第17話
「西寺、あれを見て」
道場のドアをこっそりと隙間ほど開けた刀条が指差した先には、四日前と同じように馬場先輩に殴られる梅村の姿があった。
「おい、梅村!昨日、部活をサボって何をしていた!」
左手で首根っこを掴み、右手で腹に一発。もう一発。
見るに堪えない。
そこには、怒声を浴びながらサンドバックみたいに殴られている梅村の姿があった。
その周りにはあざだらけの空手部員が疲れ切った様子で座り込んでいた。その中には、お見舞いの日、保健室のドアの傍で見かけた者もいた。
馬場の部員への扱いはがらくた同然だった。
怒声がつづく。
その膨らんだ声は、道場の閉鎖的な空間の中でよく響いた。
「こいつらがサボったのもお前のせいだってな。お見舞い? ただの談笑だろ。それにお前が保健室にいたのはたった一日だけだろうが! なんで昨日もサボっていいことになるんだ!」
「……すいません」
梅村が申し訳なさそうに謝る。
俺は保健室での会話を思い出した。今日はバイトだってのは嘘だったんだ。俺を安心させるためだけの嘘。なんてお人よしなんだ。
――ばかだ。
「僕が悪かったです」
「そうだ。お前が悪い」
「はい」
「おい、梅村。蓮夏とはもう会ってないんだよな?」
「はい」
掠れた声で梅村は言った。
蓮夏って誰だ? 名前からすると女性っぽいけど。
ごくりと唾をのみ込む。いきなり出てきた名前。状況が理解できない。
隣の刀条もどういうこと?って顔をしている。
俺もわからないって顔をして二人で顔を見合わせる。
わからないなら推測するしかない。
女一人。
男二人。
そこで俺は気づく。
恋のバトルって奴か?
もしかして、もしかして――馬場先輩の恋人を梅村が奪っちゃったりしたのか?
それならば、梅村が自分が悪いって言っていたのも多少はわかるけど。
でも。
暴力は――許せない。
それに他の部員を巻き込む必要なんてないだろう。
ああ、どういうことなんだ?
「お互い会わない方が身のためだ。その方が蓮夏のためにもなるし、お前もそれが蓮夏のためになることはわかるだろ? それに梅村、お前のためでもあるんだ。俺はお前が蓮夏のようになるのを黙って見ていられないからな」
会わない方がお互いのため?
会うに会えない事情や会ってはいけない理由がその二人にはあるのだろうか?
そもそも、話しぶりからするに蓮夏とかいう人は馬場先輩の彼女という訳ではないのか?
「はい」
それだけを梅村は答える。
短い返事を続ける梅村。
たったそれだけで場の空気が緊張感を帯びた。
怒られている時に、そんなことを続ければ怒りを買う。ましてや、相手はキレやすい馬場先輩。数秒後に梅村が殴られる場面がありありと浮かび上がった。
案の上、馬場先輩はキレた。
「はいはい言えばいいと思ってんのか!」
聴く者を高くから威圧する声。遠くから聞いているだけの俺ですら心臓がきゅっと縮まる。刀条に至っては、身体が固まってしまっている。
だが、梅村は馬場先輩の目をしっかりと見据えていた。
「――はい」
そう答えた瞬間、馬場先輩は梅村の顔を思いっきり拳で殴った。
だが、梅村は正座を崩すことなく馬場先輩をただただ見つめていた。
その後も馬場先輩は梅村を殴り続けた。
頬に、目に、口に、あごに。
そこに怪我を気にするような手加減や配慮は感じられない。
微塵の容赦もなく、これでもかってくらいに痛めつける。
暴力の為の暴力。
殴る、蹴る。ただそれだけ。
梅村は顔中が赤く腐ったトマトみたく腫れていて、唇からは吐血したかのように血を流していた。
顔以外は無傷なのが作為的で、俺はぶるっと戦慄した。
そこには人間の悪意が存在していた。俺には正体不明の悪意だった。
そんな悪意の弾丸を梅村は一人で浴びせ続けられていた。普通の人間ならば、逃げ出したくなるほどの弾丸の量だった。
けれど、梅村は違った。
姿勢を変えずに馬場先輩をひたと睨みつけていた。
蹴る、殴る、蹴る、殴る、殴る、殴る、蹴る、殴る、蹴る。
馬場先輩の姿勢も変わらなかった。
暴力による惨劇は続いていた。
――理不尽だ。
俺のはらわたは怒りで熱く煮えたぎり、すぐさま駆け寄って行って馬場先輩を殴りつけたい衝動に駆られた。
でも、俺の理性が、心に巣食った怪異が囁く。
――やめとけ、そんなことしても無駄だ。どうせ君は報われないんだよ。人間じゃないんだから。化け物は身を弁えるんだ。
俺は目の前の状況が状況なだけに、珍しく衝動と理性の狭間で葛藤に悩まされたが結局、臆病という魔物に従ってしまった。いつも通りだ。これでいいんだ?
いいんだ、いいんだ、いいんだ。
――ガクッ。
今までと何一つ変わらない。
俺のしたことは俯くことだけだった。
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