第1.6話「何事においても、まずは土台作りから」
放課後。
時刻はだいたい四時頃。
時計をあまり見ない方なので、正確な時間は気にしない。
ちなみに腕時計は持ってはいるが、していない。
窓外の空は茜がさし、電柱の上のカラスがかーっと鳴けば、そのまま翼を羽ばたかせて夕空へと消えてゆく。
教室にはまだ疎らに人が残っていた。
私を含め、おおよそ十人前後と言ったところだろうか。
皆それぞれ談笑したり宿題をしたりと、あのハードスケジュールの後の放課後を思い思いに過ごしていた。
そしてその中には、自分の席で何をするでもなく、ただ携帯の画面を眺めているだけの五十嵐の姿もあった。
席は私から見て対角線上、教室の前扉に最も近い位置だ。
私は彼女が立ち上がったところを見計らって、その後を追った。
向かったのは西棟最上階奥の女子トイレ。
さすがに中までは入れないので、すぐ横にある男子トイレの入り口で出てくるのを待つことにした。
数分後、用を終えた五十嵐が、虚ろな表情で女子トイレから出てきた。
何か考え事でもしているのだろうか。隠れてはいたものの、見える位置で待ち伏せていた私の気配には見向きもしない。
廊下を進む彼女の背中を追って数分、やはり下駄箱にたどり着いた。
靴を履き替えて外に出ると、ブレザーのポケットから携帯を取り出し、画面を見ながら歩きだす。
「歩きスマホは危ないぞ」
「・・・・・・長井・・・」
露骨に嫌そうな表情をする五十嵐。うん、歩きスマホは危ないよ?
「・・・・・・なんか用?」
「いや別に、偶然私も今帰るところだっただけだ」
「そう、それじゃもういいわね」
五十嵐は踵を返して帰路を急ぐ。
まあ私もこれから帰るところだったので、五十嵐がバスに乗らないにしても、必然的に校門まではその後をつけることになった。
「それじゃ、私こっちだから」
「ちゃんと別れの挨拶はするんだな、てっきりついてこないでとか言われるかと思った」
「ふざけてるの? 校門まで一緒なのは仕方のないことでしょ」
「分かっているようでよろしい、じゃあな」
「じゃあね・・・・はぁ・・・」
呆れの意がこもったため息。
それを最後に耳に納め、私はバス停の方向へと向かう。
対して五十嵐は逆方向。
ところで五十嵐は寮住まいなのだろうか・・・
まあどうでもいいが。
「五十嵐!」
「・・・・・何よ」
まだ数メートルも離れていないところで振り返り、私は五十嵐に話しかけた。
「この学校では、友達はできたか?」
「当たり前でしょ、私はいたって普通だし、皆もいい人ばかりだし、ていうか前
いたわ!」
「そうか、ならいい」
「・・・・なんなのよ・・・・」
聞きたいことは聞けた、これでよし。
私は振り返り、再びバス停の方向へと歩き続ける。
通学路を覆う枯れ木は夕暮れの茜に染まり、紅葉でなくてもそれはそれで美しく、目に入れて心地の良いものだった。
寮に帰って、制服のまま黒い回転いすに腰掛ける。
全身の力を抜くと、自然と長いため息も一緒に口から抜けた。
ブレザーから携帯を取り出し、メールアプリを起動する。
今回は本文を短くともいかないので、少し凝った文章を作成し、
――――― 送信。
「ふぅ・・・・」
私は疲労がたまった体の欲求に任せ、そのまま目をつむった。
視界が瞼でふさがれ、そのまま意識が遠のく。
おやすみ。
* * * :
同じ日の放課後。
とはいっても六限が終わってすぐの頃なので、まだ空に夕は見えず、窓の外にはただ静閑の空が広がっているのが見えた。
進学校であるここ創府州高校に通っている生徒は、それなりに学習意欲が高い。
それ故か、あのハードスケジュールのあとでも、最低三十分くらいは皆自分の席で自主学習をしているのだ。
その空気はさながら「帰るなよ?」と脅迫されているような、そんな謎の緊迫感が場を支配していた。
私は昼放課にした約束を思い出し、皆が勉強モードに入っている静寂の中、抜き足差し足と静かに教室の後ろ扉から退室する。
スライドドアはからからと音を鳴らし、集中力の浅い何人かの生徒たちの物言わぬ目線がふとこちらに集まった。
― 居づらい。少しだけそう思った。
廊下にはひやり冷たい空気が流れていた。
向かったのはマルチメディア教室。
なのだが。
「・・・・・何処だよ・・・」
当てもなくさまよっている間に何処かもわからない通路にたどり着いた。
