鏡の国のアリス ③くすぐったい
ルカはグラスを傾けながらメンテナンスを思い浮かべていた。
「確かに、メンテナンスの度に全身麻酔するような感じになるよね。電源切ればいいのかな。」
「人の感情が脳内分泌物のバランスによって決まるとしたら、それらを定量する技術があれば、人工感情が再現出来るんじゃない?」
ミキがルカに振ると、ルカはアリスに振った。
「定量できなくても擬似的にパラメーター振って実際に起こして詰めてく感じじゃないの?」
「快、不快。緊張、弛緩。興奮、沈静。といったパラメーターを用意することでバランスが取れるか考えてはみたのですが、ルールベースを考えると、競合が発生した場合、人間のような受動、能動の表現がかなり難しいんです。」
「例えば?」
ルカが尋ねると、アリスはルカの顔を覗きこむように、不敵な笑みを浮かべて言った。
「……用意がない日に限って深夜、大好きな女性が訪れたらどうしますか?」
「……あー、わかる。」
ミキがニヤつきながら答えると、ルカは目を覆いながら言った。
「なんちゅう例えだ。」
アリスはミキに向かって説明した。
「二度とこんなチャンスは無いかも知れない。それくらい切羽詰まった状況が突然、訪れたとします。用意がないから近づかない、大好きだから一緒に寝たい。両方、成立する訳です。こういう場合に備えて条件式を用意して、両者が同時に満たされないように細分化するか、動作を共存出来るようにするか、プライオリティをつけるなどでカバーします。」
聞いていられなさそうなルカを楽しみながら、ミキも投げかける。
「静的、動的、交互、ランダム……パッと思いつくだけで4通りに分かれるわけか。」
「他に、ルールベースでの下請けが必要になりますが、必要とされないレベルまで可能性を見つけてあげる必要があります。あとは、ステートですね。待機、偵察、追跡、警戒、戦闘、逃走、何もなければまた待機、偵察状態に戻るといった、状態遷移を繰り返すプログラムをしておく必要があります。まぁ、感覚そのものの表現が難しくて再現に苦しむものもありますけど……。」
嫌な予感がしつつも、ルカが再度尋ねた。
「例えば?」
「くすぐったい……という感覚です。本来なら不快なものですが、快感になる場合もあります。触覚と痛覚の複合だとか、自律神経や心が関わっているとされています。
元々、肌の上を虫が這うといった場合における危険察知能力らしいですが、受け入れられない相手に触られるのは不快以外の何物でもない、本当に受け入れがたいものです。
でも、愛している人と事に及ぶ時、不安や緊張、痛みで不快に感じられる要因になることもありますけど、リラックスして相手を受け入れる準備が整うと、舌を這わせるような刺激に対しても、それらが快と感じられるようになっていくようです。」
気まずそうにグラスを置いて、ルカはアリスの顔色を窺った。
「俺、お前に何かした?」
「いえ、ただの例え話です。どうせ、明日の朝には何も覚えてないんでしょ?」
小悪魔の微笑みで答えるアリスを微笑ましく見守りながら、ミキもグラスを空けた。
「NTTか何かが、人工知能で電話応対するとかなんとか、ニュースになってたね。」
「……思うんだけど、一人の人間をずっと監察していって、それをベースに作れば早いんじゃないの?」
ルカの言葉にアリスが浮かない顔をした。
「プライバシーの問題がありますが、そういうデータがあれば組みやすいかも知れません。そのためのデータに使用されないといいんですけど……。」
ミキはベッドに腰を下ろすアリスの足元に寄り添いながら、アリスの下腹部を撫でるように手を当てた。
「俺、あっちゃんそっくりの女の子がいいなあ。そしたら、お嫁さんにするんだ。絶対、可愛いよ。」
ルカがリキュールを吹きそうになりながら言った。
「お前にはやらねぇよ。仮に女の子が産まれたとして、お前連れてきたら生かしておかないからな。刺し違える覚悟しろよ。」
「子供の人生は子供のものですよ、お義父さん。」
「誰がお前のお義父さんだ!」
「私、ルカそっくりの男の子がいいわ。私より大きくなったら、一緒に手を繋いでデートするの。」
「無理無理無理。」
「それは幻想。その頃には女の子の事で頭が一杯。お母さんと手繋いでたなんて見られたら最悪だ。あー、でも、あっちゃんならどうかなぁ?お母さん大好きな子だったら……徹底的にいじり倒すかも。」
「つうか、いつまでもベタベタしてんじゃねぇよ。ムカつくわ。」
ミキはアリスの膝の上に頭をのせ、腰を抱えるようにベッタリしながらルカを見た。
「しょうがないじゃん、お腹の中にいるんだもん。どうしろっての。」
露骨に嫌な顔をしたルカを「いいから。」と手のひらを見せてアリスが制止した。
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