第19話 代役は執事さん

 その日、彼は上機嫌だった。


 ふんふんふ~~~ん


 ……こんなに盛大に、鼻歌を歌ってる人を見るのは、初めてだった。


「せ、セルジュさん?」

「はい?」


 軽やかな鼻歌が止み、華やかな笑顔で体ごと振り返り、目の前までやって来た。

 ほんとに目の前にね! ち、近いって!!


「どうして、そんなに機嫌がいいの?」

「え? なぜです?」

「盛大に鼻歌歌ってたから……」

「え? そうでしたか?」


 え! まさかの無意識ですか!!


「うん。えっと、フンフンフ~ンって感じの。聞いたことない歌だったけど……」

「ああ……。それはルヴィエ王国の国歌ですね」

「へぇ! そうなんだ! なんだか華やかな曲なんだね」

「気に入っていただけましたか? お嬢様も早く覚えてくださいね」


 え! ど、どして!?

 話の展開に頭がついていかなくって、目を見開いた私に、目の前のセルジュさんは妖しげな微笑みを浮かべた。


「私の国に来てくださるのでしょう?」

「う、うん?」


 相変わらず、私の頭はセルジュさんの話についていけていない。

 ルヴィエ王国に行く? 行くって言ったっけ?

 えぇと、え~~っと? 思い出せ、私!!

 一生懸命記憶を遡って、私はひとつの記憶に辿り着いた。

 そうだ。おじいちゃん……! セルジュさんの、おじいちゃんと約束したんだ。

 時々会いに来ますから、その時の搭乗券だけ甘えさせてくださいねって、話したんだった……。


「うん! 行くよ。約束したもの」


 やっとセルジュさんの話に追いつけて、ほっとした私だったんだけど……。実はまだ、セルジュさんとの会話にはズレがあったらしい……。勿論、この時はまだ全然気がつかなかったんだけれども。

 私の返事を聞いたセルジュさんは、満足気に微笑みを浮かべると、私にぽふん、と帽子を被せた。


「さ。参りましょう。駅でお土産を買うのでしょう?」

「うん! そう、そうなんだよー。芋ようかん買わなきゃ!」

「奥様がお好きなんですか?」

「私も好きだよ! パパもだし……ウチの家族全員が好きなんだよ~」


 あ。最近色々ご近所さんから頂き物も多いし(セルジュさん目当てだけど!)多めに買った方がいいかな?

 音もなく静かに動き出したエレベーターの中で、ふと思い出した。

 明太子にお米に蟹に……えっと、プリンとかもらったなぁ。あぁ、そういえばあのプリン美味しかったぁ~。でも全員に買ったら一体何個買わなきゃいけないんだろ!? そんなことを考えていると、いつの間にか一階に着いていた。でもやっぱりセルジュさんが向かうのは、あの部屋。今回は、私もついて行こうとしていたんだけど、「お嬢様は、ソファに座ってお待ちください」と言われてしまった。

 あ、そう? じゃあその間にママにお土産の相談をしようっと。


 どこかゆっくり話せるとことあるかな? そう思ってロビーを見渡すと、空いているソファがひとつだけあった。座って電話しようと思って、ソファに近づくと、隣で座っていた女性が、勢いよく立ち上がった。


「湊!」


 私の背後に向かって、切羽詰ったような声をかける。その声に驚いて振り返ると、背の高い日焼けした肌の男性が、こちらに駆け寄ってくるところだった。

 あれ? この人……どこかで見たことがあるような……。そういえば隣の女性も、サングラスをかけているけれど、どこかで見たような……。

 きっとじっと見ていたんだろう。

 ふたりは、私に視線を走らせると、男性はさっとサングラスをかけ、すぐさま視線を逸らした。女性は持っていたバッグで顔を隠すと、私に背を向けて男性を急かし、ホテルから出て行った。

 な、なにあれ。

 少し嫌な感じを受けたけれども、誰だったか思い出せない。仕方ないので、気を取り直してママに連絡すべくスマホを取り出すと、ちょうど着信があって驚いてスマホを取り落とすところだった。

