第4話 同行者は執事さん

 部屋を飛び出した私は、なんだか無性に悲しくて、闇雲に城の中を走った。

 いつの間にか回廊に出て、すると、柔らかな日が差す場所が見えた。

 そこは、色とりどりの綺麗な花が咲く、中庭だった。

 ――私の“中庭”の概念からは、遠く離れた広大な中庭だったけれど。

 屋根が美しく曲線を描く、小さな東屋を見つけ、そこにぺたりと座り込む。


 お金持ちって、色んな苦労も苦悩もあるんだろうけど、それでも庶民よりは絶対幸せなんだと思ってた。

 でも、そうじゃないんだな。

 特にセルジュさんのあれは、絶対周りに踊らされてるよ~。大臣も言って……って、それでその気になっちゃったのかな? それで、あんなに愛情深く接してくれるご兄弟に対してまでも頑なになってたなんて。

 そんなの、悲しいよ……。

 ふぅ。

 大きくため息をつく。

 明日、帰ろう。うん、サインもしたし。私にはついていけない世界だ。セルジュさんのことが気にならないと言ったら嘘になるけれど。でも、だからって私のような人間がうかつに首を突っ込んじゃいけない。

 あ~あ、なんでこんなことになったんだろ。


「日本からの可愛いお客様が、どうしてここでそんな大きなため息を?」


 項垂れていると、突然柔らかいテノールが聞こえ、俯いていた顔を上げる。

 あ。第1王子の……。


「ジョルジュさん」

「どうかしたのかい? セルジュが何か失礼なことを?」


 いや、むしろ失礼なことをしたのは私の方だ。

 苦笑いを浮かべ、顔をふるふると横に振った。

 セルジュさんは私に対してなんて、なにもない。きっと、なんの感情も持っていない。それどころか、彼はあなたたちに歪んだ感情を持っているのに――。

 セルジュさんよりも少し華奢な体つきのジョルジュさんが、隣に腰を下ろした。

 第1王子なのに、纏う空気は優しく、その声同様とても柔らかい。まるで包み込むような雰囲気に、私は胸につかえていたのものを口にした。


「セルジュさんは……いつもあんな他人行儀なんですか?」

「……昔は、違っていたよ。誰よりも屈託のない笑顔を見せる天使のような子だった。そうだね。イギリスから戻ってくるまでは」


 イギリス? 大学の時だ。


「イギリスには、今外務大臣をしている、叔父の義兄が同行しててね」

「外務、大臣……」


『大臣だってそう言って……』


 さっきのセルジュさんの言葉が、脳裏をよぎる。


「クーデターの噂があるんだ」

「え?」

「えーと。日本語で言うと、謀反?」


 いえ、クーデターでわかりますが。


「――セルジュが加担しているという情報があってね」

「っ!!」


 話はそんなに大きくなっているの?

 本気で……セルジュさんは、本気でこの優しいお兄さんを傷つけようとしているの?


「セルジュさんは、お兄さんたちをとても好きです! 何かの間違いです。きっと、巻き込まれてるだけです!」

「ありがとう。うん、私たちも、そう思うよ。でもね、たとえ巻き込まれているのだとしても、私はそれを見極めて、裁かなければいけない立場なんだよ」


 兄弟同士で……愛し合ってる家族同士でそんなこと……。

 どちらも、傷つけあうことなんて、望んでないのに――。


「そうだ。遺産の殆どを相続放棄したって聞いたけど? それにはセルジュも含まれるのかい?」

「え? あ、はい。もう、サインもしました。明日……帰国します」


 でも……セルジュさん、どうするんだろう……どうなるんだろう……。

 さっきまで目の前にあった、セルジュさんの綺麗な青い目が思い出されて仕方なかった。

 とてつもなく、ざわざわと胸が騒いだ。


「サインだけ?」

「えっ? なにか、言いました?」

「いや……。この国も、少し騒がしくなりそうだから、明日帰国するのは良い考えだと思うよ。すぐに手配しよう」


 立ち上がりながらそう言ったジョルジュさんは、物騒な物言いとは対照的に、少し

すっきりした表情をしていた。

 この国が少し騒がしくなるって、なに!? 話題に出たクーデターの件かな。

 セルジュさん……大丈夫かな……。国王の座狙ってるって、バレバレじゃん!!



