第18話 スイートな執事さん
「お嬢様、準備はよろしいですか?」
「うん。だいじょーぶ!」
「では、参りましょう」
「うん。じゃあ、お姉ちゃん。ありがとう。また来るね」
「ほんと、ごめんね。週末まではどうするの?」
聞かないで。それ、ちょっと怖いんだから。
「お嬢様? 参りましょう」
後ろからセルジュさんに声をかけられ、あたしははっと我にかえった。
大丈夫……きっと、大丈夫だと思う。
「えっとね、後の日程はホテルに泊まるの。まさかセルジュさんと一緒に、都子のマンションにお世話になるわけにもいかないし……」
香澄は最近彼氏と同棲始めたばかりだしね。と続けて言うと、お姉ちゃんの表情が
ちょっと曇った。
「えっ。そうなの? 言ってくれれば、辰彦さんに相談したのに……」
え。無理でしょう、お姉ちゃん。
お姉ちゃんとこに滞在中、お姉ちゃんは毎晩7階までやって来て、久しぶりの姉妹トークも楽しめたけど、やっぱりお義兄さんの帰りとかを気にしてるみたいだった。
「あっ、えっと……。気持ちだけで嬉しいから。じゃあ、また来るね」
お姉ちゃんがお義兄さんに何か意見を言うなんて、考えられない。
今回はお義兄さんと会わずに済んだだけ、マシかな。
ほぅ。と息をつくと、セルジュさんが不思議そうにあたしを見た。
「どうか、なさいましたか?」
「んーーー。セルジュさんにお義兄さんを紹介したかったような、会わずにほっとしたような?」
その時、セルジュさんは顔をしかめて、鼻筋の通った美しい鼻に手を当てた。
その仕草は、私がお義兄さんに会った後にしてしまう仕草だったから、なんだか可笑しくて声をあげて笑った。
だって、まさかセルジュさんがお義兄さんを知ってるなんて、あり得ないもん。
それよりも、心配事があるんだ。
だから私の意識は、すぐにお義兄さんの話題からそれた。
「さて。ではお嬢様、ホテルに参りましょう」
きらんきらんの笑顔が向けられる。
「さ、タクシーへ」
手際良く止められたタクシーに荷物を預け、きらんきらんの笑顔を向けたまま、セルジュさんは私の背をそっと押し、乗るように促した。
「あのね、セルジュさん!」
な、なんでピッタリとくっついているのかな?
なんでなんで、手を握るのかな?
「初めてですね」
うっとりと、囁くように話すセルジュさんの目が、なんだかいつもより艶っぽく見えるのは、気のせい……だよね!?
「ななななな、何が!?」
最初、握るだけだった手。それがいつの間にか、セルジュさんの腕は私の腕の下を
通り、腕を組むような体勢になった。
そのまま下から指を絡めて、私の手全体を包み込む。その手にきゅっと力を入れられた時。その手の動きに、翻弄されていた無防備な私の耳に、甘い吐息がかけられた。
「うひゃっ?」
驚きにぴくりと肩を揺らして、顔をセルジュさんに向けると、目の前にセルジュさんのきらきらした明るい青の瞳があった。
身体が、金縛りにあったように動けない。
目が、催眠術にかかったように青い瞳から逸らせない。
じっと見つめるその先で、セルジュさんの瞳が笑みを浮かべ弧を描いた。
「ふたりきりの夜は、初めてですね」
…………どどどどうしよう! なにかしろ、私!
頭は警告するんだけど、身体が動かなきゃどうしようもない!!
ごぶん!!
突然変な音がして、ふっと身体を固めていた緊張が緩んだ。
ううん。私の体と心を縛りつけていた、セルジュさんの視線が外されたのだ。
「し、失礼致しました」
セルジュさんの視線を追うと、耳を真っ赤にしたタクシーの運転手さんが……。どうやら。セルジュさんの甘ったるさに、咳き込んでしまったようだった。
ノォォォーーーー!!
私は余りの恥ずかしさに、手にしっかり絡められていたセルジュさんの手を、思いっきり振りほどいた。
「ふ、ふたりっきりって言っても、部屋は別々だよ!……べ、別々、だよね?」
そうだ。この旅はなんせ、セルジュプロデュースなのだ。
新幹線移動の、特製お弁当やデザートデリバリーを思い出す。あれも周囲の視線が
痛かった……。
「あ……!! も、もしかして、ハリウッドスターが止まったり、芸能人が披露宴やるような、そんな大きなところじゃないよね?」
「はい。大丈夫ですよ。お嬢様のお気持ちは分かっておりますので、もっとこじんまりしたホテルを選びました」
えへん、という感じに胸をそらすセルジュさんだけど……。いや、新幹線のグリーン席を取る時点で、私のこと理解してないと思うんだけれど……。
でもホテルはどうやら大丈夫だったようだ。
勿論、私が選ぶようなビジネスホテルではなかったけれど、確かにこじんまりしていて、豪奢というよりは洗練された雰囲気だったからだ。
城を基調とした、西洋のお城のような外観は、周りの青々とした木々に映えて、まるでここだけ違う空間に思えるほどだ。
確かに、大きくはない。でも高そうは高そうだな……。すぐにドアマンが駆けつけ、タクシーから荷物を運び出す。その洗練された優雅な仕草に、少しだけ不安になる。
しかも、セルジュさんがドアマンの男性に何か話すと、男性は素早い動きでベルボーイの男性に荷物を渡し、そっと何かを伝える。そしてベルボーイの男性は、フロントと思われる場所と反対側に案内し出した。
「え? こっちじゃないの?」
「ええ。こちらだそうですよ」
??? あっちにカウンターがあるけど、そこじゃないんだ?? なんか不思議なホテルだな……。
案内されたのは、重厚なドアがある個室で、中を覗き込むとドアの重厚さに負けない、どっしりして皮が飴色に輝く高価そうな応接セットが部屋の中央に、どでん、と置かれていた。
な、なんだ? この部屋は……。不安になっていると、ポケットが震えた。
「あ。電話……セルジュさん、ちょっと出てくるね」
電話に出ながらそっと後ろを窺うと、セルジュさんはさっきの応接室(みたいな部屋)に入っていくところだった。
? やっぱりそこがフロントなのかな?
