第38話

 人間には出来ることと出来ないことがある。

 俺は今朝そう悟ったのだった。案の上というか当然のごとく、俺はホームルームが始まる時間には間に合わなかった。そのせいで担任の山崎先生に軽く説教をくらう羽目になった。

 灰島、やっぱりお前のこと恨むよ。

「西寺、遅刻なんて珍しいじゃん。寝坊でもした?」

 一時間目と二時間目の休み時間に刀条に話しかけられた。

「寝坊はしてないんだ。聞いてくれ刀条。灰島の奴、ひどいんだよ」

「なにがあったの?」

「今朝、三年振りくらいに灰島と一緒に朝食を食べたんだけど。あいつが無駄話を始めてさ。俺としちゃ、昨日のこともあったし、話を聞いてやらなくちゃいけないだろ。だからさ、いつ終わるのかなと思いながら灰島の話をずっと聞いていた訳だ」

「あ、ちゃんと仲直り出来たんだ。良かったね」

「うん、まあ。そういうことかな」

「それで?」

「灰島のやつ、俺が今日学校に行かないと行けない日だと知っていながら、学校が始まる五分前になるまで教えてくれなかったんだぜ。とんだ悪者だよ、灰島は」

「あははは。灰島さん、なかなかひどいね。学校が始まった後じゃなくて五分前に教えるところがセンスあるよ。でも、やっぱり遅刻は西寺の責任だよ。西寺がそろそろ学校行かなくちゃいけないって言って、話を切り上げさせちゃえば何の問題もなかったんだから。っていうか、時計くらい確認するもんじゃないの?」

 刀条は灰島を悪者扱いすることはなかった。

 まあ、刀条の言う通りだ。

「その……時計はないんだ。あるのは腕時計だけなんだよ」

「へえ。変わってるね」

「いままでは必要なかったんだ。俺たち、実質別居状態だったから、別々の時間で動いていたからね」

「……そう。でも、今日からは違うんでしょ?」

「うん」

「じゃあ、家に置く用の時計買いなよ。なんなら、私がプレゼントしよっか?」

「え⁉ ……いいの?」

「もちろん! これからいろいろお世話になるつもりだから。その前払いよ」

 ドンと胸を張る刀条。ほんと、いいやつだ。

 俺には勿体ないくらい。

「じゃあ、ありがたく――」

「ちょっと、その話待った!」

 突然、俺と刀条の間に大きく開かれた右手が現れる。

「梅村君、どうしたの?」

 右手の持ち主は梅村だった。顔の傷はすっかりとは、いかないまでも消えかかっていた。消えない傷でなくてよかったと安堵する。

「西寺君。その時計は僕から、いや空手部からプレゼントしたいんだけど。どうかな?」

「梅村君!それは私があげるって言っているのに!」

「刀条さん、ここは僕に譲ってくれないかな?譲ってくれたら今度パフェでもごちそうするよ」

「ホント?」

「卜部珈琲店で季節限定のパフェが出たらしいよ」

 知ってる。

 サクラアイスと抹茶アイスにぜんざいの和コンボの一品だろ。俺も食べてみたいと思っていたんだよ。ほんのりとした塩味が爽やかな甘さを引き立てるサクラアイスに、小豆の豊かな風味が楽しめるぜんざい、甘すぎずまろやかな抹茶アイス。ああ想像するだけで、涎が出てきそうだ。俺は根っからの甘党なのだ。

「……いいなあ」

「西寺も行きたいの?」

「えっ⁉いや、俺は別に」

「西寺君も一緒にどう?学校終わったら、行かない?」

 行きたいところだけど、放課後には用事があるんだよな。

「ごめん梅村。誘ってくれて嬉しいんだけど、今日は用事があって」

「それって、先輩のことで?」

「――多分」

「――聞いたよ、西寺君」

 低く落ち着いた声で梅村が言う。

「昨日、馬場先輩から電話があったんだ」

「電話?」

「馬場先輩を止めてくれたのは西寺君たちなんだろ?西寺君と刀条さんと灰島とかいう代理人の男の人。この三人が自分を止めてくれたって先輩が言ってた」

 本当はミミーのおかげである部分が大きいんだけど。ここで言うのは野暮なことだ。

「西寺君、刀条さん。先輩を止めてくれて、本当にありがとう」

 梅村はピシッと姿勢を正し、深々と頭を下げた。

「そ、そんなに畏まらなくてもいいよ」

 刀条にわき腹を小突かれる。

「西寺、ここは素直に、どういたしまして、でいいの」

「どういたしまして」

 俺は深々と頭を下げた。


 休み時間が終わり、二時間目の授業が始まった。

 俺は隙を見て、後ろの刀条に話しかけた。

「刀条、時計は空手部から貰うことにするよ。刀条からは気持ちだけ受け取っておく」

 今回のことを考えると、これが正解なんだろう。

「うん。私もその方がいいと思う。パフェもおごってもらえるし」

「結局、パフェかよ」

「しょうがないじゃん。甘い物の誘惑に勝てる女子はいないんだよ。食べ過ぎは禁物だけどね」

「刀条、痩せてるじゃん。そんなの気にしなくてもいいんじゃないの?」

「気にするよ。男子の西寺にはわからないだろうけど、女子は色々気になることがあるの。隠れて努力してるんだから。甘い物の食べ過ぎなんて暴挙だよ。今までの努力がパーよ」

 刀条が頬を膨らませる。

「……そうなんだ。女子も大変なんだな。男子には一生わからない感覚だよ」

「西寺も油断しているとあっという間に太っちゃうよ。私のお父さんなんて、学生時代から二十キロも太っちゃったんだから」

「心配無用。俺は絶対太らないから」

 俺の身体は変化を嫌うからな。

「おい、そこ! 授業中の私語は厳禁だぞ!」

 先生に見咎められたからには俺も刀条も黙るしかなかった。

 でも、ずっとじゃない。

 授業が終わるまでだ。

 もう黙らなくてもいい。

 俺にも友達ができたから。

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