庭先の蹲踞(つくばい)には、月光が照らしながら花弁が落ちる。黄色く淡い花びらは水に濡れ、波紋を呼んで光る。


 二人はまだ、躰を寄せ合ったまま離れてはいない。ゆっくりと水生の着物から肌に、熱い泪が染み入る。

「離して・・・・・・お願いだから」

 神を侵す存在を総称して〈神狩〉と呼ばれ、神狩は名前を与えられることは決してない。背神者としてその一生を疎まれる。そしてぼくは神狩だ。


 実際、神狩は集落に見放された〈部落者〉を差す。主に凶作の年に生まれた子が付けられる名でもあるが、神の妻として一生捧げたはずの女から生まれた子もそう呼んだ。

〈神から見離され、本来なら狩ってもらえる魂を狩ってさえもらえない〉ことから、神狩は始まった。

「お母はんから呼ばれてた名前、あるんと違うん」

 水生は優しく言う。抱いた腕の中で泪するぼくをなだめるように、頭を撫でている。

「もう、随分と前になる。名前でなんて、呼ばれた覚えがない。ぼく自身でさえ・・・・・・覚えていないのに」

 夜鷹の羽ばたく音が、耳に入った。暗い夜は更にふけてゆく。月もとうとう暮れるようだ。


 〈真名(まな)〉は誰しもが貰える魂の記号であり、なくてはならないものである。それは、いつも上に天空があるように、足下に大地があるように。その先に海が広がっているように、当たり前に存在するものだった。

「だから言ったろう。神に認めてもらえないんだ・・・・・・だから、ぼくは神なんて信じない、例えお前が神でも。・・・・・・嫌いなんだ、本当に・・・・・・大嫌いなんだよ」

 水生に抱かれながら、泪が抑えられない。こんなにも愛しいのに、こんなにも恋しいのに。一緒にいたいのに。ぼくの躰は、ぼくの意思とは正反対に水生を蝕んでゆく。

「お前はぼくを好きだと言うけど、ぼくは〈神狩〉だ。それも本当の意味で」

 一瞬、水生の腕の感触が弱まった。ぼくにはそれだけで十分だった。水生から離れ、そのままの勢いで蹴り飛ばして家から追い立てた。

「神狩やからって、そのままでええのに・・・・・・わいは」

「ぼくは一度、神を殺しているんだ。・・・・・・だから・・・・・・だから・・・・・・お前となんか会うものか」

 暫くすると、外から音がしなくなり、それから足音が去って行く音が聞こえた。規則正しく、止まって振り返ることなく。

 天は白み始め、生暖かい空気が淀み、停滞しているのを感じる。明日はきっと雨だろう。ぼくの心と同じように。長い梅雨が始まる。


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