第26革 寮への招待 1

 学園前の停留所でオーカーを降りると、いつものように警備の人が詰める校門ゲートを、ガジェットに入れた電子学生証で通過。普段なら真っ直ぐ進んで校舎棟へ向かうが、今回の目的地は、左手に並ぶ学園寮だ。


 建物へ近づくと、すぐに看板が目に飛び込んでくる。

 《天閃学園寮》。

 今時めずらしく、墨で書かれた木製の看板が、敷地を囲う塀に堂々たる姿を晒していた。

 しかし、眼前に迫る建物そのものは、現代的な高層建築物で、木製看板とのギャップが酷い。


 さて、どうしたものか。寮の入り口はすぐそこにあるが、約束の時刻より少し早い。先にアイン達に到着の知らせを入れるのが得策かもしれない。

 でも、その間ここで待つのか? 寒くね?


 朝、AIちゃんに教えて貰った今日の予想最高気温は、真夏日に迫ろうかという28度。

 今も空は快晴だったが、まだ朝だ。

 寒冷化の影響で夏と冬はもちろん、昼と夜に至るまで、その気温差はとても激しい。なにせ今朝早くに観測された最低気温は、マイナス1度らしい。その差は30度近くにもなる。

 たぶん今の気温は10度かそこらってところだろう。外は風も強く、体感気温はもっと低く感じられた。


 待つのはいいが、寒さは堪える。かといって、初めて訪れる寮に単身で挑むのは……。


 俺がどうするか決められずにいると、背後から声をかけられた。


「あら、織田総一くんではないですか?」


 振り返ると、大きな紙袋を抱えたマリエ副会長が歩いてくる。


「おはようございます副会長」

「えぇ、おはようございます」


 挨拶と同時に俺が会釈をすると、「ごめんなさい、ちょっと荷物を抱えていて……」とマリエ副会長は頬を赤らめ、薄っすらと白い息をはきだす。


「購買ですか? それにしては……」


 抱える荷物が多い。


「ここ数日、私たちは暇が取れなかったでしょう? 久々のお休みですから、頼んでおいた雑貨類を引き取りに行ったら、こんな事になってしまって」


 確かにこのところ実習漬けで、革命科生徒に暇はほとんどなかった。だが……。


「……そんな顔しないでください。わたしだって、一人で無為に時間を潰すシミュレーター訓練に参加するくらいなら、こういう雑務をこなしていれば良かったのにと考えていたのですから」

「……スミマセン」


 顔に出てしまっていただろうか。

 心の内を見透かされて、俺は取り繕うように謝罪の言葉を述べた。


「謝らないでください。むしろ、庇ってくださった事に感謝し、謝罪しなければならないのは、わたしなんですから」

「俺と刀道先輩は事実を伝えただけですよ、感謝されるような事はしていません。それに……マリエ副会長が謝る必要だってありません。謝ってほしいのは、石動会長ただ一人です」


