第37話
翌日の朝。
俺は何年か振りに灰島と朝食を食べていた。メニューは相変わらず食パン二枚だけど。まあ、俺のにはチーズが乗っかっているだけましか。
灰島は俺と決して目を合わさず新聞を読みながら食パンを頬張っていた。昨日のことを考えても、一度も目を合わそうとしないなんて、頑固者はこれだから困る。
会話も「西寺君はチーズ乗せるよね?」ってパンを焼く前に、俺に背を向けて訊いてきただけ。灰島の性格がよければもっと簡単に仲直り(?)できるんだろうけど。
久しぶりの二人揃っての朝食だというのに黙っているのも、なんだか気まずいので俺は質問を投げかけた。会話はまず尋ねることから。基本中の基本である。
「灰島、あの蜘蛛は結局どこに消えたんだ?」
「……」
黙っている。ただ黙っているだけならまだいい。黙ったまま、新聞をめくり始めた。これにはさすがの俺もカチンときたが、俺はあくまで平静を保った振りをして言った。
「おい、灰島。聞こえていない振りすんなよ」
「……僕のことを――」
「なんだ、灰島」
「僕のことを恨んでいないのか?」
この男は、まだ自分を責めているのか。
「恨んでいる訳ないだろ。俺も悪かったって言っているじゃないか」
俺が答えても灰島は難しい顔をしていた。おかしい。
灰島ってこんなに過去を引きずる奴だったっけ?
俺のイメージ的には、過去なんてさっさと忘れて先へ進んでいきそうなんだけど。
調子が狂うぜ。まったくよお。
「本当に恨んでいないのか?」
「ああ、本当だ。だから灰島も変に罪悪感感じるなよ」
恨んでいないのは半分嘘で半分本当だ。
俺のせいもあるとはいえ、三年も放って置かれたのは、元々精神的に強くない俺にはかなり堪えた。俺の悩みにも真剣に向き合うことなく、知った顔で自分の言い分を押し付けるばかりで、その度に俺は灰島を嫌いに思った。正直、何度も灰島を憎んだ。
でも、放って置かれていたおかげで俺は確かに成長した部分があったし、ついでに生活力もついた。
それに並みの十代では経験できないような解放感があったのは事実だ。俺は俺なりにこの自由な時間を楽しんでいたし、同じ家にいるのに灰島にパトロール以外では滅多に顔を合わせないことに慣れ切ってしまっていた。
今までの歪な状況に甘えていた。
だから俺が一方的に灰島を恨むのはお門違いなんだ。それこそ、自分勝手というものだ。
まあ灰島がへこんでいるというのなら、それはそれで滅多に見られないものであるから面白いし、いつも人を馬鹿にしたような態度をとってきたから胸がすくようなものもあったから、へこんでいる灰島を見ているのも悪くなかったんだけど。
だけど、人が必要以上に自分を責めて落ち込んでいる姿なんて見たくない。
「灰島、本当に気にする必要なんてないんだからな。昨日でさっぱり水に流したから」
灰島が顔を上げ、俺にやっと目を合わせた。
そして口を開いた。一瞬へこんでいようが、やっぱり灰島は灰島だった。
「ああ、そう。ならもう気にしないよ。過去のことなんてパッパラパーって忘れよう。で、怪異の話だっけ?」
灰島の顔はさっきまでも険しい顔が嘘のように吹き飛んだけろりとしたものだった。
ふざけてんのか?
