第3話〝夜〟について その2
〝夜〟――それは、ぼくたちの世界におよそ十二時間ごとに訪れる夜とは全く異質の、意思を持った(!?)存在のことで、姿形が夜と似ているため、便宜上そう呼んでいるのだという。
〝夜〟は、異世界のものである。
そして〝夜〟に包まれると現実は非現実になり、平行線は交差し、地上世界のあらゆる物理科学が成り立たなくなってしまう。
世界が変わるのだ。
世界。
そう、〝夜〟は、さっきの〝人喰い虫〟と同様の異界のものにして、あの妖虫をはじめとする様々な〝夜の生物〟の母艦――世界そのものと言える存在で、その全てを包含しているのだと言う。
では〝夜〟は何処から来て、何をしようとしているのか。
「この世界はね――」
この世界は、幾つもの次元が並行する多元宇宙の一つである、と彼は言った。
そしてくだんの〝夜〟は、その並行しつつ重なりあう次元の一つから、この世界に進出して来たのだという。
その次元がどういう次元なのかはわからない。
ただ一つ言えることは、〝夜〟が地上を支配したとき、その支配された地域は、地上から消滅してしまうということだ。それはつまり、闇に呑まれ、この次元から消失してしまうことを意味している。
ということは、もし地球が完全に闇に呑まれたとき、地球はこの次元から消失してしまうことになる。
そしてこれが引き金となって、太陽系は自公転バランスを崩し、惑星同士が激突しあって、やがて太陽系が滅びる大惨事を惹起しかねない。
そういう可能性もある、と彼は言う。
もちろん、そうなっても人類はすでに闇化しているので関係はないのだが、他の次元にまで影響が及んだ場合、たった一つの〝夜〟の存在が、次元崩壊を導く可能性さえあるのだ。
ここまで聞いて、ぼくはやはり聞かなかった方が良かったのかも知れない、と頭を抱えそうになった。
しかし、もし万が一ぼくが生きて戻れ、この話を人々に語れば、うまく行けば滅亡から逃れるすべを見出だせるかも知れぬとも思い、彼に話の続きを促したのだった。
「どうして、他の次元のものが、この地上に現れるようになったんだ?」
という問いに、彼はこう答えた。
それぞれの次元間の障壁は、その次元に住む生命体の生体エネルギーによって構築されている。
つまり、生命体の持つ生体エネルギーが強ければ強いほど、その障壁はより堅牢なものとなるのだそうだ。
そして次元障壁は、互いに隣りあう障壁と、堅固さにおいて均衡しあい、傷つけることは稀であるという。
しかし今、その均衡が破れ、異次元の生物がこちら側へ侵出を開始したというのだ!
その原因は、こちら側の次元の生命体の数が激減し、また、唯一増加している人間の生体エネルギーが脆弱になったことにあるのだ、と彼は哀しそうに言った。
確かに向こう側の生物がこちら側へ侵攻を開始したことが始まりなのだが、しかし、その侵攻も次元障壁の脆弱化がなければ、ここまで事態は急速に悪化しなかったはずだ。
時間さえあれば、何らかの対処は出来たであろうに、人類にはその時間は与えられなかったのである。
生体エネルギー、つまり精神的な力の減退については、ぼくにも思いあたるふしがある。
確かに、今の人間は精神的に弱くなって来ているように思う。
もちろん、ぼくも含めて、だ。
その起源を彼は世界的には産業革命、日本で言えば明治維新に設定していると言った。どちらも、物理科学の激浪が世界を席巻し、人々の心を呑み込んだ年だ。
その年を境に、人々は自然及び、超自然のものへの尊崇の心を忘れ、物理欲に走っていったというのだ。
機械の発展は産業的には革新をもたらし、経済を活性化した。しかし、同時に人の精神にも変革をもたらしたのである。
現代に至っては、機械は大きくなりすぎて人間を呑み込もうとさえしている。
人が機械を支配する時代は終わり、機械が人を支配する時代が始まろうとしていた。
そして、そのことに気づいている人間は、いたとしてもほんの一握りでしかない。
ニーチェではないが、人の心の中の神はすでに死んでいたのだ。
神や仏の宿る自然、母なる大海、父なる大地を汚し、仲間たちを滅ぼすことに何ら心の痛痒を感じなくなった人類に、どうしてこの惑星を守れる力が与えられよう。
親が我が子を殺し、子が親を殺す。そんな事件が後を絶たない昨今なのだ。
よく親父が言っていた。
「俺たちが若いころは、殺人事件なんてほとんどなかったし、玄関のカギなんてかけたこともなかったのになぁ。人間は、どこで間違えたんだろうな」
目の前の欲望を叶えるためなら、何をしてもかまわない。
そんな刹那主義の世の中になってしまったのか。
だから、この星の放つ生体エネルギーは弱くなり、ただ生きることにのみ存在理由を見出だす異次元の生命に、
そのときぼくは、神仏の心の寛容さに涙が出そうになった。
何故なら、ぼくはここにいる!
神仏はなおも人類を見捨てることなく、真実に気づく最後の機会として、ぼくをここに遣わされたのだ!
たとえこの若者が人知れぬ処で戦っていても、我々の生体エネルギーが強くなれば、彼の戦いも楽なものになる筈だ。
ぼくはますます自分の役目の重さに緊張し、四肢の震えが止まらなくなってしまった。
この街のことをもう少し話そう。
この街は、まだ夜に呑まれてはいないが、〝夜〟の勢力圏内にある街だ。
ここは、〝夜〟と地上世界との境界線上にあり、戦場でもある。人間はすでに夜に呑まれていない。
たとえ彼がこの戦場で〝夜〟を退けることが出来たとしても、もうこの街に人々が戻ることはない。
そればかりか、すでに失われた人々の記憶が戻ることもない。
つまり、〝夜〟に支配されたのと何ら変わりはないのである。
地上からの消失が空間に歪みを残すように、人々の記憶、地図にも歪みを残したまま、二度とそれが再生することはない。
空間をねじ曲げて人々にそれと気づかせないから、人類は死ぬまでそのことに気づくことはないだろう。
〝夜〟との境界になる前は、福島県の何処かの街だったらしいが、名前までは知らないと彼は言った。
標識とかを見ればわかるだろうが、地上に甦ることがない以上、今さら名前など知る必要はなかった。
「――なるほど、だいたいわかったよ。で、次は君のことだ」
「――?」
「こんなことを知っている君は何者なんだ? そう思ってしまうのが人間ってもんさ」
とぼくは言った。
彼は、その美貌に微笑みを浮かべていた。
「ぼくはね――」
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