第23革 老将、織田家康

 織田家へと帰ってきた俺だったが、玄関をくぐるでもなく、ただ玄関前の段差に腰掛けて辺りを見回している。寒冷化の影響がまだ色濃く残る旧長野県。4月半ばの夜はとても寒い。山間やまあいの日陰に降り積もったまま溶けていない雪からも、桜の開花の気配はまるで感じられない。


「刀道先輩が俺を好き……ね」


 ぽつりとそう呟いてみるが、実感なんてない。

 なにせライクではなくラブらしい。

 まだまだ十数年の短い人生ではあるが、ただ一人の例外を除いて、俺の事をそんな風に思っていそうな人になんて心当たりはなかった。なによりも俺自身が、あまり自分のことを好きではない。


 けれどAIちゃんが言うには、そういうことらしい。

 そもそも好意を持っていなければレヴォルディオンは動かないとまで、きっぱり告げられた。

 それでも、俺はそんな事は信じられずにいた。


 俺がそうやって思考の渦に飲み込まれそうになっていた時、背後で会話らしき音が聞こえる。そしてすぐに玄関扉がガラガラと音を立てて開いた。


「おや、総一くん。おかえり。お邪魔していたよ」


 そう言われて座ったままで振り返る。

 玄関から出てきたのは、遠野総長と、前に総長室で見たことのある秘書らしき女性だった。アンダーリムのメタルフレームが印象深い。


「えと、どうもこんばんは総長」


 立ち上がりながら向き直ってそう答えると、家の中には江子婆ちゃんがいた。


「あら、おかえりなさい総一。

 恭一郎さん、また用がなくてもいつでもいらっしゃってくださいね。いつだって、ご飯くらいは用意できますから。あとこれ、持っていって食べてちょうだい。どうせ碌な物食べてないんでしょう?」


 そう言いながら、婆ちゃんは何やら食べ物の詰め込まれているらしきタッパーを総長に渡していく。持ちきれなかったようで、秘書の女性にも持たせているほどの大量だ。


「貴方も! 恭一郎さんの秘書ってくらいなんだから栄養管理には気をつけてあげなきゃダメよ? この子は昔から忙しくなると食事そっちのけにしちゃうところがあるから、スケジュールを管理する貴方がしっかり時間を作ってあげないと」

「は、はい! 今後は善処します」


 秘書の女性があたふたとそう答えながら、タッパーを受け取っていく。


「勘弁してください江子さん……もうわたしも子供ではないのですから」

「そういう台詞は、食事くらいしっかり摂るようになってからお言いなさい」


 さしもの遠野総長も、江子婆ちゃんにはたじたじなようだ。


「ふむ、本当なら総一くん、君と少しばかり話をしたかったのだが……」

「あはは、その荷物で立ち話というのもなんでしょうから、またの機会で結構ですよ」


 失笑しながら俺がそう答えると、「そうだな……では今日はこれで失礼します」と婆ちゃんに向かって言うと、総長は秘書子さんと共に丘を降りて行った。




 俺は家に入ると、通学バッグを部屋に放り入れてから居間に向かった。

 まだのぶねぇと八枷は帰っていないようだ。


 居間には珍しく、ちびちびと酒を飲む家康じいちゃんの姿があり、先ほどまで遠野総長達も一緒に食事をしていたであろう量の空の食器が広がっていた。


「おう、帰ったか総一」

「うん、ただいま爺ちゃん」


 爺ちゃんに挨拶を済ますと、婆ちゃんに頼まれて空の食器を洗い場へと運ぶ。それを終えると、自分の茶碗にご飯をよそってお茶を汲み、再び爺ちゃんの座るテーブルの前に落ち着いた。