廊下の先は薄暗く、行きつく先には頑丈な防火扉。
そして防火扉の前には、まるで何か封印でも施されているような感じで机やいすが積み上げられている。
つまりは行き止まりだ。マジ不気味。
左を見れば空き教室。
窓は絞められているが、電気の消えた無人の教室と言うのはなんとも不気味で、なんとなく肌寒いような肌寒くないような・・・
気のせいだ。
とりあえずここでないことは確かなので、私は来た道を引き返すことにした。
踵を返し、足を進める。
「君、何をしているんだい?」
「うぉ!」
魚のことを言っただけです。嘘です、びっくりしました。
正直に現状を説明すると、ただでさえ不気味な薄暗い通路に、突然一人の女子生徒が現れたのだ。
いや、大人びたその風貌は、少女と言うより女性と言った方が相応しいかもしれない。
さらりと流る腰まである長い黒髪に、短いスカートとハイソックスの間から除く健康肌。
大人の色気を感じさせる美麗な顔立ちに、首から正中線をなぞればそこにあるのはたわわに実った二つの果実。もといおっぱい。
誰が見ても美人と口をそろえるその女性は、私が角を曲がったあたりで、あの不気味な防火扉の向かい側の通路から突然現れた。
正直出たと思った。
「ここは普通科生徒は立ち入り禁止だぞ?」
「・・・・すいません、道に迷ってしまって」
まあとりあえず学年が知れない以上、敬語で話したほうが今のところは適度な距離感だろう。
「なるほど、どこに行きたいんだ?」
「マルチメディア教室に」
「ふむ、とりあえずこのフロアからでよう」
「はい」
彼女に連れられ、不気味な廊下から見慣れた廊下に出た。
というかどこの廊下も同じようなつくりで大した違いは無いので、見慣れた廊下とは言ってもどこなのかはわからない。
「ここからまっすぐ行って左に曲がる、そしたら突き当りに図書室があるから、そこを左に曲がれ、しばらくするとマルチメディア教室だ」
四方に分岐する廊下のうち一つを指さして、彼女は言った。
「分かりました、ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げて、彼女の指さした方向へと足を足をすすめる。
初対面の女性(しかも美人)にここまで親身に道案内をしてもらえるとは、私の高校生活は先行き良好かもしれない。
私は少し足を進めたあたりで振り返り、せめて名前だけでも聞いておこうとその方向を向いた。
すると彼女はまだそこにいて、だが先ほどとは打って変わって頭の上には疑問符が浮かんでいる。
その目はどこか疑心に満ちていて、まるで珍しいものでも見るかのような、さながら何とかモンスターとかいうゲームで初めて色違いを見つけた時のような、そんな驚きと好奇の意を目に宿し、腕を組んだポーズで私を見ていた。
「・・・・・・・あの、道案内・・・ありがとうございます」
「・・・・・あ、ああ、いや、これこらい大したことは無いよ」
はたと我に返る彼女。
多少ぎこちない会話だが、なんとか軌道に乗せることには成功した。
「ところで、名前を伺っても?」
「ああ、私は二年A組の伊藤、伊藤 博節だ」
「伊藤さん・・・・ですか」
やはり年上だった。
「ああ、いずれどこかで会うだろうから、この借しは覚えておくよ」
「はあ・・・・」
なんとなくミステリアスな雰囲気を漂わせる謎の美女、伊藤さんは、そんな意味深な言葉を最後に残してその場を去っていった。
先にその場を離れようとしたのは自分の方なのに、廊下の先に消えてゆく伊藤さんの背中を目で追っているうちに、私はその場に残される形になってしまった。
・・・・なにも考えることは無い、目的地を急ごう。
私はその場に放置されたなんとも言えない寂寞感を心から追い出し。
目的地『マルチメディア教室』へと向かった。
* * *
「おっ! やっと来たか長井!」
「おう」
白い無機質なプレハブドアをスライドさせたとたん、活気あふれる声で谷崎がこちらに駆け寄ってきた。
見渡せば室内はだいたい白い。
ホントに白い、マジ白い。
まずコンピューターの本体と思わしき箱が白、次いでディスプレイやマウス、キーボードまでもが白。
それらが置かれているデスクも白。壁も白、床も白。
唯一白くないところを上げるとするならば、それは彼らが悠々と腰掛ける大きなデスクチェアぐらいだ。
