かえってミステリアスで話題になるだろうって言ったら、すんなり飛びついた」

「それはそれは……さすがセルジュ様。じゃあ勿論、芸名も用意してたんだろう?」


 私の返事を聞いて安心したのか、一転してからかうような声色になる。


「勿論。Sエスだよ。」

「あぁ、SergeセルジュのSか」


 あることを思い出して、私はドアノブに手をかけたまま彼を振り返った。


「言い忘れたことがある。契約書にはフルネームを書かなきゃいけないからね。お前の名前を書いておいたよ。シモン」

「は!?」

「Sは、SimonシモンのSだ。お前が私にそっくりで良かったよ。さすが、私のはとこだね」

「ち、ちょ……!! 待て!」


 とびきりのウィンクを飛ばすと、私はドアをすり抜けた。

 後ろで騒いでいたシモンの声は、完全防音の部屋のドアが閉まると、あっけなくかき消された。

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