 俺はそう伝えると、「良ければ持ちますよ」と言って、悪びれて遠慮する副会長の抱えている紙袋をひょいと抱えた。


「――有り難う」


 副会長が少しだけ微笑み、元々の金髪から染められているという、黒々とした輝きを放つ黒髪が、風に吹かれてたなびく。

 意外にも結構な重さだった紙袋が腕に与える負荷、朝の耐えがたい寒さすら、その笑顔で帳消しになった気がした。


「ところで、エルフィさん達を訪ねていらしたんでしょう? ご案内しますよ」


 そう言えば、今回の急な訪問に口添えしてくれたのは副会長だったな。


「その、俺の方こそ有り難うございます。副会長が口利きしてくれたって聞きました」

「感謝など……必要ありません。わたし達があなた達にした仕打ちを考えると、むしろこの程度しかできない事を恥ずかしく思います」


 副会長がそう言って目を伏せる。


「会長との事とは別ですよ。俺は本当に、マリエ副会長に感謝してます。そんなに謙遜しないでください」

「……そうでしょうか?」


 副会長の伏せられていた目が俺を見据える。翡翠色の瞳が、許しを請うかのように寂しげに揺らいでいた。


「そうです! それにお礼だけじゃ不十分ですよ。もし俺に何か出来ることがあれば、いつでも言ってください。この借りは必ず返しますから!」

「とても優しいのですね、総一くんは……でしたら、エルフリーデさん達との予定を終えた後でも構いません。少しお話をする機会を、わたしに頂けませんか?」

「へ?」


 予想外の台詞が返ってきたことで、俺は素っ頓狂な声を上げてしまった。


「ごめんなさい、図々しすぎました……今の話は忘れて――」

「――そんな事でいいなら、いくらでも!」


 再び謙遜するような表情になった副会長が提案を引っ込めようとしたが、俺はその提案に快く了承した。


 副会長が俺と話をしたいと思っている――その事自体が驚きだっただけで、別に嫌なわけじゃない。

 むしろ、そんな簡単な事で借りを返せるというのなら、いくらでもお返ししたい。


「いいのですか!?」

「はい、喜んで! ん……でも、その場合どうすれば……」


 俺がそう呟くと「ここで連絡先を交換するというのも魅力的ですが」と言って、副会長が俺を見て苦笑する。


 紙袋を抱えた俺に、連絡先の交換などできるはずもない。

 どちらかがガジェットを身に着けていれば話は別だが、副会長も俺も今はガジェットを装着してはいない。


「ちょっと長く立ち話をしすぎましたね。寒いですから、中に入りましょう。ご案内します」


 副会長が案内してくれるというのならば渡りに船だ。なによりも、たしかに寒かった。

 俺はそのまま彼女に付いて、天閃学園寮へと足を踏み入れた。



   ∬



「こちらの受付で訪問理由と氏名を入力するのですが、今はわたしが代わりに行いますね」


 受付とは名ばかりの小さなタッチパネルに、俺の氏名と訪問理由がマリエ副会長により入力された。いま俺の両手は大きな紙袋でふさがっている。


 寮のロビーには、俺と副会長の他に数名の生徒の姿が散見されるが、しかしエルフィさん達の姿はない。出迎えがなしとは、あの姉弟の性格からして考えにくい。

 やはり少し到着が早すぎたらしい。


 受付の奥には、共用とおぼしきカフェテリアのようなフロアが広がっていて、ロビーに居るよりも多くの生徒達が談笑に興じていた。ちらりと中を見るが、ここにもアインとエルフィさんの姿は見えない。

 受付の左右両脇には、それぞれエレベーターが数機設置されている。


「エルフィさん達をお呼びしましょうか?」

「まずはこの荷物をなんとかしましょう。……マリエ副会長のお部屋まで――で、いいんですかね?」

「そんな、いいですのに……わたしが自分で運びます」

「いやいや、俺が自分から持ったんですから、最後まで面倒を見させてください」

「では……よろしくお願いします。こちらです」


 ぺこりと会釈をした副会長に案内され、ロビーの右手にあるエレベーターに乗り込む。


 エレベーターが上昇する途中、幾人かの女生徒達が乗り合わせ、寮への訪問者がよほど珍しいのか、俺の顔と副会長の顔とを交互に不思議そうに見る。だが声をかけてくることはなかった。


 乗り合わせた女生徒たちが次々と降りていき、またマリエ副会長と二人だけになった。


「先ほどから女生徒ばかりなのでお気付きでしょう。ロビー右のエレベーターに乗ったときから、そこは女子寮なのです。男子の立ち入りが完全に禁じられている――というわけではありませんが、用なき立ち入りは原則禁止となっていますので、総一くんもお気をつけて」


 マリエ副会長がからかうように俺へ微笑みを浮かべると、エレベーターが到着音を鳴らす。

 階数表示のパネルを見れば、ここは10階でどうやら最高階らしかった。


「わたしの部屋は突き当たりになります、参りましょう」


 先を行く副会長を追うようにして、俺は女子寮10階へと降り立った。突き当たりの角部屋の前まで来ると、マリエ副会長がドアノブに手を触れる。少しして解錠を示すらしき電子音が鳴り響くとドアが開いた。

