第5話 戦い その1

 それが合図だったのか、十数匹いるムカデにも似た化け物は、耳をつんざくようなおぞましい、金属音にも似た声を上げ、彼に襲いかかった。

 銀光が閃く。

 そのたびに、胴体の両脇にびっしりと生えた節足が切り飛ばされ、あるいは胴体を切り裂かれ紫色の体液が奔騰する。

 先ほどとは異なる絶叫、それは黒板に爪を立てて引っ掻いた、あれに似た声だ。

 それはまさに、断末魔の絶叫だったのだろう。

 化け物のうちの一匹が、袈裟懸けに斬りおとされ、胴体が斜めに分断されて床に転がった。

 返す刀で、左手から食らいつこうとしていたムカデを横薙ぎに屠る。

 三匹目は真っ向正面から、唐竹割りの要領だ。

 本当に、彼にとっては軽い一仕事なのだろう。

 そう思えるほどの戦いぶりだった。

 と、あろうことか、彼がバランスを崩した。

 床に飛び散り、今やリビング全体にまで広がりつつあった化け物に体液に足を滑らせたのだ。

「――!?」

 ぼくは、血の気が引くのを感じた。

 ムカデは絶好機と悟ったのか、残った仲間とともに一斉に彼の身体に群がり、覆い尽くしたのだ!

 だが、ぼくは見た。

 ムカデに全身を覆い尽くされようとした、その寸前。

 紫色の体液に染まるその美貌が、冷たい微笑を浮かべるのを。

 彼の口が、何事かを呟くように動いた。

 その瞬間だった。

 彼とムカデの胴体の間に火球が生じ、刹那の後、彼ら全てを包み込むほどに大きくなり、焼き尽くしたのだ。

 火球が消えた時、リビングにはほとんど焼失したソファと、融けたローテーブル、床の焦げ跡が残り、そこに火傷一つなく、衣類には焦げ痕すらない黒衣の美青年が立っていた。

 あれほどあった紫色の体液すら蒸発、焼失してしまったのか。

「だ、大丈夫か!?」

 慌てて声をかける。

 彼は、平然としたものだ。

「ああ、大丈夫。――あ、さっき足を滑らせたのは、わざとだからね」

 ああ、そういうことにしておこう。

「いや、ホントに、わざとだからね」

 もう必死だ。

 わざと足を滑らせて、ムカデが襲い掛かりやすいよう、わざと隙を作ったのだと主張している。

「はいはい。わざと、わざと」

 むーと不満そうである。

 こういうとき、年下っぽさが現れるな。

 微笑ましく見守っていたが、急に彼の表情が強張る。

「――さて、次が来るようなので、そろそろ家を出るとしよう」

 手にした剣を一颯して鞘におさめる。

 次?

 と思う間もなく、もの凄いエネルギーの塊が、リビング中央に出現した。

 危機を察したのか、彼が瞬時にしてぼくのそばに戻ってくる。

 爆風にも似たエネルギー風はまわりの家具や食器を撒き散らして、数秒間吹き狂った。

 超小型の台風にあおられ、床に散ったグラスの立てる耳障りな悲鳴を、ぼくは柱にしがみつきながら聞いた。そんな状態で、どうして彼は平然と立っていられるのか。

 ぼくは不思議に思いながら、彼の横顔を見た。

 やがて、風は止んだ。

 吹き始めと同じほど唐突に。

 床一面にガラスや陶器の破片が飛び散っていた。

 そして、風は終息とともに一人の男を産み落としていった。

 蛇のような眼を持った、ひどく残酷そうな相貌をした男だった。野蛮な顔には、野卑そのものの笑みが浮かんでいる。

 漆黒のマントに身を包み、大剣を一振り携えてぼくらを睨みつけている。

 その眼は、赤い光を帯びていた。

 男が深い息を吐いた。

 このときぼくは、男の口から洩れ出た空気が朱色がかっていたような気がして、思わず眼をこすった。

「な、何者なんだ、奴は…?」

「敵さ」

 彼は冷たい声で言った。

「人間じゃないのか…?」

「ああ、違う。こういう展開は珍しいが、どうやら〝夜〟が、人間の姿をとらせて差し向けてきたらしい」

 と彼が言ったとき、男がわらい声を上げた。

「ク、ク、ク。詰めだ、鼠ども」

 やはり、男が息をするたびに口から朱色の吐息が洩れている。奴が吐いているのが妖気だと悟って、ぼくの全身は震えた。

「鼠が二匹集まって何の相談かと思って聞いていたが、さっき、面白いことを言っていたな。人類は滅びるかも知れんだと?」

 クククと嘲笑う。

「それは違うな。前提が間違っているようだ」

「へえ」

 彼が、面白そうに反応する。

「どう違うんだ?」

「このまま行けば、滅びるかも知れないのではない。人類は必ず滅び去るのだ!」

 再び、ゴオッと妖気の風――朱色の風が渦巻いた。

 ぼくは吹き飛ばされまいと、必死で柱にしがみついた。

 その全てを吹き飛ばさん勢いの暴風のなか、男の凶暴な嗤い声と、彼の声が弾けている。

「滅び去る運命にある人類を、何故守る? 愚かな行為だとは思わんのか」

「滅びゆこうとするものを守って、何が悪い。それが俺の役目だ」

「今まで幾つもの種族を滅ぼし、エゴのままに生きてきた人類が、守られて感謝すると思うのか? 奴らはそのことに気づきもせんぞ? それでも貴様は守るというのか?」

「それなら、こう言いかえてやろう。人間を、この世界を守るのは、俺が彼らを好いているからだと」

「なるほど。どうあっても、貴様はここは退かぬつもりらしい」

 男は、満面に凄絶な笑みを浮かべた。

「――ならば! 死して、貴様ら〝防人〟の行為の愚かさを知るがいい!」

 男が、マントを翻して大剣を構えた。

 瞬間、風が止んだ。同時に、美しい鞘鳴りが生じる。彼が、優美な弧を描く長剣を引き抜いたのである。

 今ここに、二振りの剣が対峙した。

 青白い霊光を帯びた長剣と、光をも吸い込むかの如き暗黒の大剣。

「俺を殺すというのか。おもしろいな」

 彼の声が、本当に嬉しそうだった。

 長剣の切っ先が揺れる。

「では、――やってもらおうかぁ!」

 切っ先がすうっと下がり――彼は風となった。

 黒い、影の風と化して疾った。

 まさしく疾風!

 そのときぼくは見た。男の顔に、凄絶な笑みが浮かんでいる。

 その笑みの意味を、ぼくがわからない筈がなかった。

 あんな細身の剣で、大剣の強烈な一撃を受けきれるのか。

 そして、もし受けきれなかったら、彼の美貌はふた目と見られなくなるばかりでなく、夜が地上世界の支配をまた一歩進めることにもなるのだ。だが一方で、それはそれで仕方のない事なのかも知れぬなと、ぼくは妙に悟りきっていた。

 だが、ぼくの心配は杞憂に終わった。


 ぎいん!?


 鉄火を飛び散らせて刃は交錯し、二人は互いに位置をかえて向き直り、再び跳んだ!

 何という速攻。何という剣撃。

 剣風が舞い、銀光が疾る。

 剣圧が食器や家具を砕き、飛び散らせる。

 果たして、どれほどの時間が流れたのか。

 男が、裂帛の気合いを迸らせた。

 そして、幾度目かの激突。その瞬間、もの凄いエネルギーが爆発した。

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