第1.4話「勘違いと虚無感・A」
ピピピピピピ ―――――――。
その日の朝、私は今だ聞き慣れないアラーム音で目が覚めた。
「・・・・朝か」
寝ぼけ眼をこすりながらシャワールームへ向かう。
鏡に映っているのは、白い髪と朱色の瞳を持つ、まるでウサギのような自分の虚像。
「髪切った方がいいかな・・・・」
前髪は眉を隠し、襟足は後ろ首を完全に覆ってしまっていた。
だがまあこれから寒くなるので、どちらかというと長い方が好都合かもしれない。
寝履きを脱ぎ捨て、洗濯籠に放り込む。
そのままシャワー室に入り、レバーを回転させた。
しゃーっと勢いよく冷たい水が噴射され、しばらくすると徐々に温かみを帯びてゆく。
私は熱いお湯を頭から浴びながら壁に手をつき、記憶の糸をたどりながら、昔のことを思い出していた。
もう忘れてもいいはずの、私のくだらない中学校生活。
くだらないとわかっていながらも、私はそれを今更のように思い出していた。
それ自体が本当に不毛で、本当にくだらない。
過去を変えることなど誰にも出来はしない。
それはたとえ神であっても同様だ。
故に、それにいつまでも固執していたところで、意味はない。
全ては過ぎたことで、過去のこと。
だが決して忘れてはいけない。
人は壁に突き当たった時、それを超えるために、まず初めに過去のデータを元に対処法を考える。
それは意識していなくても、無意識化で行われるごく自然なもので、変えようと意識したところで変えられる物じゃない。
それは人間である以上私も同じことだ。
故に、たとえそれがトラウマだったとしても、希少価値のある過去のデータは、取っておいた方が後々のためになる。
・・・何をいまさら解りきったことを。
頭を振ってお湯を切る。
バスタオルを巻きつけたまま台所へ行き、水を一杯飲み干した後、牛乳漬けにしたシリアルを一杯という簡単な朝食を済ませ、制服に着替えた。
ネクタイをキツ過ぎない程度に緩く絞め、長い前髪を四六分けに整えていると、ふとベッドの上のケータイ電話がピコンと着信音を鳴らした。
メールが届いたときの音だった。
私は画面ロックを解除して、メールを拝見する。
その内容に、思わず私は小さく微笑を漏らした。
短めな文章で返信し、そのままケータイを鞄にしまう。
――― さて、行くか。
重い足を動かし、私は部屋を出た。
* * *
ここ創府州高等学校は、大学のキャンパスもろとも山の上に建てられている。
高校本校舎を囲うようにして八つの学生寮が等間隔で建てられており、それぞれから本校舎に向けて一本道が直進している形態をとっている。
そのうちの一つ、綺麗に整備された煉瓦通りを進むこと数分、ふと幅の広い遊歩道に出た。
遊歩道の両脇には、飲食店や雑貨屋、娯楽施設と言った、様々な日常のおかずがずらりと並んでおり、軽い商店街のようになっている。
それぞれの学生寮から伸びる一本道には、各々こうした細かな遊歩道がいくつにも分岐しており、そこにはここにあるような寮住民のための商業施設がいくつも用意されている。
最悪、外部からの関係が一切断絶されたとしても、独立してライフラインを補えるような工夫が施されているのだ。
だが見たところ、こんな早朝から開店しているのは二十四時間営業のコンビニくらいしかないらしく、それ以外はガラス窓の向こうにシャッターかカーテンが閉められているのが見える。
毎日この時間に登校するのならば、昼食を買うときはこのコンビニを使わせてもらうことにしよう。
私は通学路を逸れコンビニに立ち寄り、そこで昨日と同様のメロンパンを一袋購入。
再び元の通学路に戻った。
昨日も乗ったバスに身を委ね約十分、相変わらず立派な創府州高等学校本校舎の門前にたどり着く。
スリッパに履き替え、うろ覚えの廊下を進む、教室の後ろの扉から忍び寄るように入室し、自分の席に着くと、そのまま机に突っ伏し、お休みの姿勢を取った。
「長井君!おはよ!」
少々寝足りないのを補給しようと思った矢先。
まだ朝だというのに、相変わらず溌溂とした声で話しかけてきたのは石定だった。
「・・・おはよう」
「ん?どうしたの?朝なのに元気ないね」
「朝だからだろ・・・ていうかなんであんなハードスケジュールなのに疲れがたまらないんだ?」
少なくとも五か月で慣れるとは到底思えない。
「う~ん、そこまでハードかな~」
「人間の集中力は45分しか持たない、七十分なんて馬鹿げてる・・・」
「体力の問題じゃないかな? 私普通より体力あるし、集中力にも自信あるし」
「体力かぁ・・・・」
そこを突かれてしまってはぐうの音もでない。
事実私は人より体力が圧倒的に少ない、そして集中力もそれに同じ。
「よう長井、相変わらず真っ白だな」
「・・・・誰だ?」
黒髪を短く切った、背の低い見知らぬ男子生徒に突然話しかけられた。
馴れ馴れしいその態度は、すでに私とどこかで知り合ったような雰囲気を漂わせる。
だが当然、私がこの学校に入学して以来まともに会話したことがあるのは、石定や田知花、五十嵐ぐらいなもので、こんなみるからに頭の悪そうな人間にはまったく見覚えがない。
だが顔は知れど、石定が彼の名字を読んだ時点で、私は頭の中のデータベースから、ある特定の人物を割り出すことができた。
「おはよう谷崎君! 今日は早いね」
「おはよう石定、今日はなぜか早くに目が覚めちゃってな、自分でもちょっと驚いてるよ」
「へぇ~、毎日そうなら遅刻もしないのにね」
「・・・・・」
正直、この男が誰だかはもう皆目見当がついた。
だが試すように突然私の名前を呼んだ手前、何か裏があるようにも思えてならない。
私は今すぐにはこの男の名前は呼ばず、普通ならこういう反応をするだろう反応を演じてみることにした。
「・・・・失礼だが誰なんだ? 私はお前と会った記憶が無いんだが・・・」
私が演じるそれは、どこか空々しく感じられるかもしれない。
だが、幸いと言うか当然というか、ここにいる人間に私の演技は見破れはしない。
「え? 二人とも知り合いじゃなかったの?」
「少なくとも私は知らない」
「ああそういえばそうだっけか、初めまして長井、俺は谷崎 集也、よろしくな」
顔立ち整った背の低いクラスメイト、谷崎 集也が、後頭部を掻いた右手を私に差し出し、握手を求む。
私は様子を伺いつつもそれに応じ、彼の右手を握り返した。
「・・・・ああ、よろしく」
「昨日から話しかけるタイミングをうかがってたんだがな、お前放課とかすぐいなくなるし、なかなか機会が訪れなかったんだよ」
ならば放課後私が教室にいるときに話しかければよかったのでは?