なぜかデスクチェアだけは白を反転させて黒。白となんら変らない無機色だ。
そこはさながら隔離病棟。
部員が来ないのは、まずこういうところから直した方がいいと思います。
「おー、いらっしゃーい」
次に挨拶をしてきたのは、六つの白デスクを合わせた一番角に座る女子。
入り口から対角線上で、一番遠い位置に座っているのにもかかわらず、顔はディスプレイに隠れることなくよく見えた。
男っ気のある黒い短髪に、じとりとこちらを見つめる瞳。
病的なと言うには大げさだが、それでも普通よりかは白い肌が、首や手首から見て取れる。
やはり大きなディスプレイに顔が隠れないだけあって、女子にしては座高が高いようだ。
「どうも、副部長の沢渡です」
短髪で背の高い女子の前に座っていた男が立ち上がり、人差し指で眼鏡をくいっと持ち上げながら握手を求めてきた。
七三に分けられた前髪に、その下で光るのは四角いインテリチックな眼鏡。
顔立ちはそれなりに整っており、ひとつひとつの動作の器用さを図れば、一見大学生にも見えるかもしれない。
沢渡と名乗ったその男の右手を私は受け取り、短い握手を交わした。
「今回、部員の無茶な要望に応じてくださり、ありがとうございます。」
「いや、あの・・・・・先輩ですか?」
彼の容姿は見るからに先輩っぽい。一応確認しておいた方がいいだろう。
「いえ、僕は彼と同じクラスです」
「そうか、ならよかった」
私の言葉を最後に、握手していた手は離れた。
「さて、今日は部長がいないので、代わりに僕がこの部の方針を説明します」
「はあ・・・・」
「まずこの部は、コンピューター研究会と名を打っている通り、ここにあるコンピューター・・・・・パソコンと言った方がいいでしょう。これらのパソコンを使って、様々なことを行う部活です」
「様々とは?」
「様々と言えば様々。たとえばその日に何かお題を一つ出して、パソコンで調べうる限りの情報を調べ、それを皆で共有したり、時には学校や生徒会の事務仕事を手伝ったりすることもある」
「ほうほう・・・それは・・・・」
なかなかに好都合。
そう危うく口に出てしまいそうになるところを無理やり押し込むと、自然と口元がにやりとほどけた。
「興味湧いたか?」
「ん?あ、ああ、面白そうだ」
横から口を挟んできたのは谷崎だ。
「沢渡はお堅く言ってるが、実際は結構緩いから安心しろ、部長も優しい人だし」
「ああ、だが今日は遠慮しておく、この後予定があるからな」
「そうか、んじゃまた今度だな」
「そうですね・・・では次来るときには君のデスクを用意して置きましょう、えっと・・・・」
「長井、長井竜美だ」
「長井、今後よろしくお願いします」
「ああ、よろしく」
私は初めてその時彼に名乗り、再び彼と握手を交わした。
結局、あの背の高い短髪女子の名前は聞けず終い。
最初の挨拶以外、私には目もくれず、終始画面に目を奪われ続けていた。
* * *
私はあの白い部屋から出ると、教室に戻る前に、まず西棟の男子トイレへと向かった。
この西棟トイレは一年生フロアから一番離れたトイレだが、一方マルチメディア教室からその道のりは近い。
男子トイレと女子トイレは隣り合っており、男子トイレから薄い壁一枚挟んですぐ横には女子トイレがある。
それ故か、ここ西棟最上階トイレを使う生徒はまずいない。
私は男子トイレの壁をコンコンと叩くと、壁の薄さ理由にその音はよく響く。
私は手探りで隣の女子トイレとの壁の厚みが一番薄い部分を見つけると、そこにカバンから取り出したあるものを、壁の色に合わせた白いビニールテープで張り付けた。
「・・・・よし」
小さく意気込んで、私はトイレを後にし、教室へと戻った。
そしてその日の夜。
部屋に戻った私の携帯には、ある人物からメールが届いていた。
そのメールの開封には時間がかかり、見てみると、少し長めな文章と、何メガバイトかある音声データが送られてきていた。
私はそれに対し凝った文章で返信すると、待っていた返信はすぐに来ることは無く、結局その日の返信は当てにしないことにした。
その日溜まりに溜まった疲労感は、私が気を抜いた瞬間すぐに睡魔へと改変され、私の瞼に重くのしかかった。
私はその瞼の重みに耐えきれず、そのまま夢の世界へと旅立った。
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