パッパラパーってなんだよ。
灰島も反省していると思ったが、あいにく俺の思い込みに過ぎなかったようだ。呆れてしてしまう。
まあ、それでこそ、いつもの灰島だ。
正真正銘の灰島だ。
調子良くなってきた。
「ああ、そうだよ」
「あの朱目蜘蛛は還ったんだよ。元いた場所、つまり神棚に」
「神棚? そんなものどこにあったんだ?」
「道場さ。神棚を置く道場って結構多いだろ」
「ああ、そういうの漫画で見たことあるな。いや他の高校でも見た覚えがある。思い出した。稽古の初めと終わりに礼拝するんだったっけ?剣道の授業でやらされた覚えあるなあ」
「そうそう。西寺君よく知っているね」
「まあ実際に体験したからね。でも稲庭高校の道場に神棚なんてあったのか?」
「昔はあったんだろうね。いまもあるんだろうけど、信仰なんてとっくの昔に薄れてしまったんだろう」
「じゃあ、その祭られていた神様が自分が粗末に扱われたことに腹を立てて怪異になったのか? 自分の怒りを体現するみたいに朱目蜘蛛なんて怪異に」
「そういうことだと思うよ」
「そんなことあるのか? 神様ってものは怪異とはかけ離れたイメージがあるけど」
「なーに。神様も怪異も同じようなものさ。誤解している人も多いけど、神様ってのは善悪なんて考えちゃいないんだよ。昔から人にとって、神様はさまざまな恩恵を与えてくれるものであったけど、祟る存在でもあったんだ。ほら、雷とか洪水とか起きると昔は神様がお怒りになっているんだとか言っただろ。祟るからこそ畏れられて敬られたんだ。怪異だって基本的には同じようなものさ。人間に対して利益になる怪異もあれば、害になる怪異もある。怪異とか神様の区別は曖昧で人間が勝手に区別したもんなんだよ」
「ふーん。勉強になったよ」
「それはよかった。勉強は学生の本分だからね。そうそう。蓮夏さんの方は上手くやったみたいだね」
「そんなこと何で知っているんだ?」
「人に訊く前に、まず、自分の頭で考えてみようよ」
俺が蓮夏さんと話していたのは、部屋の中だ。
俺が入って以降、馬場先輩の家には、誰も入っていない。
家に入らずとも会話を聞くことができ、灰島のために働く存在を考えれば答えはおのずと明らかになる。
使い魔。
猫。
「……ミミーか」
「正解」
「盗み聞きとは、相変わらず灰島は、いい趣味してないな」
「文句ならミミーに言ってくれ」
ミミーは、丸まって、時折目をうっすらと開けては、俺たちの話をどこ吹く風で聞いていた。
なんて自由な奴だ。
すっげえ憧れる。
「盗み聞きのことは置いといて、俺は自分の出来ることはやったよ。逆に俺の方が勇気をもらったというか」
「僕もあんなセリフ言ってもらいたいもんだよ」
にやにやした表情で灰島は言った。
そうだった。蓮夏さんとの会話は、ミミーに盗聴されていたんだった。
それを思うと、すごく恥ずかしい。
顔からマグマが噴き出しそうだ。
「……馬場先輩が怪異に憑かれる心配もしばらくはないと思う。あとは、蓮夏さんが引きこもりをやめてくれればいいんだけどね」
「そうだねえ。そればっかりは、いくら他人が言っても仕方のないことだからねえ。本人の意志がないとどうにもいかないよ。けれど、君は立派に役目を果たしたよ」
「照れるようなこと言うなよ」
「失礼な。本心からだよ」
「はは」
「そうそう。そろそろ、西寺君は学校に行かなくてもいいのかい?」
「いま何時だ?」
「さあ」
ダッシュで自分の部屋に戻って、腕時計を確認すると時計の針は八時二十五分を指していた。ホームルームは八時半から始まる。いけない。このままだと間違いなく遅刻だ。俺は机の上の教科書とノートをテキトーにカバンに突っ込んで、玄関を出た。
「今日、夕方の五時に道場に行くから! よろしくねー!」
走る俺の後ろで灰島の声がした。俺は灰島に見えるように突き出した右手の先でオッケーサインを作って走り出した。灰島が道場に来るとかは二の次だ。いまは遅刻しないための方法を考えなければいけなかった。
考えても無駄か。ひたすら足を動かすしかないのだから。
俺は走った。
ただ前に。
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