第13革 気まぐれ

 イヴとの対面を終えると、イヴが再び「目を閉じてくれるかしら」と言ってきたのでもう一度目を瞑ることになった。

 さっきと同じくらいの時間そうしていると、目を開けた時には元の八枷が、イヴではない八枷声凛が目の前に居た。


「ふぅ、お話は終わったようですね」


 八枷は纏められている髪を振りほどくと、手慣れた様子で真っ赤な髪留めで再度自分の髪を手早くハーフアップに留め直す。

 そしてソファから立ち上がると、違和感を拭い去るかのように、だぼだぼの白衣を始めとした衣服の節々を整えなおした。


「なぁ八枷、もしかしてイヴは、フォルツリーヴェで服まで作れちゃうのか?」


 だって八枷とイヴとではまるで体格が違うのだ。

 八枷はどう背伸びして見たとしても、せいぜい小学校高学年といったところだし、一方イヴはどう考えても高校生、それも発育のいい女子高生のそれだった。


「まぁ作れないこともないですが、エネルギー消費が激しいので態々そんな無駄はしませんよ。彼女の肉体の変化にしても、エネルギー消費的には本当ならば無用の長物なのです。

 わたし達の衣服は、ほぼすべて非常に伸縮性の高い素材のもので、しかも何サイズも上のものを着用しています。彼女としては多少窮屈に感じる部分はあるようですが……。

 そして見ての通り、一番外側に着ているこの白衣は、完全に大人サイズのものです。

 そこまで頻繁に彼女が出てくるというものでもないのですが、いつでも切り替われるように、という配慮から、そういった衣服を選択して着用しているのですよ」


 作れちゃうのかよ! と心のなかでツッコミを入れるが、八枷には反応はない。


「八枷もイヴみたいに、問答無用で相手の心の声が聞けちゃったりするのか?」


 俺が恐る恐るといった体で質問すると、八枷はふるふると首を振った。


「もしわたしにも彼女と同じ能力が扱えたなら、私の性格上、相手と会話をすることなく一方的に説明と要求だけを口にして終わるでしょう」


 気だるそうに八枷は、「そちらの方が効率的ですからね」と結んだ。

 どうやら八枷にはイヴのような超能力が自由に扱えるわけではないらしい。


「そうだ、総一さん」


 八枷がはっとしたように切り出した。


「さきほど彼女から記憶の共有を受けて事情を把握しましたが、やはりわたしとしても『お前』と呼ばれるのはあまり好みません。

 ですが総一さんの呼称を変えたい、複数の呼称を使い分けたいというへきに関しては、わたしとしては同意する側面が有ります。

 ですからどうでしょう? 代わりにわたしのことを『八枷』と呼ぶ以外に、『ハカセ』と呼んでいただくというのは」


 淡々とした表情で八枷は、「どうせ多くの方がわたしをそう呼んでいますからね」と提案してくる。信子も『ハカセちゃん』と八枷の事を呼んでいたし、確か婆ちゃんもそのように八枷のことを呼んでいた。そういえば、刀道先輩もハカセちゃんと言っていたような気がする。