 指紋認証か何かだろうか、ドアノブに触れただけで解錠される仕組みになっているようだ。


「ありがとうございました総一くん。とっても助かりました」


 マリエ副会長は深々と頭を下げてお礼を述べ、俺から紙袋を受け取るとドアを開けたまま部屋の中へと入っていく。そしてすぐに戻ってきた副会長の顔には、眼鏡型ガジェットが装着されていた。


 会長がガジェットを付けているところを見たのは初めてだ。


「ゲートを通る時に使ったはずですから、総一くんもガジェットをお持ちですよね?」

「はい、いまは鞄の中ですけど」


 マリエ副会長は俺の返答に満足気に頷く。


「AIちゃん、織田総一くんへ連絡先を」

『かしこましりました~♪』


 副会長のガジェットから、AIちゃんの音声がスピーカー出力される。


『送信完了しました!』

「では、後ほど……楽しみにしていますね総一くん」



   ∬



 とても機嫌の良さそうなマリエ副会長と別れ、再びエレベーターを使ってロビーへと戻ってきた。


 もうエルフィさん達との約束の時間にちょうどいい頃合いだ。もしかしたら、外で待ってくれているかもしれない。


「全く! 総一さんは一体どこへ行ったのかしら!!」


 俺がロビーの受付付近に来た時、そんな声が背後のカフェテリアから聞こえた。


「姉上! 総一ですよ! あそこにいます!」


 アインが俺を見つけたようで、二人が俺の元へとやってくる。


「探しましたよ総一! 受付のログで、総一が既に寮へ来たことは分かっていましたからね。共用エリアを探し回っていたのですが……」

「全く、本当に探しましたわ! 一体どこへ行っていたんですの!?」


 エルフィさんが額を拭うように前髪を整えながら俺に尋ねる。

 どうやら二人には心配をかけたようだった。アインの額にも若干の汗が滲んでいる。


「ちょっと早く付いてさ。そしたら寮の前で、大きな荷物を抱えた副会長に会って……それで副会長の部屋まで代わりに運んでいたってわけ」


 事の経緯を説明すると、二人は面食らったかのような表情を俺に向ける。


「まさか総一が女子寮へ行っていたとは……」

「さすがにそれは想定外でしたわ……それも副会長と……」


 二人は共に考え込むような表情で、俺の顔を見つめていた。


「おいおい、なんだよ。俺が女子寮に行っちゃいけないのか?」

「いえ、そんな事はないのですが……ただ……」


 アインは言葉を濁すが、概ね言いたいことは分かっている。


「ただ、意外だっただけですわ。だって、総一さんは基本的にへたれではないですか。そんな大胆な行動を取るとは、わたくし夢にも思いませんでした」


 エルフィさんには、はっきりと俺の情けない性格を指摘されてしまった。


 ぐぬぬ。そりゃ確かにそうだけどさ。刀道先輩とのことだって一人で勝手に落ち込んでたけどさ。


 だが、二人がこうやってはっきり態度を見せてくれる事が、俺には途方もなく心地よく感じられた。


「それで、総一さんは副会長のお部屋に入ったのですか?」


 エルフィさんは、俺の顔を真剣な表情で見上げる。


「いや、ドアの前で荷物を渡して別れたから、部屋の中には入ってないかな」


 俺がそう答えると、エルフィさんはふぅっと息を吐き、自らの首筋に右手を当ててから、肩にかかるツインテールを振り払った。


「ならばいいのです! さぁ総一さん、行きましょう!」


 高らかにそう言うと、エルフィさんは左手のエレベーターへと向かっていく。


「男子寮にある僕の部屋で、総一をお迎えするように準備していたのですよ。きっと姉上は、ロートシルト副会長に先を越されたような気がしたんでしょう」


 アインが俺に小さな声で喋りかけ、感慨深そうにイケメンスマイルを浮かべる。


 先を越されるって何をだ?


 俺はそんな事を考えつつも、エルフィさんを追うようにエレベーターへと乗り、アインの部屋へと向かった。

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