第13話
昼休みが終わっても梅村は帰ってこなかった。
代わりに担任の先生がやって来て梅村は保健室で休んでいると伝えた。なんでも梅村は廊下で滑って強く頭を打ち、そのまま保健室に運び込まれたらしい。先生は大したことではないから安心していいと言っていたが、俺はまるで安心出来なかった。
安心なんてできるはずがない。
怪我の原因が問題だった。
昨日は階段から落ちて今日は廊下で足を滑らすような人間がいるだろうか? よっぽどのドジか、運の悪い奴か。確率的にもせいぜい千分の一程度だろう。
だが、梅村はそんなタイプには見えなかった。顔のあざも軽く冗談で済ましてしまうなんてただのドジが出来るはずもない。人並みよりは器用だ。
単なる事故ではない。絶対に、人為的なものに決まっている。
それに――昨日も今日もあの先輩がいた。
馬場修悟――昨日、梅村を殴っていた柔道部の先輩はそういう名前らしい。さっき先生が来た時にさりげなく刀条に訊いておいたのだ。空手部部長で主将で毎年県大会はベスト4以上、関東大会は常連という強さだけでなく、どんなテストでも学年ベストファイブに名を連ね、おまけに自分には厳しく、他人には優しいと人格的にも優れた先輩として稲庭高校では割と有名人らしい。
どんだけ高スペックなんだよ。
だから解せない。
――馬場先輩と梅村の怪我。この二つは昨日も今日も繋がっている。
偶然なんかじゃない。どう考えたって梅村の怪我は馬場先輩によってやられたものに決まっている。
だが、評判通りの人が他人を殴ったりする訳がない。
そこが解せない。
が、どこか評判というのは良いものはさらに良いものへと美化され、悪いものはさらに悪いものへと悪化されがちだ。きっと馬場先輩の評判にも嘘が混じっているのだろう。そう考えれば納得もいく。
――梅村。
俺の良心が囁く。
俺はいまこそ梅村の叫びに応えるべきなのではないか。やっぱり昨日の梅村の「助けて」は嘘には思えない。梅村は、本当は助けを求めているんじゃないのか。さあ、動け。行動しろ。助けを求めている者には、手を差し伸べろ。道場でのSOSを無駄にするのか。
一方で助けようとしても意味がないと思う自分がいる。俺は約十年間、人助けなんてしてこなかったし、人助けと思った行為が当人には迷惑行為でしかないことがたびたびあるのを知っている。そうだ。俺が何かをしようとしても無駄さ。今は感謝されるかもしれない。でも、後々俺の正体がバレたら? 化け物だと罵られる。排他される。駆除される。呼吸することすら許されなくなる。今まで通りでいいじゃないか? どうして、行動しようなんて思うんだ?
あの目、あの諦めた目を見たから。その顔が許せなかったから。
そんなものが答え? 俺は一時の感情に流されて行動するのか? そんなものは浅はかだ。到底、浅はかだ。理性で感情を制御できない人間の結末は、たいていが酷いものだ。決して幸せにはなれない。待っているのは、更なる地獄。抜け出すことのできない蟻地獄。
いや、そんなことない。感情に流されてこその人間だ。ヒーローだ。人を助けるんだ。それのどこが間違っているんだ。後々のことなんか知ったこっちゃない。やれ、行動しろ。
は? いつからキャラ変えてんだよ。俺はもっと冷めていたはずだろ? 運命だとか、なんとか言ってさ。急に情熱見せられても白けるわ~。いいから黙ってじっとしてろよ。それが俺のキャラだろ? ええ!
わからない。わからない。わからない。
俺はどうしたらいいのかわからない。
どっちが正解なのか、悩んでも悩んでも悩んでも、わからない。
繰り返される不毛な議論。ただの殴り合い。殴り合いが終わって、仲良くなることもなく、ひたすら殴り続けている状態。何も有意義なものを生み出さない。
俺の心はぐわんぐわん揺れる。進み続ける時間と共に今日の授業が終わっていく。
六時間目の授業は自学習だった。監視役の先生もいない。
高校二年生ではあるが、まだ受験までは一年半以上ある。真面目に自学習に取り組むのはクラスの半分ほどの生徒。残りの生徒は席の近い者同士で好き勝手に喋っていた。
後ろの刀条は英語の参考書を黙々と解いていた。結構真面目な奴らしい。
俺は三年間使ってぼろぼろになった数学の参考書に取り組んでいたけどすぐに飽きてしまい、窓から外を見ていた。未だに俺は行動するべきか、沈黙するべきか馬鹿みたいに悩んでいた。
自然とクラスメイト同士の雑談が耳に入ってくる。
外を眺めること十分ほど。何気ない会話が気を引いた。
「放課後さ、梅村のお見舞いに行かね?」
「行こうぜ、心配だしな」
その何の変哲もないフレーズに俺ははっとした。
――そうかこの手があったのか。
お見舞いぐらいなら別に人助けの内には入らないだろう。それに梅村の叫びに一応は応えたことにもなるじゃないか。俺の罪悪感だっていくらか紛れる。
「それにしても梅村の奴、馬鹿だよな」
「昨日は階段から落ちて、今日は廊下で滑って転ぶなんてありえねえよ」
同じクラスのみんなは、梅村の嘘を信じていたりするのだろうか?
まあ馬場先輩の評判は悪いものではなさそうだし、梅村が馬場先輩と教室から出て行くところを見たとしても、梅村の度重なる怪我と馬場先輩を結びつけるのは難しいだろう。
――実際に殴っている光景でも見ない限り。
そう思うと昨日偶然にして体育館の傍をあの時間に横切ったことは運命的であるような気がする。
うん。お見舞いだけは行こう。
爽やかな風が俺の前を横切ったような気がした。
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