「でも愛称なんだろ? 別に俺はそれほど八枷とは仲が良いとは思えないが」

「構いませんよ。愛称と言っても、わたし自身とは余り関わりのないところで付けられた呼称です」


 そう言って八枷はなにやら恥ずかしそうに、そして寂しげにはにかんだ。

 あれ? さっき総長が愛称の由来を語っていたと思っていたのだが……。

 だが俺は八枷の表情を見て、それはなにか踏み込んでは行けない事のような気がして、それ以上追求することはやめることにした。


「じゃあお言葉に甘えさせてもらうよ……八枷、いやハカセ」

「はい、そうしてください」


 ハカセはそう言って少しだけ笑顔になった。


「それと、総一さん。

 わたしの呼び方はそれで構いませんが、彼女にはなんと言われたのですか?」

「ん? どういうこと?」


 色々と言われたように思うが、ハカセが一体何のことを指して聞いてきているのか良くわからなかった。


「いえ、先程から『イヴ』、『イヴ』と彼女の事を呼んでいるようなので……」

「あぁ、あいつ……ゴホン。

 イヴが自分から、わたしの事はイヴと呼ぶようにって言ってきたんだよ。

 最初はイヴさんって呼んだんだけど、さん付けはお気に召さなかったらしい」


 八枷は小首をかしげる。そして俺に続けて問うた。


「はぁ、なるほど、それ以外にはなにかお話は?」

「うーん、自分は八枷に憑依している幽霊みたいなものだ~とか、そんな感じ?」


 本当は他にも話したのであるが、それは主に俺の嗜好に関することだ。八枷に伝える必要性はあるまい。

 どうやら記憶の共有は、本当に八枷の呼称に関する部分だけだったらしい。そうでなければ八枷が俺に尋ねる必要はないのだから。

 俺は秘密が守られたことに安堵する。


 俺がイヴとの会話について答えると、何か考えるような仕草をハカセは見せる。その視線が左上と右上をふらふらと行き来している。


「なるほど、そういうことでしたか……ならいいんです。有難うございました」


 答えは得られなかったようで視線は最後まで定まらず、しばらくして八枷がペコリとお辞儀をした。




 総長室での長い話を終えた俺は、八枷と別れ、1年生に割り当てられたフロアへと帰ってきた。既に革命科の実習が終わって大分経つ。残っている生徒は全く見当たらず、足元を照らす間接照明がメインとなったフロアからも、他の1年生が既に帰り路に着いただろうことが窺えた。


 革命科の生徒たちには実習が課される為、普通の高校生らしく部活動を行う事はない。

 単純に時間がないのだ。普通科の生徒たちが、部活動で過ごす時間を実習に当てているのである。

 その上に、俺は総長や八枷、イヴと長々と話していたのだ。既に時計は20時を回っている。革命科実習棟から外へ出れば、暗闇が辺りを覆っているだろう。


 疲労困憊状態であったし、早く織田家に帰って休みたい。しかしまずは更衣室に向かって、いま着ている実習用のジャージから、制服へと着替えなければならない。

 俺は疲れる体に鞭を打ち、足早に更衣室へと向かった。


 誰もいない薄暗い更衣室に着くや、俺は歩きながらジャージの上着を脱ぎ捨てる。そうして脱いだジャージを肩に担ぎ、自分のロッカーにたどり着くと、それを開けて制服を取り出した。

 担いでいたジャージを乱雑にロッカーへ放り込むと、上着の下にもう一枚着ていたシャツも脱衣する。上半身が裸になった。

 我ながらに悪くない体つきなのではないかと思う。特区で学生に支給される食事は多少ボリュームにかけるとはいえ、栄養バランスそのものはいいのだ。

 あとは各々の努力次第で――。


 ――と、背後に気配を感じた。

 こんな時間だ、生徒は誰も残っていないはずである。


 しかし俺がその気配を警戒して振り向くよりも早く、背中に覚えのある感触がした。

 そして気配の主は、背中から俺の胴にするりと腕を回してくる。

 けれどそれだけ、俺に危害を加えてくる様子はない。


「着替えられないんだけど」

「……」


 俺は背後の人物へとそう声をかけるが、黙りこんだままだった。

 背中越しに暖かな感触がじわりと伝わってくる。やれやれ。


「どうしたんだよ、学校じゃ表立っては俺に関わってこないと思ってたのに」

「……」


 再び問うが、またもだんまりを決め込む。

 いつまでこうしているつもりなのだろうか、俺がどうしたものかと思考を巡らせていると、ぽつりと背後の主が喋った。


「……会ったんでしょ」

「会ったって、総長にか? 総長室で少し話したけど」

「……違う」


 そう言うと、更に腕の力を強めて抱きしめてくる。


 違うって他に誰に会ったっていうのか、総長の秘書さん? いやでも会ったというほどの事もなければ話してすらいないが……。


「……あの子に、会ったんでしょ」


 あの子、もしかしてイヴの事だろうか? んーでも八枷みたいなものでは? 会ったと言えるのだろうか。


「……誰にも渡したくない、絶対に渡さない。わたしが一番最初に好きになった! わたしが一番最初に総一に出会った――わたしが!!」


 声にならない声を絞り出すように、背後からギュッと俺を抱きしめてくる。


「……痛いよ、のぶねぇ」

「……」


 俺がそう彼女の名前を呼ぶと、暫くしてのぶねぇの腕が少しだけ緩められる。


「……あの子って、もしかしてイヴのことか? それなら会うにはあったけど」


 のぶねぇは革命科の講師だ。それは革命機構において、重要なポジションにいるってことになる。加えて八枷とはもう長い付き合いらしい、イヴの事を知っていても何もおかしくない。

