第7革 織田家への帰省

 残念なものを見るような目をしているアインとエルフィさんの帰寮を見送った。


「んじゃ、わたしも帰る準備してくるから、1Fのロビーで待っててね総一!」


 そう信子――のぶねぇは言うと、一度講義室へと戻り、るんるん気分で弾むような足取りをして去っていく。

 その腕には今にも吐き出しそうな青い顔の八枷が抱えられていた。

 これはもう諦めるしか無い……出来ることならば避けたかった状況だったのに。

 仕方あるまい、と思ってエレベーターに乗り込む。

 幾人かの生徒と一緒にカミール先生が乗り込んできた。


「あぁ、総一くん。織田先生はどうしましたか? この後にやる作業の確認をしようかと思ったのですが」

「帰る準備をすると言ってエレベータでどこかに行きましたが……」


 カミール先生は諦観を示すような笑顔を浮かべると、「そうですか……」と言った。

 ご愁傷様です、カミール先生。

 そしてごめんなさい。弟として心からの謝罪を心の中で述べた。


 ロビーで待っていると、のぶねぇがやってきた。

 その腕には去る前と同様に、八枷が抱えられている。

 革命科実習棟を出ると、俺たち三人は停留所からオーカーに乗り込む。


 天閃学園前を通り過ぎると、それから10分ほどで織田家近くの停留所へと辿り着いた。

 オーカーを降りて3人で少し歩く。

 そこには俺にとって5年ぶりに見る我が家があるが、特に感慨深いというわけでもない。

 小高い丘に建てられたその木造家屋は昔と何ら変わらない。


「ところで、のぶねぇ。敢えて聞かなかったんだけどさ、八枷まで家に連れてきたのには一体どういう意図があるのかな?」

「当然じゃない。だってハカセちゃんは


 そっかー、当然かー。そいつは仕方ないな! ん??


「へ……? なにそれどういうことだよ!?」


 ちょっとまって欲しい。

 確かにどう見ても幼女体型な八枷だし、劣情を催すなんてことはない。

 断じて無いが、仮にも同じく15歳の男と女なのだ。

 それが一つ屋根の下で暮らすだなんて事があっていいのか? 答えは否、断じて否である。

 そも、それ以前に俺は自分の貞操を守るのに必死にならなければいけないのであるが……。


「あーそっか。総一は知らないんだっけ」


 信子が説明する言葉を探すようにしていると、うしろを歩いてきた八枷が答えた。


「わたしがこちらに預けられたのは10歳の夏からですから、総一さんが小学部の5年生から寮に入ったのとちょうど入れ替えなのですよ」

「そうそう。わたしが中等部3年の時だしね! というか総一、わたしはまだあんたの勝手を許してはいないから」


 とっても眩しい笑顔でのぶねぇが俺を見てくるが、これは笑顔に見えてそうではないと俺は知っている。

 俺は小学部の高学年から入れる寮制度をフル活用し、それから小等部の2年間と中等部の3年間、合計5年間、一度たりともこの家に帰っていない。

 それは一重に、のぶねぇから逃れるのが目的だった。


「それは仕方ないだろ、俺は俺で自分の貞操を守るのに必死だったんだ」

「人聞きの悪いこと言わないでくれる? まるでわたしが可愛い弟を取って食おうとしていたみたいじゃない」


 のぶねぇは凛とした笑顔だが、それは嘘だ。

 俺の姉、織田信子はブラコン、ブラザーコンプレックスである。

 それも重度の。


 小さい頃から、「とっても仲の良い姉弟ね!」なんて近所の人達から言われていたが、そんな関係も、のぶねぇが中学に上がった頃には変わった。


『ねぇ総一。総一とわたしはイトコ同士だから結婚できるんだよ! 総一はお姉ちゃんと結婚するんだからね? 絶対だよ?』


 当時、俺と遊んでいた同級生の女の子を追い払うと、のぶねぇはそう言った。


『だからね、総一は他の女の子とは遊んじゃダメ。絶対だよ、絶対に絶対』


 まだ8歳だった俺はそれに笑顔で、『うん分かった』と答えた。

 他の女子とは遊ばなくなった、いや遊べなくなった。

 しかし10歳を迎える頃には、のぶねぇの行動が、俺に向ける愛情が、常軌を逸したものであると嫌でも気付かされる。

 高学年からは実家があっても希望すれば入寮できることを利用し、俺は織田家から――のぶねぇから離れた。


 天閃学園に通う事にならなければ、俺は恐らく婆ちゃんか爺ちゃんの葬儀が行われるまではこの家には近づかなかっただろう。

 幸い、祖父母から俺の入学式や卒業式、参観日などに訪れてくれることで顔は見れていたし、俺にはそれと婆ちゃんからの長文メールで十分だったからだ。

 しかし、これからは一緒に住むことになる。

 天閃学園では、学園に近い住居を持つ学生の入寮は認められていない。


「知らなかった……というか、婆ちゃんや爺ちゃんからも一言も教えてもらってなかった」

「そうでしょうね。江子さんも家康さんも、わたしに関することは内密にと言われていたようですから」


 八枷が俺にそう教えてくれた。

 でも内密に?