 わ! 危ない危ない! この前壊れたばかりだもの。気を付けなくちゃ。

 画面には、『お姉ちゃん』と表示されている。


「もしもし。お姉ちゃん?」

『あっ、みはる!!』

「どしたの? 慌てて。あ、もしかして、私なにか忘れ物でもした?」

『ううん。そうじゃないの! あの……セルジュさん一緒かしら……』

「えっと……今チェックアウトしに……どしたの?」

『ウチの……トップモデルの湊、覚えてる?』


 その言葉で、私の頭の中では、以前お姉ちゃんが自慢げに話していたモデルの湊さんと、さっき「湊」と呼ばれた男性が繋がった。


「あぁ! どこかで見たと思ったら、お姉ちゃんのとこの湊さんだったんだ」

『え!? どこかで見たの?』

「ん? 今ホテルのロビーでね。女の人と一緒に出て行ったから……」

『女と!? それ……高橋さんじゃない?』

「え? ……あ。そう、かも」


 そうだ。

 どこかで見たと思ったら、お姉ちゃんの家に通いでやって来てる、お手伝いさんの高橋さんだ。

 やっぱり見た目に拘るお義兄さんが、お姉ちゃんが選んだお手伝いさんの中で、やっと認めてくれたお手伝いさんだって言ってた人……。


「あれ? どうして一緒だったんだろ……」

『……逃げたのよ……』

「え?」

『湊は事務所の稼ぎ頭で、大きな仕事が湊ご指名で入ってきていてね、最近は殆ど休みがなかったの。おまけに……有名ブランドの社長令嬢に気に入られてて……あの人、その社長令嬢と交際するように、湊に迫ってたの……。でもね、どうやら高橋さんと付き合ってたらしいのよね。それを知ったらあの人、高橋さんをクビにしちゃうし……。せっかく高橋さんが長続きしてたから、なんとか私があの人に気づかれないようにしてたんだけど……』


 最後には、ハァ……と大きなため息をついてしまった。


「あ~……そう、なんだ」


 どうやら、私はふたりの愛の逃避行を、目撃してしまったようだった。

 それにしても……、なんともお義兄さんのやりそうなことだわ……。あのツンとした高橋さんも、辛い恋をしてたのかな……。そう考えると、ついさっき手を繋いで出て行ったふたりを応援したくもなった。


「ふたりがお互い好きなら、それでいいじゃない」

「そんな問題じゃないのよ! 今日、CM撮影なのに湊が時間になっても来ないって連絡があって……。先方は湊本人か、それ以上のモデルをすぐに用意しないと、二度とウチとは仕事しないってカンカンで……それで……」


 お姉ちゃんが言おうとしていたことが、ストンと理解できた。

 つい、声が固くなってしまう。


「それで……セルジュさんなの?」


 高橋さんを雇ったのはお姉ちゃんだ。そして、住居部分以外……つまり、モデル事務所の方にも彼女を出入りさせたのも、お姉ちゃん。

 その高橋さんが、看板モデルの湊さんと逃げた。お姉ちゃんはその責任を押し付けられているのかもしれない。


「わたくしが、どうしたのです?」


 いつの間にか傍に来ていたセルジュさんが目の前で跪き、心配そうにあたしの顔を

覗き込んだ。


「お姉ちゃん……から。セルジュさんに助けて欲しいんだって」


 それだけ言って、セルジュさんにスマホを渡した。


「わたくしに? ……もしもし。お電話代わりました。セルジュですが……ええ」


 話しながら少し離れるセルジュさんの横顔が、なんだか知らない人に見えた。


「モデルの、代役を頼まれました」


 戻ってきたセルジュさんが、困ったような笑顔を見せた。


「そっか。……どうするの?」

「お嬢様は、わたくしにどうして欲しいですか?」


 さっきと同じように、目の前に跪いて私を覗き込むセルジュさんの瞳を、私はなんだか見ていられなかった。


「わ、私? 私がどうこう言うことじゃ――」

「わたくしは、あなたの執事でございます。すべて、貴女の望むままに」


 ずるい。こんな時に、そんな風に言うのは、ずるいよ。セルジュさん。

 この状況で、私が自分の我儘を押し通せるわけ、ない。


「……手伝ってあげて、セルジュさん。お姉ちゃんを、助けてあげて」

「……本当に、それでよろしいのですか?」

「……うん」


 頷いたものの、再び「本当に?」と聞かれた時、目を見て答えることが出来なかった。

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