「……」


 爺ちゃんはいつにも増して神妙な表情で、ちびちびと酒を飲み続けていた。


 総長が来たから飲んだのだろうか、普段、爺ちゃんは酒は飲まない。それにしたって、来客が終わった今でもまだ酒を飲み続けているのは、とても不思議な光景に思える。

 爺ちゃんはあまり酒が好きではないはずなのだ。


 婆ちゃんが俺の分のおかずを持ってきてくれる。


「あなた、それくらいにしときなさいな」

「うむ……」


 江子婆ちゃんに止められて、家康爺ちゃんが最後の一口を煽る。


「……総一」


 酒を飲み終えた爺ちゃんが、お猪口をかたんと置くと俺の名を呼んだ。


「明日の朝、時間を取れるか?」

「あーうん。土曜だから学園には行くけど。その前でよければ、ちょっと早く起きればなんとかなると思う」

「うむ、ではそのように頼む。それと、信子と声凛が帰ったら同じように伝えてくれ」


 爺ちゃんはそう言うと、いつもよりも早くに自室へと篭ってしまった。


 俺はその後すぐに帰ってきたのぶねぇと八枷に、爺ちゃんの言付けを伝える。そして風呂を済ませ、ガジェットを弄ることなく、いつもより早めにベッドに体を沈めた。



   ∬



 翌朝。朝食の前に、俺たち三人は爺ちゃんの書斎を訪れた。


「座りなさい」


 俺たちに背を向けたままで、爺ちゃんがそう言った。


 いつもは座布団一つしかない和室の書斎には、新たに三つの座布団が用意されていて、俺達はそこに座る。 

 俺達が座り終えると、その気配を察した爺ちゃんが向き直って胡座をかく。


「楽にしなさい」


 正座で向かい合っていた俺達は各々に足を崩す。

 俺は爺ちゃんと同じように胡座にする。


 数瞬の沈黙の後に、爺ちゃんが口を開いた。


「昨夜、遠野恭一郎から革命機構の戦略顧問就任の打診を正式に受けた」


 爺ちゃんの言葉に、俺の左隣に座るのぶねぇは「やっぱりね」という感じの顔を浮かべている。どうやらのぶねぇは知っていたらしい。右隣の八枷はいつものように淡々とした感じで表情が読めない。


「ワシはそれを受けることにした。

 実を言えば、ワシは以前から奴の計画には一枚噛んでいてな、本格的な作戦が始まる前には正式に受けるつもりではいたのだ。

 仕事の早い奴にしてはここまで来るのに大分時間を取られた。だがワシが自衛軍を辞し、松本士官学校校長の任を終えた後だったのは、幸いのタイミングとも言える」


 幸いのタイミング、そう言いながらも爺ちゃんの顔には、俺が見たことのないような苦悶がありありと浮かんでいた。


「ワシがお前たちの曽祖父にしてワシの義父、信長に見入られ。

 江子に出会い、織田家に婿入りして四十七年。

 信長の娘がどういうわけか江という名で、更に婿養子の名が家康などと珍妙な事態に周囲は笑いもしたが、そんな逆風も江と共に乗り越え、そして子も成した。総一の父、そして信子の母だ」


 爺ちゃんは、俺とのぶねぇを交互に見てそう言った。


「日本では幾度にも渡る大地震、超震災、そして過酷な寒冷化をも乗り越えてきた。信長亡き後はワシが一家の長として、この家を守ってきたつもりだ。

 ……だがワシが守りたくても守れなかったものがある」


 あぁ、そうか。爺ちゃんも同じなのだ。


『――いいか総一、何が何でも一番を目指せ、出来るかどうかは関係ない! だから父さんは、お前を総一と名付けた!』


 忘れようとした、忘れられない記憶が再び俺の脳裏に流れる。

 俺は必死に涙腺が活発になろうとするのを堪えた。


「ワシは……大切な我が子を。

 総一、信子……。お前たちの父と母を、その伴侶を、守ってやれなかった……」


 俺が未だかつて見たことがない、涙を浮かべる祖父。

 しかし、爺ちゃんはすぐにそれを拭う。


「ワシが奴の計画に噛もうと決めたのは、あの事件がきっかけだ。それに続いて、声凛せりん。お主の両親の事件が起こったことで、ワシはより一層その意思を強固なものとした。

 戦略顧問と共に、自衛軍に対する離間工作も引き受けている。こちらは以前から行っていたことを引き続き行うという話だ」


 爺ちゃんの台詞に、八枷は目を伏せ真っ赤な髪留めに触れる。

 そして、のぶねぇが口を挟んだ。


「本当にできるの? お爺ちゃん。

 相手は自衛軍よ。ついこの間まで士官学校の校長をしていたような人が――」

「――わかっている信子。確かにワシは元自衛陸軍少将。そして自衛軍士官学校元校長だ。

 もし自衛軍の若者が死ねば、我が子殺しも同然だろうよ。だがそれでも、ワシはやらねばならない。この老骨に鞭打ってでもだ、お前たちにもよろしく頼む」


 のぶねぇの試すような問いに、固い決意を孕んだ眼で家康爺ちゃんが頭を下げる。それを見たのぶねぇは「そう……」とだけ言った。

 爺ちゃんが頭を上げると、また沈黙が流れた。


 しばらくの沈黙が続き、話は終わりだと爺ちゃんが口を開きかけたその時。


「たのもぉおおおおおお!」


 と、大きな叫び声が家中に響いた。


「あの、バカっ……ほんっと、間の悪いヤツ」


 立ち上がろうとした爺ちゃんに、のぶねぇが「いい、わたしが出る」と声をかけると足早に軒先へと向かって行った。

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