と、ふとそんな疑問が頭を過るが、当然そんなことは口には出さない。
「なぜわざわざ私に話しかけようと?」
「いや何、少しお前と話がしたくてな」
「・・・・話?」
聞けばそれは部活の勧誘で、彼が副部長を務めるコンピューター研究会という、研究会と部活の違いとは何ぞ?、と問いたくなるような謎の集まりだった。
どうやらそこは二年の先輩が部長の席を担っており、今年入部した新入生は谷崎を入れて4人、部活動として活動を継続するには、最高部員七人が必要で、今年はその条件をいまだ満たしていない。
つまりは、廃部寸前のところを助けてくれと言う申し出だった。
「・・・・どうして私なんだ?」
「もう一年の大半には声を掛けたんだが・・・」
「断られたと?」
「ああ、みんなそれぞれの都合があってな」
「なるほど・・・・」
まだ虫食い状態だが、大まかな事情は把握した。
はてさてどうしたものだろう。
ここ創府州高等学校の校則としては、『一年生は必ず部活動をしなければならない』というものが存在し、ここで入部を断ったとしても、どっち道どこかの部活に入部しなければならない。
聞けば、部活動が活動しているのは、一週間の内火曜日と木曜日の二日のみ。
やはり勉学に力を入れている学校なだけあって、部活動との縁はあまり重視していないようだ。
まあ二日しかないって言っても、あのハードなスケジュールの後にさらなる部活動・・・・・考えるだけで憂鬱だ。
「・・・・だめか?」
「いや、だめってことはないが・・・」
どっちにしても入部しなければいけないことに変わりはない。
だがここでこの誘いを断ったら、後々体育会系のおっかないムキムキお兄さんの勧誘を受けた時、断れる気がしない。
ならばまだ自分に選択権があるうちに、なるべく体力を使う必要のない文科系部の誘いに乗っておくべきかもしれない。
・・・・・コンピューターって文科系か?
「わかった、入るよ」
「えっ本当か!? ありがとう長井!!」
ダメもとで私に話を振ったのだろう、谷崎は目をキラキラさせながら感謝の言葉を口にした。
だがまあこうやってすぐ人に礼の言葉を言うやつの口から出る『ありがとう』は信用できない。
要は『ありがとう』の大安売りをしているわけで、その一つ一つの言葉自体には、ブランド性も希少価値もなく、大した価値はない。
昨今世の親は自分の子供に対し、よく何かしてもらったらすぐ『ありがとう』を言いなさいと言うが、私はそれは違うと思う。
その理由は先も述べた通りなので言わずもがな、そのくせ子供に同じ口で「気持ちの問題だよ」と言ったりするのだ。
その度に私は、どの口で言う!どの口で!と言いたくなる。
「ああ、だが私が入ってもあと一人必要だぞ?」
「わかっている、これからまた探そうと思ってな」
とは言ったものの、追認生にダメ元で勧誘をするあたり、大体結果は見えている。
谷崎は気持ちの高揚冷めやらぬまま、私に「んじゃ放課後、マルチメディア教室来てくれよな!」と言って、教室を後にした。
そこで私は、自分の勘違いに気付く。
「あいつってこのクラスの生徒じゃないのか?」
「え? 谷崎君はBクラスの人だよ?」
「おお・・・・」
今まで自分のクラスの人間だと思って話していた自分、そして友達ができたと薄々喜々の感情を抱いた自分を思い出し、羞恥の極みに落とされる私。
他人からの目線で羞恥にさらされるときは、自分でその場から離れるなどして、大体は逃げることができる。
だが自分で自分を恥じるときは、逃げても逃げても恥じるべきは自分。
視線は常に自分に向けられ、逃げられないのである。
私はジトーっと扉を見つめながら、なんとも言えない感覚に苛まれる。
この感覚をなんて言ったけな・・・・
―――――――――― ああ、虚無感か。
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