第9話 暗躍する執事さん
エレベーターを1階で降りたところで、「あ」と、あることに気付く。
そういえば、職場は以前携帯の電波が入りにくく、お客様から不満も出たりしていた。
今回の改装で、その辺りもクリアになるって言ってたけど、結局どうなったのかな。私も結構、不便な思いをしてたんだよねぇ……。確かめてみようと、新品ピカピカのスマホをバッグから取り出した。
うん。ちゃんと使えるようになってる!
まゆさんのお店は1階とはいえ、モール自体が斜面に建てられているので、半地下のような場所にあった。だから電波状況が良くないっていうのもあって、心配してたんだけど、半地下でも大丈夫なようだ。
あ、そういえば……昨日壊れた時、元々あったデータって大丈夫だったのかな。バックアップとってなかったし、急に心配になった。昨日交換されたっていう、セルジュさんの番号が唯一のデータだったりして……。
「あ! ちゃんと残ってる!」
「何がですか?」
「スマホに入ってたデータ! 壊れたスマホから引き出せたんだね!」
良かったぁ~! これからはちゃんとバックアップもやっておかなきゃなぁ。
喜んでいると、隣を歩いていたセルジュさんが、一瞬歩みを止めた。
「ん?どしたの?」
「いえ。何でもございません。思った以上に、人がいますね」
「そうだね。他のお店も、準備作業中だから」
什器の設置や商品の搬入など、業者も入っているから、開店前とはいえ、フロアにはたくさんの人がいる。そして、その人たちの視線は全てと言っていいほど、セルジュさんを凝視していた。……みなさ~ん、気持ちは分かるけど、お仕事してね~。
「やはり、男手が必要なようですね。お嬢様のお店はこちらですか?」
「ううん。こっち。」
セルジュさんに、さりげなく話題を変えられたのにも気付かず、私は彼をお店の方に案内した。
男手って言われても、目立った傷もない綺麗なセルジュさんの手を見ると、怪我をさせたらいけないって思ってしまう。私の手は針金細工をしているせいか、爪も短いし、小さな傷が絶えない。むしろ私の手の方が役に立つと思うよ。そう言うと、心外だと言わんばかりに眉を寄せ、口調が厳しくなった。
「そんなわけないでしょう。大体、お嬢様は夢中になるとそれしか目に入らないところがあります。わたくしがどれだけお嬢様を心配しているか、おわかりにならないのですか?」
「え? え、えっと……ご、ごめん、なさい」
思わず傷だらけの手をさすると、セルジュさんはその手を取った。
「もっと、ご自分を大切になさってください。お嬢様の腕は見事ではありますが、わたくしはこの小さく柔らかな手に、傷が増えていくことが悲しくてなりません」
「そんなこと言われても……つい、熱中しちゃって……」
それに、今は作りたい物がたくさんあるのだ。セルジュさんも、それを応援してくれてたじゃないか。
「わたくしがガラス玉を取り寄せてしまったせいですね……。では、せめて一日の最後に、お肌のケアをさせてください」
「ケア?」
「よろしいですね?」
「う、うん。わかった」
そう応えなければ、手を離してもらえそうになくて、私は頷いた。
* * *
お嬢様の思い人は『横井 新太郎』
あの写真の、目の細いメガネをかけた男だった。
データを求めていたものの……お嬢様のスマートフォンを、踏みつけてしまうとは思わなかった。
もっとも、そのおかげでどの『ヨコイ』かが、分かったわけだが……。
横井新太郎、27歳。
モール内の、時計店に勤める男。
性格は、紳士的に見えて――野心家であり、自信家。
本当は、東京にある本店で働きたいと思っている。
そのため、付き合っている女性もいない。
このモールでの勤めは、単なる踏み台だと思っているようだ。それならば、深い付き合いには踏み込めないといったところか。だが、その考えがあってお嬢様とも、顔見知り程度で済んでいるのだろうから、感謝すべきか。
お嬢様との出会いは、お互いの職場の飲み会が、同じ店で行われており、その場の雰囲気でなんとなく合同の飲み会になったらしい。
改装前は、同じ半地下のフロアにその時計店はあったが、改装後は、時計店だけが2階に移った。売り場面積も広くなり、横井は副店長に抜擢されたようだ。
「ここでーす!」
お嬢様の声で、店の前まで来たことに気付く。
「ちゃんと名前で呼んでね!」
私にだけ聞こえる小さな声で言うと、店の奥に向かって元気に挨拶をした。
「おはよーございまーす! まゆさん。お久しぶり!」
奥から、お嬢様よりも年上の、小柄な女性が出てきた。
ゆったりしたワンピースに、明るい茶色のふわふわした髪の、少女のような雰囲気の女性だった。――とは言っても、彼女のことも、もう既に頭には入っていた。
少女のような容姿で、少女のような話し方。
でも、それは見かけだけ。
実際はとても芯の強い、熱い
今も、頼りなさげな風貌で、でも目力は強く、じっと私を見ていた。しっかり見極めようとしてるように。
この人は、味方にしておいた方が良さそうだな。
「はじめまして。セルジュ・ロマーニと申します。今、みはるさんのお宅に、お世話になっています。開店準備ということで、男手があった方が便利かと思いまして、お手伝いに参りました」
よどみなく挨拶し、値踏みするかのような視線に、にっこりと笑顔を返した。
私がおかしなことを言わなかったことで、お嬢様の纏う空気が柔らかいものになる。それに気が付いたのか、まゆさんの表情もほんの少し和らいだ。とりあえず、第一段階はクリアといったところか。
今まで、私の周りには、もっともっとやっかいな人間がいた。
大切なものを手に入れるためには、そんなに簡単に本性なんか、見せない。
「店長の川田まゆです。お手伝い、嬉しいわー。じゃあ、今日はよろしくお願いしますね」
そう言うと、「みはるちゃん! こんな素敵な男性が居るなんて聞いてないわ~」と言いながら、早速引き離しにかかった。
なんだか……嫌な予感がする。
予想通り、棚の設置やダンボールを倉庫から運んだり、なかなかハードな役目だけが回された。
休んだのはランチの時だけ。
根を上げるのを期待していたようだけれども、こう見えてずっと鍛えている。
黙々と、言われる仕事を片付けていた。
その時
「いたっ!!」
「!! 大丈夫ですか? どうされ……どうしたんです?」
「大丈夫。ぶつけただけ……」
大丈夫とは言うが、設置途中の棚の金具にぶつけたらしく、膝からは少しだが血が出ている。
「店長、みはるさんを医務室に連れて行ってきます」
「お願い。医務室の場所は、2階の奥の管理会社のスペースよ」
「ごめんなさい……」
立ち上がろうとするお嬢様を、膝裏に手を回し、一気に抱き上げた。
「ひゃあ!」
「無理して歩かないでください。ひどくなったらどうするつもりですか」
医務室は2階……好都合だ。
エレベーターよりも、動いていないエスカレーターの方が、近いな。それに、その方が人目につきやすい。
ずんずん建物の中央のエスカレーターに向かう私の行動に、お嬢様が焦り出した。
「ちょ……! エレベーターで行けばいいでしょ?」
「遠回りになりますから」
「そうだけど……あの! 恥ずかしいから降ろして」
「いけません」
2階に着くと、お嬢様の抵抗はもっと激しくなった。
何度頼まれても、降ろすつもりなんかない。
このフロアには、あの男もいるのだから。
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