第4話 因と縁
「〝
彼は、クスッと笑って言った。
「防人? あの、日本史で習ったアレか?」
防人。
たしか、西暦六六三年に、倭軍が白村江の戦いにおいて、唐・新羅の連合軍に大敗したことから、唐が攻めてくるのではないかとの憂慮から九州沿岸の防衛のために設置されたのが始まりだった筈だ。
「まぁ、そのようなものだ。――異界からの侵入に対抗し得る能力を持った人間が、少ないけれどこの世界には存在する。そんな人たちを総じて〝防人〟というんだ」
ただし、いつから〝防人〟という名称が使われ始めたのかわからないらしい。
「君もその一人だと?」
彼は薄く笑って、ああと答えた。
だから立ち向かうのだ。
この世界を守るのが彼の役目なのだから、彼は恐らく生命を落とすまで、異界からの侵入者と戦い続けるのだろう。たとえ人間が、本当に愚かな存在であっても、宿命は変わらず、彼を戦場に赴かせる。
彼は、自分が〝防人〟であることに誇りを持っている、とも言った。だから、決して己れのことを愚かと思うことはないだろう。
「――なあ、人類は救われると思うかい?」
ぼくは問うてみた。
「ぼくは真実を知った。今、人が何をしなければならぬのかも悟った。それを、人は信じてくれるだろうか?」
誰も信じなければ、ぼくの存在は無意味だ。
それだけが、ぼくを不安にさせる。
「――大丈夫。必ず信じてくれる人は出て来るよ。仏教の『
気休めの言葉でも何でも良かったのだ。ぼくは確かに、気分が良くなるのを感じていた。
「結局、人に真実を悟らせるためには、精神の変革が必要だろうね」
少し冷めてしまったコーヒーを飲み、彼は呟くように言う。
ぼくは唾を飲み込もうとして、初めて自分の喉がカラカラになっていることに気づいた。
慌てて、ぼくもコーヒーを一口飲む。
ふう、とため息をつく。
「…………」
「人は独りで生きているのではない、また独りでは生きていけないということを、人はさまざまな生命によって生かされているのだということを認識しなければ、人に救いなどない」
それが、精神の変革ということなのか。
先ほど、彼は「縁」という言葉を使った。
縁。
因縁。
この世の全てのものは、さまざまな原因「因」と条件「縁」によって成立している、という考え方があると、何かで取材をした寺の坊さんが言っていた。
物事はすべて、互いに影響しあい、関係しあって存在しているという考え方だ。
たとえばお米一つとってみても、そうだ。
お米が、なんの因縁もなくそこに存在するかと言われたら、そんな筈がないことはすぐに理解できるだろう。
まず、
それは人間とて同じ。さまざまな因や縁のおかげで生かされている。
ぼくが、突然ぼくとして存在したわけではない。
当然、父と母がいるし、その父にも母にもまた両親がいる。
父と母という「因」があり、さまざまな「縁」が彼らを結びつけ、その「果」として、ぼくがいる。
そして、そのぼくは、数は少ないが友達と呼べる何人かの人々と影響しあい、成長し、師とあおぐ人と出会い、彼女と何年かをともに過ごし、今ここにいる。
それが、「独りで生きているのではない」という言葉の意味だ。
さまざまな「おかげさま」で今を生かされている、そして同時に他を「生かさせている」存在なのだという事に気づかなければならないのだ。
「――精神への回帰か。それを行わなければ人類は滅びるかもしれないと?」
「かもしれない…」
人を善き方向へ導く役目が、ぼくに与えられた。これからが大変だな、と密かに嘆息した。
「それはそうと、きみのそれは、魔法なのか?」
というぼくの問いに、彼が小首を傾げる。
ぼくは、自分たちの頭上で浮遊しながら室内を照らしている光球を指差した。
「〝防人〟なら、みんな使えるのか?」
照明がわりに光の球を生じさせたり、発火現象もないのにケトルの中の水をお湯に変えたり。
「ああ、これか。魔法というわけじゃない。僕が持って生まれた、能力の一つさ。それに、ぼくは、他の〝防人〟がどういった能力を持っているのか、また何人いるのか、実はよく知らないんだ」
持って生まれた能力。
超能力というべきか、それともやはり魔法なのか。
そのとき――
「さて。どうやら休憩時間は終わりのようだ」
彼が、コーヒーを飲み干し、立ち上がる。
美貌は、一変して戦士のそれになっていた。
その険しい美しさに、ぼくは見惚れた。
慌てて彼の視線を追う。
リビングのソファの上あたりに、直径が二十センチ程度の黒い球体が一つ浮かんでいた。よく見ると、何かがものすごい勢いで回転しているのがわかる。
幅が五センチほどの平たいヒモのようなものが、何本も折り重なりあっている。
そのうちの一本がほどけて、床に落ちた。
蟲だ。
「ひぃ……」
平たいヒモは、オオムカデのような姿をしていた。
気づいたときには、空中に浮かんでいた黒い球体は消滅し、それを形作っていた何本もの平たいヒモは、オオムカデにも似た化け物に姿を変えて、僕たちを取り囲もうと包囲網を狭めつつあった。
ただのムカデなら、僕も実家に住んでいた頃はよく踏み潰したものだ。
実家の裏が竹林で、よく梅雨時から暑い夏にかけて家に入ってきていたのを思い出す。うわ。気持ち悪い。思い出しただけでも背筋がゾッとする。
小さいやつになら刺されたこともあった。
大きいのになると、踏み潰してもなかなか死なないのだ。
本当は熱湯をかけるのが一番らしいけれど、そういうときに限ってなかなかそばにないものだ。
でも、こいつは勘弁してほしい。
何しろ、大きさが違う。
ぼくたちが知っているムカデなら、せいぜいが二十センチ程度だろう。だが、目の前のこいつらは、床に落ちてから急速に成長し、今や一メートル近くにまで巨大化している。
しかも、まるで蛇のように鎌首をもたげ、その平たい口を大きく開けているのだ。
その口には、びっしりと鋭利な歯が並んでいた。
「夢に見そうだ」
全身が総毛立っている。さっきの〝人喰い虫〟といい、こいつらといい、なんで、人間に根源的な恐怖を与える姿をしているんだろう。
げんなりするぼくの横で、彼が動いた。
「――さて。さっさと片付けますか」
軽く一仕事といった口調で言うと、彼はぼくの前に立った。
その左手には、忽然と一振りの剣が握られている。
世にも美しい音がして、剣が鞘から引き抜かれた。
と見た瞬間、月光にも似た剣を八双に構え、彼はその化け物目がけて床を蹴った。
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