 * * *



 案の定、その夜はまったく眠れなかった。

 色々と聞いてはいけないことを聞いてしまったんではないか。まだどうにか

出来るんじゃないか……いや、私に何が出来るっていうんだ!と、頭の中はその繰り返しだった。


「どうなさいました?顔色がよろしくないようですが」


 早くに起きて朝食の場に現れた私の顔を見て、セルジュさんが驚いたように言う。

 対するアナタはどーしてそんなに元気そうなんだ!?

 今渦中の人なのに!!

 昨日の愚痴王子っぷりは何だったんだって位、今朝のセルジュさんは、それはそれは晴れやかな顔をしている。


「セルジュと離れたくなくなったのではないか?」


 からかうように言ったのは、昨日の会話がなかったかのように、楽し気に目を輝かせているジョルジュさんだ。


「ジョルジュ兄さん、僕は彼女に捨てられたのですから。そんな皮肉を言わないでくださいよ」

 

 笑って応戦するセルジュさん。

 んん?

 な、なんだ!? なんだって今日は、そんな普通の仲良し兄弟みたいなやり取りなんだ!? 昨日のギクシャクはなんだったんだ?

 もうわからないことだらけだ。おかげで、この国の絶品チーズオムレットとパンを

味わうことも出来なかった。



 * * *



 帰国する私に用意されたのは、私が記憶する飛行機とは随分形が違うものだった。


「コンコルドだよ」


 ジョルジュさんの言葉に、私は思わず口をあんぐりと開けてしまった。

 こっこれがあの伝説の!?


「もう使われてないんじゃなかったんですか?」

「そう。ルヴィエ王国が買い上げました。王室の自家用機として、王と王子がそれぞれ1機ずつ持っているんです」


 はぁーーーー!! 金持ちって!!


 ――まぁいいや。乗れるなんてラッキーだ。

 滞在中お世話になった人たちと、見送りに来てくれた王室の殆どの人たちに挨拶し、セルジュさんの専用機だというコンコルド・セルジュ号(勝手に命名)に乗り込んだ。

 タレント弁護士は私を連れてきた後、さっさとに出国していたため、帰国はひとりだけれど、乗務員の方がふたりも乗ってくれるらしい。

 至れり尽くせりだね! なんて贅沢!!

 これだと、ひとりでも暇じゃなさそうだ。離陸態勢に入り、窓から外を覗いて手を振る。この絵本のような景色とも、お別れなのだ。

 ……あれ?


「セルジュさんがいない……」


 ぽつりとつぶやくと、後ろから「ここにおりますよ」と低く響く良い声がした。


「え!? どうして!?」


 驚いて振り向く私に、セルジュさんは落ち着き払った様子で、シートベルトを締めるように言った。

 そうだね、もう離陸だから……って、そうじゃなくて! なんでセルジュさんが一緒に乗ってるの!


「わたくしはあなた様の執事ですから」

「違うでしょう! 放棄しますって書類にサインしたもの!」

「サイン……ね。判は、押しました?」

「は? はぁ!?」


 セルジュさんは、やれやれ。といった感じに肩を少しすくめた。


「先祖は日本語だけ広めたわけではないのです。印鑑も広めたのですよ。ルヴィエ王国の公式書類には、捺印がないと無効となります」

「き、昨日言ってくれなかったじゃないですか!」

「お部屋を飛び出されましたし」


 そして、ふふっと綺麗な笑顔を見せる。


「わたくしはおっちょこちょいな主人を持ったものです」


 え! 私のせいですか!!


「執事なんて! 無理です! あの、すぐまた書類作って国に帰ってください!」

「書類は、昨日の日付でしたから、もう無理です。それに、私はもう国に帰れません」

「今はもう無理だけど! 日本に着いたらトンボ帰りで……」

「いえ。そういう意味ではなく。クーデター計画がどこからかバレましてね。大臣は失脚。私は加担の疑いがあるということで、しばらく国を離れなければならなくなったのです」


 言葉は物騒そのものなのに、またもや晴れやかなキラキラ笑顔を見せ、爽やかに

言ってくれちゃった。


「つまり……」

「これからよろしくお願いしますね、お嬢様」

「う、嘘だぁ~~!」

「ささ、シートベルトをお締めくださいね」


 早速甲斐甲斐しく動くセルジュさんを、私は信じられない思いで、ただ見ているしかなかった。


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