 まぁ八枷の天才ぶりを思えば、機構としては隠す必要があったのかもしれない。


「んじゃ、そういうわけだからハカセちゃんを襲っちゃダメだぞー?」


 のぶねぇは笑いながらそう言って家へ入る。先程とは違って、この笑顔は本当の笑顔だ。

 八枷が俺の守備範囲外だとのぶねぇは判断しているらしい。

 まぁそうなんだが……。


「はいはい、ただいまぁ」


 玄関をくぐり居間ににたどり着くと、婆ちゃんと爺ちゃんが俺を迎えてくれた。そして俺の歓迎会だと言い張られて、俺たちは婆ちゃんの得意料理フルコースを味わうことになった。


 それから自室へ戻ると、事前に送っておいた荷物を探る。

 荷物から、あらかじめ用意しておいた簡易ロックを取り出すと、それを自室の入り口ドアに施し、久しぶりの自分のベッドで一夜を過ごした。

 

 夜中にガタゴトと物音がしたような気がしたが、そんなものは幻聴である。

 さぁ眠りの縁へと我を誘い給え!




 ――翌日、俺はある一声で目覚めた。


「少将閣下! 信子さんを僕に下さい!!」


 物凄い大きな声に、体がびくんとしてしまった。

 一体どこのどいつだ! と不機嫌になりつつ枕元の時計を見て、その考えを改める。


 なんで誰も起こしてくれないんだ! 

 あぁそうか。簡易ロックしてあるから入れないのか……。

 婆ちゃんは声ぐらいはかけてくれたのだろうが、それで俺が起きなかったに違いない。

 いつもと違う環境だからか、目覚ましをかけ忘れていた。

 どこのどいつか知らないが、馬鹿でかい声に助けられたな。


 俺は急いで支度を整えると居間に向かった。


「だ・か・ら! わたしにはもう決まった相手がいるっつってんでしょうがこの分からず屋!」


 なにやら縁側で見慣れぬジャージの男と、のぶねぇが言い争っていた。

 誰だこいつ、全く知らないやつだ。

 んーでも、爺ちゃんと婆ちゃんに、八枷までもが無視して朝食を食べている。

 うん、これは俺も関わらなくていいな。

 朝の挨拶を三人に終え、俺も婆ちゃんにご飯をよそって貰って食べ始めた。


「ですから、それは一体誰なのですか! 信子さんは毎度のようにそう言うが、貴方に出会ってこの方、俺はそんな男を見たことがない!」

「それは……その……とにかく、あんたには関係ないでしょ!」


 ごちそうさまでした。あまりゆっくり食べている時間はないからな。

 三人に、「行ってきます」といって俺は玄関へと向かう、が。


「む……! 何者だ貴様! なぜ少将閣下の家にいる! まさか不審者か!?」

「いえいえ、どうぞお構い無く」


 俺は男にそう言って通りすぎようとしたが……のぶねぇに襟首を掴まれて引き寄せられた。

 あ、柔らかい。


「この子がわたしの決まった人! もう将来の約束だって済ませてるわ!」


 信子は俺を脇に挟みこむようにして捕まえている。

 うんだからね、やめようねこういうの。当たってるからさ、でかい胸が。


「な……! 貴様ぁ! 名を名乗れ名をぉ!」


 もがいてみるが、どうも逃げ出せそうにない。

 はぁ、朝から面倒なことに巻き込まれたくないなぁ。


「織田総一です、のぶねぇの弟です。だからそういうものではありませんよ」

「……なんだ、弟の総一くんか。そういえば昔、閣下に君の事を聞いたことがある。

 よく見れば顔も閣下にそこかしこ似ているではないか、信子さんも人が悪い。

 俺がそのような策に乗ると思ったのか?」


 いや君、思いっきり乗ってたよね? 俺のこと貴様きさま呼ばわりしてたし。


「なんか勘違いしているようだけど、確かに総一は我が家では弟って扱いになってるけど、従弟だから! ふつーに結婚できるし、ちゃんと約束してあるし?」


 のぶねぇはドヤ顔でそう言った。余計なことを!


「なにぃ!」


 積年の仇敵を見るかのような目つきとなった男は、今にも俺に襲いかかってきそうだ。

 助けて、レヴォるディオ~ン!

 無論助けなど来ない、当然である。


「軍曹!!」

「ハッ!」


 俺が本日の遅刻を悟った時、爺ちゃんが居間から一喝すると、たちまち男は右腕を挙げて勇ましい敬礼をした。 


「信子も離してやれ、入学早々に遅刻など許さんぞ総一」


 爺ちゃんのめいにより、のぶねぇも俺を離してしゅんとしている。

 

「はい! 爺ちゃんありがと!」


 爺ちゃんは俺へ「うむ」と頷く。


「諦めろ軍曹。これに関してはワシでさえも、いくら言っても聞かん」


 ふるふると首を振りながら爺ちゃんが言う。


 本当にやっかいなことである。

 悔しそうに敬礼を解いた軍曹と呼ばれる男を横目に、俺は爺ちゃんの命令通り遅刻しないよう家を出た。

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