第12革 イヴ

 俺がレアケース。

 俺が1000万人に一人の逸材。

 もしかして、俺って凄い……?


 総長が去った後の総長室で、俺の思考はそんな感じでぐるぐると回っていた。


「さて、総一さん」


 総長がいなくなって、暫くすると八枷が口火を切る。


「少し、目を瞑っていて貰えますか?」


 八枷は俺が真正面になるように、ソファに座り直す。


「……おいおい、いきなりラブコメお約束の展開はいらないぞ。俺とお前はまだ会ったばかりだし、そういうのはもう少しお互いを知った後にだな?」


 そうだ、それに『今の』八枷が相手では俺はそういう気分にはなれない。


「何を期待されていたのか分かりませんが、総一さんが考えているような内容ではない事だけは断言しましょう」

「――ですよねー」


 いけない、いけない。たぶん少し調子に乗ってると思う。

 でもでも、凄くないか? だって1000万人だぜ1000万。


 再び、俺の思考は天高く舞い上がっていきそうになる。


「総一さん? お願いできませんか」

「おーけー、すーはー。はい瞑る瞑る! 目なんていくらでも瞑るよ」


 俺が、俺の手で、革命が起こせるかもしれない……!

 総長の言い分からは、真摯な態度しか感じられなかった。邪な気持ちでというよりは、彼は彼なりの正義のもとで革命を起こそうとしている。

 ならば俺には十分だ。俺が起こしたかった革命、一人じゃ無理だって諦めていた革命。

 天閃学園ならば、革命機構ならばそれが可能になるかもしれない。

 いや可能だ、シミュレーターの性能通りにあの機体、レヴォルディオンが実際に動かせるとするならば、絶対に出来る。


「目を開けていいですよ」


 言われて、目を閉じていた事を忘れていたことに気付かされ、そして俺は閉じていた目を開いた。


「……え?」


 目の前にいた八枷がいなかった。


 いや正確には八枷は目を閉じる前と全く同じ位置に、俺の対面側のソファに座っていた。


 しかし、それはだった。


 地面に付きそうな程の長さだった漆黒の髪はなかった。

 目の前にいる少女の髪はどうみたって、透き通るように真っ白だ。


 いや、よく見ればただの白というだけでもない。薄っすらとしたパステルカラーのような若緑色が、その髪のところどころをグラデーションのように染めていた。


 髪型も変わっている。

 真っ赤な髪留めでハーフアップにされていたその髪は、今では完全にまとめ上げられている。

 白い肌の首筋、うなじの端が覗く。


「初めまして、総一」


 白い八枷は俺の目をみつめて、そう言った。


「……」


 分からない。

 目の前にいるのは八枷のはずだ。顔つきが完全にそうだし、俺に喋りかける声だってたぶん記憶にある八枷のものだと思う。

 でも、俺が目を瞑っていたのはたぶんせいぜい30秒ほどだ。

 別人と入れ替わるような時間はないし、この部屋に他に人がいる気配だってなかった。

 八枷がずっと俺の目の前に座っていただけのはずだ。なにやらガサゴソと座ったまま手を動かしてはいたようだが……。


「八枷……だよな?」


 俺の問いに、少女は応える。


「えぇ、そう。わたしは八枷声凛ね。確かに八枷声凛だわ。でもそれだけじゃないのよ」

「は? それだけじゃないってどういう……」


 ワケが分からなかった。八枷の口調すら変わっているような気がした。

 そうだ……! さっきあいつ、俺のことを『総一』って呼び捨てにしなかったか?

 今までは、『総一さん』とか、『貴方あなた』とかの呼び方をしていたはずだ。決して、八枷は俺のことを呼び捨てにしていなかった。


「フフフ、そうよね。それが素直な反応よね」


 白い八枷は嬉しそうに笑う。


「わたしの名前は《イヴ》。もう一人の八枷声凛。それがわたし」

「もう一人の、八枷……?」


 あーうん、もしかして、八枷って痛い子?