「もしもし~? ママ? どうしたの?」
「あっ、良かったぁ~! こっちに戻ってくる時にね、芋ようかん買ってきて頂戴ね!」
「えぇっ? 帰るの、3日後だよ?」
「でも思い出した時に言っておかないと忘れちゃうから! じゃ、頼んだわよ?」
「はぁーい。じゃあね」
「どうかされましたか?」
もうチェックインを済ませたのか、いつの間にかセルジュさんが後ろに立っていた。
「ママにお土産を頼まれちゃった」
「それは……随分と気が早いですね」
「言うの忘れちゃうからって、思い出してすぐかけてきたみたい」
「ではお部屋に参りましょう」
「うん」
うん、とは言ったけど。……言ったけどね。
やっぱりここ、ものすごく高いんじゃあ?と、不安は募るばかりだった。
だって、ホテルは隅々までピカピカに磨かれていて。廊下の赤い絨毯もふかふかだ。
染みひとつない。土足なのに!!
そして、案内された部屋は角部屋だった。
「どうぞ。こちらです」
ベルボーイがドアを開けた、その部屋は……。
「な、なななな!!」
あんぐり口を開けて部屋を見渡す私をよそに、セルジュさんはテキパキと荷物の指示を出している。
頭の中ではそうだ、セルジュさんの分と、荷物を分けなくちゃセルジュさんが自分の部屋に行けない。と思うんだけど、この部屋に、あるはずの物がなくて、それどころじゃなかった。
今、私が居る部屋は、広い、広い部屋で暖炉とデスク、そしてゆったり座れそうな
ソファ。それに、大きな大きな薄型テレビ。そしてどっしりとした重厚なテーブルには瑞々しいウェルカムフルーツが……。な、ナニコレ!?
「せ、セルジュさん?」
「はい?」
「この部屋、ベッドがないですよ?」
「あぁ。ベッドならそちらのお部屋に……」
「え?こっちはバスルームじゃないの!?」
「バスルームはこちらですよ」
「え!! 部屋が2つもあるの!?」
寝るだけなのに、なんで!?
「いえ……3部屋ですが……」
「そ、そんなに!? ダメだよ! 1部屋で良いのに!!」
もーー! なんて贅沢をしてるんだろ! この(元)王子はーー!
あのねえ、庶民は旅先ではとにかく外で出るの! ホテルは清潔なベッドとタオル、そしてトイレとお風呂があればいいの! なんなら、ユニットバスでもOKなの! それなのに、寝室が別にある部屋ってなに! 意味が分からない!
睨んだ。
私は確かにセルジュさんを睨んだはずだ。
なのに、目の前のきらきら王子はなぜにこんなに甘ったるい笑顔と、そして艶っぽいフェロモンをだだ漏れにさせてるわけ!?
「では1部屋に変えましょうか? さすがにまだ早いと思ったのですが、お嬢様がそんなに積極的だとは……嬉しい誤算ですね」
は? 積極的?
笑顔なのに、目が笑ってないセルジュさんが、なぜかじりじりと距離を詰めてきた。
「えっと、と、とりあえずセルジュさんも自分の部屋に行ったら……どうかな?」
詰められた距離を取り戻すべく、私もじりじりと後ずさりながら話す。すると、この執事はとんでもないことを言いだした。
「ありませんよ? 今お嬢様ご自身が、1部屋で良いと言ったではありませんか」
「え?」
すみません。話が見えません。ていうか、話がかみ合ってないと思いますが!
窓辺に追い込まれた私は、それでも距離を取ろうと、セルジュさんの胸に手をついて押し戻そうとした。
すると、セルジュさんはその腕を取って持ち上げ、あろうことか手首にちゅっと、キスを落とした。
「へ、部屋は別々、でしょう? タクシーでそう言ってたよね!?」
「別々、の予定でしたよ。お嬢様が1部屋で、と言うまでは」
ますますワケがわかんない!
「この部屋は2ベッドルームスイートです。ベッドルームが2つあるのですよ。でもお嬢様が1部屋が良いと仰るのでしたら、是非とも変更を――」
「こっ! このままが良い! 前言撤回! わー! 2つもベッドルームがあるお部屋なんて素敵だなーーー!」
一息で言った私を、セルジュさんは楽しそうに見つめ、すっと顔を寄せると耳元で囁いた。
「1ベッドルームは、次の機会に致しましょう」
ち、違うーーーーーーーーーー!!
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