 けれど、イヴに俺が会ったからどうだと言うのだろうか。


「イヴ? あぁそっか……やっぱり会ってるじゃん」


 そう答えた後もしばらくの間、のぶねぇは俺に背後から抱きついたままだった。

 柔らかで暖かな感触が、そしてのぶねぇの心臓の鼓動すら伝わってくる気がした。


 ようやく気が済んだのか、のぶねぇが俺を解放してくれる。


「イヴ……イヴってことは、まだ大丈夫……よね?」


 などと、なにやらぶつぶつと言っているが意味が分からない。


「どうしたんだよ急に、学園じゃあまり表立って俺に関わってこないと思ってたのに」

「……しょうがないでしょ、私にはあまり時間がないんだから」


 のぶねぇは「あと二年、いや三年? でも……」とまたもや一人で呟いている。

 

 はぁ、まったく肝が冷えた。急に背後から襲われるとは、誰も居ないだろうと高をくくっていて警戒が足りなかった。

 久々の信子の攻撃に、俺はかなり動揺していた。これだけで済んだのは運がいい方だろう。昨夜は簡易ロックのおかげで難を逃れる事が出来たが、この調子では大正解の方策だったようだ。これからはより一層警戒を――。


「――誰かいるのですか?」


 がらんどうの更衣室に、凛とした落ち着きのある可愛らしい声が響く。

 そして更衣室の扉が開くと、そこに現れたのはライトを片手に持った女生徒だった。


 薄暗い照明の下でも、艶のある黒々とした髪が光る。

 日本人とは思えないほどにくっきりと彫りが深く、大きな瞳が闇の中でも際立って見える。

 よく見れば見覚えがある。

 そうだ! 思い出したぞ、入学式で司会進行を行っていた女生徒だ。


 のぶねぇはと言うと、声が聞こえた側から更衣室の隅へと隠れてしまった。

 まぁ、上半身裸の生徒と講師のツーショット、ってのはまずいよね絵的には。


「あ、すみません使ってます。もう帰りますけど」


 女生徒にライトで照らされて、俺は咄嗟にそう答えた。


「貴方は……織田総一くん……?」

「総長と話していたら遅くなってしまって……すみません、すぐに着替えて帰ります」


 俺がそう言い訳すると、女性徒はすぐに納得したようだった。

 しかし、何故俺の事を名前まで知っているのだろうか。


「そうですか、革命科と言えども下校時間は既にとっくに過ぎています。早めに着替えを済ませてくださいね」


 彼女はそう言うと、ドアを閉めて去っていった。

 どうやらやり過ごせたようである。

 隠れていたのぶねぇもそそくさと出てくる。


「はーあっぶない! そういえば生徒会の巡回時間だったわね……」


 のぶねぇはパタパタと両手を扇ぐようにして顔に風を送っている。


「生徒会? あの人が生徒会長とか?」

「違う、違う、あの子は副会長。てか総一はまだ知らないのか」


 のぶねぇがはっとしたように俺の顔を見ると、


「手ぇ出したらダメだからね?」

「出さねぇよ……いや分かんないけど。てか副会長かー確かに司会進行やってたもんな」


 それに彼女の纏った雰囲気が凄いエリートっぽかった。副会長というのは凄く納得である。


「んでも、なんで俺のこと知ってるんだ?」

「……はぁ、あんた馬鹿なの? 模擬戦であんなことしたら名前覚えられて当然でしょ」


 のぶねぇは呆れるようにして教えてくれる。


「模擬戦グループ2の勝者、Rev15のリーヴァー、《マリエ・ロートシルト》。それが彼女の名前よ」

「ロートシルト!?」

「そ。日本人っていうよりは外国人かな。一応学園に入れるくらいだから、日本人って扱いにはなってるけどね。ロートシルトって言えば名門中の名門。世界指折りの大富豪のお貴族様よ、総一は知らないだろうけど」


 失敬な、ロートシルト家くらいは知ってるぞ!

 しかし、ロートシルト家のお嬢様がレヴォルディオンのNO.1ペアなのか。本当に常識はずれだよなぁこの学園。


「あの子、かなりの日本文化かぶれなのよね。本当は金髪なのに真っ黒に染めてるのよ、勿体無い」


 のぶねぇは羨むような、やっかむような、複雑な表情をしていた。

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