 目を瞑って! とか言ってる間にコスプレをぱぱっとこなしたとか?

 いやほら、俺もたぶん中二病患者ってやつだし? 人のことをとやかく言うつもりはないよ? ナイデスヨ?


「……失礼な人ね、そういうのではありませんよ」

「!?」


 もしかして口に出していただろうか。やっべぇ、デリケートに扱ってあげなきゃいけない場面じゃない? 思わず心の声が漏れてしまったようだ。


「だから、そうじゃないって言ってるでしょう」


 いや、言わずとも分かるぜ兄妹ブラザー。なに恥ずかしがることはない。俺だって昔は、左手の一つや二つに邪眼が生じた経験はある。そういうのは慣れっこさ。


「総一、わたしのこと完全に馬鹿にしているでしょう?」


 馬鹿にしてるだなんてとんでもない! そういうのは嫌いじゃない。そう嫌いじゃないぜ。むしろ好き、大好き。俺はもう、面と向かって堂々とそういう事をすることはできない。劣等種の中二病に成り下がっちまっただけさ。お前に憧れるぜ、八枷。


「心の声がわたしに駄々漏れだって気付いてないの? 総一」

「へ?」


 そうだよ、俺さっきから絶対喋ってないって! まだ会って間もない八枷にこんな失礼な事をずけずけと言うわけ無いじゃん! 俺は紳士! 紳士なんだよジェントルメン。


「紳士はここまで女性にだけ喋らせるような事はしないと思いますけど?」


 んーとさ。


「はい」


 もしかしてだけどさ。


「えぇ」


 俺の心の声、聞こえてたり?


「それはもう、はっきりと」


 ほんとに?


「本当です」


 まっさかー。ほら、これくらい符丁が合うのなんて、相手の思考を読めば簡単……。

 ……おっぱい!


「総一は大きいほうが好きなんですよね? 信子のような」


 ……。


「マジで?」

「マジです」


 ――本当だった。


 どうやら今の八枷、先刻自らの事を『イヴ』と名乗った彼女には、俺の心の声が見事なまでに筒抜けになっているようだ。これは下手なことは考えられないな……。


「イヴね……まぁ信じるしか無いよな。あー、あと信子のようなって部分は、絶対に本人には言わないでくれよな」

「勿論よ。信子がそんな事を知れば、わたしやセリンも巻き込まれる厄介事になりそうだもの」


 絶対に信子に知られてはならない秘密が拡散されない事を確認し、俺は胸を撫で下ろす。


「それで、イヴってのは八枷とは別人ってことなのか? それとも二重人格者とか?」

「二重人格……まぁそういう風に見えるでしょうね。でも……そうね。もっと正確な表現があるわ」


 白い八枷、イヴと名乗る少女が唸るように眉をしかめて首をひねる。そして閃いたらしく、ぱぁっと明るい表情へと変わった。


「わたしは、八枷声凛という人間に憑依している幽霊みたいなものかしら」


 幽霊。

 イヴは自分のことをそう言った。


 幽霊ねぇ。でもなんか、髪型とか実体まで影響を及ぼしているように見えるんだが。


「そうね、確かに実体に影響を与えているわ。わたしがこの体の主導権を握っているときには、こう変化するようにしているの。わたしだって女の子、女性ですもの、セリンと全部同じだなんて面白くないじゃない」

「それはつまり、イヴさんには特殊能力みたいなものがあるってことかな。さっきから俺の考えている事が筒抜けになっているのも、その一種ってことか」


 驚異的な特殊能力、超能力かな? だと思う。

 けれど最近は驚かされる事ばかりで、凄いことであるはずなのに驚きがあまりない。麻痺してしまっているのだろう。

 ここ数日で起こる出来事は常軌を逸し過ぎていて、もはや俺の中の常識の概念論議は収拾がつかない。


「わたしとしては、総一に驚きがあまりないようで面白みに欠けるわ。総一はもう知っているでしょう? フォルツリーヴェ――それがわたしの能力の原動力となる力よ。

 わたしはそれを使って色々な事ができる。総一の心をのぞき見ているように、そして毛髪を始めとした姿形を変化させているようにね」


 イヴは「それとわたしにだけ『さん』付けするのはやめて」と八枷と同じようにぞんざいな呼び方にするよう求めてきた。


 そうは言うが、俺は八枷の事はセリンと名前で呼んだことはない。基本的には『八枷』と苗字で呼んでいる。イヴには苗字のようなものはなさそうだし、同じ『八枷』という事になるのではないか。


「八枷って、苗字で呼び捨てだと被るだろう」

「総一……あなたもしかして自覚がないのかしら」


 イヴは露骨に顔を顰める。


「あなた、さきほどから結構な頻度でセリンの事を『お前』って呼んでいるのよ、気付いていて? はっきりと教えておいてあげるけれど、まだ会って間もない男性から『お前』呼ばわりされる事は、本来であればこの上なく不快よ。唾棄すべき行為だわ」


 俺を堂々真っ向から批難するように、イヴは厳しい視線を俺にぶつけてくる。


 うん、言った。たぶん『お前』って言ったと思う。言い訳をすると、別に悪い意味じゃなくて、単に呼び方を変えたかったっていうか、八枷って呼び方だけじゃ堅苦しいっていうか。

 いやホントに、下に見てるとかそういうんじゃなくてね? 呼び方が1個だとつまらないじゃん。だから時折呼び方を変えるのが、俺の癖になっているんだと思う。


「はぁ……もういいわ。悪気はあまり無いようなのは分かったから」

「いや、ホントごめん。ごめんなさい」


 イヴに謝っているが、これは八枷には伝わっているのだろうか。もし八枷に戻ったなら、もう一度ちゃんと謝らなければならないかもしれない。


「わたしからセリンには伝えておくわ。それと、わたしの事は『イヴ』って呼び捨てにしなさい。総一の気持ちは分からないでもないわ。けど、わたしは回りくどい事は嫌いなの。呼び方はイヴで統一してちょうだい」


 イヴの提案に、俺は何度も頷き返した。

 しかし伝えておく――か。イヴと八枷の間には、記憶の共有のようなものがあると思っていたが、どうやらそうでもないらしい。


「記憶の共有はしているわよ。けれどわたし達はお互いを尊重している。

 それぞれに主導権がある時に見聞きした事柄は、お互いに許可しない限り共有はしないことにしているのよ。共有しない場合、ただその時の感情が薄っすらと流れ込んでくるに過ぎないわ。わたしはイヴ、セリンはセリン。完全に別個の人格よ」


 イヴは左手を優雅に胸に添えると、自分たちそれぞれを尊重しろと言っているかのように胸を張った。すると白衣の下に見える胸元から谷間がのぞいた。


 谷間が??


「あらめざとい。でも、総一は大きい方が好きなんですものね」


 イヴは悪戯な笑みを浮かべる。


「気づいてないかしら、セリンはどうみたって童女よね。でもわたしはどうかしら」


 ――言われてみれば。

 明らかに成長していた。

 たぶん歳相応に、八枷の――イヴの体は成長していた。真っ白と緑がかった髪色と、髪型の変化に気を取られていたが、体が高校生らしく大きくなっていた。そして、胸元はそれ以上に。


「……フォルツリーヴェすっげぇ」


 思わず感嘆を漏らして魅入ってしまう。

 つい先刻、初めて見たであろう八枷の笑顔から夢想した八枷の姿。それがいま目の前にあるのだ。そして、その光景は俺が考えていたよりも遥かに魅力的で、心臓の鼓動が高鳴るのを感じずにいられなかった。


 俺の様子を観察しながら、イヴは艶めかしく発育したその素足を交差させる。


「セリンもあと2、3年すればこうなるわよ」


 またしても悪戯な笑みを浮かべるイヴは、とっても楽しそうだった。

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